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2019年05月07日23:37

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構成 孤立が丘 2019年版 3/

―――――
ひな それ、演技といえるんでしょうか。
智恵 だよね。そこで彼が持ちだしたのは民話だった。妖精たちは言う、お前ら人間はイギリスに騙されてるんだ。ほんらい人は妖精と一緒に暮らしてた。産業革命だの資本主義だのそれから英国教会だのにまんまとやられて忘れてるがそんな現代なんてもんは作りもんの小さな世界だ、こっちの世界に戻っておいで。
ひな マトリックスじゃん!
智恵 その通り。マトリックスだとしたらどうよ。外側にほんとの世界があることを知ってしまったら人は、額縁に戻ろうとするだろうか、キアヌ?
ひな ズキューン。戻れないでしょう。
智恵 そう。さてこそイエーツ戯曲では、さらわれた人間は決して人間界に還ってこない。
ひな なるほどです、でも子猫から飛びすぎ。
智恵 どんな役でもさ! 沼森の孤独を身内のものとしないで、沼森に話しかけられるとでも思う?
ひな 沼森に――山になれと。
智恵 だから現地で見てこい、話しかけてみろってことさ。
ひな 「それはいゝがさ沼森めなぜ一体坊主なんぞになったのだ。
智恵 誰が言ってるの。
ひな 賢治さんが。
智恵 ほんとかよ。作中にしかいない話者じゃないの。
ひな なんでそう思うんです。
智恵 続きになってる前後の短篇ではこの旅行は四人でしてる。
ひな え? そんな感じしない…。
智恵 だろ。ここは妖精の世界なのさ。
ひな 妖精が妖精に話してると。
智恵 そう。
ひな 人間じゃなくて。
智恵 そう。
ひな でも私人間です!
智恵 アタマの先から人間を抜けッ!
ひな それってからっ(ぽ…)――
智恵 ――セリフ。
ひな (ゆっくり)「それはいゝがさ沼森めなぜ一体坊主なんぞになったのだ。えいぞっとする、気味の悪いやつだ。この草はな、この草はな、こぬかぐさ。――
智恵 はいオッケー。
ひな (やや戻って)…無茶ぶりでしょ!
智恵 いや存外に良かったよ。
ひな これ身が持たないわ…、
智恵 どうだった。
ひな 誰が誰だか分かんない感じです。ぜんたいに沼森のこだまっていうか。
智恵 あんたは。
ひな 私? 私は…いなかった。
智恵 やれそうじゃん。
ひな 寒い…。
智恵 熱が使い果たされたのだ。時季はずれに鳴くセミみたいに。
ひな ぽろりと死ぬやつですか。
智恵 嫌?
ひな どっちでもいいです。智恵さん、
智恵 ん。
ひな ちょっと寝ていいすか。きつい。
智恵 どうぞ。勝手に話すから。
ひな 私じゃない私が聞いてますから。(寝る)
智恵 この是政の少し北に、沼森とよく似たかたちの丘がある。浅間山と呼ばれてる。初夏には可憐な鉄線とキスゲが散策の目を楽しませる、弥生以来の雑木林さ。こことの標高差は四〇メートル。立川面の平らな段丘に、ちょっと意外な感じで鎮座してる。それは、この広くなだらかに東京を覆う多摩川扇状地にあって、なんかの弾みに削り残された残丘なんだ。流体力学的にいえば、なだらかな平面をくだる流れは中央が一番摩擦が大きく浸蝕力が弱いから、こんな丘が残るのは理の当然。流頭側はなめらかに削れ、滞留する下手側は曖昧に崩れ、頂上の堂山にはコノハナサクヤが祀られてる。ありふれた塚のようだが、問題は、削られたのはなにだったのかということさ。
ひな (寝ながら)ヒルの山…、
智恵 そうじゃない。デビルズタワーは玄武岩、勢いよく冷えたマグマが立ったまま眠っている。岩頸はデサイト、奥多摩は閃緑岩、次第に結晶は増すものの、いずれ火成か変成岩。だがここ是政がかつての川の底だったのと同じに、浅間山の山頂も、そのはるか以前の脆い川底なのさ。ひな、寝ながらよく聞くんだ。いやあんたが聞くんじゃない、あんたを通して世界が聞いてくれる、それが俳優の役割だ。二ヶ村用水の用済みがつらいとあんたは言った。だがそんな用済みなんかが、どれほどの孤独だろうかってことよ。網状水路の水音は現代でも絶えてはいない。蓋され埋められた水路の名残りは土地の命脈とともにあるんだ。人の暮らしはホン一万年、左手の、手の甲のようなこの扇状地の尾根尾根に人間はへばりついて生きている。舌状台地と湧水開析、若い川と、若い猿だよ。そしてだ、この闇の左手は、右手の台地を削ってる。あたしの右手、ほら、この親指が多摩丘陵さ。指の合間が町田起源の鶴見川、都県境の境川、コイの揉み合う引地川、そうして現行の相模川…。何を言ってるかって? 浅間山の山頂に、五〇万年前の河床がある。御殿峠礫層と謂われる玉砂利の板さ。まだ人類もろくにいない、最後の氷期の少し前、海面は今より一五〇メートル高かった。そのころ多摩川はなく、高みから流れでる相模川の河口が南関東一円に土砂を堆積させた。古相模川と謂われるこの大河はやがてみずからの堆積物に押しやられて次第に南に向きを変えたけども、初めの頃はおそらくは、この多摩川のはるか頭上を越して――ドルニエが通ったあそこらへん――狭山丘陵のもっと北、今の古河から水戸の方までもを大きなデルタにしていたと思う。ただしその頃の層は削られ今やどこにも残っていない、どこにも。わずかに府中の残丘が、いく抱えかの玉砂利の層で、当時の息吹きを伝えるばかり。ひな、二ヶ村用水の孤独などいかばかりのものだろう。孤立が丘の伝える無言のささやき…風のさやぎもさざなみも、もう伝えないあたしの過去に較べたらさ。暗渠は川か? そう、川さ。めっちゃ川。沖積世の準平原。持ちつ持たれつ、すねてしなだれて、なあなあのつきあいでやってこられた仲じゃあないか。その元気な闇の左手が、あたしの冷たい右手を削っていった。たぶんね、たぶん。本当のことは分からない。ひな。起きてる?――
ひな ――はい。
智恵 ケメルだね。
ひな …。
智恵 これからいっぺんだけやるから。見たらすぐに忘れていい。過去の右手のものがたり。

