ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

宗教的対話ー「三つのL」ーコミュのイエス復活の謎ー聖餐による復活仮説

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 この「聖餐による復活」仮説は、イエスの復活をキリスト教徒なら素直に神による奇跡として捉えていいのでしょうが、非キリスト教徒はとても信じられないので、どうせそういう作り話で信者を集めたのだろうと捉えています。それではキリスト教をインチキ宗教のように捉えてしまうことになります。

 初期のイエスの弟子たちの信仰は、イエスの復活を体験したことによる命がけの信仰のような迫力がありますから、何か本当にイエスが復活したと思い込んだ体験があったのではないか、それを福音書から読み取れないという問題意識をもったわけです。

 しかしキリスト教徒としての自覚がない以上本当に復活したとは思えないわけで、どうして弟子たちが復活したイエスを見たという体験ができたのかということを追求したわけです。その結果、聖餐による復活というとんでもない仰天仮説に行き着いたわけです。これが福音書の精神分析によって解明できることです。

 もちろん、福音書の精神分析の結果であって、決して聖餐による復活体験があったことを歴史的事実として確定することはできません。しかしこの解釈がもっとも福音書と適合しており、キリスト教がインチキではなく、真面目にイエスの復活を信仰して成立したということになり、宗教間の相互理解を深められますとし、その背景になっている生命観には大いに学ぶところがあると思われます。

 「三つのL」でいいますと、「Life命」についての信仰が中心になります。

 そういう問題意識で、『キリスト教とカニバリズム』(三一書房)、『イエスは食べられて復活した』(社会評論社)を上梓しまして、そろそろ十年が過ぎました。再版の動きもないですので、この説の画期的意義を考えますと、mixiでも公開しまして、キリスト教の成立の謎について一緒に考えていきたいと思います。

 あくまでも宗教心理学による宗教理解のためのもので、決してキリスト教を猟奇的に捉えたものではありません。イエスに対する強い敬愛の気持で書いたものですので、その点、誤解のないように願います。
 
 まず『キリスト教とカニバリズム』の部分から掲載していきます。

『キリスト教とカニバリズム』の部分は『やすいゆたか著作集第七巻』『「聖餐による復活」仮説上』に収録しました。PDF版で読み易くなっています。
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutakapdfyou/shoin/seisanniyoruhukkatsukasetsu1.pdf

コメント(116)

------------------3古代キリスト教団における聖餐------------------------

□古代教会においては、エウカリスティア(感謝)の祭儀は日曜日毎に行われていた。それは、洗礼を受けた敬虔な信徒が、イエスの言葉で聖別されたパンとワインの形でキリストの体を食べ血を飲む儀式だった。彼らはこの儀式で永遠の命に繋がるので「不死の薬」であり、イエスにあって生きるための解毒剤と表現していた。

□「パンの像をもってキリストの体が与えられ、ぶどう酒の像でもってキリストの血が与えられる。」(七四三頁右)

□ミラノの司教アンブロシウスは、祝福の力は自然の力よりも強く、キリストの言葉は諸元素を変えるとしている。だから司祭が「これはキリストの体である」と言えば、「アーメン(その通りです)」と答えなさいと教えたそうである。

画像は聖アンブロシウス像

□二世紀末のアべルキオスの碑文には「パンとぶどう酒を友人に配る清い乙女(=教会)から大きな清い魚(イエス・キリスト)を与えられる」(七四一ニ頁右)と書かれてあった。このように信徒はイエスの体を食べることで永遠の命を得ようとして、エウカリスティアの祭儀に参加していたのである。

□しかしたとえパンがイエスの体であったとしても、それを食べたからといって永遠の命を得られる筈はない。イエスが聖霊を宿し、永遠の命であるのは、彼の言葉が人々の魂を揺り動かし、トーラーの呪いから人々を解放して、愛に生きる道を説いたからである。

□大いなる命(神)への愛と隣人への愛に生きるならば、我々は自らの命を捧げ尽くして、充実した生を燃焼しつくすことができる。そしてその魂は大きな感動を与えて、燃え広がる。この命の燃焼の中で大いなる命との一体感を得たとき、我々は、個体的には滅んでも、自己自身として永遠の命を感じることができるのだ。

□パンもワインも我々にとっては命の糧であり、命の一つの形である。命はすべて一つの命の現れでもあるから、パンもワインもイエス・キリストだというのは深い汎神論的真理性をもっている。

□しかし自ら〈永遠の命〉に生きようとしていないのに、イエスの言葉によって聖化されたと言われるパンを食べても、何の足しにもならないのだ。

□イエスの言葉は魂を揺り動かし、その言葉に触れた人が愛に生きてこそイエスの言葉なのであり、同じ言葉でもただ儀式的に繰り言されるだけでは、真の意味でイエスの言葉ではないのである。

□イエスの十字架は神にささげられたいけにえであるとされる。全く罪のないイエスが十字架につくことで、人類の罪を帳消しにしたとされているからだ。

□しかし同時にイエスは人間に自らの肉と血を捧げ尽くし、それによって信徒はイエスと合一する。そのことで信徒全体が神への奉献となるとしている。これを行っているのが、アウグスティヌスによるとエウカリスティアの祭儀なのである。

□この奉献というのは、聖なる交わりによって神と一致するために行うすべてのこなのだ。「人の魂が神への愛に燃え、ィヌスが奉献で意味しているのは、全てを投げ出して捧げ尽くして愛に生きるということである。

□エウカリスティアの祭儀は、こうしてキリストの体である一つの命のパンに合体することである。アウグスティヌスは燃える思いでこう語ったそうだ。

□「パウロはこのバンを説明して 『私たちは皆一つのパン、一つの体である 』といっている。ああこれこそ敬愛の秘跡、一致のしるし、愛のきずな、生命を得ようとする人は、生きる場をもっている。いのちを汲み取る源をもっている。近づきなさい。信じなさい。生かされるために、(キリストの) 体に合体しなさい。」(『ヨハネ福音書講話』)(七四五頁右)

画像は聖アウグスティヌス像
□これはすごい言葉だ。近代国民国家を超克して人類の統合が新たな段階に進もうとしており、地球環境問題に触発されて漸くガイヤ(生命としての大地=地球生命)の叫喚に気づき始めている時、胸に深く突き刺さってくる。

□われわれは根源的な大いなる命の現れであり、一つの体なのである。そのことは愛に生きて己の体を捧げ尽くすことによってはじめて感じることができるのだ。そして自分たちの為に命を捧げ尽くしてくれた命のパンを食べ、その魂(=命)に触れて、その命によって生かされていることを感じたとき、われわれ自身が自らを命のパンとして棒げ尽くすことができるのである。

□われわれは自然界の日々の営みの中に、これを見ることができる。惜しみなく愛は奪い、愛は与えている。そうして生命の循環が成立しているのだ。そしてまさしくこの生命の営みこそ、永遠の生命に他ならない。

□ところがわれわれはこの永遠の命、生命の循環から離れ、大いなる命の愛を受け取ることも、自らを捧げ尽くして愛のパンとなることも忘れている。命から離れたところに本当の生きる喜びも、命の充実もない。聖餐に与って死なないことを願っても、自ら命を捧げ尽くし、命のパンとなることは願わないのだ。それでは真に生きることはできない。

□イエスが敢えてみずからの肉と血を食べさせようとしたのは、そのことに気づかせる為だったのだ。そのことを離れて、イエスの肉と血に何の力もあるわけはないし、ましてや聖餐のパンやワインなどナンセンスなのだ。

□古代教会はプラトン哲学を援用して、聖別されたパンとワインがイエスの肉と血であることを説明したようだ。

□「プラトン主義によれば感覚的なものはすべて、精神的な真実在(イデア)の像であり、その実在に参与している。このような思想を用いてエウカリスティアを考えると、聖別によって死んで復活したイエスの像になったパンとぶどう酒は、イエスの実在に参与しているといえる。中世・近代の人々の思想とは異なリ、古代人にとって『像』と『真実在』は決して相反する概念ではなかった。感謝の析りがその上に唱えられたパンは、キリストの体の像であるからこそ実際に、キリストの体なのである。」

□このプラトン哲学の援用は幼稚だ。感覚的なものがイデアの像であるといえるのは、イデアを含むからである。パンがイエスの像であるのは、双方とも身を捧げ尽くして命を養う食物であるからだ。

□ところで身を捧げ尽くして命を養う食物にはいろんな物があるのだから、そういう場合は、パンが特にイエスの像であることにはならない。だからパンを食べても決してイエスを食べたことにはならないのだ。

□もちろんイエスの体を食べることが救済の条件だとしたら、イエスの聖餐を行った可能性のあるごく少数の使徒以外は、だれも救済されなくなってしまう。だから直接イエスの肉と血の聖餐ができない者にも、イエスの体を食べさせることが可能な論理が必要だ。それで司祭によってイエスの言葉で聖別されたパンがイエスの肉となり、ワインがイエスの血になることにしたのである。

□こうしておけば、エウカリスティアに参加するキリスト教徒は全員救済されることになる。ようするに超越神論では肝心なことは、聖霊の実体性である。この聖霊としてのキリストがどういう身体を備えて現れるかは、それに比べれば重要ではない。歴史的イエスの身体だけで収まらず、超歴史的にパンやワインとして現れても構わないのである。

□四世紀になり、ローマ帝国で国教化すると、イエスの神性はますます強調され、畏敬の念が強くなったので、エウカリスティアでイエスの肉と血を食することは相当の覚悟が必要となり、聖体の拝領を遠慮するようになったようである。

□ビザンチウムの東方教会ではエウカリスティアのことを「畏るべき秘儀」と呼んだのだ。いわば聖体は、エデンの園の「命の木の実」である。それを食べれば永遠の命を得ることが出来るというのだから。神はアダムとエバが「善悪を知る知恵の木の実」を食べたのを知って、「命の木の実」まで食べるのを恐れて、二人を「エデンの東」に追放したのである。

 だから聖体拝領はそれ自体もともと、神を食べることやカニバリズムを禁じたトーラーに反するタブーなのであり、あえて自ら肉と血を与えようとしたイエスは、自らの全てを捧げ尽くすことを代償にこのトーラーを乗り越えようとしたのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー4中世のエウカリスティアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

□中世においても東方教会は畏敬の念がますます強調されたが、西方教会ではエウカリスティアをミサと呼んで、ミサへの出席を信徒に義務づけた。しかし聖体を拝領する者はごくわずかだった。そこで年に一度は聖体を拝領することを義務づけたのである。

□ところでミサはラテン語で行われたので、ラテン語のわからない一般民衆は参加できなくなっていった。そこでミサは聖職者だけの営みになっていき、信徒からはミサ奉納金を集めて、司祭がミサを捧げるようになっていった。また信徒が参加しても聖体の拝領に止め、聖杯を遠慮するようになったそうだ。その理由としてネメシェギは伝染病の感染を恐れたかもしれないとしている。 

□古代の三世紀までは、まだキリスト教は民衆の自発的な宗教運動の面があり、聖体拝領によるイエスとの合一によって、救われることを心から願っていた。

だが中世では、教会制度自体が支配機構であり、ラテン語で意味不明の祈りを聞かされ、無理やりミサに参列させられたようである。それでパンを食べ、ワインを飲むことが、イエスの肉を食べ血を飲むことだと聞かされれば、何か得体の知れない恐ろしい儀礼のような受け止め方をしたのではないだろうか?

□実際「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、永遠の命は得られない」という言葉は、実践的には人の子の言葉と全てを捧げ尽くす生き方に感動し、それらを血肉化しなければならないという意味で受け止めればよい。だから別にパンやワインを身体に入れなくても、二つの愛に生きれば、それだけで十分救済される筈である。言い換えれば、いくら聖体を拝領しても、二つの愛に生きているのでなければ、キリスト者とは言えないのである。

□中世では、像と実在は相反する概念と考えられるようになり、パンはキリストの像だから、パンを食べることはキリストを食べることであるというのは説得力がなくなった。十一世紀に神学者べレンガリウスは、「エウカリスティアのパンはキリストの体の像にすぎず、実体的にはキリストの体ではないと説いた。」(七四六頁左)このいわばシンボリックな解釈は、神学者たちの圧倒的な反発によって孤立してしまった。

□そして一○七三年のローマの教会会議で自説の撤回を宣言させられたのである。「パンとぶどう酒は、析りとキリストの言葉によって、キリスト自身の真の肉と血に実体的に変化する」(七四六頁右)と神学者べレンガリウスは認めたのだ。この論争で聖別された聖体に対するフェティシズムは極端になり、豪華な聖櫃に安置されたにとどまらず、ついには路上を練り歩く「聖体行列」まで登場したというのだから呆れ果てる。

画像はブラジルの田舎町の聖体行列、町はもぬけの殻。

□おまけに「キリストの聖体の祭日」まで造られたのだ。しかし実体的に変化したのなら、パンはパンの風味や感触を失い、イエスの肉の風味や感触に変化しなければならない筈だ。実体的に変化していないから、パンはパンのままなのではないか。

□そこでトマス・アクィナスは、『神学大全』でアリストテレスの「実体」と「付帯性」の区別を採用して、この疑問に答えてくれている。

□「キリストの代理者として司祭が聖別の言葉を発するときに、神は全能の力を働かせて、パンの実体を、すでに存在しているキリストの体の実体に、ぶどう酒の実体をキりストの血の実体に変化させ、パンとぶどう酒の付帯性をそのまま存続させる。こうして何の変化も被らないキリストの体と血は、実体の存在様式に従って、パンとぶどう酒の付帯性(あるいは形色)の全体のもとでも、またその各部分のもとでも、全体として存在するようになる。しかもキリストの体、血、魂、神性は不可分であるので、キリストの体があるところには、キリスト全体が存在するし、キリストの血があるところにも同じくキリスト全体が存在する。」

□イエスを愛の権化であり、永遠の命のパンであるという規定で捉えるなら、それは歴史上の一個人の身体を超えて、我々の日々の食事にも現れる筈だし、精神的な栄養も含むならば、様々な人々の生産や文化や生活の活動も、あるいは大自然の営みでさえ、永遠の命のパンとしてのイエスであると捉えられるだろう。

□ところがキリスト教会はこれを聖別の言葉による「実体変化」に限定するのである。これでは二つの愛の実践に救いがあるとしたイエスの立場を踏みにじり、救いの力を教会の祭儀に独り占めにするものである。

□イエスは最後の晩餐で、わたしを記念して行いなさいといったが、そのことでパンとワインがシンボリックに肉と血を表現したものではないとも、実体変化するものであるとも言っていない。むしろイエスを忘れない為の記念的行事に過ぎないのである。

--------------------5宗教改革とエウカリスティア-----------------------

□罪の無いイエスは十字架につけられて、犠牲となり、代わりに人類の罪をチャラにする贖罪を行ったと言われている。この一回の贖罪で人類の罪は許されているのだから、後はイエスが贖罪してくれたことを信仰して、イエスに帰依すればよいという考えを信仰義認説という。

□宗教改革に際して、ルターたちはこの信仰義認説を強調した。それでエウカリスティアに関しても信仰義認説から、エウカリスティアを犠牲奉献と認めるのは間違いだとしている。あくまでも神の恩恵としてイエスの肉と血に与り、永遠の命に結ばれるとするのだ。

