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80's MANIACS (Gay Only)コミュの2度改名したアーティストin'80s

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 1980年代に全米トップ40ヒットを持つアーティストの中で、2度の改名をしたアーティストとそのヒット曲を紹介します。

・ジョン・(クーガー・)メレンキャンプ〈左〉
・(グロリア・エステファン&)マイアミ・サウンド・マシーン〈中〉
・(ジェファーソン・)スターシップ〈右〉

 なお、ポール・マッカートニーは、ビートルズを含めると3度、プリンスはジ・アーティスト・フォーマリー・ノウン・アズ・プリンス(あの、男性と女性のシンボルマークを合体させたようなシンボルマーク)を合わせると3度改名したので、このトピックでは扱いません(畏れ多くて…)。

コメント(11)

 1組目のアーティストは
・ジョン・クーガー(1976年〜1982年)
→ジョン・クーガー・メレンキャンプ(1983年〜1990年)
→ジョン・メレンキャンプ(1991年以降)
 です。

 このトピックで紹介するのは、彼の7枚目のスタジオアルバムで、初めてメレンキャンプ姓を名乗った"Uh-huh"邦題「天使か悪魔か」<左は日本LP盤>からの1stシングルだった「♪クランブリン・ダウン」<右、米ビルボード・ホット100でピーク9位>です。

 ストレートなロックで、短い期間でレコーディングされた曲ですが、未だにスルメのように味わい深い魅力を持った曲です。PVではメレンキャンプが、かなり練習したと思われるダンスを披露。ヒット曲に花を添えていました。

 クーガー姓はレコード会社から押し付けられた名前だそうで、当時のインタビューでは「メレンキャンプだって良い苗字だよ」と彼は答えていました。

 そのPVを貼りますね。

John Cougar Mellencamp - Crumblin' Down
https://www.youtube.com/watch?v=PErUiAyVoGc&ab_channel=JohnMellencampVEVO
 2組目のアーティストは
・マイアミ・サウンド・マシーン(1984年〜1986年)
→グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン(1987年〜1988年)
→グロリア・エステファン(1989年以降)
 です。アーティストとしての実態は変わらないのに改名した例ですね。

 実は彼ら、当初はマイアミ・ラテン・ボーイズと名乗っていましたが、全米での初ヒット「♪ドクター・ビート」を出したアルバムとしては、マイアミ・サウンド・マシーン名義の1984年の「アイズ・オブ・イノセンス」が最初なのでここでは含みません。

 このトピックで紹介するのは、グロリア・エステファン&マイアミ・サウンド・マシーン名義の1987年のアルバム「レット・イット・ルース」<左>からの2ndヒット"Betcha Say That"邦題「♪恋はセンシティヴ」<右、米ビルボード・ホット100でピーク36位>です。

 PVを貼りますね。グロリアがさしている、アジア風の雨傘が可愛いです。

Gloria Estefan & Miami Sound Machine - Betcha Say That
https://www.youtube.com/watch?v=YOyGOjM8xbc
 3組目は、
・ジェファーソン・エアプレイン(1965年〜1973年)<以下JA>
→ジェファーソン・スターシップ(1974年〜1984年)<以下JS>
→スターシップ(1984年以降)
 です。この人たちは経歴が長いですね。

 彼らには、JAとしては"Somebody To Love"「♪あなただけを」、「♪ホワイト・ラビット」、JSとしては「♪ミラクルズ」の全米トップ10ヒットが有ります。

 スターシップに改名した理由としては、私が聞いた所によると、JSとしての最後のアルバム「ニュークリア・ファーニチャー」を最後に、創設メンバーのマーティ・バリンや、JS時代の中心メンバー:ポール・カントナーがJSを脱退する際に、カントナーが「ジェファーソン」(第3代米大統領トーマス・ジェファーソンの名から取った)の命名権を持っていたため、新しいバンド名にしなければならなかったという話です。

 JA時代のサイケデリック・ロック、JS時代のプログレ・ハード・ロックから、スターシップになった彼らが目指したサウンドは意外にも、日本では「産業ロック」と揶揄される事になる、テクノロジーの進んだポップ・ロックでした。

 スターシップとしての初のアルバムは"Knee Deep In The Hoopla"「フープラ」<左>からの1stシングル"We Built This City"「♪シスコはロック・シティ」<右>は、JA時代からの長い歴史の中で、バンドに取って初の全米No.1シングルになりました<1985年11月16日付けから2週1位>。同曲の作詞はバーニー・トーピン、プロデューサーはコモドアーズ「♪ナイトシフト」や、ワン・チャン「♪エヴリバディ・ハヴ・ファン・トゥナイト」も手掛けたヒット・プロデュサーのピーター・ウルフ(Jガイルズ・バンドのボーカルとは同名異人)でした。

 彼らはこの後も「♪セーラ」、"Nothing's Gonna Stop Us Now"「♪愛はとまらない」と、合計3曲の全米No.1ヒットを放つことになります。ここにはその「♪シスコはロック・シティ」PVを貼ります。「私たちはここにロックの街を作って来た」と唄う、米西海岸ロック賛歌でした。

Starship - We Built This City (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=IDI2WQJyE7I&ab_channel=Starship


 以上、3種類の名義で米トップ40ヒットを持つアクトを挙げましたが、いかがでしたか?「この人達もそうじゃない?」と気づかれたかたなど、ご意見お待ちしています。
>>[1]
私はジョン・クーガー・メレンキャンプで慣れ親しんでいるかもです。
初めはグループ名かな?って思っていました。
色々とヒット曲ありますが、これがインパクトありました。アコースティックロックっぽい感じが良いですね。
Small Town (Official Music Video)
https://www.youtube.com/watch?v=0CVLVaBECuc
>>[2]
バンド名がグループ名から、リードボーカル・フューチャリング・になるのって色々ありますね。
ダイアナ・ロス&シュープリームスとか、チャカ・カーン・フューチャリング・ルーファスとか。
彼らも、そんな感じですよね。
>>[4]
そういうエピソードありましたね。
やっぱり世間的にヒットしたのは、スターシップ時代なのかな?「愛は止まらない」は映画マネキンの主題歌としても懐かしいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=0CVLVaBECuc
>>[5]、ジョン・クーガー・メレンキャンプの「♪スモール・タウン」のリンク有難うございます。

 彼の場合、1982年の、ジョン・クーガーとしての最後のLP「アメリカン・フール」からの"Hurts So Good"「♪青春の傷あと」(ピーク2位)と「♪ジャック&ダイアン」(ピーク1位)が、チャート的に頂点だったと思いますが、その後もシングルのトップ10ヒットが途切れずに、1980年代を通して骨太なアメリカン・ロックを貫き通したイメージがありますね。

 確かに初めはグループ名と勘違いされてたかも?「♪スモール・タウン」も、若干地味目かな?と思われる曲調でしたが、こちらも何度でも聴きたくなる魔法を持った曲でしたね。
>>[6]、グループ名から、リードボーカルの名前が大きくなっていった例を挙げて下さり有難うございます。ダイアナ・ロスとチャカ・カーンはまさにその例ですよね。

 (グロリア・エステファン&)マイアミ・サウンド・マシーンも、その80sの例として挙げられる典型例ですよね。グロリアの比重が、名義的にどんどん大きくなっていって…、アーティストの実態は変わらないのに、名義だけが変わって行った例ですよね。
>>[7]、ジェファーソン・エアプレインからスターシップに至る際、かなり複雑な展開が有ったようですね。

 スターシップと名乗ってからは、ピーター・ウルフ、そしてナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースで「♪愛はとまらない」の大ヒットが出た時には、ヒット・プロデュサーを上手く起用したなぁと思いました。

 映画「マネキン」のテーマでしたね。ナラダはこの曲に付いて「僕なりのウォール・オブ・サウンドを提供したんだ」と、フィル・スペクターの有名なサウンド名を引き合いに出してインタビューに答えていました。

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