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2016年07月02日20:02

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『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』 椿視点 屋久島編

苔に覆われた美しい倒木や石。
 森に生きる多種多様な生命の生活。
 新しい小さな木々、太古の大きな木々の香り。
 途切れることがなく流れ出る川の音。
 森に存在する全ての有機物、無機物が一つの音楽を奏でているように脈を打ち、ここにいるんだと自らの証明を唄っている。それを取り纏めるのが緑の屋根から掻い潜ってくる光だ。演奏者達に一定のリズムを刻ませて持ち前の楽器を弾くように呼吸を促している。
 この場所こそ『森羅万象(しんらばんしょう)』という言葉が相応しい場所はない、と椿は思った。森にある全ての万物は羅列され自らの像を証明する。それは相殺せず一つ一つが引き立つよう共生しているのだ。
 …これほどまでに美しい世界を見たことがない。
 息を呑んで目を閉じる。自分も森の中に組み込まれひとつになりたい。自分の意識は水の中に入れた粉薬のようにゆっくりと森の中に溶けていく。
 木だけではなくこの森にはあらゆる植物に生命力が溢れている。屋久杉の表面は苔が繁殖しやすく、雨の多いこの場所では一本の木にたくさんの種類の苔が生えている。
 苔を観察するとそこから様々な木が住んでいることがわかる。目にするだけで躑躅(つつじ)、七竃(ななかまど)、山車(やまぐるま)、馬酔木(あせび)などの個性豊かな植物が生えている。
 ……まるでこの杉はアパートを経営している管理人みたいだ。
 一本の杉に目を向け吟味する。光が栄養素を作る源になるので居候達はお互い重なり合わないよう、うまく絶妙なバランスで暮らしている。
 途中、山車(やまぐるま)を見かけたがあれは杉を殺す生き物だ。この例えでいえば、さしずめ家賃を滞納して困らせる不届き者ということになるだろう。
 植物は人間のように言葉を出さなくても存在を証明するように形を見せてくれる。その姿が愛おしく、堪らない。
 本当にいい場所だ。できることならこの景色を見せたかった、彼女なら何といって喜んだだろう。
 振り返って見ると、リリーの姿が目に入った。
「春花さん、大丈夫ですか? もしかして…」
 椿は言い訳を考えようと思ったが、何も思いつかず口から言葉は出なかった。
「花粉症ですか?」
 椿はっとした。抑えていた目からさらに涙が流れてしまったのだ。口角を無理やり上げて引きつった笑顔を作る。
「実はそうなんです。花屋なのに花粉症なんて格好悪いですよね。杉の花粉にやられたかな?」
 リリーは長い睫をぴくぴくと動かして、椿の目を覗き込んでいる。
「それは大変ですね。本によると屋久島に花粉症の人はいないと書いていたのですが…」
 リリーから受け取ったハンカチで涙を拭き取り、彼は慌てて足を動かした。
「大丈夫です。それよりも周りを見て下さい。最初の頃とは違い苔も一層生えていますよ。どうやらもののけの森に入ったみたいです」
 リリーの不思議そうな表情を他所に彼は森の中へさらに踏み込んでいった。
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