□もし犠牲奉献だとすると、つまりイエスの贖罪の効果を認めないことになってしまっているというのだ。しかしこれは全くの甘えの論理である。イエスが人類の贖罪でありえるのは、イエスの十字架によって、キリストを十字架につけた自らの罪を自覚し、罪人の自分を滅ぼし、回生してイエスの言葉に導かれて「二つの愛」に生きてこそである。それが出来ないで相変わらず罪に生きているとすれば、人類は犠牲奉献を繰り返さざるを得ないことになる。

□実際イエス以後も様々な形で人類は、第二、第三のイエスを登場させ、犠牲奉献を繰り返してきたのではないのか。改革派は、各国語で聖餐式を行うこと、祭司に聖餐を代理してもらえないこと、祭司だけでなく信徒にもパンとワインの二種陪餐を行うこと、聖体顕示や聖体行列は廃止することなどを実行した。

□そしてキリストがパンやワインという形色で真に現存するかについてルターとツイングリが論争した。ルターは、中世スコラ学の実体変化説に代わるものとして「共在」説を採用した。聖別によって、外観ではパンとワインしか見えないが、キリストも現実にかつ客観的に共在するというのだ。それは信仰によって知られ、恩寵の力によって経験されると主張した。これは聖霊としてキリストが共在するというのなら、イエス自身のつきもの信仰に相応しい解釈である。

□ツイングリは、パンやワインは単に記念としての意味しか持たず、イエスの肉と血をシンボリックに表現しているにすぎないとした。ツイングリのようにシンボリックに解釈した方が自然である。パンやワインを食したところでイエスの肉や血を食したことにはならないのは、当然のことだから。

□そして人類のために全てを捧げ尽くしたイエスの犠牲によって、それを栄養に生きていることを象徴し、記念してパンとワインを拝領すればいいのである。ところがそれでは納得できない、どうしてもパンとワインを食することが、イエス自身の肉と血を食べることにしなければ気が済まないのが、カトリックの解釈である。

□カトリックは一五五一年のトリエント公会議で従来の「実体変化説」を継承したのである。そしてラテン語のミサや犠牲奉献説などの従来の立場も堅持した。

画像はルターとツヴィングリ
ーーーーーーー6現代カトリック神学とエウカリスティアーーーーーーーーーー

□第二ヴァティカン公会議では、エウカリスティアの祭儀を「キリストの死と復活の記念祭」であり、新約の唯一の犠牲奉献を現存させ、その功を奏させるものであると宣言している。

□だが神に捧げた筈のイエスの肉と血を、エウカリスティアの祭儀で実際に食べるのは信徒である。これが犠牲奉献の再現なら、歴史的身体としてのイエスの肉を食べ、血を飲んだという原事実を繰り返していることを言外に語っていることにはならないか。

□もちろん福音書にある最後の晩餐は、パンとワインをイエスの肉と血に見立てたものだった。しかし最後の晩餐で犠牲奉献が行われたわけではない。それはあくまで予行演習にすぎなかった。

□イエスの犠牲奉献は、贖罪の十字架とその直後の使徒による聖餐にあったのではないか。これはわたしの仮説にすぎないが、この仮説を差し挟むことで、その後の二千年間のエウカリスティアの祭儀の意義が始めて鮮明になるのだ。

□イエスの肉を食べ、血を飲むことはつきもの信仰に基づく聖霊移転行為である。この聖霊移転によって、イエスと使徒の間の垣根が取れて、同一視が起こり、イエス復活の原体験がもたらされた。

□それがキリスト教団の成立と発展を支え、世界宗教に成長する保障となった。しかしそれをもたらした原行為は、当時においてもその後の二千年間においても厳しいタブーに抵触する行為であり、その露見はなんとしても避けなければならなかったのだ。

□ということは合理化のために、このタブー破りが正当で聖なる行為であったことを繰り返し中心儀礼の中で確認しなければならなかったのである。この中心儀礼こそイエスに対するパンとワインの聖餐であった。

□では二千年間も繰り返しイエスの聖餐を繰り返したのは、原事実としての「最後の晩餐」のパンとワインの聖餐を合理化していたのか。断じてそうではない。パンとワインの聖餐はタブー破りでも何でもない。もちろんわたしの仮説であるイエスの生身の肉と血に対する聖餐行為こそが最大のコンプレックスの原因であったのだ。

□もし生身の肉と血に対する聖餐行為がなかったとしたら、パンとワインをイエスの肉と血として信仰するフェティシズムを、どうして二千年間も中心教義として堂々と続けてこられるのか。だからわたしは言いたい。もう十分だ。何も恐れることも悔やむこともない、それは猟奇的なことでも変態的なことでもなく、イエスの復活信仰をもたらし、世界宗教としてのキリスト教を確立するためのイエス自身の宗教的な聖なる行為だったのだ。

□イエスも彼の使徒たちもイエスの肉を食べ、血を飲むことによって、聖霊が復活すると信仰していたのである。だからそういう方法しかなかったのだ。そしてそれはイエスの愛を見事に表現していたではないか、彼は命のパンとして彼の肉と血をすべて捧げ尽くしたのである。

□もしそうしなかったら、使徒たちの胸にあれほど激しくイエスは己を刻印できただろうか。イエスの十字架は、イエスの勝利の印としてではなく、イエスの限界を示すものとして使徒たちに総括され、愛に生きたイエスが世に裏切られた悲劇的な使徒たちの思い出に終わったのではないか。復活信仰なしにはキリスト教の成立は語れないのだ。

□復活は神の力だという理解がある。では何故イエスに対する聖餐が中心儀礼になったのか。メシアを食べるというパフォーマンスが、超越神論の宗教儀礼の核に座ったのはどうしてかが問われる。

□メシアを食べるというパフォーマンスが実はイエスの復活をもたらしたのだ。だからこそ「教会はエウカリスティアの祭儀を行うとき、聖霊の力によって死と復活に合流する」のだ。

□現代においても、聖餐によってイエスは信徒の肉や血になり、また聖霊として体内に入ると考えられている。そしてそれが行われる教会によって一つの命のパンに連なると信仰されているのである。だから原行為としてのイエスへの聖餐を現在でも無意識の内に、祝福し、聖化していると解釈するのは精神分析学からは当然なのである。
---------------------第八章「ほふられた仔羊」---------------------------

---------------------―「ヨハネ黙示録」の呪いー-------------------------

------------------------1パトモス島にて-------------------------------

□この章では「ヨハネ黙示録」を採り上げる。キリスト教が陥った新たな呪い「ヨハネ黙示録の呪い」を明らかにしよう。そこにもイエスが聖餐された事の影を読み取ることができるからである。

□イエスによってせっかく「トーラーの呪い」から解放された筈のキリスト教徒たちは、今度は『バイブル』の最終章に「ヨハネ黙示録」を置いて、それによって 『バイブル』を締めくくったために、「ヨハネ黙示録」によって呪われることになってしまったのだ。

□私に言わせれば、「ヨハネ黙示録」を 『バイブル』 から削除しない限り、キリスト教徒は決して神から義とされ、救われることはないのだ。このことを私は既に「ほふられた仔羊ーオウム真理教と 『 ヨハネ黙示録 』 ー」(『月刊状況と主体』一九九六年三月号掲載)で訴えたが、検討された節はない。
http://www42.tok2.com/home/yasuiyutakapdfyou/hofuraretakohitsuji/mokuji.htm

□「ヨハネによる福音書」の場合もそうだが、使徒ヨハネ自身がこの「黙示録」を書いたという説はもう古いそうだ。使徒ヨハネと長老ヨハネは別人で、しかも一世紀末にギリシアにヨハネ教団があった。ヨハネ教団の中で造られた「福音書」や「黙示録」で、使徒ヨハネが語った体裁をとっているという解釈が有力である。

□それはともかくイエス在世時代から生き残ったヨハネが一世紀末にもいて、彼の話を聞いてヨハネ教団が「ヨハネによる福音書」を作成したという解釈ではどうだろう。

□私は四福音書がそれぞれの冠についている使徒の名前とは無関係に、教団の利害だけで作成されたという解釈にはついていけない。聖餐や復活の体験者であり、初期キリスト教団の確立の為に殉教を恐れずに、信仰に身を捧げ尽くした使徒たちの権威は尊ばれた筈だと考えている。

□使徒たちの名だけをタイトルに利用するのではなく、使徒たちの体験報告をべースにしたことは当然考えられる。それに福音書の著者たちが、ギリシアの文化や伝統に深い造詣があり、ギリシア語が堪能であることなどは、彼らがユダヤ人の長老たちではない理由にはならないと思う。彼らは異邦人に布教するためには、その言語と伝統をしっかり学び取ろうと必死で頑張ったと思われるからである。日本にいるキリスト教会の伝道師の語学能力や日本文化に対する造詣の深さを考えると、ユダヤ人のギリシアへの融合は相当深かったと思われる。

□さて「ヨハネ黙示録」はヨハネが、ローマ帝国からの迫害によってパトモス島に逃れていた時に与えられた、白昼夢による預言である。黙示文学は『旧約聖書』にもあり、やはりトーラーに従わなかった人々に審判が下り、沢山の人々が殺されたりすることが書いてある。しかしそのスケールにおいて「ヨハネ黙示録」は最も恐るべき預言である。

画像はパトモス島の聖ヨハネ修道院の洞窟壁画

□それはヨハネが厳しい迫害と戦っていて、その抑圧者に対する憎悪が積もり積もって激しい殺意にまで嵩じていたからだと考えられる。おそらくヨハネは自己催眠状態に自分を置いて、書いたのである。そうだとするとヨハネの意識下にあった様々なコンプレックスに黙示録の内容は影響されざるを得ないのである。
----------------------2「ヨハネ黙示録」のイエス像----------------------

□イエスは「右の頬を打たれれば、左の頬を出せ」「汝の敵を愛し、汝を迫害する者の為に祈れ」と言われた方である。だから将来再臨された時、審判に際して異教徒や無神論者をどのように裁かれるのだろうか。

□イエスはその際も異教徒にも愛の精神で接し、異教徒の信仰している神は、真の神のこういう面を捉えたものだが、こういう面は正しく捉えられていないと言って、納得いくまで説明されたりするだろう。

□そしてもちろん「ヨハネ黙示録」のような身の毛もよだつ罰よりも恵みを与えることで、喜んで信仰に入れるようにして下さる筈である。何しろイエスは死に打ち勝ちさまざまな奇跡を起こすこともできるわけだから、何も積年の不信仰への怨みを晴らすような大人げないことはされる筈はない、と愛の神イエスのイメージを抱くのは幼稚だろうか。

□実は「ヨハネ黙示録」ではそういう優しいイエスは登場しない。裁きを行うのは、人類の為にいけにえになったイエスこそが相応しいというわけだ。人類が罪のないイエスを神に捧げた。イエスは罪人たちの罪をかわりに引き受けて、自らの死と引き換えに人類全体の罪を神にチャラにしてもらったのである。ところが大部分の人々は、そのことを理解しない。イエスにすれば自らの全てを捧げ尽くして、人類を救おうとしたのにである。

□なんとも呆れたことに大部分の人類はこの犠牲の仔羊を無視している。イエスの処刑に当たっては、民衆の多くはこれを歓呼して要求したのである。そして三日目に復活しても、弟子が遺体を盗んでイエスの復活を叫んでいる、としか受け止めていない。そして彼らはその後の初期キリスト教団の活動を厳しく弾圧している。これではもう情状酌量の余地がない。ということで厳しい審判をくだすことになっている。

「見よ、その方が雲に乗って来られる。すべての人の目が彼を仰ぎ見る。ことに彼を突き刺した者どもは。地上の諸民族は皆、彼の為に嘆き苦しむ。然り、アーメン。」

□ヨハネは七つの燭台(七つの教会を表す)の中央に「人の子(つまりメシア)」を見る。頭の毛は羊毛のようで、雪のように真っ白だ。イエス自身は全く罪がないのに人類の身代わりになったその潔白を表現しているのだ。もちろんファリサイ派の基準からはイエスは極悪人だが、イエス自身としては、世を救い魂を救う為にメシアとしてしなければならないことを、恐れずにしただけなのだ。

□「目はまるで燃え盛る炎」である。これは審判への激しい意志を表現している。

□「足は炉で精錬された真録のように輝き、声は大水の轟きのようであった。右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。」

□いかにも激烈な裁きが下され、一挙に殲滅されそうな迫力である。イエスは倒れて死んだふりをして、すぐに生き返る。そしてこう言う。

□「恐れるな。私は最初(アルファ)にして最後の者(オメガ)、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々 限り無く生きて、死と陰府の鍵を持っている。」この文章は、「ヨハネによる福音書」の冒頭の次の文章を受けている。

□「初めに言(口ゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」

画像は「闇を照らす光」

□それゆえイエスは、万物の創造以前から存在する言(ロゴス)であったことになる。神と言葉は一体だが、神から出た言はそれが表現している物になる。神自身はその時、物と自分とを区別しているから、物は神ではありえない。物と成った言は物の中では命である。物を物として活動させている力が物のロゴスなので、その意味でロゴス=生命なのである。人間において生きる筋道を示す命となったのが、イエスの言である。イエスの言が暗闇を照らす光であったのは、その言が最初の神の言と一致していたからである。

□イエスがオメガなのは、彼が審判によって終末をもたらすからである。だからたとえイエスの言葉が世の暗闇の中で理解されなくても、その言の真実は生きている。終わりの時に真実が明かされ、言を葬った暗闇は斬罪され、その言を守ろうとした人々は祝福されるのである。

□そしてロゴス=生命の立場から、イエスは永遠の命である。それで各教会に宛てた手紙には勝利を得る者に「神の楽園にある命の木の実」を食べさせたり、「第二の死から害を受けない」ようにさせたり、「隠されていたマンナ」「だれにも分からぬ新しい名の記された白い小石」「諸国の民の上に立っ権威」を与えたり、命の書から決して名前を消さなかったりする。あるいは神の神殿の柱にすることを約束する。これも不滅の意味であろう。
ーーーーーーーーーーーー3屠られた仔羊ーーーーーーーーーーーーーーーーー

□さて審判では「七つの封印」が解かれるのだが、この封印を解くのに相応しいのはやはりイエスである。それは人類の罪を自らの肉と血で贖ったからである。天上の礼拝で、四つの不思議な生き物と二十四人の長老がこう歌った。

□「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、ご自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また祭司となさったからです。彼らは地上を統治します。」

□この「屠られて ―ご自分の血で、神のために人々を贖われ、彼らをわたしたちの神に仕える王、また祭司となさった」という点が要注意である。使徒たちを王や祭司にする儀式が「屠られて」「自分の血」を神に捧げ、それを使徒たちに与えた聖餐の儀式なのである。

□この聖餐は「最後の晩餐」ではない。なぜなら「最後の晩餐」 は「パンとワイン」であり、その後二千年間の聖餐と同質である。だからそれは使徒を王にする契約の聖餐ではない。

 イエスの体に合体する聖餐とは言えても、それは広い意味で永遠の命に連なることである。ここでは特別に支配者として王や祭司を選ぶために「屠られて」「自分の血」を与える聖餐の儀式なのだ。もし実際に「屠られて」いなくて、墓に埋葬されたままなのなら、「贖罪の仔羊」とか「犠牲の仔羊」とかの表現でもよかったのだ。ヨハネはわざわざ「屠られた仔羊」という表現を使って、実際の聖餐があったことを示唆したかったのではないか。

