うまいかにくいたい（遺言）

　カニ食べたい、カニ。と、ＴＶやラジオの通販ＣＭに刺激され、ついついネットで買ってしまいました。安い買い物ではないのでちゃんと比較対象してますよ、ラジオを聞いた瞬間に電話してたりしませんよ。

　『美味しいカニを少量』ならお店に心当たりがあったんだけど、『美味しいカニをたらふく』ってのは、通販以外にはこの寒い時期にもっと寒い所へ行くしかないじゃないか。そんな金銭的日程的温度的余裕は物理的に存在しねえ。
　色々検討した結果、半剥きズワイガニ２kg：一万円前後。を選択。
　要するにアレだろ、足が揃ってないからマルで売れなくなったやつを集めて冷凍した切り身の寄せ集め。しかもミソ入ってない。
　でも、ゆで上げ冷凍と比べて、カニしゃぶができるのは嬉しいよね。しゃぶしゃぶ部分の持ち手部分を集めて出汁にして、カニ風味の炊き込みご飯も作れるしね。

　冷凍品である以上、再配達は許されない。ならば、確実に私がいる曜日の、時間の、場所を指定せねばならぬ。という訳で、親の介護に力仕事を捧げている実家に、本日昼前に到着。
　量がありすぎるが、実家の大きな冷蔵庫には入る。しかも老人二人が食べる量など限られている。私が好きなだけ食い散らかして、もしそれでも残っていたら年末年始に帰ってくる弟にくれてやろう（私は仕事で年末も年始もない）。という目論見。
　うきうきと鍋の準備をして、殻付き1kgを解凍しました。

　ここまで万全を期したのに、食べてみたら何かが違う。
　いや、美味しいんだけどね、美味しいんだけど、カニの美味しさってこんな程度じゃなかったと思う。

　私は親の金で立派なカニを食った事など一度もありません。それだけは断言できる。だから18歳までの記憶は削除して問題ない。
　一人暮らしした大学時代も、カニどころじゃない貧乏生活だったので、削除可。
　となると就職後なんだけど、確かに『かに道楽』などには連れて行ってもらった。しかし、それが上記の、「店舗では美味しいカニを少量」しか無理、という感覚に直結している。ゆえに奢られた経験も除外。

　じゃあなんで、カニはたらふく食っても美味いと知ってるんだろう？という話ですよ。
　そりゃね、カスみたいなワタリガニの欠片でも、寄せ鍋に入れると風味は断然に違います。でも、そのカスの肉を箸で執拗につついた記憶はあるけど、美味しいと思った記憶はない。
　北陸や北海道に行ったこともないし、中華街で《酔っぱらい蟹》を食べた記憶もない。

　ものすごい勢いで過去の記憶をめくりながら、流水で５分解凍して５分鍋で煮るという面倒くさい調理を、父母が飽きるまで繰り返す。好きに食うがいい残りは全部私のもんじゃ。
　半ばルーチンワークになってきた時に、やっと思い出しました。
　違う、美味しかったのはこの蟹じゃない。ズワイガニ（松葉ガニ、越前ガニ、コウバコガニ）じゃない。

　茹でてそのままチルド保管された毛ガニ（地元の魚屋で買った）と、油に入れられるまで生きてたであろうソフトシェルクラブの唐揚げ（ベトナム/サイゴン）だ。

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　毛ガニは高いイメージがありますが、年末年始さえ避ければ、関東でも一杯\1000くらいで買える時があるんです。キッチンはさみで殻を切り裂きながら食べる。美味い。問題は、茹でガニをいじっている内に柔らかくふやけた指の皮膚を、“毛”でスパスパ切られて、指先がぼろっぽろになることくらい。
　ソフトシェルクラブ（脱皮したての、殻が柔らかい小型のカニ）は…私の日本語でうまく伝わるかどうか。蟹肉の旨味と薄い殻の歯ごたえとカニ味噌のコクを、熱々の状態でスイートチリソースに浸して、ワシャ！と噛んだ瞬間の、あの天国。
　蟹肉をほじる必要もないのに一気に無言になったテーブル（私＋バックパッカー２人）。なにもかも忘れてもぐもぐして、ゴックンした瞬間、３人それぞれベトナム料理への賛辞がマシンガンのように飛び出してました。

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　つまり、私が想定していた『カニ』は、一度冷凍されたズワイガニではなかった。
　多分、獲ってきたよ→ホイ茹でたよ→冷蔵でお届け。という状態なら話は違っていたのだと思う。しかし、少なくとも冷凍保管されたズワイガニは、私の記憶に太刀打ちできる相手ではなかった。それほどにカニにとって鮮度は重要だった。
　そして私はカニ経験値が低すぎて、それを知らなかった。

　太平洋でも獲れる海老。あれならナマと茹でと冷凍と茹で冷凍の差は知っていたのに。
　同じ節足動物だと、どうして気付かなかった、どうして参考にしなかった！アホか！！

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　まあ、なんかまだ1kgくらいは残っているので、ガーリック醤油バターでホイル焼きにするとか、策がない訳ではない……ので……。
　いつか冬の日本海側に、カニだけを食べに行けるような身分になりたいなぁ……と、遠い目をしながら。しかし、雑炊だけは、冷凍されていようが茹でられていようが、３人分の食いカスを水で洗って再び煮詰めた私限定の台所食いであろうが、間違いなく、しみじみと、涙が出るほどに美味かった。土鍋の底に気付かれないように敷いて、味を吸わせた大根の厚切りも美味かった。

　幸福から一番遠い場所で啜る雑炊は、とんでもなく美味かった。カニ、偉い。