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レコーディング&ライブ日記#2コミュの坂本龍一(教授)「未来派野郎」レコーディング記録 #1 (1985年11月11日〜12月)

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 元々坂本龍一氏が所属し東京・乃木坂にオフィスを構えていた「ヨロシタ・ミュージック」に関わりを持ったのは1983年2月からである。また別の機会に書く事になるが、ギターリストの故・大村憲司氏がこの事務所を仕事の窓口にしており、彼のボーヤ家業(楽器運び等ミュージシャンの周辺をサポートする仕事)を始めた事がキッカケである。
大村氏との関わりはここでは割愛するが、大村氏が1984年夏に東京を一時引き払った後、その年の11月にヨロシタ所属でシンセサイザープログラマーの藤井丈司氏のアシスタント(いわゆる楽器運びですな・・・)に採用されてから、シンセサイザーのオペレーションを日々の仕事を通じて独学で勉強し、その流れで坂本氏の楽器アシスタントになった。 

彼のアシスタントになる前には、3〜4ヶ月位運転手として彼と接する時間を作ってもらい、(つまり教授に慣れてもらうため)その後の流れに備えた。当時教授の専用車は「サーブ」というスウェーデンの車で、かなり大型だったので気を使った。その間にやっていた坂本氏の活動は85年9月16日、筑波で行われた国際科学技術博覧会(筑波万博)最終日にSONYのジャンボトロンに映像を流しながら行うライブ「TV WAR」(この日は雨だったな・・・)や1986年2月21日にMIDIレコードから発売された矢野顕子さんの「峠の我が家」という名作のレコーディングなどでであった。  

私が楽器のアシスタントとして本格的に教授(坂本さんのニックネーム)の作品に関わった記憶があるのは「未来派野郎」であったと思う。1986年に公開された「子猫物語」のサントラ作業もやっていたが「峠の我が家」のレコーディングや「未来派野郎」のプリプロなど並行して作業していたようだが、「未来派野郎」は私の手元に残っていたメモによると、大雑把には以下のようなスケジュールでスタートしていたようだ。

1985年11月11日〜15日:渋谷ヤマハR&Dにてプリプロ 

個々ではレコードからFairlightにサンプリングをして、今後の製作に必要なサンプル音源ファイルを作っていたように思う。Ballet Mecaniqueに登場するあの機械音のシーケンスなんかはこの時期のサンプルも多く含まれていたはずだ。ブラックウフルというジャマイカのレゲーアーティストのレコードからもサンプリングした記憶があるなあ。   

12月2日〜4日:AVICスタジオにてプリプロ     12月5日〜86年2月6日:VICTOR STUDIOにてレコーディング作業     2月7日〜2月27日:ONKIO HOUSEにてダビング・ミックスダウン作業。当時のレコーディングエンジニアは滝瀬茂氏。





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