□実はこれは「ルカによる福音書」 第二二章28節からを受けている。

「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた。だからわたしの父がわたしに支配権をゆだねてくださったように、わたしもあなたがたにそれをゆだねる。あなたがたは、わたしの国でわたしの食事の席に着いて飲み食いを共にし、王座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。」

□この約束を果たすために聖餐が行われたと、ヨハネは主張しているのである。だからここには明確に聖餐に加わったヨハネの選民としての誇りと自己主張がある。それで万の数万倍の天使たちの賛同を付け加えているのである。

「屠られた仔羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を受けるにふさわしい方です。」

□このイエスを意味する「屠られた仔羊」が審判を行ない、その後の支配権を持つのである、それはイエスの十字架が、人類全体が神に捧げた人類全体の罪を贖うための犠牲奉献だからである。

□つまりイエスが人類全体の罪をチャラにしたので、人類全体の命運はイエスに委ねられたのである。それで裁きの権利や支配権が認められたのである。だからイエスに対して罪をなした者や、不信仰な者をどう処分するかは、イエス自身に委ねられているのである。

画像は「神秘の仔羊」

□ただし「ヨハネ黙示録」はイエスの気持ちをヨハネが推量している。ヨハネは残忍な弾圧にあって怒りが頂点に達しているから、凄まじいホロコーストをイメージしてしまったのである。イエス一人が全人類を裁くという図式は、「エリートー大衆」図式の極端な形である。それがイエス一人が使徒たちを王に付けるという図式になる。イエスの聖餐で肉と血に与れるのは十数人に限られるからである。

□そしてさらにパンとワインの聖餐によってその枠を拡大する。しかしそれでもキリスト教徒は、全人類の一部にすぎないのである。こうしてエリートのみが救済されるという論理は逆に審判において人類の大部分のホロコーストの論理へと展開するのである。

□この論理が「汝の敵を愛し、汝を迫害する者の為に祈れ」というイエスの教えと矛盾することは明らかだ。イエスは「自分を愛してくれる者だけをを愛したとて、そんなことが何になろう。そんな事は取税人でもしているではないか」と説いた。人間にだけ博愛を要求しておいて、神は自分が選んだエリートだけ愛するというのは、あまりに身勝手なのである。

□だが博愛精神と審判は違うのではないか。審判はトーラーを基準に決まっているから、罪に落ちて罰を受けるのは人間自身の選択の結果であり、それを神の依怙贔屓(えこひいき)に責任転嫁するのは筋違いだと反論されそうである。

□ところがそれはあくまでも表向きのことなのである。トーラーは相互に矛盾したり、人倫にも背く場合もあり、守り切れないことになっており、無理に守ろうとするとトーラーの遵守が自己目的化して、最もトーラーを冒瀆することになっているのだ。だから人間は必然的に罪に落ちる。

□そうすればだれが救われるかは、神の選択だということになる。そこでキリスト教の立場で言えば、神が遣わしたメシアに帰依した者のみが救われるということになる。これが信仰義認論である。

□しかし沢山の贋メシアの中からどうしてイエスが本物だと分かるのか、イエスの許に集まった詳衆は、延べにすれば数万、数十万人に及んだかもしれない。ある者は病気がまた悪化して、イエスが信じられなくなり、ある者はユダヤ解放のイエスの戦略が理解できなくて、離反し、またある者は悪霊追放劇の虚構性に気づいてイエスに幻滅した。また究極の選択としてはメシアへの聖餐の誓いを要請されて、生理的にも反発したわけである。

□そういう人々にはそれぞれに躓く理由があったわけだけれど、その理由だけでイエスが断罪するとしたら、イエスは取税人と同じレべルになってしまうのではないか。

□キリスト教には博愛精神と矛盾する原理があるのだ。これが反フェティシズムの神中心主義である。人間がありふれた事物を神に指定して、それに願をかけ生贄を捧げる。それが聞き入れられればよし、願いが叶えられなければ、その神を審判する。つまり破壊するなどして攻撃をかけるのである。

 これがド・ブロスの言うフェティシズム信仰である。これを神への冒瀆だとして、神と人間との関係を逆転させたのが、超越神論である。

□だから超越神は、人間を創造し、トーラーを与えてこれを守らせる。守りきれば栄光、守れなかったら審判で断罪する。そしてだれが救済されるかはあくまで神の専決事項である。

 審判も人間達に正しい道を示す為の神の愛だと受け取る人もいるかもしれない。審判を教師が生徒に、父が息子に振るう愛の鞭に譬える人もいる。しかし教師や父親の場合にはあくまでも限度を心得ている。ところが超越神の場合は、ほんの握りのエリートを除いて、他の全ての人類を滅ぼす権利があるということを、神のアイデンティティとして主張しているのである。そこには愛の原理は見失われているのである。

 そしてそこに人間の中に潜んでいる殺人衝動、ホロコーストへの憧れが投影されている。神がホロコーストを欲しているかの表現を通して、「ヨハネ黙示録」の著者の激しい憎しみとホロコーストのユートピアを待ち望む気持ちが表面に出ているのである。この悪しき伝統がキリスト教にも教義の矛盾をもたらしているのである。つまり何度でも罪を許す愛の神と人類の大部分をホロコーストする審きの神の矛盾である。
ーーーーーーーーーーーーー4七つの封印を解くーーーーーーーーーーーーーー

□以下「ヨハネ黙示録」の概略を紹介しておく。怪しげな解釈をする前に何が書いてあるか、その内容を確認しておくことが最も重要だ。

□第一の封印が解かれると白馬に弓を持つ者が乗って現れ、戦いを始めた。

□第二の封印が解かれると赤馬に剣を持つ者が現れ、どんどん戦争をやらせた。

□第三の封印が解かれると、黒馬に乗った者が秤を持っていて、小麦は一コイニクスで一デナリオン、大麦は三コイニクスで一デナリオン、オリーブ油とワインとを損なうなと言う。要するに商業が盛んになるということだろう。これも様々な争いや不幸が商業によって生じるという意味かもしれない。

□第四の封印が解かれて、青白い馬に乗った「死」が「陰府」を従えて現れる。剣つまり戦争と飢饉と死、そして野獣で、「死」と「陰府」が地上の四分の一を支配するのである。

画像は「ヨハネ黙示録」を描いた劇画「隻手音声 日記」より
http://ncubic.blog57.fc2.com/blog-date-200904-0.html

□第五の封印が解かれると、神の言葉と自分たちが立てた証のために殺された人々の魂が叫んでいるのが見える。

「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか。」

□迫害で死んだ義人たちが、現世で生きている者達に「血の復讐」を願っているというのである。これは言い換えれば、現世で義のために命懸けで戦っているヨハネのような使徒が、キリストの一日でも早い再臨とその裁きを願っているということでもある。

□またこれを現代に置き換えると「ものみの塔 」の敬虔な信者たちが、そのことを願っているということでもある。「ものみの塔」は決して自分たちは審判行為はしないけれど、「ヨハネ黙示録」に預言されているような主の裁きは歓迎するという立場である。

□その点オウム真理教のようにキリスト教でもないのに「ヨハネ黙示録」を実現させようとして、最終破壊兵器を入手しようとしていたのよりはましである。

□でも我々にすれば、「ヨハネ黙示録」のような神の裁きこそ、現世の人類の大部分を抹殺する恐ろしい未曾有のホロコーストであり、それを望むなど正気の沙汰とも思えないのだが。

□第六の封印が解かれると、大地震が起こる。太陽は暗くなり、月は全体が血のようになり、星が地に落ちたとある。天は消え去り、山も島も場所を変えるとされる。人間たちは洞穴等に隠れたとされているが、かなり死ぬだろう。もし「ものみの塔」の人など「ヨハネ黙示録」をそのまま信仰しているキリスト教徒達は、その時、自分たちの信者だけは被害が少なかったら、主の裁きをほめたたえるのだろうか。

□次に天使が神の僕に刻印を押す。それはイスラエルの全部族から合わせて十四万八千人だ。その後イスラエル以外の白い衣を着た大群衆が神と仔羊を讃える。

□天の長老によると、「彼らは大きな苦難を通ってきた者で、その衣を仔羊の血で洗って白くした」そうだ。つまりユダヤ人以外のキリスト教徒である。おそらく厳しい帝国の弾圧の中でも、かなりの勢いでキリスト教会は信者を集めていたと考えられる。とはいえまだ大部分の人々はキリスト教徒だったわけではない。
-----------------------5七人の天使のラッパ-----------------------------

□第七の封印が解かれ、七人の天使がそれぞれラッパをもって現れた。

□第一の天使がラッバを吹くと地上に火が投げ入れられ地上の三分の一が焼けてしまう。

 第二の天使がラッパを吹いた。海に燃えている大きな山のようなものを投げ入れたので海の三分の一が血に変わった。

第三の天使がラッパを吹いた。すると燃えている苦蓬の星が落ちてきて河の三分の」と水源の上に落ちた。水が苦くなって多くの人が死んだ。

 第四の天使がラッパを吹いた。すると太陽と月と星という星の三分の一が損なわれた。だから昼も夜も三分の一が暗くなった。

第五のラッパで、一つの星が落下して、底知れぬ所の穴が開かれ、そこから煙が出て、暗くなる。その煙の中からいなごが出てきて、額に神の印のない大達を襲い、さそりにさされる時のような苦痛を五カ月間与え続けるのだ。人々は苦しみのあまり死を願うが、死ねなかったのである。

第六のラッパで、四人の御使が解き放たれる。彼らは二億人の騎兵隊を引き連れて、その馬の口から出る火と煙と硫黄で人間の三分の一が殺された。

□だが生き残った人達は、それでも偶像崇拝やその他の犯罪を止めようとしなかったのである。そりゃあそうだ。こんな残虐なホロコーストをする天使軍団にはとても素直に降伏できない。

□「ヨハネ黙示録」の著者の論理では、どんなに残虐なジェノサイドを行っても、神や天使達の正義は揺るがず、それに抵抗すればするほど人間達は悪に固執していることになる。

□つまり神に対しては過剰報復は悪だという自然法は適用できないし、暴力や武力で自らの意志や正義を押しつけてくる者に対して、抵抗しないことは屈辱的な行為で、たとえ殺されてもあくまで抵抗するのが正義だという論理は通用しないのだ。

□第七のラッパで、大きな声が天に起こる。

「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国になった。主は世々限りなく支配なさるであろう。」
「すべて御名を恐れる者たちに報いを与え‘また地を滅ぼす者どもを滅ぼして下さる時がきました。」

□また太陽を着て、足の下に月を踏み、頭に十二の星の冠をかぶった女と大きな赤い龍と戦い、天使ミカエルと龍の戦いがあり、サタンである龍は地に投げ落とされる。また豹に似た獣が海から上がり、龍から力と権威を与えられ、全地の人々 はこの龍と獣に従うのだ。

□彼らは聖徒に戦いを挑んで勝つことを許されていた。ほふられた仔羊の命の書に名を世の始めから記されていない者は、皆この獣を拝む。

□この箇所はルターやカルヴィンの予定説に影響を与えている。予定説だと神の予定は変更不能だから、機械論的必然論の色彩が強い。神はごく僅かの祝福されたエリートだけを始めから神の国の住人に選ばれており、その他の人間達は一束にして火の池に投げ込まれるというのである。

□しかしそのような人類の大部分を見捨ててしまわれるような神がはたして愛の神と呼べるだろうか、はなはだ疑問である。また別の獣が現れて、獣の像を作らせ、それを拝まないものをみな殺させる。また獣の名または数字の刻印を額か右手に押させて、刻印がなければ売買ができないようにしたのだ。

画像はミケランジェロ『最後の審判』部分(システィナ礼拝堂)
----------------------------6七つの金の鉢の災い-------------------------

□やがて御使が神のさばきの時がきたと告げる。そして七人の御使が、最後の七つの災害の入った七つの金の鉢を携えて登場する。

第一の鉢が地に傾けられると、獣の刻印を持っ者と獣像を拝む者は悪性のでき物ができてしまう。

第二の鉢が海に傾けられると、海は死人の血のようになり、海の生物は全滅する。

第三の鉢が川と水源に傾けられると、みな血になる。人々 は血を飲まなければならなくなったのだ。血を飲むのは絶対的なタブーなのに。

第四の鉢が太陽に傾けられると、人々は激しい炎熱で焼かれる。しかし彼らは悔い改めず、神を罵ったのである。つまり罰を下す神のさばきにあって、自分達の罪を反省することができないわけだから、ヨハネにすれば、救う値打ちがないということだ。だがこんなひどい目に遭わせる神を恨みこそすれ、帰依する気持ちになれないのは当然なのだ。

第五の鉢は支配獣の座に傾けられ、人々は苦痛とでき物ゆえに天の神を呪う。

第六の鉢がユーフラテス川に傾けられると、龍と獣とにせ預言者の口から三つの悪霊が出て、全世界の王達をハルマゲドンという所に招集した。「ハルマゲドン」という言葉はこれ一回だけの使用である。これは大殺戮ほどの意味で、「最終戦争」の意味で後世に使われるようになったのである。

第七の鉢を空中に傾けると、稲妻と雷鳴と激しい地震がおこり、町は倒れ、島や山は見えなくなった。そして雷の災害が襲う。やはり人々は災難をもたらした神を呪うのだ。

画像はハルマゲドンの場所といわれているハル・メギド(メギドの丘)

□つまり神のさばきでヤハウェの神が絶対的で強力だったと分かり、真の神だと思い知らされた筈だから、ヨハネにすれば懺悔して当然なのである。それが出来ないというイメージをヨハネが描いたのは何故か、われわれにすればこれだけ残虐なことをされれば、かえって反抗して当然なのだが、ヨハネは真の神と分かれば従うのが正義だと思い込んでいる。だがそのヨハネにして、人間は空しい反抗をし偶像崇拝に固執したりするものだと思っているのだ。

□それは人間は本質的に不信仰だとヨハネが見なしていたからなのだ。つまりヨハネ自身が、神を信仰することができない不信仰を抱えていたのである。もしヨハネが神を素直に信仰していたら、神をこんなに残虐に描ける筈がない。もちろん神は人間に試練を与え、人間の罪を罰して下さる。しかしそれなしには人間たちが愛に生きることができないからである。だから過度に残虐、無慈悲と思われる仕方で人間を裁かれるという考え自身が、愛の神に対するとんでもない冒瀆なのである。

□神が異教徒をホロコーストするという恐怖イメージで自己をマインド・コントロールすることなしに神を信仰することができなかったのは、ヨハネが本質的に不信仰を隠し持っていたせいなのである。
ーーーーーーーーーーー7欲望の都バビロンの崩壊ーーーーーーーーーーーーー

□次に大いなる欲望の都バビロンが審判に遭う。バビロンは世界中の国々の王を意味する七つの頭と十の角を持つ赤い獣に乗った大淫婦のイメージなのである。

(画像http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/451.html)

□バビロンは悪魔の棲む所、あらゆる汚れた霊と鳥の巣窟であり、地の王たちは彼女と姦淫し、商人たちは巨大な奢侈によって富を得ていたから裁かれるのである。

□一日のうちに死と悲しみと飢饉が彼女を襲い、彼女は火で焼かれてしまうのだ。世界中の王や商人たちは嘆くが、天の大群衆はこの神のさばきを賛美するのだ。

□東京、ニューヨーク、ロンドン、上海などが大炎上するイメージである。これを神の正しいさばきだと歓声をあげる者達の存在をイメージしてみて欲しい。その仲間には入りたくない、むしろ焼かれる側に回った方がましだと思う人も多いことだろう。

