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レコーディング&ライブ日記#2コミュの 坂本龍一(教授)「未来派野郎」レコーディング記録 #6 Bellet Mecanique

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Bellet Mecanique

 この曲は元々1986年4月に不運の自殺をした岡田有紀子さんのために書かれた曲である。未来派野郎のセッションでは、曲のタイトルも当初“OKADA YUKIKO”と記されていた。
教授作曲、松田聖子作詞で作られたシングル曲「くちびるNetwork・1986年1月29日発売」を書いた際に、時を同じくして書かれた作品のようだ。


 時は遡り、多分1985年の秋〜初冬のある日、銀座のONKIO HAUSの3F・6stでレコーディング作業中、突然教授から、「細野さんや他の作家が松田聖子さんに書いたシングル盤を買ってきてくれない?」と頼まれた。私は銀座山野楽器で関連する数枚のアナログ盤を買ってスタジオに戻った。どうやら依頼されていた岡田有紀子さんのシングル曲を書かなければならない締め切りが迫っていたようで、その夜、教授はそれらを自宅に持ち帰った。

 翌日か翌々日頃になって、「書けたよ・・なんとか・・」とスタジオにセッティングされていたDX−7で弾いて聞かされたのが、後にヒット曲となった“くちびるNetwork”であったと思う。DX−7で聞いた段階でもいい曲と言うのが分かったので、ヒットするだろうなこの曲は・・とは感じていた。その後、他にも書いた曲を聞かせてくれた中にBellet Mecaniqueが入っていたかどうかまでの記憶は残念ながらない。

 教授が岡田有紀子さん用の作曲作業をした時のこぼれ話を聞いていたら、持ち帰った例のレコードを聞いて、コード進行を全部取って部屋の壁に貼って分析し、当時の歌謡曲のヒット傾向を音楽的な見地で調べ、意識的に書いた曲だという事であった。いずれにしてもヒット曲を意識的に書けるという才能には驚くばかりである。

 今回の依頼背景には、教授への依頼の時点で“決め打ち”と業界で言われる競合作家がなく、提供楽曲が絶対シングル発売になるという前提の依頼であった事情がある。故に必ずヒットしなくてはならないという大きなプレッシャーが伴う大変な仕事であったはずだ。

 岡田有紀子さんは当時トップスターアイドルであり、教授作曲、松田聖子作詞という組み合わせはもちろん話題を呼ぶであろうが、絶対にはずれ曲ではいけないという事情があったのは言うまでもない。こういう場合特に作曲家の果たす役割は相当大きなものになるが、教授は見事にその職務を果たした事になる。

 そんな中で生まれた曲の中にBallet Mechanicがあったようだ。当初教授はこの曲を今回の自分のソロアルバムに入れるかどうか、かなり迷っていて“入れないほうが良いんじゃないのかなー”などと何回もつぶやいていたが、周りのスタッフに「いい曲は入れるべきですよ」という声に耳を傾けてくれ、最終的に矢野顕子さんが書いた詞をピーター・バラカン氏が翻訳し、ノイズ系サンプリングによるリズム構築、それにヘビーなギターサウンドという味付けによってあの楽曲が誕生したのだった。

 メインの唄は、現在のRストーンズの専属コーラスとも言える「バーナード・ファウラー(写真中央)」である。矢野さんの詞を英語のニュアンスに置き換えるのにピーターさんがかなり苦労していた記憶がある。それは矢野さん詞がかなり観念的なニュアンスでかかれていて、決められた譜面の収まりの中に英語のニュアンスが入り切らない事が多かったからである。

 スタジオでレコーディング中に岡田さんの事務所から教授、松田聖子さん、岡田さんの3人で撮った記念写真が届けられていたが、後日、例の事件が在った時は(丁度、メディアバーンツアーのリハーサル中だった。日刊スポーツ1面に掲載された彼女の姿は正視に堪えるものではなかったし、ツアーメンバーで、パーカッションのデイビット・ヴァンティーガム氏は日本のアイドル事情に信じられない程詳しかったため、彼女の死を新聞で読みながら絶望的な表情をしていた。)さすがに重い感じだった。

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