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911 テロ事件 真実を語ろうコミュの「テロ首謀者」のアル・カイダとオサマ・ビン・ラディンとは

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オサマ・ビン・ラディンはCIAからTim Osman(ティム・オスマン)
又はTim Osmond(ティム・オズモンド)というコードネームで呼ばれていた。

_参照資料_
http://www.whatreallyhappened.com/binladen_cia.html

ティム・オスマン=(イコール)オサマ・ビン・ラディン財閥とは
ブッシュ一族と25年にもわたる腐れ縁の仲で、石油&軍事ビジネスにおけるパートナーであった。
1977年6月、元大統領ジョージ・W・ブッシュがアルブスト・エネルギー(石油採掘会社)設立
した時の共同出資者がジェームス・R・バス(以下_バス)という人物である。

バスは5万ドルを出資し、アルブスト社の5%の株を保有したが、
彼はこの頃サウジのビン・ラディン財閥の当主でオサマの兄にあたる
サレム・M・ビン・ラディン(以下_サレム)のビジネス代理人も務めていた。
バスはサレム(オサマの兄)の北米全域におけるすべての投資を扱っており
1978年にはサレムの為に南テキサスの飛行場を購入したという記録が残っている。
これが縁でビン・ラディン財閥はブッシュのお膝元テキサス州へ足しげく訪問するようになる。
だがサレムは1988年、元大統領ジョージ・H・W・ブッシュが大統領に当選した年に、
テキサス州サン・アントニオ近くで軽飛行機“事故”により不慮の死を遂げる。

1986年、アルブスト・エネルギー社は米国の石油関連会社、ハーケン・エネルギー社に吸収合併され、
ブッシュはハーケン社の重役に就任した。
ところが1990年6月22日、ブッシュはハーケンの株を大量に売り抜け、約85万ドルを得たとされている。
その1週間後、ハーケンは4期に2300万ドルの損失を出し株価も急落した。
さらにその後6ヶ月間に株価は60%下落した。ブッシュは他の株主が大損益を出すなかで、
ひとり利益を得たとされている。ハーケンの経営が苦難に陥ったなかで、
サウジの王族のアブドラ・タハ・バクシュ王子が同社の17.6%の株を取得したが、
この資金を裏から拠出したのがサウジア人のハリド・ビン・マフフーズであったとされる。

ハリド・ビン・マフフーズを知るためにバスの話に戻ろう。
バスはアラブのビジネスマン、とりわけサウジの富豪たちの間に広範な取引関係を築いていた。

バスはサレムの代理人を務めるかたわら、サウジアラビア最大の銀行ナショナル・コマーシャル・バンク
の頭取で国王の経済顧問も務めたハリド・ビン・マフフーズの代理人も務めていた。
マフフーズはアメリカが人質と武器の交換工作をイランとの間で進めていたとき、
この取引を仲介したサウジの武器商人アドナン・カショギに資金供与をして
側面支援したことで知られており、CIAの中東絡みの秘密工作には必ず顔を出す人物である。

バスはまたヒューストンにあるメイン銀行に出資していたが、
同行の共同出資者にはビン・マフフーズのほか
サウジの王室に近い大富豪ライス・ファラオンも名を連ねていた。
ファラオンはマフフーズと共にBCCIの大株主を務めていた。

BCCIとはパキスタン系のイスラム銀行である。
1972年、貧民救済を目的に掲げ設立。以後70カ国以上の国々に進出し、国際的な業務を行ってきた
一方で、フィリピンのマルコス大統領や、パナマのノリエガ将軍などの独裁者、
ビン・ラディン財閥などの不正蓄財の舞台となり、イスラム諸国の大量破壊兵器開発の資金源ともなり、
さらにはCIAのアフガニスタン作戦での資金仲介などを行ったとされる。
1991年経営破綻し、総額100億ドル近い預金詐欺事件に発展。邦銀や日本企業にも多額の損害が発生した

再びビン・ラディン財閥の話に戻ろう。ビン・ラディン財閥はサン・フランシスコに拠点を置く
世界最大手の総合建設会社べクテル・グループの子会社フレモント社(旧ベクテル・インベストメンツ)
へも1000万ドルの投資を行っていた。

_参照資料_
http://money.cnn.com/2003/05/05/news/companies/war_bechtel/

べクテルおよびフレモント会長兼CEO(最高経営責任者)のライリー・P・ベクテルは
ブッシュ大統領の「輸出諮問委員会」メンバーでありドナルド・H・ラムズフェルド国防長官の
「国防政策諮問委員会」メンバーであるべクテル上級副社長ジャック・シーハンともども
ブッシュ共和党政権に深く癒着し、全世界のエネルギー開発を一手に握っている。
1983年〜84年にかけてラムズフェルドが中東和平特使としてイラクを表敬訪問し
べクテルの石油パイプライン・プロジェクトをフセイン大統領に持ちかけた話は有名である。
またベクテルは道路、学校など修復などを目的とし国際開発庁より
イラク復興事業として6億ドルの受注を受けている。

その他にも多くのアメリカ資本の企業がイラク復興事業として、
油田消火・修復作業、ケロッグ・ブラウ・アンド・ルートン(KBR) 70億ドル
ウンムカスル港運営、スティーブドリング・サービシズ・オブ・アメリカ 290万ドル
学 校、リエイティブ・アソシエーツ・インターナショナル 100万ドル
病院等医療整備、ABTアソシエーツ 1,000万ドル
復興技術支援、インターナショナル・リソーシズ・グループ 980万ドル
自治体技術支援、リサーチ・トライアングル・インスティチュ−ト 790万ドル
空港管理事業、スカイリンク・エア・アンド・ロジスティックサポート 250万ドル