□ところでこの欲望の都バビロンの崩壊は、近代文明の末路を暗示しているようにも受け取れる。欲望を数量化して、それを無限大に肥大させた近代資本主義文明は、自然の均衡を崩壊させることによって、自然からの報復でカタストロフィ(大崩壊)を遂げる危険性が大きいのである。まったく神のさばきと捉えられてもおかしくはないのだ。

□そして天が開かれ、白い馬に乗った「王の王、主の主」という名のイエスとおぼしき男が登場し、獣と地の王の軍勢と戦い、勝利した。そしてイエスは、義の為に犠牲になった人々、偶像崇拝を拒否して殺された人々を復活させ、千年王国を築くのである。

□千年が過ぎると、サタンが解放されて、周縁部の国々ゴグ、マゴクの海の砂ほど多くの人々を惑わして、エルサレムを包囲させる。すると天から火が降ってきてサタンの軍勢を焼き尽くすのである。サタンは、獣やにせ預言者のいる火と硫黄の池に投げ込まれ、世々限りなく、日夜苦しめられるのである。

----------------------8「ヨハネ黙示録」の呪い--------------------------

□そして残りのすべての死者が、その仕業に応じて、命の書に従ってさばきを受ける。そして死も黄泉も火の池に投げ込まれるのである。

□命の書に名前が記されていない者は(もちろんその方が圧倒的に多い。日本人のほとんどがそうである。)みんな火の池に投げ込まれるのだ。この命の書に名前が記されているというのが予定説の根拠になっている。この予定説は裁きは全て神の権限であり、人間にはどうすることもできないことを意味している。

□この予定説に立つことで、絶対帰依という考えが徹底するのかもしれないが、その結果として、敬虔なキリスト者以外は皆火と硫黄の池で当然という発想になる。

□そしてこれは神が与えた黙示だからヨハネ自身の願いではないと開き直るかもしれないが、それを信じるということ自体に、その内容に対する願望があるというのが、精神分析学からの診断なのである。

□なぜなら愛の神のイメージを強く持っている使徒が黙示を受けたならば、イエスは再臨して世界に愛による平和をもたらす道を説き、異教徒との相互理解を深めて、異教徒が正しい生命と愛の神への信仰に進めるように導くこともイメージできた筈だからである。

□いやそれは事実的にできなかったのだから仕方がないとあくまで固執するのなら、それは神の能力を否定する議論と言わざるをえない。神を信仰しているのなら、神が語ったことを、当時のキリスト教徒が一面的にしか受け止められなかったと認め、それを無批判に継承してきたキリスト教会の歴史を反省すべきなのである。

□黙示録の要約に戻ろう。――こうして新しい天と新しい地が仕上がり、聖なる都エルサレムは完成する。神が人と共に住み、人は神の民となる。もう死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもないのだ。

□他方これまでの人類の大部分は、その時ヨハネに言わせれば当然の報いかもしれないが、火と硫黄の池で絶え間無い責苦に苦しんでいるのである。神の民に成った選民たちは、自分たちだけ幸福に成って、胸は痛まないのか。それが本当の幸福なのか。

□もし人格的な存在として神がおられるのなら、その神は人類の大部分が火と硫黄の池で絶え間無い責苦に苦しんでいるのに、自分だけ神の民になって幸福だと感じるような人間を、決して神の民にはしないだろう。それこそ火の池に投げ込まれるに決まっている。

□だから「ヨハネ黙示録」によって、神に対する恐怖イメージを抱き、いつしかマインド・コントロールされて、そこから信仰に入ったら、それこそ地獄行きなのだ。これをしたら天国行き、これをしたら地獄行きという言葉ほど躓きやすいのだ。つい恐ろしさのあまり、わが身の幸福だけ考えて行動してしまい、原点である神への愛と隣人への愛の意味を忘れてしまうからである。

□それこそ「トーラーの呪い」と同じなのだ。これまでキリスト教徒は『バイブル』の言葉は神の言葉として、その言葉に主体的な責任を負おうとはしなかった。たとえそこに神を冒瀆し、人の道に外れた暴虐無残な行為を賛美するような事が書かれていても、それは過去の信仰の記録として自分の信仰の中身ではないとして無視すればよいと考えてきた。

□実際、「ヨハネ黙示録」を敬遠するキリスト教信者が多い。その人達はあんな恐ろしい黙示の内容が愛の神イエス・キリストの意志であると見なすのは荒唐無稽だと認めている。

□しかし 『バイブル』のトリを飾る重要な「黙示録」がキリスト教徒の信仰内容でないというのでは、キリスト教徒自体の信用が成り立たない。現にキリスト教原理主義者たちは、「ヨハネ黙示録」をかなり重要な信仰の要に置いていると言われるわれる。

□オウム真理教が「ヨハネ黙示録」を悪用して、いわゆる「ハルマゲドン」を演出しようとした際、キリスト教徒の大部分は、間違った解釈で「ヨハネ黙示録」を歪め、キリスト教のイメージを損なわせたとして、オウム真理教に反発したのだ。

□その際、ではそのキリスト教徒は「ヨハネ黙示録」を真剣に読み返しただろうか。そしてその結果「ヨハネ黙示録」を『バイブル』に収録したままでよいとの結論に達したのだろうか。

□もしそういう作業をしていないのなら、その人は自分の信仰に対して極めていい加減で、無責任ではないだろうか。今からでも遅くないから、「ヨハネ黙示録」を読み返して、それがキリスト教信仰にとって有意義なのか、それとも私がいうように躓きの石であり、まさしく「ヨハネ黙示録の呪い」なのかを再検討して欲しい。そうでない限り、キリスト教徒にとっては「オウム真理教事件」は、完全には終わっていないのである。

画像はオウム真理教教祖麻原彰晃
--------エピローグ「永遠の命」とは何か?ーキリスト教の普遍性-----------

--------------------------1ヨハネの怒り-------------------------------

□「ヨハネ黙示録」で『バイブル』が完結してしまったことは、大きな不幸であった。「ヨハネ黙示録」にみられるキリスト教の独善性が、十分に反省されないまま、その後の歴史の中に暗い影を落とすことになってしまったからである。
聖地奪還の十字軍、異端審問、魔女裁判、世界布教における独善性・植民地支配との結合などを振り返ってみればそれは明らかだろう。

□そしてそれは聖霊を宿しているキリスト教徒である西欧人の世界支配の正当性の意識や、聖霊を宿していない非キリスト教徒であるアジア・アフリカ人に対する西欧人の優越感を潜在意識の上で生み出す根拠になったのではないかと推測されている。

□もちろんこうしたことは合理的科学的には根拠がない優越感だから、あくまで潜在意識の上での影響である。自覚的に意識していることでないだけに、これから逃れるのは難しいのだ。私が「ヨハネ黙示録の呪い」と「呪い」の表現を使うのはそのためである。

□だから西欧人は、その意味で非常に悲劇的である。彼らは 『バイブル』を信仰しているからこそ「ヨハネ黙示録」に呪われて、彼ら自身が信仰しているイエス・キリストによって、神と神の子を冒瀆するものとされているのだから。

□私の仮説では、ヨハネはイエスの血を飲み、肉を食べた。そういう仕方でイエスを荘厳し、自ら聖霊を宿す者となったつもりでいたのである。そしてイエスの復活を体験したのである。

画像は、映画『「黙示録」ヨハネの最期』リチァード・ハリスがヨハネを熱演

□それでは彼はそのことによってイエスの如く、「神への愛と隣人への愛」に生きる人になったのか。残念ながら「ヨハネ黙示録」を読む限り、彼は激しい弾圧にあって精神を歪められ、復讐への怒りに目がメラメラと燃えている。その怒りを贖うには、それこそ人類の大部分が地獄の苦しみを味わい、ホロコーストされるのでなければ済まないぐらいになっているのだ。

□もちろん「ヨハネ黙示録」を『バイブル』の締めくくりに採用している限り、イエスの肉と血の上に建てられた筈のキリスト教会も、イエスの愛の精神、「愛の解放戦略」を継承し、愛に生きるという点では十分ではない。

---------------------2悪霊芝居の歴史的意義-----------------------------

□イエスの愛の精神を継承するといっても、悪霊芝居やカニバリズムを継承することではない。イエスのパフォーマンスは、イエス自身の独特の聖霊信仰と主体的なギリギリの決断によってなされたものである。それはトーラーにも背いていたし、倫理観からみても当時においても現在においても受け入れがたいものを含んでいた。

□しかし悪霊追放劇を仕組まないで、はたして民衆を「トーラーの呪い」から解放し、愛の解放戦略を実行に移してユダヤひいては全人類を解放するためのきっかけを生み出すことができたのか、というのがイエス達の言い分だ。

□あるいは他のもっと正しいやり方もあったかもしれない。われわれは歴史をやり直すわけにはいかないのだから、イエス達の決断と行動には驚異と畏敬の念を抱くしかない。その中に罪な部分があるとしても十分報いは受けているのだから、それを覚悟でやったことに敬意を払うのみだ。

□わたしは「悪霊芝居」を仕組んだという仮説を提示しているのだが、それは決して悪意で誹誇するためではない、「悪霊芝居」を仕組むということは凄いことなのだ。そんなことできっこないのだ。現代なら名うての役者や名詐欺師達がうじゃうじゃいて、少々のトリツクを要する子供騙しの芝居などへっちゃらの連中が結構いるかもしれないが、魚を騙す位しか騙すことを知らない純朴な漁師に、人前で悪霊役をやらせるなど人間業ではないのだ。

□だからそういうアイデアを思いつき、見事成功させたイエスの行動は、まさしく聖霊が乗り移っていると思われるぐらい驚異なのである。

□『死海文書』なるものが発見され、どうもイエスもエッセネ派の修行者ではなかったかという説が有力になっているが、もしそうだとしてカムランの洞窟で修行している時の彼は、他の黙示録的な幻想に耽る連中とは違って、どうすれば民衆の魂を捉え、解放できるか、現実的なその方法を模索していたのである。

□イエスは、初めはなかなか名案が浮かばなかった。どうしても様々な現世的な欲望が払拭しきれず、雑念や妄執に惑わされたと思われる。それは悪霊の誘惑だとイエスには思われた。

□悪霊を追っ払うのは大変だった。それでイエスは聖霊の力を借りようとしたのである。そしてひたすら聖霊の降臨を祈ったのである。イエスは自分を惑わしている悪霊は、民衆を惑わし、民衆に疫病や罪をもたらしている悪霊と同じだと直観した。なぜならイエス自身がアム・ハーレツ(地の群れ)出身なのだから。だから己の悪霊を追い払うのは、民衆の悪霊を追い払うことでもあるのだ。

□聖霊によって民衆の悪霊を追い払えば、民衆の魂を捉えることができるのではないかとイエスは考えた。そして民衆を救うのは実行不可能なトーラーの字句通りの実践ではなくて、聖霊に帰依し、そのもとで愛に生きることではないかと悟ったのである。

□しかし民衆は悪霊を見ることはできないから、たとえ聖霊がそれを追放しても、人々はその事を信用せず、むしろ霊媒として告発されるおそれがあった。

□「レビ記」第一九章31節に「霊媒を訪れたり、口寄せを尋ねたりして、汚れを受けてはならない」と記されているからだ。

□この「霊媒」は出エジプト記第二二章17節でいう「女呪術師」のことかもしれない。「女呪術師は生かしておいてはならない」とされていた。つまりユダヤ教ではシャーマニズムは徹底的に排斥されており、下手に悪霊払いをすると身の危険があったのである。

□だがイエスは「霊媒」や「女呪術師」はチャチだから排斥されるのだと思った。本物の悪霊払いだと悪霊を追い払う場面を民衆に堂々と見せる筈だと思った。しかしどうも悪霊というのは目に見えるものではないらしい。そこで考えに考えた結果、悪霊追放劇を見せておいて、その後に悪霊追放を行えば信仰されるのではないかと思いついたのである。

□そしてではどのように悪霊追放劇ができるのかと、思いを巡らした。そして本書で採り上げたような形を構想したのである。このような構想を思いめぐらしていると、次々とだれも考え付かなかったような、トーラー主義の限界を突き破った発想が湧いてくる。それでイエスは自分には既に聖霊が備わっていると確信したのだ。

□つまり自分の力では到底思いつきそうにない発想に、突然襲われるのである。そしてそれは民衆の魂を救い、世を救うような発想なのである。何かそこには大いなる者の意志が働いている。ただ自分が考えているのではなくて、聖霊が考えているという形でイエスは、理解するしかなかったのである。

□これは一般化すれば個人的な身体において、個人としての自己が考えていることは、実はその個人が属している集団や社会が考えていることでもあることを意味している。

□だがイエスの場合にメシアの自覚まで高まったのは、ユダヤの重い歴史を背負い、アム・ハーレツの苦悩を背負って、懸命に救いの道を求めていたイエスという身体で、まさしく人類の歴史全体が、巨大な渦を巻いて彼の思索を形成し、その突破口を開いたからなのである。

□たかが悪霊追放劇と、その子供騙しみたいな性格に苦笑するかもしれない。しかし現代においても恐慌や地球環境危機、資源問題などの人類的危機を突破するきっかけは、ほんの子供騙しみたいな思いつきの中に潜んでいるのかもしれない。そしてそれぞれの個人が身を捧げ尽くす決意と囚われなき思想さえあれば、人類的危機を救うような働きをするかもしれないのである。
--------------------------3聖餐による復活の意-------------------------

□またイエスの聖餐の発想も凄まじい発想である。人食いがタブーの社会では到底受け入れられない筈の発想なのだ。いくら聖霊信仰を強く持っていても、死体を前にその肉を食べ、血を飲む行為は体が強烈な拒否反応を起こすだろう。こればっかりはいかにイエスの指令でも、簡単には実行できない筈である。

□しかし聖霊を復活させる方法としては、これしか考えられなかった。もし露見すれば、皆殺しに遭っていてもおかしくないやり方なのだ。イエスは身を捧げ尽くすことによって、単に聖霊として復活しただけでなく、身体としても復活したと思い込まれたのである。そしてそれは聖餐体験者にとっては、紛れもない歴史的事実として受け止められたのだ。

□この奇跡体験によって、死を克服したイエスに倣って、使徒たちは殉教も恐れず布教してキリスト教団を確立したのである。

□イエスはシャーマニズムの葬送儀礼で、シャーマンの能力を継承するためにカニバリズムを行うという風習を恐らく知っていたのだろう。たぶん荒れ野の修行中にアジア人の隊商と出会い、その中のシャーマンに出会って話を聞いたと推測される。

□たとえ聞いてなくっても、つきもの信仰である聖霊信仰からの当然の帰結だから、自分でそういう信念に到達したかもしれない。

□イエスとしては捕まれば処刑される可能性は強いと思っていたが、イスカリオテのユダはイエスが処刑までされるとは思っていなかったので、割に軽い気持ちで裏切ったのである。

□ところがイエスは処刑されることになる。元々トーラー中心の秩序に挑戦している、聖霊による救済信仰は、数々の実際のトーラーへの軽視や公然たる蹂躙を含み、カニバリズム的教義まで露見していたので、ユダヤ教からは当然の処刑対象であり、イエスに対する民衆の支持が引くのをまって処刑されたと考えられる。

