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『世界の肖像』コミュの夢の海外旅行

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ソマリアの首都モガディシュのバスステーション。
そこへ1人の少女が歩いて向かっていた。

彼女はアシャ・イガル(Asha Igal)、17歳。

アシャは、一年間、働いてためたお金で買った
長距離バスのチケットを握り締めて、
彼女の夢への旅の最初の一歩を踏み出そうとしていた。

そして、その旅が、
彼女の命を奪うことになるかもしれなことも
アシャは知っていた。



彼女の住むモガディシュから
1500キロメートルほど離れた
ソマリア北部の港町バサッソ。
バスで4日間ほどの距離だ。

そのバサッソの海の向こう、
紅海の入り口アデン湾の向こうは、
イエメン……
夢のように豊かなアラブの国だ。


バサッソからイエメンまでは、
船で2日ほどの距離だ。
貧しいアフリカのエチオピアやソマリアから、
豊かなアラブを目指す者は後を絶たない。

バサッソの密入国業者は、
そんな人びとを1人1万から2万円ほどでかき集め、
小さな漁船に100人ほど詰め込んで、海へと送り出す。

たった2日間の船の旅だが、
それは過酷なものだ。



先月3月21日、
4隻の船がバサッソを出向した。
船には、ソマリア人やエチオピア人、
合わせて約450人が乗っていた。

22日朝、イエメンの岸から数キロのところで、
そのうちの2隻の船のエンジンが不調だと、
乗組員たちが言い出した。

そして、乗組員たちは、乗船者たちに、
海に飛び込むように命令した。

海は荒れていた。
岸からも遠かった。
中には妊婦もいた。

しかし、密航業者たちは容赦はしなかった。

言うことを聞かない者には、
木や鉄の棒で殴りつけ、
ナイフを突き刺し、
そして、銃を撃った。


人びとは、次々に、海に飛び込み、
あるものは波に飲まれ、
あるものはサメのエサとなった。


35人以上の死体として見つかり、
113人が行方不明となった。



船主たちにとって
1人当たり1万円で100人ほど乗せ、
たった2、3日で、
普通の漁で得る年収を上回る利益はいい話だが、
厳しいイエメン政府の取り締まりは、
大きなリスクだ。

連日100人単位でやってくる
アフリカからの難民は、
イエメンで、大きな問題となっている。


昨年の12月には、
515人を乗せた4隻の船を、
イエメンの沿岸警備隊が銃撃、
その混乱で、
17人が死亡、140名が行方不明となった。


また、今年2月にも、
海に飛び込むことを強制され、
100名以上の死体が海岸に流れ着いた。



それでも冒頭の少女はこう語る。

「もしかしたら死んでしまうかもしれないって分かってます。
 でも、わたしは、自分の運を試したいんです。
 イエメンかサウジアラビアで仕事を見つけたいんです。

 そして、お金ともっといい人生を、
 お母さんにプレゼントしたいんです。」

一年間、働いてためたお金で買った
2500円のバスのチケットを握り締めて、
アシャはバスに乗り込んだ。



ソマリアは、15年間、内戦が続き、
現在、世界で認められている
「政府」というものは存在しない。

首都モガディシュは、
昨年暮れからの
エチオピア・ケニア・アメリカによる総攻撃で、
連日の爆撃と戦闘にさらされている。


特に先週、3月27日より悪化した状況は、
この15年の内戦の中でも最悪で、
人びとは、家から一歩も外に出れず、
迫撃砲やロケット弾が民家を襲い、
道路には死体が転がっていると伝えられている。


国際赤十字(ICRC)は、
この戦闘での3月30日時点での死傷者の数は
数百人以上だと伝えているが、
実際の数を知る者は誰もいない。


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関係リンク
アシャ・イガルさんの話
AP feature
International Herald Tribune
Somalis willing to risk death to be smuggled to rich Arab states in the Gulf
http://www.iht.com/articles/ap/2007/03/29/africa/AF-GEN-Somalia-Deadly-Smuggling.php

国際赤十字(ICRC)
Somalia: Thousands of civilians trapped in deadly fighting in Mogadishu
The population of Mogadishu is caught up in the worst fighting in more than 15 years.
http://www.icrc.org/Web/eng/siteeng0.nsf/html/somalia-news-300307!OpenDocument

BBC
Somalis cower as fighting rages
http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/6515061.stm

UNHCR−国連難民高等弁務官事務所
At least 100 reported dead, missing in latest smuggling tragedy in Yemen
26 March 2007
http://www.unhcr.org/news/NEWS/4607cd934.html

