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心の道場 I love 御書コミュの身延と学会と退席痔派の比較

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 日犬宗は、学会を誹謗する時に、日寛上人の御本尊を根拠に「身延と同じ」とか、意味不明なことを口走ったりします。

 そこで、身延と学会と日犬宗とを比較して、どちらが身延に似ているかを確認してみましょう。


(1)日蓮大聖人を御本仏としているかどうか

御書には、

「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい=全世界)第一の聖人なり」(聖人知三世事 P.974)

とあります。「一閻浮提第一」即「大」と捉えて、「日蓮大聖人」と呼ぶのが創価学会です。

◎学会は会則に「日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ」と明確に定めています。

●これに対して、身延は「日蓮大菩薩」と呼ぶのですから、全く根本的に間違っています。

●そして、邪宗門の退席痔派は、昭和16年9月29日付けの宗務院教学部長の通達によって、御書の重要な御文14ケ所の削除を命令し、法話・講演等で引用しないように指示しました。その中に、この「日蓮大聖人」の依文である「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」の御文があるのです。
 国家神道の軍部が恐くて日蓮大聖人を否定し、その罰で当時の法主であった62世日恭は上半身丸焼け、下半身生焼けという悲惨な罰の姿で焼死したのです。

 昭和23年6月7日の日蓮正宗「宗報」には、大僧都の渋田慈旭という幹部僧侶が、
「何ということだ、宗門は駄目だ。どう考へて見ても御戒旦の霊場にかかる不祥事が起ころうとは実際割り切れぬ問題である。宗門全体に対する御罰でなくて何であろう。」
と、正直に釈明しているではありませんか。


(2)御本尊(観心の本尊)を正しく信じているかどうか

 御書には、

「本尊とは勝れたるを用ふべし(乃至)釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり」(本尊問答抄 P.366)

「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是をかんこ心と云うなり(乃至)明鏡に向かうの時始めて自具の六根を見るが如し」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 P.240)

と、我等凡夫が自分自身の生命に備わる仏界を成(ひら)く対境として「観心の本尊」を顕わされたことが示されています。

 したがって、御本尊とは私たちが信力・行力を発揮して題目を唱える対境であって、ただぶら下げておいて外道のお守り札のように通力の顕現を願うようなものではありません。

◎学会の日寛上人の形木本尊は、まさに会員が勤行・唱題して、内なる仏界を成(ひら)く対境です。化儀としても、
「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」
と書かれた由緒正しき「観心の本尊」です。

●ところが、身延の本尊は、掛け軸としてぶら下げたり、死体に着せたり(経帷子:きょうかたびら)、とても勤行・唱題する対境ではないばかりか、その化儀も、

×「南無妙法蓮華経 日▲ 花押」

と、傲慢にも生臭坊主が御本仏大聖人を押しのけて自分の名前を書き込んでいるのです。

●それでは退席痔派はと言うと、化儀だけは「南無妙法蓮華経 日蓮 在御判」であるものの、勤行・唱題の対境ではなく、

×天井裏に火事や洪水の魔除けの板(棟札)として貼り付けたり

×葬儀でお棺や骨壷に入れるためのお守り札(未来本尊)としてみたり

×戒名の替わりに禅宗の化儀である「神座」を販売してみたり

×坊主が教師免許をもらう時に、袈裟の裏に御本尊の図を描いた「免許袈裟」を背負ってみたり(身延の「経帷子」と同様の化儀)

とにかく、あらゆるニセ本尊のオンパレードが「富士の濁流700年」の実態なのです。


(3)日蓮大聖人の言葉(御書)を根本としているかどうか

◎学会は会則で明確に「日蓮大聖人の御書を根本として」と定めて、釈迦の予言(一閻浮提広令流布)、大聖人の予言(仏法西還(釈迦仏教は東漸、末法には大白法が西還)、一閻浮提広宣流布)をわずか60年ほどで実現し、人類で初めて法華経を全世界に広めたのです。

「顕仏未来記」(P.507)の

「諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん 此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか」

の御文に該当する「法華の行者」とは、日蓮大聖人であることは当然として、その未来記をこの御文のとおりに事実として実現した「法華の行者」は、池田先生以外に該当する存在は無いではありませんか。これに対して嫉妬にかられて誹謗中傷する輩への破折も、この「顕仏未来記」(P.507)に明快です。


●身延が根本としている遺文は、大聖人の言葉ではない書き込みが山ほどあって、堀日亨上人がそれらを一つ一つ正して、御書全集の発刊を実現しました。

 身延の遺文の誤りの一例を挙げれば、開目抄の有名な
「大願を立てん」を「本願を立つ」と、念仏の「弥陀の本願」と同義にまで貶めているのです。

●日犬宗では、平成9年8月28日の全国教師講習会で日犬が8時間にわたる拷問誤説法をしたのですが、その議事録(テープ起こし)を読んでビックリ!

【日顕】:これはね、大聖人の御書だって、御書、御書、御書ったって、全部御書だからって言ったって、大聖人の御書の中に、それじゃあ、違いがあったらどうする。少しでも。だいいち、大聖人御自身が「さどの国へながされ候いし已前の法門は・仏の爾前の経とおぼしめせ」とおっしゃってる。ね。ま、彼らもそれを挙げてますけども、いろんなところで、ちょっとした違いがないことはない。

【日顕】:これはひとつはね、御書のすべてが外用であるという、この非常に深い意味が、あのー、法門には内用と外用があるということが、あとに出てきますけども。このー、挙げられておるのは、やっぱり一応すべて外用という形において、すでに示されておる、外の、いうことがあるんであります。

【日顕】:だから私は、日顕が、に、に、に日蓮大聖人様なんて、一遍も言ったことない。ないけども、やはりそういう意味でのですね、あのー、この、しっ、信仰が、やはり富士門流の大石寺の信仰としてあることが、あー、伝わっておるという意味であります。

 要するに、大聖人の御書には間違いがある、というだけでなく、御書のすべてを「外用」と呼んで、とどめには「わしの内用が根本じゃ」「わしを大聖人様と信じるのが退席痔の信仰邪」とまでブチ上げて、とうとう「日犬宗の旗揚げ」を宣言したのです。


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