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急行列車コミュの〔ちくま〕

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以下のサイトで客車時代の写真が紹介されています。

http://homepage2.nifty.com/kai64/EF64_chikuma_index.html

以下のサイトでは165系電車使用の臨時便が紹介されています。

http://www.mirai.ne.jp/~ken-k/phto13/w165tikuma3.htm

コメント(64)

ついに消えましたか!来夏も期待薄ですねえ…。
スキーシーズン、帰省シーズンの運転なしですか
この時期の運転がなくなったら先は厳しいと思います
現在使用の東海381系が年度末廃車になったら、もうアウトですね
首都圏以外は、すっかり車社会になってるんですねえ・・・
GWまでの運転がないことも確定。。。

夏になければ完全におわりかな。
京阪神ミニ周遊券があった頃は、大阪〜岐阜間をよく利用しました。(岐阜からはMながらを利用)。

もっと昔は、「ちくま・くろよん」併結にものりました(新大阪〜大阪間ですが・・)。

余談ですが
九州ワイド周遊券で旅した帰りは、「みまさか・みささ」も利用しました。
大昔の話で恐縮ですが…
自分はキハ57・65系時代の「ちくま」にも乗った記憶があります。子どもの頃なんですが、当時は超満員でしたよ。通路にも寝てる人がいたし(笑)。
夏の臨時列車が発表されたものの。。。

ということで廃止っぽいですね。
やはり、大阪ー長野の夜行バスに完全に喰われちゃいましたねえ。湯田中行や軽井沢行もあって便利ですからなあ…。
とにかく、このまま自然消滅ってのは悲しいですよね。夏季の週末だけでも走らせて欲しいものです。
〔ちくま〕は京阪神地区+名古屋地区の旅客をカバーしていましたね。
ですから、定期時代の大阪発は21時台。
それと、目的地が長野地区ではなく、松本地区指向も強かったような。。。

なをさんのご意見は従来の〔ちくま〕の使命からみて、かなりお得さまを切り捨てかねない設定になりますね。
すでに、設定がないので、切り捨てられておりますがww
 昔は名古屋ー長野間の寝台連結夜行急行[きそ]もあったくらいですから、中京地区から松本・長野への夜行利用需要はそれなりに多そうですよね。
 ただ、〔ちくま〕とは別に北陸本線経由の夜行列車もあれば面白いですよね。一時、北陸本線経由の臨時寝台急行〔軽井沢〕なんてのもありました。乗車率は悪かったみたいですが…。
?40の大審問官さんご指摘の臨時急行。
向日町の583系使用の〔シャレー軽井沢〕ですね。
軽井沢到着後、豊野まで引き上げたことで知られますね〜

これはなをさんご指摘(?38)のように、JR東海ぬきのため、臨時列車が設定できた例で、収入面でも2社完結というアイデアを実践したものでした。
夏休み期間は毎日運転で、583系B寝台としてははじめて?二段寝台として営業運転しました。
〔ちくま〕の補完の意味合いがありましたかね。
ただし、利用率はかんばしくなかったようです。
 〔シャレー軽井沢〕は東京出身の担当者が「避暑なら軽井沢に決まってる!」と言って設定したものの、関西人は軽井沢には興味が無い人が多くて失敗したみたいですね。
 現在では、しなの鉄道への乗り入れが必要になるので最早あり得ない列車ですが、長野行にしても一定の需要は見込める筈ですね。
大審問官さん
急行ではないですが、かつて特急〔スーパー雷鳥・信越〕(大阪・長野間/直江津経由)に乗車しました。
昼行ですが、富山を出ると指定席はかなりガラガラに〜
でも、乗り換えなしは評価できますね☆
昔は北陸本線経由高山行特急が設定された事もありましたね。
 私も以前、上田に行く計画をした時に〔ちくま〕から長野新幹線へ乗り継ぐ事を考えました。急行料金も半額になるのでお得ですよね。結局、実現はしませんでしたが…。
 〔しなの〕も苦戦中なら、いっその事、急行に格下げして値下げし、競争力を付ける手もありますね。
初めまして、私も急行ちくま号には客レ時代と、東海の383系に移管し電車化時代と、多客臨に格下げされた時代に乗った思い出がありますが、客レ時代は増結の12系客車の自由席に乗ったのですが、乗った時期が冬場だった事もあり座席下にヒーターがあり座面がチンチンになってとても長時間座れなくて途中で何度も立った思い出があります。 


383系になってからは、元々客レのスジにそのまま電車化したので居住性は客レよりよくなりましたが、383系らしくない走りでしたが、383系が唯一急行で使われた列車で思い出があります。 


それと、多客臨に格下げされてから381系でも乗車しましたが、私が乗った時期は車内はガラガラで…でも381系使用でちゃんとヘッドマークも用意されて一度しか乗れませんでしたが思い出ある列車です。 

あと、客レ時代・JR西日本の165・167系を使用して急行ちくま81・82号・くろよん号も多客臨で走ってましたね!! 


急行ちくま号が多客臨からも静かに削除されてもう何年も経ちますね……!!


