プロの書き手と言うのはそもそもプロの読み手なのか?
私の偏見かもしれないが
プロの書き手と言うのは大抵の場合バランスが悪い
別の言い方をすると素直ではない
しかもそれぞれ独自の感じでひん曲がったり捻じくれたりしている
言うなれば松の盆栽のような感じだろうか
独特の癖なり嗜好があってそれが得も言われぬ味となっている
だから、そのような方々が一流の読み手なのだろうかというのはある
読み手においてその癖や嗜好は時に弊害となることもあるのではないか
それがある種のフィルターとなってしまわないのだろうかと思う
書き物においてテクニックや技術は時には私は余り重視しない
どこまで思考を深めたかとなるとそれは重要だが
癖や嗜好のある深みだとするとそれもフィルターとなるような気がする
読み手の方が広く深くバランスよくアンテナを張られている方々がおられるような気がする
しかも同じ書き手となると微妙な感情、時に嫉妬のようなものがそこに加わる場合がないとはいえない
何故ならば、同業者はみんな自分のライバルであると思わざるを得ないような社会構造だからです
少ないパイをみんなが奪い合うと言うようなイメージでしょうか
現状では同じ高みを目指し切磋琢磨などと言う崇高さは微塵も感じられない
もっと悪いことには、賞の決定権のある書き手が現在の自らの作品に基くものではなくてその賞を決定するという権威だけで結局は書き手の中で一番最上位に君臨しずっとのさばり続けているというような世俗的で本当にどうしようもない情けない状況になってしまっていて、更には時が経つほどにその癌細胞のような汚物のごときインチキの弊害が徐々に浸潤していって極めて不純でドロドロとした偽物だらけの世界になっていってしまっているように思われる
だから、何が言いたいのかと言うと
作家が同じ作家を評価するのはもう止めにしませんか
読み手の育成や発掘や評価基準が整わずそれがすぐにはできないのならば
百歩譲って
過去の作家が今の作家を上から目線で評価するのだけはもう止めにしませんか
これに尽きます
いかがでしょう
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