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急行列車コミュの北海道の急行列車

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北海道はかつては多くの急行列車が走っていましたが、フジテレビのドラマ北の国からに出てきた急行列車は恐らく編成的に長大編成だったことなどや、富良野が舞台でいしだあゆみ演じる黒板令子が離婚の話し合いで富良野に訪れていて、中嶋朋子演じる娘の蛍が追いかけてきた列車は急行狩勝であの時代はグリーン車まで連結している長大編成だった。

コメント(25)

国鉄時代の北海道の急行で負の意味で目立ったのは編成の冬季減車。
旅した時期が3月が多かったせいもありますが1977,78年での見たままでは
「宗谷」(函館ー稚内):所定8両が指定、自由各1両減の6両。
「ニセコ」(函館ー札幌、客車):所定7両(荷物者など除く)、指定席1両減の6両
「狩勝下り1号,上り2号」(札幌,旭川ー釧路):所定8両、自由席2両減の6両(途中駅から大混雑となる。)
「大雪下り2号,上り3号」(札幌ー網走ー釧路):所定7両、自由席1両減の6両。
夜行の「すずらん」「利尻」「大雪」では自由席1〜2両減。
などなど。

特急でも10両編成の「おおぞら」「北斗」「北海」では1〜3号車や5号車の食堂車の減車目立ちました。
この状態が1977年は4/Eまで。1978年では3/Eまで続いたようです。
これに伴い、途中駅での乗客の乗車案内は柱番号で案内する場合が多かったです。

画像は自由席1両減の3両で止別を通過する「大雪3号」です。1977,3撮影。

>>[001]
テレビドラマ北の国で吉岡秀隆演じる黒板純で解る位、厳冬期の北海道は極めて大変で負の減車は車両故障等が頻発する、北海道ならではの措置だったと思います。
国鉄時代の冬の北海道でのもうひとつの負の意味で目立ったのは大幅な延発です。

原因は本州からの遅延を引きずったりとか車両故障などがありますが本州連絡する特急が大幅遅延した場合は青函連絡船を待たすわけにはいきませんので乗り継ぎ客には先行列車などに立ち席承知で誘導する場合が多くありました。

例えば
網走発函館行きの特急「おおとり」が大幅に遅れた場合は同じ連絡船に接続し先行する「宗谷」を札幌で「おおとり」の発車まで待たせて本州乗り継ぎ客を立ち席承知で誘導したり..

釧路発函館行きの特急「おおぞら3号」が大幅に遅れた場合は同じ連絡船に接続する先行する「北海」を札幌で「おおぞら3号」の発車まで待たせて本州乗り継ぎ客を立ち席承知で誘導しておりました。

また稚内発旭川行きの「礼文」が冬季は約1時間発車を繰り下げていましたが折り返しで到着する「天北」の遅延に備えての事と推定します。「天北」ですが札幌で函館からの「おおぞら1号」「北海」「ニセコ1号」と接続しており、これらの列車の遅延に備えた理由と推定します。

また釧路発函館行き6D「おおぞら2号」が2時間近く遅れた時は青函連絡船6便はそのまま待たせられないので後続の貨物船152便を急遽客扱いして誘導された事あります。青森からの6M「はくつる」は3時間遅れで発車しました。これは特急での例ですが急行でも同様な事は冬季には数多くあったと推定します。

もうひとつの例ですが
「はつかり」「みちのく」「白鳥」は青森にほぼ定刻で到着したのに青函連絡船が時化のため客扱いしない事あり(貨物は通常通り)、5時間後の連絡船に誘導された事あります。
本来接続する「おおぞら1号」「北海」「ニセコ1号」には接続せず、後続の「おおぞら2号」に誘導されました。しかし輸送力不足がはっきりしているので函館7:35の「すずらん1号」を9:40の「すずらん2号」のスジで運転されて「ニセコ1号」に乗り継ぐ予定だった私は「すずらん1号」に誘導されました。10両位の編成だったのでこの時は増車して対応したようです。