懐かしい話しを長々と書き綴り失礼しました。
22:00発の名古屋行きの最終新幹線に遅れた場合、その後の「あさま」→「ちくま」で行くのが、名古屋への最速のルートという説は、もう成立しませんね・・・。
こんばんは。
僕が”ちくま”に乗ったのは、96年末に乗った記憶があります。
あの時は12系3000番台の時代だったので、窓側が取れず通路側の座席で寝てました。
車内放送で「大雪のため送れたことを〜」とアナウンスしていたようですが、どこで長時間停車していたのかさっぱり解らずじまいでした。(僕が寝てたので情報不足ですが)
お陰で長野発高崎行の列車に乗り遅れた思い出があります。

写真は、383系導入後に撮影した”ちくま”です。
急行ちくま号が、西日本の宮原の12系+14系寝台の客レ→東海の383系に移管車種変更したのが1998年10月のダイヤ改正で、この移管車種変更を受けた最大の理由が、大阪発着のしなの号で長野から大阪へ入った383系が、夜間宮原総合車両所で停泊させないのが理由だった見たいで、1998年10月改正以降、上りちくま号で大阪入りした後、一旦宮原(操)へ引き上げ車内整備の後、再び大阪からのしなの号へ充当し(長野からの折り返しは、名古屋行しなの号へ)、逆に長野→大阪へ入ったしなの号が夜一旦宮原(操)で車内整備の後、下り急行ちくま号で長野入りする運用を組んでました。



客レ時代中央・篠ノ井・信越線の山側の区間は、愛知機関区のEF64型が担当し、名古屋から西の区間は東日本田端機関区のEF65-1000(PF型)が牽引を担当し、時には愛知機関区には元お召し牽引の経歴があるEF64・77号機が、田端のEF65PF型にはスーパーEXPレインボー塗色の1019号機が担当したりと…客レ時代はそれなりの華がありましたが。。。


ちくま号が客レ→383系へ変更されてもう10年経つか!


急行ちくま号…既に定期運用もなく過去帳入りしてしまいましたね!(涙)

信州のワイド周遊券を利用していた頃、大阪から、ちくま または きたぐに利用してました。

トピック最初から読むと、気づかなかったことや知らなかったことたくさんあります。

懐かしいけど、写真など当事は撮らなかったことが悔やまれる。
>>[56]
 私は電車時代に一度乗っただけでしたが、消えてしまって実に残念です。
私がちくまには2回乗りましたが、いずれも客車時代で一回目は名古屋から長野まで12系3000番台で、リクライニングシートで、もう一回目は長野から京都まで14系15形のB寝台車です。

ダイヤに関していえば、大阪・京都・名古屋では有効時間帯であるのと、松本では大糸線直通の急行アルプスに接続するのと、長野ではやや早朝に偏っているような感じでした。

二回目に乗った時は長野が23時43分と有効時間帯ギリギリで発車して大糸線からの急行アルプスの接続を受けて、名古屋、京都、大阪へ向かうような感じで、急行きたぐにが取れない客もいました。
私は4回利用(気動車、客車、電車)しておりますが住んでいる土地柄、松本、塩尻ー長野間利用ですべて「アルプス」からの乗り継ぎです。
特に印象深いのが1977/1月で165系「アルプス8号」から58,65系「ちくま2号」への乗り継ぎで
「アルプス8号」の塩尻着4:44。同一ホーム反対側に先着して停車している「ちくま2号」の塩尻発4:54。「アルプス8号」は5:03塩尻発車で続行します。
当時早朝の塩尻駅で165系12両「アルプス」と58,65系12両「ちくま」が並ぶ姿は壮観でした。

1994/2月には183系「アルプス」から12系「ちくま」に松本で乗り継ぎますがこの頃は夜行急行需要も減っており、平日でしたが1車両で数名の乗客しかおりませんでした。

画像ですが1996/5月に篠ノ井線桑ノ原ー稲荷山で撮影した「ちくま」と同区間5月の日にち違いで撮影した「ちくま83号」を貼っておきます。



ちくま客車寝台乗りました。3段だったと思います
名古屋から松本まで
途中、探検したら機関車の際まで行けて車掌に注意されました
かなり月日は流れ、名古屋から三ノ宮、もしかしたら大阪で乗り換えたかも知れないが自由席に乗りました
急行ちくまのダイヤは私が乗った時のを調べて見ると、昔の急行きそのダイヤを大阪に延長したような感じでした。
名古屋はギリギリ有効時間帯に入る代わりに大阪はゴールデンアワーだけど、松本・長野が深夜・早朝に偏っているような感じでした。

その当時は14系寝台車+12系座席車の編成です。
ちくまのJR西日本の宮原客車区所属の14系寝台車+12系座席車編成がなくなる直前の時に(長野〜京都)まで乗りました。

この編成がなくなるのが丁度、北陸新幹線長野開業で碓氷峠廃止の同日であることからいって、客が北陸新幹線経由で東京回りに移行することが見込まれるから、寝台車がいらなくなるからである。

急行ちくまだと3社(東日本・東海・西日本)に跨がっていたのが、新幹線だと2社(東日本・東海)で済むといったこともあるからである。
やはり急行ちくまの強敵として表れたのは大阪・京都〜長野のアルペン長野号です。
私自身ちくま号が廃止されてから乗りましたが、独立3列シートで28人乗りで途中下りは草津パーキングエリア、上りは筑北パーキングエリアで休憩があります。
乗っていて快適でした。
>>[44] 確かシャレー軽井沢で北陸本線回りの臨時急行列車だと思いました。
シャレー軽井沢の代替として新設されたのが大阪・京都〜軽井沢の近鉄・千曲バスの共同運行で走っている千曲川ライナーです。

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