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2022年08月08日16:10

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年齢に驕り謙虚さを失うことの恐ろしさを,決して忘れてはいけません

 僕も大いに他山の石にしないといけないお話だと感じさせられました。

 僕は美術鑑賞が大好きで時間さえあれば,いや時間が無ければ作ってでも色々な展覧会に足を運びます。しかし常々申し上げているように僕は美術を好きになってから日が浅く,知識も鑑賞眼もありません。そのため鑑賞に際しては様々な助けを得ることが必要です。常々美術初心者向けの入門書を読んだりして基礎知識を身に付けることは勿論ですが,特定の展覧会に赴くに際しては事前に関連する本を読んだりネットで調べたりする他,会場では解説を読んだり音声ガイドを借りて聴きながら鑑賞したりということを行っています。しかし何よりも僕にとって理解を深めるのに有り難く助けになるのは,それらの展示作品の作者さんに直接解説を伺ったり疑問をぶつけたりすることです。それは作者がご存命でなければ叶わないのは当然のお話として,僕の拙い経験では展覧会に在廊してお話を聴かせて下さるという作家さんには若手の方が多いように感じます。僕が若手の作家さんの展覧会にお邪魔する機会が多いのは一つには「美術の最前線に触れたいから」ということもありますが,もう一つには「作者さんから直接お話を拝聴し学びを得て理解を深めたいから」ということも重要な目的だったりします。

 そうして作家さんからお話を伺う際に決して忘れてはいけないのは「自分はお相手に貴重なお時間を割いて頂き教えを乞う立場である」ということだ,と申し上げれば「それは当然のことだよね」と皆様もお感じになられることでしょう。無論,わざわざ申し上げるまでも無い事柄です。しかしながら,ともすればこの点をつい忘れがちになるのではないか。僕は特にこの点について特に気を付けなければならないということを強く自らに言い聞かせています。
 先ほども申し上げたように,どちらかといえば展覧会にご在廊する作家さんは功成り名を遂げた高名な作家さんよりも若手の方のほうが多いように感じます。中には大学や専門学校で美術を研鑽する学生さんも,時には高校生の作家さんもいらしたりします。一方の僕自身はといえば既に若者ではなく,その作家さんたちよりも年長です。最近の経験ですが作家さんに「私の親と同世代なのですね」などと言われたこともあったりすると申し上げれば,これをお読みの皆様にもピンと来ることでしょう。当然ながら,若き作家さんたちは僕には年長者に対しての礼を尽くして下さいます。そして外国のことはよく存じませんが,日本ではともすれば「年長者は目上として教え導く立場にあり,目下である若者に対してはあまり礼儀正しく振る舞わなくても許される」という社会通念が存在したりもします。少なくとも僕はそうした社会通念の中で育って参りました。
 しかしながら,僕は年長者として若者を教え導くために展覧会に足を運んでいるのではありません。美術についてより深く学び的確な理解の能力を習得するため,ご在廊の作家さんに教えを乞いにお邪魔しているのです。当然ながら僕は目上などではありません。せっかくの在廊時間を割いて僕を指導して下さる作家さんこそが偉大な先達であり師匠であり,僕の目上に位置する存在です。目上の方に対する以上,作家さんに対してご指導を頂けることへの感謝を胸にお相手に過度なご迷惑やご負担が掛からないような配慮を尽くすべき立場にあるのは僕のほうなのは自明の話です。

 こちらの記事では,東京藝術大学で学んでいる真田将太朗(たろべえ)氏が,自作の展示されているアートギャラリーにおいて「知らないおじさん」から作者本人と気付かれず「君はまだ若いから、こういう絵を見たときに作者が何考えてるかわからないだろう?勉強しなさい」という意味不明な説教をされた事例が紹介されています。無論,この事例は僕の申し上げているお話とは少し違います。「おじさん」は僕と違ってそれなりに美術に関する知識や鑑賞眼をお持ちなのかもしれませんし,そもそも真田氏に教えを乞いに来廊したわけではなさそうです。しかし「相手が若者だからと無知な目下だと決めつけて頓珍漢かつ無礼な態度を取った」という点では,僕がともすれば陥りがちな過ちを犯してしまっている典型例と言えるでしょう。よりにもよって侮った相手が作者ご本人で,しかも当の作者である真田氏に「へぇ〜、美術にお詳しいんですね!」という大人の態度を取られて満足げに去って行ったというのですから,知ってしまえば何と滑稽で醜悪なのかとしか言いようの無いお話です。

 僕は展覧会巡りを重ねるうち,今までよりも更に美術を好きになりました。「観れば観るほど,更に好きになっていく」というのが正直な思いです。知識や鑑賞眼は全く駄目なままですが,それでも「良さの判らなかったものを良いと感じるようになった」のは事実ですから,一応は進歩改善があったということが出来るでしょう。それを実現出来たのは,甚だ不充分ながらも僕が上記の戒めを心に抱いていたからではないか。独善極まる自惚れかもしれませんが,僕はそのように思わないでもありません。もし僕がその戒めを忘れてご在廊の若手作家さんを目下よなどと侮り始めたならばどうなるか。その時点で僕の進歩は全てストップするどころか,一度は心あるお若い方々のお恩でせっかく実現した進歩改善そのものをも「大して価値の無い事柄」と軽んずるようになり,それらの成果は瞬く間に全て失われてしまうことになるしょう。
 そうならないか,あるいは既にそうなっていないか。僕は常にそれを心掛けねばいけないと改めて感じております。



「若い君にはこの絵の作者の考えなんて分からない」→「それ俺の絵」 ギャラリーで知らないおじさんから謎の説教を受けた作者に話を聞いた
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2208/05/news021.html
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