mixiユーザー(id:17119814)

2016年09月03日11:25

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日露戦争(20)

榴「そんなわけでピクリン酸を使った下瀬火薬。コイツはロシアの砲弾で使用していた炸
  薬よりも、爆発力が強かった。砲自体の性能では負けていたけど、砲弾のパワーでは
  勝っていたので、日本軍はロシア軍に対抗することができたというわけや」
三「下瀬火薬は日本海海戦でもその威力を大いに見せつけたで。砲撃戦が始まって早々に
  旗艦であるスワロフに命中した砲弾が、下瀬火薬の威力で猛烈な火災を引き起こし、
  艦隊総司令官であるロジェストウェンスキー中将に重傷を負わせ、指揮不能にした」
歩「日本の勝利に大貢献した下瀬火薬やけど、結局定着せずにやがて廃れてしまいマス」
榴「下瀬火薬は威力はあったけど、明確な欠点もあったんやね。ピクリン酸っていうくら
  いだから、酸性物質で金属を腐食する。そして特に鉄との化合物が衝撃によって大爆
  発を起こすという危険物質。ピクリン酸自体も猛毒、ということから、威力的に同等
  で、極めて安全性の高いTNTが普及するにつれ、使われなくなってしまったんや」
三「ただし日本軍は大東亜戦争末期に、再びピクリン酸を使い始めたんやで。TNTは石
  油から作られる。一方のピクリン酸は石炭から作ることが出来た。大東亜戦争末期、
  石油不足に悩む日本は、TNTの代わりにピクリン酸を爆弾や砲弾に使用したんや」
歩「そやさかいに、今でも時々見つかる大東亜戦争時の不発弾は、アメリカの不発弾はそ
  れほど怖くないけど、日本軍の不発弾はとっても危ないということやで」

榴「下瀬火薬の話はこれくらいにして、大砲には野戦砲の他に攻城砲と言って、敵の陣地
  を破壊するための、野戦砲よりも大口径で重い砲弾を撃つものがあるで」
歩「日露戦争時の日本の攻城砲は、ドイツ・クルップ社製のものがほとんどやった」
三「鋼鉄王にして大砲王国クルップ社。デカイ大砲作らせたら、右に出る者がおまへん」
榴「そんなクルップ社から日本は日清戦争終結後、敵要塞攻略用の攻城砲を購入した。最
  も多く購入したのが12センチ榴弾砲。そしてより大きな15センチ榴弾砲。それと
  口径は小さいけど砲身が長く、速い弾速で堅い物を貫通する力の強い、10センチ半
  加農砲。ロシア軍は陣地構築のうまさには定評がある。それをこれらの攻城砲で攻略
  しようとしたんや」

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