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2020年09月04日08:20

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東風(5)

1965年11月、改良された東風2号の発射実験が成功した。これは東風2号甲型と呼
ばれたが、射程距離は1250Kmとなった。これで東京まで届くことになり実戦配備さ
れることになったのである。がしかし、もう一つ問題点が残っていた

ミサイルの弾頭重量は1.5トンだが前年に核実験に成功して完成した核弾頭は1.8ト
ンほどの重量があった。なのでこのままでは核弾頭を搭載した状態では東京まで届かない
のだ。そこで核弾頭の小型軽量化の研究がすすめられたのである

翌1966年10月、小型化した核弾頭を載せた東風2号甲型がウイグル自治区で実験さ
れた。このとき付近住民へ避難するようにラジオ放送がされたが、北京語での放送のみで
行われた。地元ウイグル人は誰一人として聴かないチャンネルであった

結果的に漢族は非難したがウイグル人は多数が被ばく、死亡した人も出た。良く日本人が
唯一の被ばく民族などと言われるが実はウソである。ウイグル人の方がヒロシマ・ナガサ
キよりも多くの死者をだしているのだ。中国の核兵器によって殺されているのである

まあそんなこともあってここにおいて中国初の核ミサイルが完成した。記念すべき第1号
ミサイルの照準とされたのは東京である。現在においては東風1号も東風2号も完全に退
役済みである。1960年代のミサイルだからまあ当然だ

北海道・東北を除く日本全域を死滅させるミサイルを得た中国様、次なるターゲットは当
時はまだ米軍基地が存在しアメリカ海軍第七艦隊の本拠地となっていたフィリピン。フィ
リピンを攻撃するためには約2000Kmの射程距離が必要であった

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