UNHCR−国連難民高等弁務官事務所
16 February 2007
http://www.unhcr.org/news/NEWS/45d5acf62.html

UNHCR−国連難民高等弁務官事務所
Somali smugglers' boats capsize off Yemen, leaving 17 dead and 140 missing
December 28 2007
http://www.unhcr.org/news/NEWS/4593e2474.html

Human Rights Watch
People Fleeing Somalia War Secretly Detained
Kenya, US and Ethiopia Cooperate in Secret Detentions and Renditions
March 30, 2007
http://hrw.org/english/docs/2007/03/30/kenya15624.htm



船が来た!
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=304478725&owner_id=5766188
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写真
1. 海岸に流れ着いた難民たちの死体(UNHCR)
2. ソマリアの首都モガディシュの状況(BBC)
3. アデン湾周辺の地図

コメント(33)

マイケル・ウィンターボトムの『イン・ディス・ワールド』という映画を思い出しました。
アフガニスタンの難民キャンプからヨーロッパを目指す話です。

危険なのは承知の上、たどりつく先は夢の土地ではないかもしれない。

それでも船に乗り込む人々にとって、
船は希望を乗せてゆくのですね。
昔両親の参加していたアムネスティの、世界人権宣言で、「人は世界のどこへでもいくことができる」というのがあったと思う。
今思い出してみると、あの宣言があまりにもかけ離れた現実に、無力感を感じます。
ソマリアといえば スーパーモデルの方のお話が 有名ですが、アフリカは いろいろ どこも 果てしなく あるだのということを 何度も 考えさせられました。
また悲しいお話ですね・・。
日本で桜が咲き、和やかな気持ちになっても世界にはまだまだ果てしなく、
悲しい出来事が世界中にある。
こういうお話を聞くと胸が痛くなります・・。

人間っていったい何なのか。
言葉を失うばかりです。
マーティン・ルーサー・キング牧師が熱い思いで語った“I still have a dream”の中の一節『たとえ今日も明日も我々が困難に直面しようとも、私にはまだ夢があります!』を思い出されます...
夢と命を引き換えに憧れの異国へ向かうなんて、日本人には考えられない現実です。あまりにもリスクが大きすぎて、その国に住んでいる人にしか想像できないですね。こういう現実を少しでも変えることができたら、世界が一歩平和に向かって前進できると思います。
命がなくなるかもしれないとわかっていて、それでも尚、夢の為に危険な橋を渡る人々。
その人々を利用する密航業者。
そんな現実が実際にこの世界で起きていること、悲しいです。
そして信じられないです
久し振りに来ましたが、ソマリアの状況は良くなるどころか悪くなっているのですね。年末の事態は負の側面を拡大してしまったのですね。アメリカ、エチオピアが付け入った、そんなところでしょうか。

サシャのような女の子が自由に夢を描けるように世界は変わらなければならないはず。夢を持つ自由が権利なら、それを見る権利も失う権利も自分の手の中に有るはず、最初からそんなものが無い世界は間違っている。

この世界は恐ろしく不均衡、もちろん先進国が幸福って訳でもないけど。
自らの命を懸ける程の大きな希望、悲しいことであり、また、その強い思いに圧倒されました。
遠く離れた土地でまだこんな悲惨な現実があるなんて、本当に信じられないけど事実なんですもんね・・・目を背けてはいけないですね。もっと世の中のことを知らなければ。
その時どんな気持ちだっただろう。
育ちや風習も違うけど人間の気持ちは同じ。
ファイトするしかなかったんだ。

日本の労働環境なんてマシや。
お金なんて、本当は取引するのに便利なだけのものだったはずなのに・・・

なぜこんなにも残酷なことを引き起こす種となったのか。

誰かおしえてください。
日本を出てみると、世界がすごい状況、というよりも日本の状況のほうが不自然で仕方ない。こんなに安全で。もちろん問題もあるけど。

命を懸けた決断は彼女のもつ強さと、自分で将来を決める選択肢を選ぶという権利を示すためなのかも。悲しみじゃなく、歓びをこめての。

食事にも困る生活の中で笑顔を絶やさん理由を聞いたみたら、
『私たちはお金はない。でも、笑うことは出来る。神様は私たちに笑うことをゆるしてくれる。だから、笑うんだよ。』って言ってた。私の頭の中でリンク...