□だからイエスは民衆の支持が急減したのが決定的な誤算だったのだ。それは彼自身が自らに宿っていると思い込んでいる聖霊の能力に対する過信が原因だったのだ。

□しかしこの支持の急減にもかかわらず、彼の自分の聖霊への信仰は強まる一方であった。そこで追い詰められたために自分の身体から聖霊を移転させるための聖餐を指令したのである。

□身を捧げ尽くす聖餐によって、イエスの命は使徒たちの肉となり血となった。それだけでもある意味で復活である。というのはいったん死んだ命が使徒の命に合体して生きているからである。

□もちろんこれは食べること一般に成り立つことだ。だから「いただきます」は本当は「命をいただきます」という意味なのである。命をいただいて、自分の命の中で食べられたものの命を生き返らせているのだ。

□とはいえ個体的には食べられた個体の命は生き返らない。自分を餌食とする動物の個体の生命に吸収されてしまう。ただし類の命とすれば、食物連鎖を通して、類の命は個体数を維持することで生き続けるのである。

□だからイエスへの聖餐は、聖霊自体の復活はもたらすかもしれないが、イエス個人の再生はもたらさない筈であった。ところがイエスの個性は強烈だったので、心理的にイエスを食べた人達には、精神の一時的な異常を来すことになった。

□聖霊が食べた人の体内で人格的にもイエスのままで住みつくと思い込まれるのである。そうすると自己とイエスの区別がつかなくなる。だから逆に食べた使徒の命がイエスの命に取り込まれるという意識状態になってしまう。これが個体的にもイエスの復活が信仰される基礎になったのだ。

□使徒たちはイエスを食べることによって、自身がイエスの再生となり、イエスが永遠の命であることを証したのである。またそのことによって、自ら永遠の命に連なるものになったわけである。

□イエスは自らを捧げ尽くすことによって、普遍的な命に高まった。そして普遍的な命として個別的な命を祝福して、個別的な命を普遍的な命に高めたのである。

□人類のため、共同体のために個人が自らを捧げ尽くして貢献しようとするとき、その英雄的な行動によって、人類や共同体が危機を克服することがある。もちろん母が子の為に自らの全てを投げうって献身する場合もそうである。

□そういう場合に、自己犠牲的な献身者の命は、自己の個別性を燃やし尽くすことで普遍的な命として、他の個別的な命を支える。そうすることで個別的な命は普遍的な命を自己の命の普遍的な姿として憧れ、自らも献身的な命であろうとするのだ。こうして全体が普遍的な一つの命として感得されるのである。

-------------------------4「大いなる命」の思想-------------------------

□もちろんイエスのようなアニミズム的な聖霊信仰だからこその聖餐である。ただし、この聖餐が一つの命であることを証するための唯一の正しい方法であると考えるのは、とんでもない誤解である。

□だからキリスト教会がそれをパンとワインの聖餐によって記念するのは意義があることだが、このパンとワインをシンボリックな意味以上に解釈して、イエスの肉と血がそこに臨在しているかのように神秘的に解釈するのは、へブライズムが最も幼稚で野蛮の信仰だとして排除しているフェティシズムの典型に他ならない。

□人類社会の中で自らの身を捧げ尽くして生きるというのは、それぞれの個性ある諸個人が、自らの個性と能力を出し尽くして、その時代、その社会が抱えている根源的な問題に取り組んで、自分を生かしきることに他ならない。

□だから現代の根源的な課題を明瞭に把握し、それをどう表現し、その課題とどのように取り組むべきかを知らなければならないのだ。

□イエスはそれを全く思いも寄らない形でつかみ、その取り組みの運動を見事に組織して歴史の道を照らした。そしてその運動が破綻しても、自らの肉と血で聖餐による復活をなし遂げ、キリスト教会の基礎を築いたのである。

□イエスは自らを「命のパン」と位置づけているが、それはイエスの教えによって真に生きることができるからだとしている。だからこのパンを食べることは、イエスの教えを信じて生きることに他ならない。つまりイエスの言葉を自らの血と肉として生きなさいということである。

□このようにパン・ワイン・肉・血を通して、イエスが語ろうとしているのは「大いなる命」の思想ではないかと思われる。

□イエスは「人はパンのみにて生きるのではない」と説いたが、同時に自分自身を「命のパン」と表現している。私はイエスの思想にも全体を一つの「大いなる命」として捉えるような生命哲学があるのだと思う。

□へブライズムをへレニズムとの対極という観点からだけ捉え、神を自然全体から超越させ、自然を単なる神の被造物という観点からしか捉えることができないと、そのことは見えてこない。

□たしかにフェティシズムやアニミズムとの対抗関係から、神の超越的側面が強調されているのだが、へブライズムも宗教思想である以上、生命のつながり、生命の根源、生命の全体についての思想を持っているのだ。イエスはこう考えたのではないか。

□〈人間は、そしてもっと広い意味では命は、共に生き、共に苦しんでいる。時代により社会により抱え込んでいる問題は異なる。しかし共に生きているのだ。共に苦しみ、共に喜ぼう。一つ一つの命、一人一人の人生がばらばらだと思うから救われないんだ。みんなの命は「大いなる命」に抱かれていて、そこから生まれ、そこに帰っている。天のお父が慈悲の雨を降らして下されば、萎びていた草は背筋を伸ばして、色とりどりの花を咲かせるじゃないか。そうしたら羊たちも元気になり、美味しい乳をたっぷり出す。みんな元気になっていく。反対に日照りの時には大地が痛そうにひび割れ、草木も枯れ果て、羊たちもやせ衰える。こうして大いなる命は、一つの命として繋がっているんだ。みんな精一杯、命の花を咲かせ、惜しげもなく命を捧げ尽くして「大いなる命」に帰っていく、そしたらまた新しい命になって蘇ってくるんだ。

□地の群れ(アム・ハーレツ)よ、お前たちは野のユリだ。ガリラヤの野は痩せていて生き苦しいかもしれない。もっと水を、もっと肥やしを、そしたらもっと大きく育ち、もっと大きくて美しい花を咲かせるかもしれない。だが嘆くことはない、野のユリよ、荒れ野にあって咲く花は、たとえ小さくても旅人の心を癒すことでは、温室の花よりずっとずっと優っているんだ。自分らしく生き、自分らしい花を咲かせ、自分の生きていることを誇りにし、自分を惜しげなく捧げ尽くして生きなさい。〉

□イエスの生涯で福音の生活は三年ばかりだったという。その間に彼は、自分の可能性をギリギリまで追求し、人々の魂を大きく揺り動かした。人々はトーラーに呪われて、トーラーの為に生きる生活から解放され、大いなる命への愛と隣人への愛に生きることを学んだ。ここで「大いなる命」とは神のことである。人々はトーラーによって救われるのではなく、「大いなる命の愛の力」で救われることをイエスから学んだのである。

□そう「大いなる命の愛の力」とはイエスに宿る「聖霊」のことなのである。この「聖霊」を信じ、「聖霊」によって隣人愛に生きるならば、「大いなる命」に包まれて生きることの喜びを感じることができるのである。

------------------------5聖霊の復活の意義-----------------------------

□イエスの肉を食べ、血を飲んだところでイエスは個体的に復活するわけではない。イエスとその弟子たちの聖霊信仰の中で、彼らの個体的な区別が見失われるという事態が起こって、それでイエスの身体的な復活の体験が生じただけである。

 しかし身を捧げ尽くすという自己犠牲的献身が大きな感動を生んで、人々の心にその姿が刻み込まれ、第二、第三の英雄を生み出すことはある。

□イエスは復活のキリストとして使徒をローマ世界に送り出した。使徒たちは殉教を恐れずに布教し、そのわが身を捧げ尽くす信仰に打たれて、多くのキリスト教信者が生まれた。

□パウロもその一人である。そしてまた、彼らの自己献身的な布教でキリスト教信者はローマ帝国に溢れるようになり、ついには口ーマ帝国はキリスト教を国教化したのである。

□実際は、そんなきれいごとだけではなく、キリスト教自体が反体制的な性格を失って護教的になり、ローマ帝国がキリスト教を国教として採用することで、支配秩序の安定化を図った面もあっただろう。

□それはともかくとして、自己犠牲的な献身によってその精神を引き継ぐ人を生み出し、その継承者の中に「大いなる命の愛の力」である聖霊が復活するということはある。この聖霊をなにか物体のように考えなくてもいいのだ。だから何も肉や血の聖餐をしなくてもよいのである。

□イエスの時代は、トーラーの遵守によってユダヤ社会の安定を図ろうとする富裕階級のファリサイ派と、トーラーの遵守は不可能で、トーラー秩序からの脱却に活路を見いだす以外救われる道を持たなかったアム・ハーレツの利害は深刻に対立していた。その意味でトーラー主義批判、幸いの説教によるイエスの登場は、時代の閉塞を打破するものであった。

□だからそれはユダヤ社会全般や状況の全体を宗教的に「大いなる命」と呼ぶならば、「大いなる命」が呻吟しながら愛の力を振り絞って出した叫びであった。だからそれは聖霊であり、イエスに聖霊が宿っているという意味はそういう意味に他ならない。

□だとすれば今日、イエスの時代から二千年後の今日においても、人類社会は呻吟しているのではないか、「大いなる命」 は身を捩じらせて苦しんでいるのではないか、それならば「大いなる命の愛の力」である聖霊の言葉は、今日も生み出されているのだろうか。

□イエスは、モーセ五書を読み、それをどう応用すべきかを教える律法学者のようにではなく、権威あるものの如く語ったという。つまり『バイブル』を読み聞かせて、それで説教しているようじゃ駄目だということだ。まるで神が語るごとく直接に語れということだ。

□イエスは自分の力は天から来ているという、自分は天のお父から遣わされたという、天のお父がこう言うんだ、これは天のお父の意志だからという、そういう場合に天のお父というのは、宇宙の外にあったり、われわれの生活世界から超絶した神という意味ではあるまい。全くそれはさかさまで、この生活世界がそこから生み出されているような、そこに根拠づけられていなければ、何も生み出せないようなそういう意味の全体概念のことである。

□だから適当な言葉がないので天と言っているが、「大いなる命」と言ってもいい。「大いなる命」が悶え苦しむ声を聞いて、その苦しみを共にする事の中から、出てくるギリギリの言葉が「聖霊」の言葉なのである。

□私は何も現在のキリスト教会の牧師の説教を批判して言っているのではない。我々が日々発している言葉のことだ。我々はイエスの発したような緊迫感で、言葉を発しているだろうか。

□イエスの言葉は、はっきり言ってそれを言っちゃお終いというようなことを、言ってしまう。「安息日は人間の為のものだ」とか「人の子の肉を食べ、血を飲まなければ永遠の命は得られない」とか「富んでいる者が天国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がもっとたやすい」とか、どの言葉も、その為に躓きかねない、つまり殺されかねないリスキーな言葉だ。だからその言葉を吐く時には、相当の覚悟を決めて極めて主体的に語っている。

□とはいえ彼の言葉は「聖霊」の言葉でもあるのだから、別にその発言をしなくてもすんだというようなものでもない。イエスは「大いなる命」になり切ることによって、突き上げてくるような「聖霊」の声を発したのである。

画像はイエス復活後50年に聖霊が信徒たちに降ったと言う説話の説話の話。
ーーーーーーーーーーーーー6宗教的対話の可能性ーーーーーーーーーーーーーー

□オウム真理教事件が起こった時、無差別大量殺人を合理化する麻原彰晃の教義に関してそれがチべット密教や『バイブル』 の「ヨハネ黙示録」を悪用したものであることが問題になった。しかしどの報道番組も、チべット密教の教典を詳しく解説することで、その元の教義の危険性を追求することはしなかった。『バイブル』の「ヨハネ黙示録」に関しても、その内容を具体的に説明して、「ヨハネ黙示録」自体の危険性に警鐘を鳴らすことはほとんどなかったように思われる。

□おそらく特定の既成教団に不利益になる報道内容になることを避けていたのではないだろうか。オウム真理教事件は完全に終わったのではない。宗教的対立や宗教的憎悪が生み出す紛争が今後もどんな恐ろしい地獄をこの世に引き寄せることにならないとも限らないし、宗教を利用した権力欲の追求は、善悪の彼岸で行われるためにいかなる災難をもたらすかも知れないのである。

□そのような事態を引き起こさないためには、宗教間の対話を押し進めて、相互理解を深めることが大切である。もちろん宗教的対話はただ相手の教義のいいとこだけ学び合えばいいのではなくて、相互に疑問を出し合い、限界を指摘しあうことも必要である。

□そしていたずらに対立を煽ったり、非人道的、差別的な教義に関してはその内容の変更や削除を求め合うことも大切である。つまり褒めあいばかりでは駄目なのである。それに褒めあいばかりでは、互いにとってあまり意味がない。宗教は宗派的な真理にこだわるので、独善的になり、閉鎖的になり、ますます殻に閉じこもることにもなりがちである。

□他宗派や他の宗教から、自分たちの宗派の教義や活動がどのように見えているのかを知ることは大変重要である。自分の姿は自分ではよく見えていない場合が多いので、客観的な厳しい批評から、反省と発展のきっかけが掴める筈である。

□それに同じ宗教内の異宗派間の論争では、共通の教典等が判断基準になりがちだが、異宗教間だと『バイブル』 や経典に書いてあることが正しさの基準には成りえない。そうすると互いに理性によって論争しあうことで、結果的に普遍妥当的な真理を共同して追求することになる。そこから自分の宗教の教義が見直せるのである。

□ただし、元来が相互理解を深め、仲良くするために始めた対話であっても、それぞれが育んできた価値観や倫理観が違うし、また自己の宗派に対しては元々絶対視し、神聖視する傾向があるので、遠慮会釈のない批判は神聖なものに対する激しい冒瀆のように感じられ、批判者に対する憎悪の念を募らせるかもしれない。でもそれを遠慮してしまえば、本音を隠しての表面的な褒めあいに終わってしまうのである。それでは得るところはほとんどないのだ。

□本書の仮説の内容もキリスト教徒の逆鱗に触れるかもしれない。しかしそれはイエスや弟子たちの宗教意識の中を分析していけば、あの時代のあの場所では、大変神聖でしかも勇気のある行為であったのだ。そして私が伝えたいのはむしろ敢えてタブーに挑戦してまで、命がけで聖霊を守った尊い行為だったということだ。

□その熱い思いが二千年間ずっと秘められて来た。それはユダヤ社会や西欧社会がカニバリズムを最も破廉恥なこととして最大のタブーにしてきたからである。もしキリスト教成立の原点にそういう「野蛮」と非難される行為があったとしたら、キリスト教自体が破廉恥な存在のように思い込まれかねなかったからである。

□しかし他方でキリスト教自体が礼拝の中心的な儀礼の中に、まさしくそこに臨在するキリストの肉を食べ、血を飲む儀礼を二千年にわたって守り続けてきたということは、とりもなおさず、その原行為を賛美し続けてきた厳然たる事実である。

□その原行為は無条件に肯定すべきものでもないし、再現すべきものでは断じてない。しかしその行為に含まれていたイエスの愛の精神こそ継承されるべきなのである。まさしく聖餐の「命のパン」の思想こそ、「大いなる命」「永遠なる命」として神を捉え、そこから生じ、そこに帰っていくものとして生きとし生ける者を見つめなおす思想である。

