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非常勤講師、無責任に教育を語るコミュの「学力低下」の正体を考える

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 叫ばれるようになって久しい「学力低下」。本当に「学力」は低下しているのだろうか?

 と言う前フリで地元中日新聞が随分大きな特集を組んでいた。そこで色々と考えてみた。一体、「学力低下」とは何なのか?以下はこの件に関する私の考察です。
 皆さんには、以下の内容を叩き台にしてご意見を頂ければ幸いです。

 結論から言えば、「学力は低下していない」と考えられる。では、国際的なテストでの「順位降下」はどう説明を?となるが、これは「学力の二極化」で説明がつくだろう。これは以前から教育関係等の専門家が言っているが、つまり、「学力底辺の子どもが益々出来なくなっている」と言う事だ。勿論、この部分だけを見れば「学力は低下している」と言う事になるが、私が今回問題としているのはここではない。
 中日新聞の特集にあったアンケートだったかインタビューの印象的な答えに「(今の若い世代に比べ)親世代はしっかりやってきたと言う幻想に捕らわれ過ぎ」と言うような意見があったと記憶しているが、一番の問題はここにある。
 つまり、ここから考えを進め、自分の周囲を見回すと、「いつの世代でも「できたヤツ」と「できないヤツ」の比率は大差無いのではないか?」と言う予測が立ってくる。しかし、この予測の反面、実際問題として肌に感じるこの「学力の低下」は一体どこから来るものなのか?私はひとつの仮説を立ててみた。それが「恥力(はじりょく)低下」説だ。
 「恥力」とは「恥ずかしいと感じる力」の事を「学力」に引っ掛けて呼んでみた。要は現代の学生達に決定的に欠けているのは「恥ずかしいと感じる力」ではないかと考えられるのだ。
 例えば、TVの教育関連番組によって「学力低下」が伝えられる。大抵は渋谷の女子高生なんかに「ことわざ」や「漢字」の意味や読みを答えてもらって、その「出来なさ」を笑ったり嘆いたりする趣向だ。また、世のタレント諸君もTVのクイズ番組などで同様の扱いを受けている。
 この様に情報が「出来ない方」に偏ってしまっているのではないか?との懸念もさる事ながら、この疑問以前にもっと大きな懸念材料と感じられるのは、かれらの「知らなくて当然でしょ?的な実にあっけらかんとした態度」だ。かれらは世に出来ない事をさらしても「恥ずかしくない」ようだ。
 当然の事だが、「目に見えない事」の多くは「人に認知されない」事が普通だ。だとすれば「学力低下」もこれまで「目に見えない事」だったものが、「目に見える事」になっただけではないのかと言う考えに到達するのに時間はかかるまい。そして、とりもなおさずその「見える」ようになった原因と考えられるのが「恥力の低下」、つまり「出来ない事を恥ずかしいと思わない」精神の構造に原因が求められるのではないだろうか?

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