僕も友達も、中三の時、受験でけつを叩かれながら、勉強していた。
実力は、社会、英語は得意だけど、本当に数学だけは苦手だった。何であれほど出来なくなったのか、わからないほどに。
内申もそこそこだったんで、必然的に、一緒に頑張ってる仲間と、同じ高校に進むことになる。大阪私学受験で、中学は違えど再会した際には、一緒の高校受けよう!と思った。結局は直感である。
引き合いに出してすまないが、同じようなレベルだとして、タカトシや松村たちとしゃべってコンシェル、こいつらと一緒が良い
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と当時思えただろうか、いや、おそらく思わない。俺とは考えが違うのだ、彼らは。
去るもの日々に疎しだけど、タカトシや松村の顔が思い出せない。私学違うのも、俺とはタイプが違うから……と、髭ダルマさんが考えたからか?
この時点で、僕は、自分に何ら恥ずべきところはないと思っていた。好きな友達と、一緒の高校に行ける!ってだけで、ハッピーだった。友達がいてくれるに、越したことがない。そう信じていた。
だが友達とは、諸刃の剣だ。晴れの日には一緒に花見も良いだろう、でも雨の日は?友達のために、自分は犠牲になるのかい?たった一本の傘を争って?
この頃、どんな教師が、僕らの行く学校に待ち構えているか、知る由もなかった。そして、どんなメンバーと、新入生でクラスになるのかも。
ただ俺が得た教訓は、どんな平和で和気あいあいとしたコミュニティでも、劣等感の強いバカのせいで、台無しになるってことだ。そして、そんな時、「誰が」憂さ晴らしの捌け口にされるのかも、必定であった。
俺も友達も、あの髭ダルマさんの日々を、もう一度、噛み締めなくてはならなかった。
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