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2019年09月30日21:21

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2019秋のお名残乗車(越後交通栃尾管内・後編)

前編からの続き。

3路線目の乗車は、栃尾〜新山・半蔵金線。
旧・栃尾市の中心市街地から、西谷川沿いの谷筋に沿うように南西部の荷頃・西谷・中野俣・半蔵金の各地区を結ぶ生活路線です。平日3往復・土日祝2往復の運行。
廃止区間は荷頃局前〜新山・半蔵金の間で、10月1日からは軽井沢線(後記)の荷頃局前〜養寿館前の間に新設される北荷頃までの運行となります。

前編でも触れた「越後交通社史」によると、越後交通の前身の一つである栃尾鉄道が戦前に栃尾〜西谷間を運行するも、同じく前身の一つである中越自動車に譲渡(1942年)。その後、同社が1954年8月24日に半蔵金まで延伸運行を開始したとあります。
また、越後交通の発足以降にあたる1968年8月1日には中野俣線が開通。
栃尾〜新山線と栃尾〜半蔵金線の別立て路線で長らく運行され、当方所持の冊子版「’87 バス時刻表(越後交通)」でもそうした運行形態を確認できます。
しかし「’95 バス時刻表」ではほぼ現在の運行形態となっており、おそらく1988〜95年の間に路線が統合されたものと推測できます。

栃尾車庫前13:00発、新山経由半蔵金ゆきに乗車します。
車両は、長岡200か506(日産ディーゼルKC-RM211GSN、元・東急バス)。
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中心市街地を抜けたところで、車内の乗客は4人。
このうち2人は荷頃局前と次の荷頃農協前で降りてしまい、その先は50〜60代前半くらいとみられる男性客と当方の2人が終点まで乗車しました。

県道9号長岡栃尾巻線を走行し、荷頃局前を発車したバスは北荷頃交差点を直進。
この先、県道24号栃尾山古志線に入ってからが廃止区間となります。
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次の荷頃農協前に停車。
荷頃局前から荷頃農協前にかけての付近が、荷頃地区(1954年まで荷頃村)の中心部。
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どんどん山深く分け入ります。
中崎を通過。
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田之口を通過。
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西之俣を通過し、西谷農協前へ。
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西谷地区(1955年まで西谷村)の中心とみられる中を通過。 
T字路を左折し、県道57号栃尾守門線に入り新山(あらやま)を目指します。
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木山沢、繁窪入口、中之俣入口と通過。
中野俣地区(1956年まで中野俣村)の中心部は、この近くでしょうか。
名水で知られる杜々の森(とどのもり)へと続く県道476号西中野俣小平尾線と分かれ、直進します。
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さらに山深くなり、上り勾配が厳しくなるうちに狭隘路へ。
そのまま新山の村落へと入り、T字路に突き当たると新山バス停が現れます。
バスはT字路を使ってスイッチターン。
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中まで引き返し、T字路を左折し再び県道24号線に入ります。
道幅がやや狭まった村落内を進むと森上です。
バス停手前、半蔵金に向かって右手車窓に飛び込んだ「森上温泉」に衝撃。
小さなバスタブに惜しげもなく源泉が垂れ流しされているようで。
後で調べてみたら、泉温は高くないのだとか。
途中下車したいのはやまやまですが…。
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この先は基本的に片側1車線ずつの整備された道路が続くものの、幅員のやや狭い箇所が一部で残っています。
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野趣満点な車窓が続き、半蔵金入口を通過。
終点はもうすぐ。
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栃尾車庫前から45分弱、終点の半蔵金に到着です。
ここが半蔵金地区(1956年まで半蔵金村)の中心でしょうか。
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バス停近くにある木造の建物は、半蔵金中学校(1989年閉校)の校舎の一部だとか。
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「笑顔で会話 明るい家庭」。
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折り返し便、半蔵金13:47発の栃尾車庫前ゆき(新山には経由せず)で戻ります。
この1往復が土日祝の最終便。
終点まで、当方のみの「貸切」でした。



そして最後の4路線目は、栃尾〜軽井沢線です。
栃尾車庫前から荷頃局前までは、栃尾〜新山・半蔵金線と同じ経路。
前記の北荷頃交差点を右折し、県道9号線を森立(もったて)峠へと向かう途中にある集落・軽井沢まで運行します。平日4往復・土休日3往復。
廃止区間は荷頃局前〜軽井沢の間で、新山・半蔵金線でも触れた通り荷頃局前〜養寿館前の間に北荷頃バス停を新設し、栃尾車庫前〜北荷頃の間での運行となります。

「越後交通社史」によると、1952年6月20日に中越自動車が栃尾〜荷頃〜一之貝での営業を開始。一之貝は軽井沢の手前にある村落で、この路線のルーツとみてよいでしょう。1959年12月1日には栃尾鉄道が長岡〜森立峠〜栃尾線の運行を開始。合併して越後交通となってからは森立峠線が冬期運休の急行として運行され、この路線は急行を補完する存在となりました。1988年8月に国道351号線新榎トンネルが開通して以降、いつしか森立峠線は廃止されてこの路線だけが残りましたが、約67年の歴史に幕を下ろすことになります。

栃尾車庫前16:30発の軽井沢ゆきは、前編の熊袋経由で乗車した長岡200か543(いすゞジャーニーK・KC-LR333J、元・東急バス)が再登場。
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この便の乗客は3人。
うち1人は荷頃局前で下車し、残る2人で廃止区間へと入ります。

北荷頃交差点を右折し、次の養寿館前を通過。
そういえば、北荷頃バス停での転回地になりそうな場所を見落としたのですが…。
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矢津川橋を通過。
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一之貝下口付近。幅員が少し狭まります。
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一之貝農協前を通過。
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一之貝学校を通過し、次の一之貝上口で年配の女性が下車。
だんだん上り勾配が厳しくなります。
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アップダウンを続けるうちに、終点の軽井沢に到着です。
栃尾車庫前から、およそ25分弱。
このあと、バスは少し先の広いT字路まで向かい、転回します。
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折り返し、軽井沢16:58発の栃尾車庫前ゆきで戻ります。
軽井沢から栃尾市街まで、高校生くらいの女性が乗車。
この便は最終便なので、帰りは親に自家用車で迎えに来てもらうのでしょうか。
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そして撤収。
栃尾車庫前18:20発の楡原・見附経由長岡駅前ゆき急行で、終点まで乗車します。
車両は、長岡200か760(いすゞエルガ・KL-LV280L1、元・箱根登山バス)。
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サタデーナイトとあって、長岡市中心部へと近づくにつれ乗車が目立つようになり、新町1丁目→神田町の間で車内の乗客数は最大の19人に。おっさん率の高いこと高いこと…。
終点の長岡駅前で4人が降りたのに対し、1つ手前のアオーレ前で12人が下車。
アオーレ前で降りた皆さん、やはり目指すは殿町でしょうか。
なお、合計の乗客数は21人でした。

今回廃止される4区間のうち、熊袋経由を除く3区間では10月から予約制の乗合タクシーに代替され、公共交通としては存続します。歴史の長いバス路線が姿を消すことは寂しい限りですが、これら乗合タクシーには、末長く利用者に愛され存続できることを望まずにはいられません。
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