彼女の行動は、私たちに届いてるね、何らかの形で。海を渡った。
貧困や内戦に苦しむ人の話を聴いて、自分たちの幸福を再確認し、「もらった命を大切にしよう」と考える人も多いと思います。心を痛める人もたくさんいるんじゃないでしょうか。私たちは、こういう話を聴いて、彼らの不幸や笑顔から何かを感じ、強いメッセージを得ます。

それでは、何かを得た私たちにも、彼らのために何か出来ることがあるんじゃないでしょうか。

現状を知るということから、一歩踏み出して、日本の政治家に訴えかける署名活動をしたり、NGOでボランティアをしたり、地域で自分がリーダーとなって活動するのもいいと思います。忙しくてそこまで手が回らないのなら、NGOやUNやAfrican Unionに募金をすることもできると思います。

他に具体的に、個人でもできることって、ありますか?
何かいい案がある人いましたら、教えて下さい。
いい案は、ありません。
人類は、その発祥の地から、広く各地に旅立って行ったと信じられています。個体に今でも刻まれている各種の相違。これは、一朝一夕に形成されたものではありません。
 旅の過程で、様々な苦難に出会い、或いは、人生の終わりを迎える事もある。
 それは、誰も、助けてくれない冒険の旅かも知れない。
それでも、向上心があり、未来を、未知の世界を目指す人間が、現代を作る元ではなかったでしょうか?
 単に可哀想、哀れで見てはならないと思います。
一人、彼女だけではなく、共産中国でも、軍事独裁北朝鮮でも、呻吟している人類がいる訳です。
冒険は、意思ある人間の夢、ただ、夢を奪っては行けません。
これからも出てくる彼らに、夢を希望を祈るのみです。
ここに来ると自分のいるところがどんなに恵まれてるのかわかる。
何かをしてあげたいけど、何も出来ない自分が歯がゆいです。
でも、こんな世界があるって事を教えてくれるミッシェルさんに感謝しまてます。
実際に起きているこの悲惨な実態が、あまり伝わることのない、この実態。悲しいことです。
死ぬかもしれなくてもそんな旅にに希望を持つほど祖国に希望が無い。そんな悲しい現状の国がいくつあるんだろう。
アメリカにも多くの国から難民や不法移民が流れ着いてくる。
「私たちには帰るところがないのよ」
そんな台詞を何度か聞いたことがある。
「あなたはいつだって日本に帰りたかったら帰れるんでしょう?」
そんな台詞を聞くたびに自分の甘さを思い知らされる。
生きることについて考えさせられるお話ですね。
つまりね、この世に生を享け人間として生きる楽しみを
授かったはずの存在なのに、その環境によってこんなにも
違う人生を強いられる。
でもね、たとえどんな環境にあっても人間としてより良く
生きたいという気持ちは同じだと思うのね。
国とか体制とかに関わりなく、そんな素朴な生のエネルギー
がいま地球上には充ち充ちてるちって思うんです。
でもね、他方ではね、移民の流入する富める国では
その量が増えるにつれて、自国の秩序を維持するためにも
防衛的施策をとらざるをえない。そういうこともわかるん
です。最終手段として暴力に訴えてでも自国の秩序を守らん
とする姿勢も、やっぱり生きる権利ですものね。
見るものは悲惨です。人間はとても哀しい。
生きること。人間の欲望・・・
どちらもわかるんです。だから、哀しいんです。
答えは多分、見つからないと思います。
人間は永遠に進化形ですから。
赦し・・・願わくば、どちらの側にも天の恵みがあることを!
そう思わずにはいられません。
ただ哀しいだけです。
初めて書き込みします。悲しいお話ですね…。
世界のこういった情報を発信しているミッシェルさんに
感謝します。日本の中だけを見ていては決して分からない
話ですね。国は違えど、同じ人間として見過ごせない悲劇です。
まだ若い女の子を死ぬかもしれない危険な旅へと向かわせるなんて。

内戦が続いてる地域は世界各地でありますが、
争いが続く限り、そこに住む人々に幸せは訪れませんね。
いつの日か、子ども達が真の夢を抱けるよう、平和な世に
なることを願いたいです。
本当に同じ時代なのかと…これが現実なんですね。自分がどれだけ恵まれているかこのトピを見てより考えさせられます。いつか平和に…みんな心から笑えますように…
ほんとに、

いまの日本はなんて平和なんだ。


くらう重さや切実さがちがう。あたりまえのことがあたりまえでない。
国がちがうだけでこんなにもなにもかも常識がちがいすぎていいんだろうか。

普通ってなに?

