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急行列車コミュのアルプス

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アルプスとは昭和61年まで中央東線を走行した電車急行(165系)で、全盛期の頃は11往復あり、夜行列車が下り3本上り1本という特殊な形態で走っていた。
飯田線直通のこまがね、小海線直通の八ヶ岳、
富士急行線直通のかわぐちを併結して、南アルプス・中央アルプス・北アルプスと夏は登山客、冬はスキーヤー等に愛用されました。

コメント(14)

「アルプス」と言えば昭和26年4月より中央東線の顔として運転されました。
鉄道先人技術者たちが「アルプス」を走らす事によって現在の中央東線に発展したと言っても過言ではありません。
さて、私も住んでいる土地柄、数えきれないほど乗車しております。
その話すればきりがないので昭和53年10月改正以降の客層や乗車率についてコメントさせて下さい。
この頃は「あずさ」とうまく棲み分けていた頃に見えます。

9号(新宿16:00発),11号(新宿17:00発),2号(新宿9:54着)、4号(新宿11:43着)は殆どが用務客で乗車率も自由席は季節問わず満席に近かった記憶。
その他の「アルプス」は季節曜日により登山者、スキーヤー、ハイカー、用務客と客層が様々で乗車率も高かったです。
見たままですが「あずさ」に比べると大糸線からの直通も多いので登山者、スキーヤー、ハイカーが多かった事。「あずさ」の停車しない小駅(小淵沢、韮崎、石和、山梨市、塩山など)からの乗車も多かったので自由席は「あずさ」より混雑していました。

特に混雑が目立ったのは年末年始、連休、お盆は当然ですがスキーシーズンは凄かったです。
大糸線に直通する金曜の夜行は定員オーバーで逆に松本止まりの車両は空席がありました。
更に混雑が目立ったのは大糸線内で夜行「アルプス」でも松本から名古屋、大阪からのスキーヤーが乗り込んで大混雑。上り「アルプス」も松本まで通路で身動きができない時もありました。
中央西線から大糸線に乗り入れるのは当時「つがいけ」、不定期で「くろよん」だけだった影響が大きかったと思います。
下りの混雑を回避する手段として松本に深夜に到着する「あずさ」や普通列車を利用して松本駅コンコースで新聞紙敷いて仮眠。(当時公然の認められていました。)そして始発列車で目的地に向かいました。
上りの混雑回避ですが14号(新宿着21:36)、16号(新宿着22:34)はスキーシーズンの日曜でも指定席は満席でも自由席はなぜか空席ある場合多かったのでよく利用したものです。

その後は中央道の延伸により昭和60年近くになると車、バスへのシフトで乗車率も下がった事は言うまでもありません。私自身もスキーは車利用となっていますので。
>>[001]
急行アルプスが下降線を辿り始めたのは、昭和57年の時に2往復が特急あずさに格上げしています。
アルプスが昭和61年で昼のほぼ全便格上げしたのは、やはり中央高速道の影響が大きかったです。

これは同じ時期に西の福知山線電化の際に特急まつかぜ、急行だいせん・丹波を切って特急北近畿にしたのはやはり中国高速道の影響もあるといえます。

急行アルプス・だいせんは夜行のみが残存しました。

アルプスは夜行列車は特急あずさと共通運用の183系電車なのに対してだいせんはちくま(大阪〜長野)と共通の14系寝台車(三段式)+12系座席車に置き換えられているといった点が違う。
アルプスではありませんが、小淵沢まで糸魚川行きの気動車アルプスと併結していた急行八ヶ岳に幼少の頃佐久海ノ口から八王子まで乗りました。