まさに「復興事業」は米系多国籍企業の特需ではないだろうか。
各国からの「復興資金」の割当分も、アメリカの企業に流れるシステムであり
これと石油売却代金=「イラク開発基金」が「復興事業」の名目によって
米系多国籍企業に還流するシステム。つまり「復興支援」とは、
アメリカが自らのビジネスチャンスを拡大する梃子であり、その大半を自国のお金ではなく、
全世界から寄せ集めたお金(寄付)で行うものであろう。

他にもビン・ラディン財閥は、「カーライル・パートナーズ II」というファンドにも
初期投資で200万ドルを融資していた。

2007年3月23日付けでカーライルは、米LBOファンド立ち上げで150億ドル調達を行なえる
世界有数の投資会社である

_参考資料_
http://business.nikkeibp.co.jp/article/reuters/20070323/121602/

このファンドを運営する米投資顧問会社カーライル・グループは軍需産業と密接に関わり
会長には元CIA副長官および元米国防長官のフランク・C・カールッチ、
上級顧問には元CIA長官および元大統領ジョージ・H・W・ブッシュと
元米国務長官ジェイムズ・A・ベイカーが就任し、かつては現大統領ブッシュもカーライルの理事だった。

9/11事件当日の朝、カーライルは首都ワシントンDCのリッツ・カールトン・ホテルで
年次投資家会議を主催、元大統領ジョージ・H・W・ブッシュは、
そこでオサマの異母兄シャフィグ・ビン・ラディンとも同席し、事件直前に早々と退出している

元大統領ジョージ・H・W・ブッシュは事件前日の10日夕方、何の打ち合わせか、
ホワイトハウスの大統領執務室でリチャード・B・チェイニー副大統領とも会っていた。
この二人は、湾岸戦争を仕掛けた時の大統領と国防長官という間柄であったが、
湾岸戦争でリーダーシップを発揮し勝利へと導いた貢献と功績によりチェイニーは1991年7月3日
大統領自由勲章を授与されている。

その後チェイニーは1995年から副大統領に就任する直前の2000年まで
テキサス州に本社がある石油関連企業ハリバートン社(カーライルの主要投資先)の
会長兼CEOを務め、副大統領になってからもハリバートン社から報酬を受け取るなど癒着をものともせず、

イランやイラクとのオイル・ビジネスに精通したキーパースンとなる。

このハリバートン社も17億ドル余りの復興事業を受注するとともに、
その子会社ケロッグ社やブラウン&ルートン社は先ほど述べたように
油田消火・修復作業にて70億ドルもの受注を受けている。

チェイニーという人物は(ウィキペディア(Wikipedia)より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%83%BC
政治的な意味で「北朝鮮に核を放棄させないと、日本が核武装することになる」と発言した人物でもある

彼は、911事件直後の数日間、航空機の飛行が全面禁止されていた中で、
米国内にいたサウド王家関係者とビン・ラディン近親者24人がFBIの取り調べも受けず
サウジアラビア国籍の特別チャーター機で密かに出国していた事実は、
その癒着ぶりをより際立たせるものとなった。
(国外退去許可を与えていたのはチェイニー副大統領であったとされている)

一方、オサマ・ビン・ラディンはと言えば、9月11日の前夜、
パキスタンのラワルピンディにある軍病院で腎臓透析治療を受けていた事が
パキスタン情報筋によって明かされた。

病院職員が目撃したというこの有力な情報は、オサマがその2か月前の
7月4日〜14日にかけてパキスタン経由でアラブ首長国連邦(UAE)のドバイにあるアメリカン病院へ
腎臓病治療のために入院し、そこへビン・ラディン一族
サウジ諜報機関の最高責任者トゥルキ・アル・ファイサル王子(翌8月31日に解任された)

さらにはCIAのドバイ支局長ラリー・ミッチェル(翌15日CIA本部へ呼び戻された)までもが
面会に訪れていたというフランス・フィガロ紙(01年10月31日)の報じたスクープとも符合する

この時すでにオサマは重度の腎不全にあったが、同年12月ひっそりと息を引き取った。
エジプトのアル・ワフド紙(2001年12月26日)が
「ビン・ラディンはアフガニスタンのトラボラで10日前に埋葬された」
と葬儀の模様を伝えたのをはじめ、FBIテロ対策本部長デイル・ワトソンと
パキスタンのムシャラフ大統領も彼の死を追認するに至った。

しかし、私達はその後の報道で度々、彼の姿を見ることになる。

敵が存在すれば、戦いは続くだろう。しかし本当に敵は存在したのだろうか。
我々の言うテロとは、無差別な復讐はどこから来て、何故行なわれたのか?
もう一度、見つめなおす機会が必要だろう。

人の死が悲しいからこそ、その苦しみを復讐として受け継ぐのか。
人の死が悲しいからこそ、もう争うことをやめるべきなのか。
答えは皆見えてるはずである。

コメント(1)

凄い情報ですね。

今、アルカイダはパキスタンのベルベス・ムシャラフ大統領の任意の中で同情的なパキスタンの地方の指導者から事実上その地域を譲りうけている。

近頃、チェイニーはパキスタンを訪問し、ムシャラクに対して
「アメリカがパキスタンに政治的援助と経済的援助を継続させるかどうかは、アメリカ人を殺すために訓練された人々をパキスタンから追放するか、いっそうの努力をするかの度合いに正比例している」と言ってましたよね。

人の死が悲しいからこそ、その苦しみを復讐として受け継ぐのか。
人の死が悲しいからこそ、もう争うことをやめるべきなのか。

でも、人の死を悲しいと思ってない人たちが世界の国のトップに立っているような気がしてるのは俺だけかな?

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