石ヶ森の方は硬くて瘠せて灰色の骨を露はし大森は黒く松をこめぜいたくさうに肥ってゐるが実はどっちも石英安山岩(デサイト)だ。
  丘はうしろであつまって一つの平らをこしらへる。
  もう暮れ近く草がそよぎ防火線もさびしいのだ。地図をたよりもさびしいことだ。
  沼森平といふものもなかなか広い草っ原だ。何でも早くまはって行って沼森のやつの脚にかゝりそれからぐるっと防火線沿ひ、帰って行って麓の引湯にぐったり今夜は寝てやるぞ。
  何といふこれはしづかなことだらう。
  落葉松(ラリックス)など植えたもんだ。まるでどこかの庭まへだ。何といふ立派な山の平だらう。草は柔らか向ふの小松はまばらです、そらはひろびろ天も近く落葉松など植えたもんだ。
  はてな、あいつが沼森か、沼森だ。坊主頭め、山山は集ひて青き原をなすさてその上の丘のさびしさ。ふん。沼森め。
これはいかんぞ。沼炭だぞ、泥炭があるぞ、さてこそこの平はもと沼だったな、道理でむやみに陰気なやうだ。洪積ごろの沼の底だ。泥炭層を水がちょろちょろ潜ってゐる。全体あんまり静かすぎる、おまけに無暗に空が暗くなって来た。もう夕暮も間近いぞ。柏の踊りも今時だめだ、まばらの小松も緑青を噴く。
  沼森がすぐ前に立ってゐる。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩、いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。
  それはいゝがさ沼森めなぜ一体坊主なんぞになったのだ。えいぞっとする、気味の悪いやつだ。この草はな、この草はな、こぬかぐさ。風に吹かれて穂を出して烟って実に憐れに見えるぢゃないか。
  なぜさうこっちをにらむのだ、うしろから。
  何も悪いことしないぢゃないか。まだにらむのか、勝手にしろ。
柏はざらざら雲の波、早くも黄びかりうすあかり、その丘のいかりはわれも知りたれどさあらぬさまに草むしり行く、もう夕方だ、はて、この沼はまさか地図にもある筈だ。もしなかったら大へんぞ。全く別の世界だぞ、
  気を落ちつけて(黄のひかり)あるある、あるには有るがあの泥炭をつくったやつの甥か孫だぞ、黄のひかりうすあかり鳴れ鳴れかしは。

間――。

智恵 おしまい。
ひな (泣いている)
智恵 どした。
ひな 智恵さん…、
智恵 ん。
ひな ありがとうございました。
智恵 ん。堅いなあ。稽古場に戻ろう。立てば。
ひな はい。これからもよろしくお願い(コケる)
智恵 おおっ、腰抜けてるんか!
ひな あれおかしいな…、
智恵 エッチしすぎたあとみたいだな。
ひな もうまたそういう、
智恵 ハイヤー来てる?
裏方 来てまーす。
智恵 歩ける?
ひな 立てます。(立てない)
智恵 おいおい。手貸して、ぼのぼのさん。
ぼのぼのさん あ、はい。
ひな 大丈夫ですから。
智恵 どこが。支えて。よーいしょ。
ひな すみません、
智恵 自分でも歩きなさい。また歌いながら行くか?
ひな やー無理かな…、
智恵 あ、終演です。(退場)


3.出雲大社

裏方 どうもありがとうございました。ええと役者紹介をしたいんですが、(外見て)まだちょっと時間かかりますので、なんかしゃべれと言われまして、えー、どうしよう。あ、井川といいます。えーとそうだ、このお芝居と関係あるかどうか微妙なんですが、私こないだ実はクライストチャーチ行ってまして。あの、農業ボランティアで。それで今日はとんぼ返りでお手伝いしてる感じなんですが、まあ何をしゃべるかというと――
客 時事ネタね。
後説 時事ネタですよね、ここは。さっきちょっと出てきたかくれ座頭ていう傘おじさんなんですが、あれ実は泊まってたエイヴォン川の宿の近くに実在した人でして、あ、ボランティア終えて町に戻ってからですが、そこにいたんですね。傘でこう、ちょんちょんとマンホールとか、ガードレールとか、電柱とか、暗渠の蓋とか。まあいわゆる徘徊老人ですね。どこに住んでて何食べてるのか誰も知らない。頭はもう逝っちゃってて会話とかできない感じで、子どもらとかもヤバイんで引いて触らないようにしてて。なに言ってるかていうと、日本語にすると、ちょんちょん、ここは大丈夫ですよー、ちょんちょんああここはちょっと緩んでるんで――柵のネジとかですね――気をつけて下さいねーとか、ああここは舗装がくずれてるから回り道ですよーとか、海辺なんで橋はすごい時間かけてチェックしてたりして。警備ですかね、巡回の。見た感じルンペンです。声も小さくてよっぽど近く行かないと聞こえないです。でも聞くと、言ってるのは安全について。誰も聞いてないのに。何なんだろうこの人は…、ずっと気になってました。
安全といえば、地震の時は私、松江でして、一畑百貨店の売り子やってたんですけど、なにしろ島根なんで話が遠いんですね。いや営業中にもお客さんが話してるの聞いてこそっとは分かりかけるんですけど、初動が遅かったというか、なかなかあとで津波とか液状化とかの話聞いても、ニュース見てもこれは本当のことなのかって。あ、動画あるの見ました。ちょっと待ってください、えーと、これですね、かけときますね(動画見せっ放しにする)。ここ是政は低いっても標高四〇メートルあるそうですけど、私なんかそれがまずびっくりです、松江って宍道湖のほとりでゼロメートル地帯じゃないですか、ずっと低地で生きてきたから。その映像は千葉の浦安ですが、これ、まさに地震の最中に撮った人いて、逃げろよって感じなんですけど、もう地面がいくつかの面に割れちゃって勝手に流れてるっていうね。
うちの方、バタデンっていうローカル線で出雲大社まですぐなんですけど、海辺の天災つながりでちょっと面白い話があります。今の社は近年建て替えられたやつですが、有名な話で中世に巨大なやつが建ってたってのあるじゃないですか、ご存じですかね。ど太い径(わたり)1メートル以上もある柱をこう三本束ねて鉄のバンドで締めて、それをマス目状っていうんですか、田の字に九本立ててはるかに雪舟して、その上に神殿を乗せると。現在の神殿は24メートルですけどこの金輪ノ御造営というやつは、大林組とかがやった復元チームの試算によると、13世紀の時点でピーク48メートルもあったというんですね。48メートル。神殿にあがる階段だけで一町あるそうです。なんかムーというか、古代伝奇ロマンみたいですけど、大社行くと大まじめにミニチュアが展示されています。建築技術はどうだったの、そんなん建てられるのってのが気になるところですけど、いやね、実はその前にいっぺん倒壊してるんだそうです。11世紀の終わり、ある日、何の前触れもなく崩れて、全損。縁起悪いな! 当時の縁起の感覚は知りませんけど、目にした人ならまぁぐったりですよ。第一、当時としてだって相当張り込んで調達してきた巨木でしょう、倒れましたハイ再建って言ったって、おいそれともうそんな木が生えてるわけもない、巨木に育つには千年とかかかるわけですから。どうするんだこれ。ところがですね。ここに、寄木の御造営という不思議な出来事が起こります。大社の前の稲佐の浜に、夥しい巨木が漂着したというんですね。「杵築大社造営遷宮旧記注進」という資料に見えます。天仁3年、西暦にして1100年のことです。(読んで)――国日記に云う。天仁三年七月四日、大木(おおき)百支(ささえ)、海上より稲佐の浦に寄る。大十八支、長さ十丈九丈八丈七丈六丈、わたり七尺六尺五尺四尺、中九支、長さ五丈の上、小六十支、三丈の下、くだんの木、御示現ありて、材木とすべき寄木なり。また別資料に、


「其(そ)は同時(おなじとき)に因幡国上宮(うへのみや)の辺(ほとり)に長(ながさ)十五丈口(わたり)一丈五尺の大木(おほき)一本寄来(よりこ)しを、在地(ところ)の人は疑(うたがひ)をなしながら是を伐(きり)取らむとするに、大蛇件(そ)の木を纏ひて居ける故に、諸人(もろくのひと)恐れて退(しりぞ)きぬ。然るに伐(きり)取らむと計(はかり)し者どもは病苦(やまひ)に悩さるゝこと頻(しきり)なれば、種々(くさゞ)と祈(いのり)をなしけるに、御示現に云(いは)く「出雲大社造営(いづものおほやしろのぞうえい)の度毎に諸国の神等(たち)行事となるを、今度は我が行事に当りて御(おん)材木を採(とり)遵(たてまつ)りぬ。仍(よつ)て件(こ)の木は我(わが)得分なり。急ぎ我(わが)宮を造るべし」と示し給ひて、神は昇り給へり。」(千家尊福「出雲問答」1879)

と。
まあ直径一丈半、4メートル超えはさすがに大袈裟としても、公式の記録にもあり、そして平成になってから現物が、まさに発掘されて出てるんですよね。よくは分からないが何かが確かに起こったみたい。都合よくですね。そんな偶然あるんでしょうか。
思えば――、長いことそれがもやもやと引っかかってたのかも知れない。いえ、その、どこかで読んではいたんです、その材が、遺伝子解析が進んでみたら、どうやらスギじゃないみたいだと。ナンヨウスギっていう、別の木らしいと。日本にないやつ。でも読み流してたんですよね。そこにどんな意味があるのか、分かってなくて。
――ヒントってのはね。すでに顕れてるものなんです。それを私たちが読み取れるかどうかって話なんです、きっと――。
宿は、銃撃されたモスクから500メートルほどのところにありました。詳細は言いたくないです。とにかくね、祈りたくなるじゃないですか。でも私、よそ者だし、とっさに何に祈るんだよって。教会でもないしね。夏の農業実習楽しくて、ちょっと住んでもいいかななんて思ってた矢先に、移民100人殺しって…。みなさんあれたんに意味分かんないって思ったかも知れませんけど、私は現地で、ああ死ぬんかなあって。今は生き残っても、そのうちこんな感じで死ぬんかって。いや思いますよ。クライストチャーチって三陸のすぐ前に大地震あったとこでしょう、火山国だし、津波だって来かねないし、クジラも座礁するし、何となく似てるんですよ。日本は治安いいからとも思うけど、ニュージーランドだってノルウェーだって治安抜群だったのにあれでしょう。ていうか日本だって下関秋葉原相模原…、なんだって起きますよ…って考えたらちょっと過呼吸みたいになっちゃって、逃げ出したいな、とりあえず北島、オークランドあたりまで逃げて隠れたいな、ええ、衝動です、だって祈る対象ないんだもん。ないのって、外地で意外に心細いものなんですね。
タウポ火山帯の真ん中を通り抜けて、ロトルアでハカ見せてもらって、北島のほんとの突端まで行きました。ケープ・レインガ。マオリの伝承だと、この岬に立つ樹齢800年の木、ポフツカワの幹から根を伝って、根っこの先からカヌーに乗って聖地ハワイキに旅立つんですって。それでね、不思議なことに、ポフツカワの木って、どれも大きいのでも600年から800年くらいなんだそうです。それ以上のはなぜか存在しないんだって。なぜかってさ…、なぜかって、分かります? 言いたいこと。
ハワイキは、アラフラ海に向かう海流の先にあるんですよ。で、北島は、火山島なんですよ。で、そこに、同じ樹齢の木々があるんですよ。つまり、いつか、一度に木が倒れて、ね、噴火で。大きな、破局噴火。テ・プイア・オ・ファカアリ。マオリは字がないから何年ってハッキリとした記録はないだろうけど、そして火山灰やなんかと一緒に海に流されて、貿易風に押されて、太平洋を渡った。何ヶ月かして、着いたんですよ、稲佐の浦に。
ということは…つまり…社が倒れたのは、空震でしょう。
同じ噴火で倒れ、同じ噴火で木材が寄り着いた。いやいや、そんなこと、出雲の私たちは知りません。知らずに普通にデパートで売り子してます。でも知らなくても、もしかして誰かから守られてるのかも知れないんだ。知れない、ですよね。そういうことですよね、これ。
安全といえば、傘おじさんの、何の役に立ってるか分かんない姿が妙に思い出されます。
ちょんちょん、ここは大丈夫ですよー、
ちょんちょん、ああここはちょっと緩んでるんで気をつけて下さいねー、
ちょんちょん、ああここは舗装がくずれてるから回り道ですよー、
ああここは、津波が根ェ越さねえの松のかただ、でえじょうぶですよー、
Ka mate, ka mate! ka ora! ka ora!
Ka mate! ka mate! ka ora! ka ora!
Tēnei te tangata pūhuruhuru
Nāna nei i tiki mai whakawhiti te rā
Ā, upane! ka upane!
Ā, upane, ka upane, whiti te ra!




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