□そして自らを「命のパン」として捧げ尽くすことによって、「永遠なる命」に連なることができるということに「復活」の意味を見いだしているのだ。この「聖餐による復活」の思想には、既成の超越神論的キリスト教理解の限界を打破し、仏教や汎神論的な宗教そして無神論とも十分共有できる思想の可能性が孕まれている。だからこの素材をもっともっと掘り下げていくべきである。もちろん猟奇的な好奇心の餌食にするべきではない。「命のパン」をめぐる宗教的対話は、無限の可能性を持つものだと、私は確信している。

画像は十字架を背負うイエス・キリスト


一九九八年三月一三日稿了

藤田友治氏との対談が続きます。
〈付録対談〉
--------------------古墳、聖霊の引き継ぎ場所----------------------------
------------------------------------ー古代史研究家、故藤田友治氏との対談

-------------1『魏志』倭人伝より「持衰」について----------------------


□今日は、私の三十年近い「心の友」である藤田友治さんの大阪泉南のお宅に伺っています。ここで我々の恩師舩山信一先生の著作集の編集委員会が、午後持たれる予定です。それで午前中に対談することになっています。(一九九八年頃)

□藤田さんは、私と同じ立命館大学の哲学専攻の大学院の同窓生ですが、高校教師をされて日本古代史に関心を持たれ、九州王朝論の古田武彦さんに出会われて、実証的歴史学を徹底して追求されておられます。そしてついに「高句麗好太王碑文」をめぐる李進熙の改竄説の誤りを拓本の比較を通して明白にされ、論争に決着をつけられました。

□その後、「三種の神器」論や前方後円墳の側面拝礼説な鰹どで斬新な見解を提出され、《平成の蒲生君平》というべき活躍をされています。

□特にここ数年『天皇陵を発掘せよ』『続天皇陵を発掘せよ』 『古代天皇陵をめぐる』など相次いで三一書房から天皇陵の発掘を要求する「天皇陵」研究シリーズを出されて、天皇陵発掘運動に積極的に取り組んでおられます。その藤田さんに古墳時代の葬送儀礼を中心にお話を伺い、「イエスの聖餐⇛復活」仮説を展開するに際して、なにか示唆をいただけるかと思って対談をお引き受け願ったわけです。

藤田 やすいさんの『キリスト教とカニバリズム』を大変興味深く読みました。その最初の読者として質問したり、議論したりしたいと思います。

□第二章の「バイブルの中の異教」でフェティシズムの話が出てきます。ド・ブロスのフェティシズム論では、人間がありふれたものからひとつ神を選んで、それに願をかけ、願いが叶えばどんどん貢ぎ物をするが、叶わないと破壊したり、池にぶん投げたりするんでしたね。それにぴったりの話が『魏志』倭人伝に出ているんです。読んでみましょう。

□「〔倭人たちは〕海を渡って中国に往来する時には、常に一人の人物に頭髪を〔整えるための〕櫛を使わせず、虱もとらせず、衣服は垢に汚れたままにさせ、肉食させず、婦人も近づけず、あたかも〔死者の〕喪に服しているようにさせる。これを持衰(じさい、忌みごもりをする人の意味)といっている。もし航海がうまくゆけば、人々は〔彼に〕生口や財物を与える。しかしもし病人が出たり暴風雨の被害にあった時には、持衰を殺そうとする。〔そうした凶事が起こるのは〕 持衰が禁忌(タブー)を守らなかったからである、というのである。」


□航海がうまくいかないのは自分たちの責任なのに、それを他の者に背負わせるんです。ここでは持衰ひとりの責任にして、そして祓い清めるという形です。これは文献上では『魏志』倭人伝が最も古いのですが、おそらく身代わり信仰は縄文時代の土偶に遡れると思います。自分の右手が痛いと土偶の右手に庇をつけて、自分の痛みを取り去ろうとしたのです。

身代わりにするために何かを神にするフェティシズムが 『バイブル』 にも『魏志』倭人伝にも出てくるわけです。

やすい 持衰の場合は人間が物神(フェティシュ)になっていますね。単に神として崇拝されただけではなく、ド・プロスの言った、気に入らなくなったら神を攻撃するという攻撃面まで捉えているので大変興味深いです。イエスもフェティシュみたいに崇拝された面があります。ユダはイエスを自分の神に選んだ。そしてイエスが輝いている時は崇拝していたけれど、やがて霊力が衰えたように思える幻滅体験を味わい、イエスの神性を否定するために敵に売ってしまったのです。

画像は、故藤田友治さん捧堅二さん
訂正 画像は、故藤田友治さん捧堅二さん撮影ー「撮影」が抜けてました。

-----------------------2神社の鳥居について----------------------------

藤田 物神信仰の次は「つきもの信仰としての聖霊信仰」を取り上げましょう。四三頁にこうあります。「イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。」

□この神の霊を鳥が運ぶ、あるいは神の霊が鳥になって飛ぶというのはとても印象が強いですね。『古事記』ではヤマトタケルの霊が白鳥になって飛びました。

画像ー雲南省のアカ族の入口の門木彫りの鳥を飾る

□それに神社の鳥居の起源もこの霊鳥神話に基づいています。鳥居というのは、最初は木の上に鳥が止まって居る様子を表していたんです。だから現在出ている出土例では、鳥居自体が鳥を木で彫刻して木に止まらせていたものだったのです。だから鳥居は、神霊の寄りつくところ‘神の依り代です。

やすい ホオー、神社の鳥居は元々そういう形だったんですか。

藤田 日本の出土例でたくさん見っかっていますよ。

やすい 何世紀ぐらいに?

藤田 木ですから腐り易いんですが、弥生時代にはもうはっきりと鳥が木に止まっている鳥居があったんです。

やすい 弥生時代にもう神社があったのですか?

藤田 もちろん、それは弥生時代だけじやなくて、縄文時代には三内丸山遺跡のように、大木が木柱として立てられていて神域を作っていました。その木は栗の木だったと言われています。

□弥生時代のはっきりした例では、大阪府の和泉市の弥生文化博物館の前の池上曽根遺跡で、大きな木柱と神殿、それから聖なる井戸が発掘されています。

画像ー池上曽根遺跡

□和泉井上神社が最初だと言われていたけれど、もっと早く弥生時代中期の二千年位前に大きな神殿を作っていたことが考古学ではっきりしてきたんです。

□そういう聖なる井戸の祭りをしている、そして何故大きな木を立てるか、そのわけは神の依り代になるからだと考えられます。その次に今度は聖なる山とか森から神霊を鳥が運んできたのを降ろしてくる神の居所‘住まいとしての鳥居の形に発展したとみることができるんじやないかと思うんです。

やすい そしたらそれは神の霊がどこからか飛んできて、その聖域に降り立つイメージとして捉えていたわけですね。じやあ逆に言えば、鳥居の方が神社の本体ということになりませんか?

藤田 三輪山のように神がおられる山を神奈備山と呼びます。その場合は山それ自体が神の本体だと考えられているのです。その山の聖なるものを更に鳥が運んできて平野の森に神域をつくると捉える場合もあります。

□中国でも三本足の烏が太陽の中にいて、その烏が太陽霊を運んでくるんです。ですから烏は非常に重要な神と人間をつなぐ媒介者なのです。

□だからヤマトタケルの説話ができた時には、既にそういう霊鳥説話があったのです。それで白鳥は非常に象徴的なものになっていたんです。最近黒塚古墳で話題になっている三角縁神獣鏡をよく見てみますとね、そこに東王父(とうおうふ)とか西王母(せいおうぼ)のデザインが描かれているんです。それをさらに凝視しますと彼らは神仙な存在ですから、羽が生えているんですよ。だから彼ら自身も飛んでいます。

□中国や朝鮮の北方鴨緑江付近の古墳に入ったことがあるのですが、彼らはペガサス(天馬)のようなあるいは龍のようなものに乗ったりしています。そういう東アジアの中の信仰圏では天王と呼ばれる生きた現人神が登場します。彼らは龍にのったり鳥にのったりします。そういう信仰のなかで英雄が神のようだと祭られるようになりました。そこで非常に重要なある人物が死ぬと鳥になったと言われたのです。

それでヤマトタケルも白鳥になったのです。聖書に戻りますと、「神の霊が鳥のように」でつきもの信仰のように聖霊が鳥という非常に象徴的なものになっています。これはイエスだけじゃなくて、東アジアもあるいは日本も日本の神社とも共通している世界的な傾向なんです。キリスト教のヨーロッパ信仰圏だけではなくて、人類に普遍的な宗教あるいは信仰の形態からみる目が大切だと思いますね。

------------------------3羽人信仰について------------------------------

□これはぼくもまだよくわからないんですが、エンゼルにも羽があります。ガンダーラで東西の文化が融合して、ギリシア彫刻の影響で仏像が作られるようになりました。

□その際に東アジアの羽人や天女のイメージが逆に西欧の羽の生えたエンゼル像の形成に影響を与えたのではないかという気がします、これは全くの仮説ですけどね。あるいは将棋とチェスの関係のように共通の元型があって、中国では羽人や天女になり、西欧ではエンゼルになったとも考えられます。

□そういうわけで、「神の霊が鳩のように降りてきた」というイメージから想像をふくらませて、東西文化の共通のルーツを探りたくなりました。

やすい ただユダヤ教という伝統がありまして、『旧約聖書』 にも天使がたくさんでてくるわけです。その天使たちに羽が生えていたように描かれていたのかを検討する必要がありますね。

藤田 それから出雲の荒神谷遺跡の発掘では銅鐸が有名になりましたが、銅鐸の中に描かれている絵に羽があるものがあるんですよ。これは明らかに神人が描かれています。神の霊を祭る羽がついた人間です。これなどはシャーマンと見られていますが、それだけではなくて、鳥になっているつまり霊がついている人ですね。これは羽人が人間を超えた者、聖霊をもった者であることを表そうとしているんです。

□「おしはぶる」という言葉があります。つまり「はぶりがいい」という意味です、そういった表現が出雲の神話の中に出てくるのですけれど、それは「はばたく」とか羽で非常に力強いんです。まさに超人、神人です。

やすい 昔の人は銅鐸に羽の生えた者を描いているんですから、シャーマンなどはそういう衣装を着てたんですかね。羽が生えているようにみえる。

藤田 そうそう、そうなんです。羽を付けたり、あるいは鳥の仮面を被った人物がいるから、そのように見たままを描いています。非常にリアルですからね。最初から抽象はありませんよ。最初は非常に具体的なものを描きますから。羽人というのは神霊が宿った時の状態です。つきものになった状態を表しているんです。

画像は黒塚古墳の三角縁神獣鏡

--------------------4聖霊に関するつきもの信仰--------------------------

やすい 『バイブル』は唯一絶対の超越神信仰の書としてだけ見なされてきたけれど、実はいろんな宗教の段階が入っている、イエスの聖霊に対するつきもの信仰もその一つなんです。そういう視点で書いたわけです。

□つきもの信仰やその前提であるアニミズムに立ったイエスの表現を、レべルの低い信者に合わせてレべルを下げて語っているように解釈する人がいるようですが、イエスは聖霊のつきもの信仰で一貫しています。

藤田 それはいい視点だと思いますね。だからその視点は、後世のキリスト教神学から枠に嵌められていた『バイブル』 の内容を、元あったものへ返していく視点です。

□そして『バイブル』は世界宗教という「高い」段階に立って、「低い」段階の宗教を排斥している立場で多分書かれているんだと、普通、人はそのように聖書を理解していますね。それに対して本書は、イエスも、人間の信仰なり宗教なり文化なりの発展史を自分の中に多少ゆがめられた形にしろ、保存していたのだと指摘しています。

□そしてキリスト教神学という枠を一度取り去って、その上で 『バイブル』を読み直してみるという作業をされたわけです。

□ぼくが多分最初の読者なんだろうけれど、読んでみて、そういう視点でいくとアジアと日本の古代なりの信仰を考える場合にも、一つの大切な視点になり得るんじやないかと思います。また逆にキリスト教をアジアや日本古代の宗教意識と対照させることで、後のキリスト教神学によって一面化されたイエス像を克服できると感じられました。

やすい このイエスの「聖霊に関するつきもの信仰」は、とても陥りやすい信仰です。マルクスの『資本論』でも「価値のつきもの信仰」が貫かれているわけですから。でもそれは 『人間観の転換ーマルクス物神性論批判ー』 (青弓社刊)のテーマでしたから、今日は触れないでおきましよう。

----------------------5血が命であることの意味-------------------------

藤田 それではいよいよ一番きわどい部分に触れていきますが、最も忌避すべきタブーとして「血は命であり、命を肉と共に食べてはならない」という問題です。

□そこでは聖霊が血でもある。その血や肉を何故食べようとするのかというカニバリズムの問題を取り上げています。ここを読んでいまして「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」の九八年『文芸春秋』三月号の調書のことを考えていました。

□酒鬼薔薇が汚れなき純くんの血を飲むことで自分の汚れた血を浄化するというようなね、そこは多少いいわけで言われていた表現であったとしても、その中に持っている「血が聖なるものだ」という意識は、非常に原初的な意識で、そこから祭儀的な食人、飲血が生じます。だから人間が最初にまず越えなきやいけないタブーだったんだけれど、非常に驚くべき意識ですよね。

やすい コスモス(宇宙)全体を生きた全体、一つの生命として捉えるとしますね、それを構成している根源的物質(アルケー)は何かが問われます。その中で最も有力なのは空気がアルケーだという説です。ギリシアだけでなく、中国でも気が物質一般を意味しているんです。

□つまり空気が命の実体なんです。そうしますと空気が体内に出たり、入ったりするのが、生きていることで、生命活動なんです。この空気が体内を巡りますと、命は血という形態をとる事になります。としますと、血を飲んじゃいますと命が混じってしまうんです。そうすると最後の審判の日に、神が復活させようとしても、復活させられなくなってしまうと 『バイブル』には書いてあるんです。それで「エホバの証人」の信者たちは、輸血は絶対に拒否しなければならないと考えるわけです。

----------------6カニバリズム・聖霊信仰・復活信仰---------------------

□酒鬼薔薇は、殺人衝動が抑えきれない自分に自己嫌悪を感じたといって、その汚れた自分の魂=命を浄化しようとして、汚れなき純くんの血を飲んだというわけです。これは、猟奇的な犯罪を重ねる為の口実に使っていますが、おっしゃるように非常にプリミティブな信仰ですね。

□そういう意識がどうして酒鬼薔薇に蘇ってきたのか、おそらく何かで知識として仕入れたのでしょうが、その知識に惹かれたというところは、彼自身の中のそういう本源的なものが蘇ってきたとはいえるでしょうね。

藤田 戦争の中で飢餓に襲われて、やむを得ずに人肉を食べることがあります。遠藤周作の『深い河』ではビルマ戦線で戦友を食べたのが、ずっと心の疵になり、罪の意識に苛まれてインドに行きますね。彼の場合は明らかに生き延びんが為に肉体的に食べざるを得ない栄養分として食べたのですが、タブーを侵したということで悩み苦しんでいたわけです。

□第二次世界大戦の日本軍を描いた映画『行き行きて神軍』という作品があるんですが、それも同じテーマなんですよ。やはりこれは猿の肉だとか、何かの肉だとか言って、弱い兵士を皆で襲って食べてしまった。そのことを戦後糾弾していく戦いを描いているんです。