八王子で降りた時に隣の車両(糸魚川発アルプス)のドア右上の「新宿-糸魚川」というサボが強烈に印象に残っています。

考えてみれば、関東圏でキハ65が運用された唯一の気動車急行だったんですよね。
>>[003] 列車編成史で見ると、昭和43年〜昭和50年の辺りまでDC列車で新宿〜糸魚川までのもありました。
急行八ヶ岳を併結していました。
>>[3]
ご乗車された「八ヶ岳」ですが八王子に15時過ぎに着くダイヤでしたね。
1971/11ですが信濃川上でC56撮影中に背景に写っていたので添付します。
中途半端な画像ですいません。ですがいかにも昭和でひと時代前って感じです。

さて、私自身ですが1974/7に小淵沢で併結された「アルプス」に部活合宿の帰途に信濃森上から新宿まで乗車しています。
所定では糸魚川からは従来3両で松本でロザの入った7両連結しますが当日は多客期のために糸魚川発が7両、松本での連結が3両でした。
特に印象に残っているのは塩尻からの善知鳥峠へ重戦車なみの轟音で登っていった記憶です。
「八ヶ岳」だと佐久海ノ口から野辺山までの登りが凄まじかったと推察します。
>>[005]
カメラありがとうございます。
昔は蒸気機関車の時代だったんだなと思いました。
急行アルプスのもう1つの特徴は飯田線直通の急行こまがねを併結して運行していました。
これは昭和57年まで急行妙高・信州が長野電鉄乗り入れの屋代経由で向かう急行志賀を併結していたのと同じパターンです。
アルプスが山岳夜行と異名を取ったのは中央東線が南アルプス(赤石山脈)、中央アルプス(木曽山脈)、北アルプス(飛騨山脈)と沿線に全て揃っていることから山男たちの仮眠所代わりに愛用されていたのは有名な話である。
急行アルプスは、中央高速道路の影響で昭和57年11月改正で、2往復が特急あずさに格上げになった辺りから下降線を辿るようになり、昭和60年3月ダイヤ改正では、近隣の中央西線の急行きその廃止や信越本線の急行妙高の寝台車連結中止の他に、急行信州の特急あさまへの格上げの影響もあり、国鉄分割民営化前の昭和61年11月のダイヤ改正で昼行便は全便、特急あずさへの格上げと同時に、JR東海になることが予定されている、急行こまがね廃止で飯田線への直通サービスが切り捨てられてしまいました。
アルプスは上越新幹線開業であぶれた183系の転用(本当はやくもに使うはずだったがDAIGOのお爺ちゃんの意見で381系が新造されて没に)と松本の165系の紀勢線・飯田線(北部に残った旧国置き換え)ローカル転用の為に特急格上げで、伊那・こまがねとは違って中央道は全く関係無いです。
>>[10] やくもに関していえば、伯備線が中国山地での急勾配、急カーブが多いことに加えて、岡山〜米子でキハ181系が2時間50分かかっていることからして、とてもじゃないけど、183系電車で通用するはずがありません。
私自身、新宿〜松本の高速バス、大阪〜鳥取の山陰特急バスにも乗ったことがあるから解りますが、
新宿〜松本はリクライニングシートで、本数も多く、運賃も割安だから、物凄い脅威だといえます。アルプスの昼行便の特急あずさへの格上げ及び飯田線への直通サービス切り捨ては、このことに関係があるといわざるを得ないです。
もう1つ山陰特急バスの大阪〜鳥取は、当時の特急まつかぜ(福知山線経由)に乗るよりも1時間以上早い上に、運賃が安いわけだから、特急まつかぜ、急行だいせん・丹波を切り捨てて、全て特急北近畿に統一したのもこのことに関係があるといわざるを得ないです。


急行アルプスは、大糸線の南小谷まで乗り入れをしていた所にも特色があり、その関係で北陸ワイド周遊券での往復自由席での利用が認められている所にもあります。
急行アルプスと普通441・442Мは、中央東線を走行する列車から、夏は登山、冬はスキーヤーという特殊な客層でも有名でしたが、急行アルプスは飛騨山脈(北アルプス)、木曽山脈(中央アルプス)がメインなのに対して、普通441・442Мは、赤石山脈(南アルプス)、八ヶ岳がメインといった感じでした。

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