当時遅延は特急が目立っており(82系の車両故障か?)ました。それに対して711系「かむい」などは接続待ちでない限りは定刻運転で頼もしく見えたものです。
>>[004]
車両の故障による大幅遅延も旅客が航空機に逃げていく原因だったことは間違いありません。
それとキハ80系は本州と比較すると車両老朽化は早かったです。
485系は北海道の使用は無理でした。
私自身、北海道に旅行したことがあるから解りますけど、北海道は本州と条件が違うから、選択1つ間違うと大変なことになります。
北海道で宿泊所代わりに出来るのが国鉄時代だと★狩勝(まりもの前身)、からまつ、急行大雪、急行利尻、44列車、急行すずらん(はまなすの前身)の6列車があり、いずれも札幌中心です。
北海道の夜行急行列車といえば、利尻、まりも、大雪とありますが、利尻は北海道唯一の国際航路(樺太)との連絡のある急行列車です。
昭和53年の復刻版時刻表を見ると北海道では特急列車と急行列車の差は特急列車は函館からの直通運転が基本なのに対して急行列車は札幌中心の運行体系というのが基本で本州からの青函連絡船からの接続は当然だけど特急列車優先でした。
>>[8]
この当時に青函連絡船の船員さんから聞いたお話です。
輸送量は2500名位/日。特に深夜便の利用率が高かったようです。
よって深夜便以外の道内特急からの本州乗り継ぎは1本に付き100〜200名位で乗船客数も100〜300名位で本州〜北海道の輸送シェアは完全に航空機が上でしたね。
逆に函館行き特急でさえも道内利用者が見た目多かったようです。
驚いたのは6D「おおぞら4号」で長万部で大勢が下車して、瀬棚線に乗り継いだ客が多かったのにはびっくりでした。
その分だけ「はくつる」「ゆうづる」「おおぞら」「おおとり」などの乗り継ぎ特急券は取り易くなっていました。
逆に「はつかり」や「北斗」などは沿線利用客で盛況だったように見えました。
>>[8]
先ほどの投稿は特急中心で失礼しました。
話題を急行に戻すと「八甲田」「宗谷」と「十和田」「ニセコ」の急行乗り継ぎが若い周遊券族の旅行者に人気はありました。
よくYHで「宗谷」「八甲田」ライン、「ニセコ、とわ3」ラインなんて表現をよく耳にしました。
特急での乗り継ぎ客が減っていく中でこの急行乗り継ぎは若い旅行者の根強い人気を感じました。
>>[9] このような現象になってしまったのはやはり国鉄の昭和51年の財政再建による運賃・料金の平均50・4%値上げが大きいといえます。
この結果として長距離客を中心にして航空機に流れてしまいました。
特に東京〜札幌はこの典型的なケースといえます。
>>[10] 北海道といえば定番の宿といえばユースホステスで周遊券といえば急行列車の自由席というのは有名で急行券が追加料金なしで利用出来るメリットが大きく昭和53年の時代だと多くの急行列車がありました。
>>[10] 北海道周遊券で効率が良く往復出来る夜行急行は八甲田・十和田に限ります。
八甲田は1往復、十和田は定期2往復、季節1往復ですがダイヤを見ると特徴があります。
八甲田は仙台〜青森が夜行区間、十和田の2往復は3・4号は平〜盛岡が夜行区間、5・2号は上野〜仙台が夜行区間だといえます。
十和田3・4号は20系客車なのはプレ夜行区間では日立グループの企業関係が多いこと、もう1つはポスト夜行区間ではアメリカ軍の基地を抱えているといったことがあげられます。
十和田3・4号の周遊券利用の欠点は上野〜盛岡が全車指定席で3両しかなく後は全て寝台車だから追加料金がいります。
十和田3・4号はヤンキーリミテッドの名残だといえます。 
十和田5・2号は十和田3・4号の補完列車であり編成内容もほぼ八甲田と同一です。
>>[13]
昭和53年頃の北海道周遊券族で
意外と人気のあった急行は「津軽1号」で奥羽線経由なので所要時間はかかりますが12系使用で青森でも青函連絡船に接続していたのでYHで往路で利用した事をよく聞きました。
もうひとつが「十和田6号」で14系使用。「ニセコ」からも接続していたので復路で今でいう口コミで人気があったようです。