□それはサバイバル(生き残り)の為の人喰いであって、本書で言われている犠牲奉献や祭儀としての人喰いとはかなり違います。また食通的な珍味を求める人喰いとも違います。

多□分カニバリズムの根源には、おそらく非常に古い時代、おそらく最初に愛する者の死とかで受けた死のショックね、そこで死者を嘆き悲しむ余り、蘇生を願うのは当然ですから、蘇生を願う中で起こってきたことじゃないか、つまり非常に本書の最も深いところ、そして最も衝撃的なところに実は繋がっていく問題ではないのかと感じましたね。

やすい 食べることによって死者を蘇生させるという発想は、宮崎勤がおじいちゃんの骨を全部食べちゃったら生き返るんじゃないかと思っている話を紹介しておきましたが、食べたら、食べられた相手が生き返るというイメージがどこかにあるとしたら、それはどういう理由で考えられるのかなと思いますね。

藤田 ぼくの分野で言えば、『古事記』や『日本書紀』の中に出ているもので、その参考になりそうなのを言いますと、名前をもらうことでより強くなる、威力が引き継がれるという話があります。ヤマトタケルのクマソタケル征伐の話です。

□西の方にクマソタケルが二人いる。彼らは朝廷に服従しない無礼者だということにして、小碓命が遣わされた。ところが熊襲の勢力が非常に強いということで、今度はくしけずって髪を垂らし女性に化けるという、トリックを使っています。

□クマソたちはすごい美少女だということで酒席に侍らせたのです。勇猛なクマソタケルはクマソのリーダーですから、とても強い。ところがいきなり小碓命に尻に刀を差し込まれてやられてしまった。それでクマソタケルは、「その刀を動かさないで下さい。死ぬ前に私は申し上げたい事がある」と訴えたのです。

□それで「私ほど勇敢な者はいなかったのに、あなたは私より勇敢だった、だから私の名前を差し上げます。これからあなたはヤマトタケルと名乗りなさい」と言ったんです。言葉とか名前に聖なるものが宿っていると考えているんです。被征服者の方が征服者に名前を献上したような言い方です。

□本当は、刺されててこんなこという筈はないのですがね。だから言霊、言葉の霊力が相手の方が強い、「タケル」というのは猛々しいという意味です。「小碓」より強そうですね。弱い方が女に化けるという策略で強い方を倒したんです。

□そこで名前を譲られたということで、クマソタケルのその地方に対する支配権やクマソタケルの強さも引き継いだんだとヤマトタケルは主張しているわけです。

□この言葉に霊力がつきもののように宿っているとすることで、クマソ夕ケルはヤマトタケルに霊力としてはとりついて生き続けていることになります。これも一種の復活、蘇生ですね。

やすい なるほど言語フェティシズムである言霊信仰とつきものとしての聖霊信仰が融合して、その上で死者と名前を取り替えると、聖霊の復活信仰になりますね。
--------------------7三角縁神獣鏡は何に使われたか-----------------------

藤田 第五章の「知恵文学における『聖霊』としての『知恵』 」にこう書かれてあります。「知恵は悪を行う魂には入らず、罪のとりこになっている体には住み着かない。」ここからぼくは明るさというイメージによって邪悪なものを退けるのを感じたのです。

□と言いますのは、古代の人々の意識では、知恵が無い、よく分からないという状態は物事がよく見えていないのですから、暗い状態です。その反対に知恵がある、よく分かっているという状態は物事がよく見えているのですから、明るい状態なのです。

□そう考えますと、ぼくの方の読み込みになるんですが、黒塚古墳で三角縁神獣鏡が大量に出ましたね。それで今度はじめて三角縁神獣鏡の用途がはっきり分かったのです。これまでどうして三角の縁になっていたのか、その用例を示す出土例がほとんどないんです。

□それは立てかけて安定を得る為です。鏡面を死体の横に置いて太陽の光で照らすようにしていたのです。三角縁神獣鏡は、それで棺の中にではなくて、棺の外に置かれていたんです。

やすい じゃあ三角縁神獣鏡というのは古墳用に作られていたということですか。元々鏡というのは、顔を映してお化粧したり、顔を洗ったり、髭を剃ったりするためのものじゃなかったんですか。

藤田 ええ、元々中国では、そのように使われていたんです。ですから中国では他の愛用品といっしよに出土しているんです。ところが道教思想等の影響が出てきて、邪悪なものを、例えば悪霊とかを鏡に映すと、その本体が映るというような。

やすい へェー、鏡に悪霊の正体が映るんですか。

藤田 だから、虚像をあばき、実体を映し出すものになったんです。だから魑魅魍魎の世界を照らしだすね、そういう呪術的なものです。つまり鏡がフェティシュなんです。あるいは東アジア燧棺の儀礼の北側で起こる信仰なんですが、火日嗣の儀礼起こる信仰なんですが、火燧(ひすい)という鏡は凹面鏡になっていて、太陽の光を集めて火を熾すのです。火燧はだから太陽神の聖霊の依り代です。または太陽神を象徴する呪具なんです。神と人との交流の媒介物になっていますから、火継を持っている人はシャーマンなんです。

□それは日本に入ってきていまして、「多鈕細文鏡」と呼ばれています。中国文化圏では更に発展して、前漢鏡になります。

□そういう鏡が日本に入ってくるには卑弥呼が大きな役割を果たしています。彼女の「好物」として銅鏡百枚をもらったのです。でもこの銅鏡百枚は、三角縁神獣鏡ではないと、ぼくは見ています。三角縁神獣鏡は、古墳の棺の横に並べてあるからです。頭の部分には画文帯神獣鏡がありまして、これは大きさも小さく明らかに別種の鏡です。これは中国製だと思います。

やすい 愛用品の鏡を棺の横に並べたんじゃないんですね。

藤田 一人でこんなにたくさん鏡を愛用できるわけはないんで、今度の発掘の値打ちは、この用途が分かった事にあるんです。鏡を並べて光を集めて明るくします。そこで明るきもの、それは知恵と言ってもいい、あるいは聖なるものと言ってもいい。邪悪なものは悪を嫌う明るい智恵ある魂に入らない。それでこれを辟邪(へきじゃ)というんです。悪魔が入り込むのを避けて聖体を守るという意味です。

□死んだ人は威力をもっています。例えば卑弥呼の場合は鬼道(呪術)にすぐれていました。あるいは将軍の場合は武力をもっている。その威力をまず守る。人間が死ぬと変化して腐っていきます。イザナギがイザナミを追っ掛けていったら、イザナミの死体に蛆がわいていた。それで霊が喰いつくされていく、それをみた人間の嘆き悲しみ、それでなんとか聖体を守ろうとする。だから三角縁神獣鏡を立てて光を当て聖体を邪悪な物から守ろうとしたんです。黄泉の世界に横たわる死者の身体を守るものとしての役割ではないかと思うんです。この辟邪の思想は日本的な発達をしています。

やすい 中国ではお墓に入れる時には鏡は立ててないんですか。

藤田 立ててません。このような形で棺の外に並べているケースはないと思いますよ。三角縁神獣鏡のように中国ではないものが、このように大量にあるというのは、これは日本の思想、日本の宗教の現れなんだと言えます。キリスト教だけではなく、霊を守りたいという思想はかなり普遍的にあるのだと思います。だから普遍と日本的な表現の仕方との特殊の現れ方で、もちろん表現は違ってきますが。今回三角縁神獣鏡が黒塚で三十三面も大量に出て、しかも埋葬に宗教的に使用されていると分かったのは非常に重要なことだと思います。

画像は黒塚古墳、真上から撮ったもの

ーーーーーーーーーーーーーーーー8日嗣の儀礼ーーーーーーーーーーーーーー

□今度は鏡が明らかに頭位が北枕にされてね、画文帯神獣鏡がその側に置かれてある。最終的に遺体はこのように置かれたんでしようね。しかしここで仮説なんですが、鏡の配置を見ていただきたいんです。棺の長さは八・三メートルもあるんです。そのちょうど半分までが三角縁神獣鏡が大量にある。

やすい ああ、そこに遺体が安置されていたんですね。

藤田 そうなんです。その下に刀剣類がありますね。これで六・二メートルでしょう。残りの部分はどうなんでしよう。これは仮説ですが、ここに遺体を置いて、鏡で邪悪なものから守りながら、もう一人死体の側に添い寝したんじゃないかと思うんです。

□つまりこれは棺を合掌式工法で固める前の粘土床で作ったその状態で一晩日嗣が行われたということなんじゃないかと思うのです。霊力、威力の日嗣の儀礼を実際に行ったと思うんです。

やすい ひつぎというのは棺のことを枢というでしよう。

藤田 (笑い)なるほどそうですね。繋がるかな?ぼくが言ってるのは太陽の日の嗣ぐで、威力を引き継ぐことです。

やすい ああ、死者が持っていた特別の威力を、もうひとり、生きている後継者が引き継ぐ儀礼ですね。

藤田 だから後継者ですから卑弥呼で言えば壹与です。あるいは将軍クラスで言えば、将軍の威力を次の副将軍が引き継ぐということです。天皇制が確立されていれば、天皇の子皇太子に位を引き継ぐことが日嗣です。

やすい 皇太子のことを日嗣の皇子と呼びますね。

藤田 これは大嘗祭に至る儀礼で、折口信夫(おりくちしのぶ)などは一緒に遺体の横に寝たのではないのかと言いましたよね、それは古墳の中で元々行われたのではないのか、そう考えないと、半分だけに遺体があり、棺の半分から上の部分だけ三角縁神獣鏡で照らしたのはおかしくなります。

□もし全体に埋葬するのなら、棺全体三十三枚の鏡を並べたら良かったのです。ですから蓋をして土で覆うまでに、棺の下半分で後継者が一晩添い寝して日嗣が行われたんだという仮説を、黒塚古墳から考えることができたのです。

やすい 死者が持っていた特別の威力というのは本書の表現では霊あるいは聖霊の引き継ぎですね。そうしますと、一晩添い寝をすることで霊を引き継ぐという場合、具体的にどのようにして引き継いだのですか。同じ空間を共にするだけで引き継がれるのですか。

藤田 そのように考えたのでしようね。悪霊をまず防いで、そして死者の霊を閉じ込めます。後ろの空間にいた後継者に引き継がれていくのです。だから霊が逃げないように覆いがあったと考えられます。それは大嘗祭的に言うと真床襖(まどこぶすま)です。襖は明らかに覆いですよ。それは折口なんかは蒲団を被って寝ると表現しています。同じことはモンゴルにもあって、テントみたいなもので、次の日嗣の王者をみんなでポーンと飛ばすのですね。そして失神状態にさせて、要するに気絶ですが、そして霊を招き入れます。本来これは王殺しに通じます。いったん仮死状態にするわけですから。

やすい 日嗣の方が仮死状態になって、死者の霊が入りやすくなっているわけですね。

藤田 だから一晩死者と共に寝ることが必要だと思います。まあ実際は生きていて、その人は死んだふりをしているわけですが。

--------------------------9ヨモツへグイ--------------------------------

やすい 死者の霊は死者から出て、死んだふりをしている後継者に移っていくのですね。

藤田 それは非常に深いところですね。いよいよ次の議論に移らなければなりません。死者と共食することをヨモツへグイと言います。いったん死者と共食するともう黄泉の国から現世に帰れないという意味なんですが。だから棺の中で共食、共寝していったん仮死になるという形をとって、霊を引き継いだということです。

□今度はやすいさんに聞きたいのだけれど、王殺しについて展開していただきたいのですが。

やすい それは文化人類学で言われることなんです。王の力が衰えてくると、その王を辞めさせてもっと若くて元気のいい人を王位に就けようとするんです。それでその王は殺されて、その時にその王が食べられて聖霊が引き継がれるということがあったのではないか、それは未開的な状態ではシャーマンであってもいいんですが。

□ただ実際には王は権力を維持したい。自分は殺されるのは厭だ、すると臨時的にいったん譲位して、身代わりの王を立てるんです。するとその身代わりの王はほんの数日間、とんでもない秩序を混乱させるようなことをします。それで身代わりの王が捕らえられ処刑されるんです。

□結局元の王がリフレッシュした形で再登場して王位を回復する、するとみんなが喜ぶというようなパターンになっていたそうです。これもひとつの祝祭的な儀礼で、その時に祝祭的に王に成った人を道化王と言うんです。

□イエスが王に成ったという説があって、その場合は、この道化(トリック・スター)王の理論の適用なんです。祝祭的に王に成った人は祝祭的にしろ王位を取ったわけですから、祝祭的に処刑されるわけです。でも祝祭的に殺された場合は、神から永遠の命を与えられるということにもなっていたようですね。

□イエス王説には聖書にそれで解釈できる箇所がいくつかあるんですが、べーコン流に批判するならば、単なる単純枚挙の帰納法ですね。ユダヤ社会で道化王理論が適用できるのかどうか、豊富な事例が必要です。

□それに道化王を引き受ける動機ですね、これもはっきりしない。そして道化王の理論を適用する論拠を聖書にとっているのに、道化王の理論では、聖書の他の記述を無視したり、全くのフィクションと考えなければならなくなります。そういう矛盾があります。

藤田 黒塚の棺が古墳では特別に長いというわけではないんです。卑弥呼の墓から始まったと言われる初期の古墳から既に長い棺だったんです。ですから死者の霊力の衰えを防ぎ、霊力を引き継ぐという点では、イエスの聖餐・復活と共通しているんです。

□天の岩戸に天照大神が隠れた事件がありますね。スサノオが非常に傍若無人に振る舞って、アマテラスが仮死状態になって隠れるのですが、みんなおもしろそうに笑っている。アメノウズメが踊っているんです。アマテラスはつい覗いてみようとしたら、タジカラオが岩戸を開けて陽光を取り戻す。

□これは太陽神の死と再生の過程なんですが、日の最も衰える冬至に、穀物神を祭って新米を食べる新嘗祭が行われるんです。こうして霊の衰えを防ぎ、新しいものにその霊をリフレツシュした形で引き継がせているのです。

□これが死者の霊に対してもなされるわけで、冬至や晦日に太陽の衰えと共に忌み籠もりするように死者と共に仮死状態になったり、ヨモツへグイをするわけです。

□でもそれは恐ろしい世界です。死者と一緒に食事をしてしまうと死者の仲間に入れられて黄泉の国から戻れなくなるわけですから。

やすい そしたら棺の中で死者と共寝し、共食すると死者の世界の住人になって戻れないのに、それでもヨモツへグイをしていたのですか。

藤田 完全に食べてしまうなら戻れないでしょう。そこで象徴儀礼になるんです。死者に捧げられた飲み物、おそらく酒だと思うんですが、そこで一緒に飲むわけですが、生者の陶器には はそう)といって、穴が開いているわけです。ですから一緒に飲むふりだけしていたのです。こうしてヨモツへグイはタブー化されていったんです。

やすい 棺に一緒に入った人は食べたら死ぬという信仰があって、だから食べるふりして本当は食べなかったのか、それとも死ぬのを覚悟で食べて、食べたけれど死ななかったとして棺から出てきて、本当だったら死ぬところを死なないから凄いということで強い権力者になれたのか、その辺のところはどうですか。

藤田 初源的には、完全に共飲、共食したんでしよう。強い霊力を獲得するために、仮説として今は実証できないけれどイエスの死体が実際なくなってしまっていることからすると、それはないわけですから、自分の中に取り込んでしまっている。