て、かんがえされる話です(>_<)


はやく国自体が安定してほしい。
情報を一人でも多くのことを伝えなければ…。
そんな思いが伝わりました。
自分にできることを少しずつ、かたちにしていきたいですね。
 

“エチオピア:飢えと紛争に追われて――ソマリアからの難民の証言”
 
‘難民たちの証言「食料も水も持たずに出発した」’
 
エチオピア南部、リベン地方にあるメルカディダ難民キャンプにMSFが設置した栄養治療センターで。
重度の栄養失調に陥った3歳の男の子の治療を見守っていた母親、ハディジャ イサーク アブドゥは、息子の栄養補給に使うプラスチックの注射器を手の中でもてあそびながら、こう語った。
 
「私たちは農民です。
トウモロコシとモロコシを育てています。
牛も飼っていました。
干ばつで作物がだめになり、牛も死んでしまったので、住んでいた土地を離れることにしたのです。
ここに来るまでの7日間、食べ物も水もないまま歩きました。
唯一食べられたのは、道すがら他の人たちがくれたものだけでした」
 
6人の子の父親である51歳のユスフ ジェマル ハッサンは、ソマリアのガルバハレイからこのエチオピアの難民キャンプに来た。
 
「以前は40頭のラクダと150匹のヤギを飼っていました。
でもガルバハレイを離れたときには、2頭のラクダと5匹のヤギしか残っていませんでした。
もう生計を立てるすべもなく、帰るべき平和な場所もありません。
ソマリアに残っているのは、地雷と紛争と飢えだけです」
 
アブドゥとハッサンの体験は、リベンのキャンプで暮らす11万8000人のソマリア難民の典型例である。
その半数近くは、干ばつと飢え、20年にわたって国を荒廃させた紛争を逃れて、過去2ヵ月の間にここに着いた人びとである。
膨大な人数の難民が到着したことによって、合計4万5000人分の居住を目的に設置されたリベンの各キャンプは、限界をはるかに超えて難民を受け入れることになった。
 
‘手遅れの状態で到着する子どもたち’
 
栄養失調の激増が、事態の悪化に拍車をかけている。
MSFが新規到着者全員に行っている健康診断の結果、リベンのキャンプに到着した5歳未満児の半数は栄養失調にかかっている。
7月だけでも200人の子どもが、合併症を伴う重度栄養失調児のための治療センターに入院した。
 
多くの家族は、雨が降るまで待てるかぎり待った。
半定住型の遊牧民や小規模な農家である彼らにとって、故郷を離れざるをえなくなるなど想像もつかないことであった。
それは、20年にわたる紛争で荒廃した国で、雨がまったく降らず、家畜が死に、作物が全滅した末の、最後の手段であった。
彼らがソマリアを離れたときには、既に多くの子どもが栄養失調に陥っており、国境を超えるための、時には20日間にも及ぶ長い徒歩での道中で、子どもたちの健康状態は更に悪化した。
 
「6月には難民は1000人単位で到着していました(6月28日だけで2800人が到着)。」
...
 
‘栄養治療、感染症予防――MSFは活動を拡大’
 
「最後の数頭のヤギを売って旅の食料を買いました」と、30歳の女性、 アミナ ダケイは、ソマリアの市場でのトウモロコシその他の日用品の法外な価格を思い出しながら説明する。
ダケイとその家族がソマリアのディンソールからリベンに着くまでには徒歩で10日かかった。
一家の食料は途中で尽き、リベン到着後、彼女の幼い子どもの1人はMSFが5ヵ所のキャンプで運営している栄養治療プログラムに受け入れられた。
現在1万人を超える子どもたちがMSFによる栄養治療を受けている。
MSFはまた、小麦粉や油といった食料を患者の家族に配布して、栄養失調児用の治療食がお腹を空かせた兄弟姉妹の間で分けられることのないようにしている。
 
MSFは、キャンプで暮らす2万人の15歳未満児を対象に、4日間の日程ではしかの集団予防接種を開始した。
...
 
‘「ソマリアに帰ることは、想像もできない」’
 
ここ数ヵ月の間にエチオピアに逃れてきた多くの難民たちは、主に2つの理由からその決断をした。
それは、干ばつと飢えである。
しかし、ほとんどの難民が祖国に帰れない理由は、ほかにある。
紛争だ。
 
「無理です。
ソマリアには帰れないと思います。
平和と食べ物という、私たちの必要とするものが、近い将来に手に入るとは思えないからです」と、アブドゥは言う。
息子の具合がよくなりつつあることに、弱々しくほほ笑んでから、彼女は続ける。
 
「母とここで落ちあえることを願っています。
母は最後に生き残った2頭の牛と一緒にソマリアに残っていたのですが、その牛たちも死んで、出発することにしたのです。
道中の寝具としてなめし皮を持ってきたそうです。
いまは一時滞在キャンプにいるので、もうすぐ会えることを期待しています。
ソマリアに帰ることは想像もできません」
 
2011/08/17 国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/news/2011/08/5294.php↑
 

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