関西からだと「きたぐに」が人気ですが結構距離あるので「白鳥」の利用者も多かったようです。
>>[14] 昭和53年の時刻表を見ると急行津軽1号は青森で青函連絡船に接続していますが時間帯の関係から弘前までだといえます。
急行きたぐには青森直通ですが寝台車はリミットと車両回転の関係から新潟までです。
特急白鳥は大阪からはかなりの時間が掛ることから食堂車を連結していました。
編成は青森運転所の485系の12両編成だったはずです。
急行津軽1・4号は昭和57年をもって特急あけぼのに格上げに加えて急行きたぐには新潟での分断運転になりました。
急行十和田1・6号は季節列車の上に14系を他の残存する夜行急行に提供する為に廃止でこの時にいえるのは急行津軽1・4号とそれに関連する急行鳥海は実質的な特急あけぼの増発、急行きたぐにの分断の目的は車両運用と運行管理の効率化に加えて、特急日本海への誘導もあったといえます。
>>[9] これが昭和55年のダイヤ改正に繋がっていきます。
北海道はもうその時点で東京〜札幌では航空機利用がメインであり本州からの鉄道利用が少なくなった結果として急行列車並に札幌中心の列車体系に切り替えられました。
北の国からのテレビドラマが始まった昭和55年頃といえば特急列車はキハ80系が主力であったことや夜行列車自体からして旧型客車が主力だった時代だといえます。
北海道の道央〜道東の最短ルートである石勝線が開通したのは昭和56年でその時特急おおぞらと急行狩勝の昼1往復と夜の1往復がまりもと名前を変えて移りました。
それと北海道ニューワイド周遊券は片道若しくは往復航空機を利用して北海道入りするのに好都合な周遊券ですが但し5日間若しくは10日間と有効期間が短いといった欠点はあります。
>>[7]
稚内からのサハリン航路に乗った事がありますが(稚泊航路戦後復活第一号便)、宗谷線の列車とは接続を全く考慮していませんでした(というよりも出入国手続きの関係上無理。現に釜山航路(博多・下関)・ウラジオストク航路(境港・新潟)も鉄道連絡は一切行っていません。
>>[19]コメントありがとうございます。
日本の復刻版時刻表だけで見ると意外と気づかないことがあるなと思いました。
海外に航路に乗るのには出入国のパスポート取得の手続きがあるから時間が掛かるから時間に余裕を見ないとならないなと思いました。
逆に海外での航路を選択する際は航路の時間と余裕を取らないとならないのかなと思いました。
80年にリストラになった夜行列車といえば、急行すずらん(函館〜札幌)の他に普通からまつ(小樽〜釧路)でダイヤから見ると、急行すずらんは本州との青函航路への連絡がメインなのに対して普通すずらんは帯広などの十勝地方や広尾線連絡がメインだといえました。
夜行急行列車でも、釧路行の狩勝(まりもの前身)と函館行のすずらんはA寝台車を連結しているのに対して、稚内行の利尻、網走行の大雪はB寝台車のみという所にも、同じ急行列車でも格の違いがあったのと、もう1つは似たような区間に夜行普通列車がある又はないという需要の違いがあったともいえます。
北海道の急行列車は、都市間連絡の性格上から、やはり札幌中心の運行体系は昔からです。
そこが、函館から直通運転して本州からの渡道客を拾っていた、特急列車とは大きな違いだといえます。
そういう意味からして、北海道の特急列車は、ある意味で特別な急行列車だといえます。
昭和53年ダイヤ改正の時点で、寝台急行すずらん(函館〜札幌)と青函連絡船でコンビを組んでいた列車が、上野駅からの特急はつかり5・8号(東北本線経由)と大阪駅からの急行きたぐに(日本海縦貫線経由)です。
やはり同じ区間を倶知安経由の43・44列車より、寝台急行すずらんの方が、青函連絡船との接続が優先されていました。
JR北海道の富良野〜新得が2024年3月で廃線となるのが記事にありました。
この区間はかつて、特急おおぞら(3往復)、急行狩勝(4往復)の他に、夜行鈍行からまつ(1往復)が走行するメインルートでもあり、布部駅は今はなき田中邦衛さん演じる黒板五郎、純演じる吉岡秀隆さん、蛍演じる中嶋朋子さんが降り立った駅で、それがなくなることを意味しているといえます。

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