やすい だから古墳の場合も、共に何かを食べるというだけじゃなくて、その死者を食べたという可能性もあるんですか。

---------------------------10秘儀の終焉----------------------------------

藤田 古墳時代にはもうそういう慣習はなかったと思います。ただ縄文時代やそれ以前なら食人に供せられたと思われる人骨の発掘はあります。

□古墳時代の死者との共飲、共食やその儀礼は、霊力を保存し、引き継ぐという点ではイエスに対する聖餐と共通しているということです。

□仮説としてイエスに対して実際に聖餐が行われたとしても、そのことが非常に強い衝撃力を持つわけですから、理性の発達とともにそれは隠され、儀礼化されなければならなかった、それは象徴化されなければならない。それは異端として必ず退けなければならなかったのです。そのことによって、現世利益的なものと聖なるものの分離、政治権力と教会権力の分離が起こつたわけです。

□日本の古代でも祭儀的なものと政治的なものの区別が、天皇権力への権力の集中の過程で起こるのです。そして律令制の確立とともにそのような秘儀的なものは要らなくなっていったのです。

□古墳時代には霊力などまだ秘儀的なる面をもちながらやってきた政治的な力が、今度は普通に政治的なものになって、宗教と分離したのです。

□それと同様に、キリストの肉を食べたり血を飲んだりするというようなことは、次の時代になると非常に抑えられて、邪教とみなされるようになったのです。そうすることによって教会権力の確立とともに、キリスト教は世界宗教としての普遍性を持ったのです。

□するとさっきの大嘗祭の議論のように本来もっていた死者を弔う、霊力の引き継ぎ的なものが国家としての取り込みがおこなわれた時に既にもう要らない、となります。ということは律令体制の確立と共に古墳時代は終焉したということです。

やすい 古墳というのは霊力の引き継ぎの場であった、単に強大な権力の誇示に止まらず、そこにも重要な目的があったということですね。

藤田 キリスト教の教会史の成立と一緒に先程のような秘儀は完全に象徴化した。異端として排除された。そうすると非常に文献的に根拠が少なくなってしまった。それを今回、仮説という制限つきであるにしても、やすいさんが垣間見せようとした、そういう世界ではないのかということです。

□従来になく、宗教史と国家史それから日本における古墳の問題、天皇制の問題、ヨーロッパにおける一つの宗教のあり方を通して、共通に様々に議論できるものを提出してきたのではないか、ということで非常におもしろく、またこの自分が今やっている研究にとっても刺激的だと思いながら読みました。

----------------------11共同苦悩から共同情熱へ-------------------------

やすい 未開社会においては世界的に見ても、食人というのが一定の条件下ではアブノーマルではなかったわけです。先程縄文時代に食人の跡があるというお話でしたが、タブー化されたのはいつ頃ですかね。

藤田 古墳時代において食人のタブーは既に確立されていました。タブー化の確立は、恐らく今から二千年位前じゃないかと思われます。仮に中近東でも同様だったとしますと、イエスの頃にはそのタブーは確立していたわけです。

□にもかかわらず原始キリスト教のメンバーたちは、あえてそれをやることで、復活を本当に信じた。そのことで自分の命を犠牲にすることを厭わなかった。共同苦悩(ミット・ライデン)し、そこから共同情熱(ミット・ライデンシャフト)が生じたわけです。何をも厭わない、殉教を恐れない信仰になった。そこが心を打ったわけです。逆に弾圧者も畏怖するものになっていった。つまり「死して生きる」ような構えです。

□そうすると古墳が持っていた儀式の深いものと、共通性があるだろうと思います。死者への弔い方、死者へのつくし方において、宗教の最も宗教たる本質が現れるのじゃないでしようか。

□日本人は葬式仏教だと言って、信仰心がない見本のように言われますが、葬儀は悲しみと共に死者の精神を引き継ごうとしているのですから、そこに宗教の本質の深いところがあるのです。

□イエスの死を嘆き悲しむことによって、信じる者が復活を遂げる、それは愛の力であると同時に、愛の限定性というか信仰する者だけが救われるということになります。原始キリスト教の出発点では、イエスの肉を食べたり、血を飲んだり、直接的に復活を信じた者が救われる。

やすい そうですね、エリートというか、ほんとにそういうことできたのは十数名だけしかいなかったでしょうから。でも今度は使徒を通して聖霊をまた広げられるわけです。そうすると今度は広がった信者も救われるわけです。

藤田 だから神の使者に成るわけでしょう、弟子たちは。だからそれはゴスペルつまり福音でしよう。そうすると次はキリストの肉を直接食べなかった者にとっても、神の言葉つまり福音を聞くことで、言葉による観念化が始まるわけでしよう。神の言葉を聞きなさい、ということになります。すると言霊としての聖霊になる。つまり聖なる言葉です。聖なる言葉を集めたから「聖書」じゃないんですか、ゴスペルとして。

□そうすると復活したイエスに出会うという復活の直接性から、それが抽象化し、血がこの代理としてのワインとなり、肉がこの代理としてのパンとなるとされたんです。「人はただパンによってのみ生きるにあらず」という言葉が意味しているのは、神の言葉によって生きるということです。

やすい それはそうなんですが、今度は神の言葉をパンとかワインに投げかけて、特別のフェティシュに、つまりそれを食べたら永遠の命が得られるようにしてしまうわけです。そしてそれに与った者だけが救われるという、またエリート構造になってしまうんです。
-----------------------------12対話の可能性-----------------------------

藤田 それを最も邪悪な形で、最も悲劇的な形で現代において示したのが、あのオウム真理教でしよう。「ヨハネ黙示録」に出てくる「ハルマゲドン」や「終末論」を悪用して、オウム真理教の中に居る者だけが救われるという形で、一般の人々を敵対視してしまうのです。

□だから何故そのような間違った考えをしたのか、そこはほんとうに宗教者が真剣に議論しないといけないと思います。その際、参考になるのが一つは悪人正因説です。とことん問い詰めていくと、悪人こそが往生できる。つまり信じていない、あるいは信じることもできない、お布施することもできない。そういう人こそが救いの対象になる。

□最後にやすいさんが問いかけますよね、「まさしく聖餐の 『命のパン』の思想こそ『大いなる命』、『永遠なる命』として神を捉え、そこから生じ、そこへ帰っていくものとして生きとし生ける者を見つめなおす思想である。」

□そこは仏教徒にもあるいは日本の土着的な宗教なり思想なりにも、もちろん唯物論とかにも、「命」という形でなら対話が広がっていくという確信ですね、今度のこうゆう解釈はおそらくキリスト教の「正統派」の人達からは、理解はあまり得られないかもしれないけれど、日本におけるキリスト教のあり方だとか、日本における仏教のあり方とかと十分対話をしていく意味があるんじゃないかと思いますね。

やすい やっばり遠藤周作さんの影響もありますよね。

藤田 ええ、遠藤さんが問うたのは、自分がキリスト教徒としてほんとにそうなのかという問いをずっと持っていたんですよね。それが転向というかころび体験、神の「沈黙」、日本の中でのキリストの意味を問うたのです。

□インドのチャームンダーの神について書かれていましたね。あそこを読んでいてほんとに涙を流しましたよ。チャームンダーの神は痩せこけた女神で骨だらけなのに、萎びた乳房から人間の子供に乳をやっているんです。

□彼女の足はハンセン氏病のためにただれ、飢えでへこんだ腹部にも蛾に噛みつかれているんです。それは深い悩みや悲しみを一身に背負っているんです。でもよく考えとみると、母なるものである神が自分たちの罪を償うわけでしよう。そうするとまた、十字架に磔になって血を流して人類の罪を背負っているイエスの像につながっていくのです。

□つまり死者となって自分自身がうまれた根拠、根源へ帰るのです。チャームンダーもイエスも人間たちも死して自然に帰るんです。〈大地なる母〉から生まれ、死して〈大地なる母〉へ帰ります。そこに共に自分の力を高めてくれるという、ほら最初からよく似た話にまたつながっていくというーつまり終わりが始まりであるようなー、そういう「ネバーエンディング・ストーリー」のような視点を与えていくんじゃないかなということで、本書のテーマになっている「イエスの復活の謎」というのは、そこに(復活 〉 があるんじゃないかなと思います。

画像は遠藤周作が見たデリーにある国立博物館のチャームンダー像
----------------------------あとがき------------------------------------

□宗教的カニバリズムによるイエスの復活を説いた本書に対しては、キリスト教に対する猟奇的で興味本位な、悪意に満ちた冒瀆だと感情的に反発されるクリスチャンも多いかもしれない。一読してそういう印象を持たれた読者には、是非とも再読されることをおすすめしたい。

□私は、イエスが聖霊についてのつきもの信仰をもっており、それによって自らを聖霊を宿す身体として捉えていたために、未開的なシャーマニズムの信仰に基づいて、イエスの身体を食べさせて、聖霊を使徒たちに移転させようとしたと解釈したのである。

□この解釈は、イエスの使徒たちが実際にイエス復活を「体験」したとしか考えられないこと、そしてイエス死後二千年近くの間聖餐儀式が行われてきたこと、そして 『新約聖書』 の記述を材料に精神分析した結果、「イエスに対するカニバリズム」が診断されるということである。

□だからあくまで精神分析による仮説の域をでるものではない。つまり弟子たちがイエスの肉を食べ、血を飲んだことを歴史的事実として十分証明できているわけではないのである。精神分析による診断が事実の推定にどれほど有効なものかについて、過信してはならないことを確認しておくべきだろう。

□もし犯罪的な事件に関して精神分析による推理だけで犯人を特定して有罪判決を下すとすれば、冤罪事件が起こりがちになるのは避けられない。あくまでも事実を確定するに足る物的証拠がなくなってしまった段階で、学問的に歴史的事実に迫るアプローチの方法にすぎない。

□そんなに不確実なものなら、あえてキリストの復活をカニバリズムと結び付けることは宗教的な冒瀆を意図したものではないかという、感情的反発も考えられる。しかしそのような批判が生じるのは、宗教的カニバリズムを自分のイデオロギー的な価値観や感性で穢らわしいものと差別し、拒絶しているからである。

□ユダヤ・キリスト教文化自体が、カニバリズムを最も激しくタブー視する文化であるから、神の子の死という神との直接的合一の歴史的な唯一のチャンスに、聖餐によってそれを実現しようとしたことは隠蔽されてきたのである。

□しかし「イエス復活」という奇跡をもたらし得るのは、神の御業以外にはこれしかあり得ないのであるから、キリスト教徒以外にも通用する「イエス復活」及びキリスト教の成立の説明はこれしか残されていないのである。

□そしてそれらは実に世界史を二分する程の大事件であるから、あえてカニバリズムと「復活」を結合させる解釈を行うことは、単なる興味本位の問題ではなく、まさしく人類史を総括する為に不可欠な仮説なのである。

□イエスを悪霊芝居や聖餐によって特色づけることは、イエスの価値を貶めるものではない。むしろ聖者は、自己が生きている時代状況の中で、聖なるものが姿を表すメカニズムを掴む天才でなければならない。悪霊芝居や聖餐にそれを発見したイエスこそは、歴史的存在としてその天才だったのである。

□子供騙しのような悪霊芝居や一見おぞましいようなカニバリズムが、現代人の目からはたとえどのように馬鹿げた事、あるいはぞっとすることであっても、それ故、決して真似したり、繰り返すべきことではないとしても、それ以外に歴史を二分するような聖なるものの顕現の可能性はないというのがイエスの判断だったのだ。

この判断はわが身を与えつくすことなしに実現できないものであり、イエスのみがなしえたものと私は評価している。本書はその意味でイエスをかけがえのない偉大な存在として賛美している。また肉体も魂も捧げ尽くす愛によって、永遠の生命と合一のパフォーマンスを示されたことで、総ての宗教に対話の可能性を与えた意義も讃えられるべきである。

□私は、あるいは「躓きの石」を置いたかもしれない。そしてこの石で躓くのは誰よりも自分自身かもしれない。

□本書の発想は、石塚正英による次の叙述から思いついた事である。その中には弟子たちによるイエスの聖餐が示唆されていると解釈できると思うが、どうだろう。

□「自らの肉体を食べ物として提供しようと、そこまで愛された弟子の一人ユダにいともたやすく裏切られるのです。」「実は、使徒たちに食べられるイエス(神)という構えは‘紀元前のはるか昔にオリエント各地で流行していた神殺し、信徒による神の共食という風習の遺制なのです。」(「フェティシズム、または演出される自己同一」『月刊状況と主体』一九九七年三月号、石塚正英・やすいゆたか共著『フェティシズム論のブティック』一九九八年六月刊、論創社)

□石塚は、カニバリズムはアニミズム段階のフェティシズムに現れると捉えている。この見解を『バイブル』 の中に異教を見る視点と交差させて生まれたのが私の「聖餐⇛復活」仮説である。その意味で石塚正英には学恩がある。是非石塚正英との共著 『フェティシズム論のブティック』 や『季報唯物論研究』の同名の特集号を参照願いたい。

□本書付録の対談は、私の聖餐による復活信仰の成立論を強く推してくれた現代思想研究会の仲間である藤田友治と行ったものである。

□彼は古墳による葬送儀礼の中心を巨大な棺の中での共食と添い寝による首長霊の移転であるという観点から捉えていた。それが黒塚古墳から出土した三十三枚の三角縁神獣鏡が光を棺に反射して魔除けに使っていたことからも傍証されたとしている。

□死者から聖霊を引き継ぐという点でイエスに対するカニバリズムの仮説と相通じる発想であるわけだ。それでこの対談を聖餐仮説を補強するものとして、付録にした。藤田は私の原稿全体に目を通してくれて、総括的な討論にもなっている。またこの対談は、古墳の成立と役割を解明する上で、重要な議論を提供できていると思われる。藤田友治著『三角縁神獣鏡―その謎を解明する』(一九九九年、ミネルヴァ書房)を是非参照されたい。

□藤田友治による積極的な本書執筆への励ましと、三一書房との仲介によって本書が日の目を見ることになり、友情に深く感謝している次第である。また本書の成立に当たっては現代思想研究会での議論が大いに貢献している。一つの学問的な仮説が、これだけのまとまった議論にまで深められたのは、現代思想研究会での発表とそれを巡る熱の寵った討論のお陰である。

□もちろん本書の仮説を研究会のメンバーが総て支持しているわけではないことはいうまでもない。また三一書房林順治編集長には厳しい労働争議の中で本書実現のためにご奮闘いただき、出版にこぎ着けることができたことをありがたく感謝している次第である。なお対談を除き、文中はすべて敬称略とさせていただいた。


対談者 藤田友治 一九四七年生まれ、古代史研究者
単著『好太王碑論争の解明―改竄説を否定する』新泉社
一九八六年
編著『隠された古代・研究講座』全六冊(うち五冊は藤田単著)東洋文化学院一九九三年
編著『天皇陵を発掘せよ』シリーズ三一新書一九九三・五年
単著『三角縁神獣鏡―その謎を解明する』ミネルヴァ書房
一九九九年
単著『前方後円墳―その起源を解明する』ミネルヴァ書房
二〇〇〇年


ログインすると、残り76件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

宗教的対話ー「三つのL」ー 更新情報

宗教的対話ー「三つのL」ーのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング