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2024年02月12日06:17

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昔の機関車メーカー、マファイ(Maffei), München

ドイツでは第一次大戦後、それまで各王室ごとに運営されていた鉄道をドイツ帝国鉄道という形に纏めたんだが、それは主にプロイセン主導で進められたため、他の王国に存在した鉄道関連のメーカーは冷や飯を食う羽目になり、潰れたメーカーも多かった。

南独バイエルン王国の王立鉄道は北のプロイセンとは大分異なる機関車設計で光っていた。特にマフェイ社では技術系社長のハメルと技師長のレプラとのコンビで多くの優れた機関車を生み出した。

多分一番有名なのが急客機のS3/6型(後の帝国鉄道の形式BR18.4と18.5型、1908年から)。4気筒複式はマファイ社が得意とするところで、均整のとれたプロポーションは形態にはウルサい英国のファンをも納得させる程だった。好性能だったので帝国鉄道時代に入っても1926年まで製造が続けられた。動輪径1870mmはある程度の勾配区間でも使えるようにという計算だが、17両は2000mmの動輪径で製造された。
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これは現存する保存機。バイエルンの機関車は緑色に塗られていた。どちらかというとアップルグリーンに近かったのではないか、と言われている。

そういえば、日本の上野以北を担当した日本鉄道では機関車の形式称号をバイエルン風にしていたし、塗装も同じく緑だった。

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この青い機体は当時博覧会用に特別に塗られたものだが、保存機をメルクリン(たしか、、ロコだったかも)が金を出して一時期青バージョンにしていた。当然青バージョンの模型も出た。この機関車は有名で人気があるので様々なメーカーから模型が出ている。
1960年代に天賞堂が真鍮模型を輸出している。僕も何機か持っていたけれど写真が無い!こういうのはきっちり写真を撮って記録しておかないと年月が経つと判らなくなってしまう事が多い。あれぇ、持っていたような気もするけど、みたいな。

バイエルンは4気筒複式を重用していて、貨物用機関車にもこの機構が使われた。
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貨物用5軸機関車では当時最もパワフルだったG5/5型(1911年)。模型はトリックス。

S3/6登場以前、マファイ社は1907年にバーデン公国鉄道のためにドイツ初のパシフィック機を製造した。これは欧州初のパシフィック機になるはずが、納入が遅れたためにフランスPO鉄道に先手を取られた。この機関車bad. IVfは勾配区間でも使えるようにと動輪径を1800mmにしたが、平坦なライン路線ではスピードが足りず、勾配が続く黒い森路線ではパワーが足りなかった。僕個人としては凄く好きな機関車。
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模型はミクロ・メタキットの真鍮製。ちょいマイナーな機関車なので大メーカーは出を出さなかった。

このbad. IVf以前にもマファイはバーデン公国鉄道に機関車を納めている。バーデンにもカールスルーエ機関車工場というメーカーがあったんだが、設計能力はイマイチだったということらしい。

1902年にはアトランティック機(軸配置2B1)のbad. IIdも4気筒複式(ただし飽和蒸気)のスタイリッシュな機関車だった。
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模型はレマコ社(製造は韓国のサムホンサ)。この塗装はメーカーが写真撮影するためのグレー。

勿論、マファイは急客機以外も製造していた。これまたバーデン鉄道煮納められたbad. VIb型、1C1タンク機。
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模型はフルグレックス・中村精密。

この機関車をお手本にしてカールスルーエで製造されたのがbad. VIc型。模型はオーストリアのメーカーだったリリプット社。リリプットというブランドは今でも存在しているが、米国のバックマンが倒産したリリプットを買収したもの。
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同じようにカールスルーエがマファイ製バイエルン鉄道の機関車を真似して製造したのがbad. Xb貨物機・入換用機。
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bad. IVfとbay S3/6の後、バーデンのライン路線用に製造されたのがbad IVh。これもまた典型的なマファイ・デザインの4気筒複式機で2100mmの大動輪を持つ高性能機だった。改造を施され(燃焼室付きの高性能ボイラーに載せ替え)1960年代まで使用された。これまた僕の好きな機関車。
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模型はメトロポリタン・佐藤。1970年代の模型。

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これはレマコ・韓国製で2010年くらいのレマコ最後の頃の模型。レマコ社は、フルグレックス社の番頭だったウルス・エッガーが起こした会社。エッガーは日本の模型メーカーを熟知していた。真鍮製鉄道模型製造が韓国に移ってしまった後も、最高級品は最後まで水野にも作らせていた。とはいっても水野も作れる職人が居なくなって辞めてしまったが。

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これが改造後の姿。模型は一番ゲージ。

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これはKM1というドイツのブランドが中国で作らせている一番ゲージの模型。一番ゲージは縮尺1/32で大変大きいんだが(ちなみにH0ゲージは1/87)、ドイツでは0番以上に人気がある。これで3500ユーロ位だから高くはない。レマコのH0模型でも3000ユーロを越えるものがあった。中国製模型は最初の頃安かろう悪かろうだったんだが、今ではなかなか見られるものを作れるようになってきたようだ。

マファイに話を戻す。勾配区間の補機(プッシャー)として製造されたのがGt2x 4/4型のマレー式機関車。D'Dの軸配置でなかなか迫力がある。
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模型はフルグレックス・トビー模型店製。トビーは横浜にあったメーカーで、戦後無数にあった模型メーカーの中でもトップクラスだった。

マファイは日本にも機関車を納入している。
日本鉄道のMa2/2+2/2型(Maはマレーだろう)後に鉄道院の4500型に改称された。日本の博覧会で展示されたものを購入したようだ。
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模型は水野・サムホンサ。このB'Bマレーには元ネタがある。バイエルンのためにマファイが製造したBB II型。
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模型はロコ社。水野も同じ模型を製造した。これもまた人気のある機関車なので色々模型が作られた。

同じく日本鉄道が鉄道院に吸収されてから勾配用に購入したのが4100型(1912年)。
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模型は同じく水野・サムホンサ。

マファイは1906年にバイエルン鉄道の高速実験機S2/6型も製造。この機関車は今でもニュルンベルクの鉄道博物館に保存されている。動輪径は2200mmで当時としては最大級。勿論4気筒複式(飽和蒸気)で、試運転で150tの列車を牽いて150kmh以上を記録している。
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模型はフルグレックス・コダマ。

1920年、ドイツの各鉄道がドイツ帝国鉄道(DRG)に纏められたが、バイエルンは独自の開発を止めようとはしなかった。

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これは1920年のバイエルン地域に於ける新たな機関車計画の中の一両で動輪径1870mm、最高速120kmhの急客機計画。

同じ頃計画された2D2の大型急客機。動輪径は同じく1870mm。
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少し時期が進んで計画されたパシフィック(2C1、動輪径1900mm)とマウンテン(2D1、動輪径1750mm)。
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そしてDRG全域の急客機(後に01型という形式になるべき機関車)のコンペ設計。
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勿論総て4気筒複式の過熱蒸気機関車であり、プロイセン主導のDRGでは実現される事はなかった。01型の比較ように4気筒複式の02型が試作されたが、設計がダメダメで、意図的に4気筒複式を完全に排除するためだったと言われている。

マファイ社は1931年に同じくミュンヘンの機関車メーカーであるクラウスと合併、クラウス・マファイ社となる。戦後は複雑な分社を繰り返し、鉄道車両製造部門はジーメンスに、現在クラウス・マファイという社名の企業は2016年以来上海の証券取引所に登録されている中国の国策企業に買収されていてプラ製品の製造機械などを生産している。その他に軍事産業部門のクラウス・マファイ・ヴェグマン社が戦車(レオパルトとか)などを製造している。


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