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2015年10月05日09:03

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塩の柱

■バチカン高官、同性愛を告白 カトリック教会内に波紋
(朝日新聞デジタル - 10月03日 21:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3646676

男色のことをソドミーともいう、アメリカではまだこの男色禁止令「ソドミー法」が残っている州がいくつかある。
ソドミーというのの語源は旧約聖書「ソドムとゴモラ」から来ていて、そこは偶像を崇拝し、男色にふける街であったという。
唯一信仰心厚いロトとその家族が、硫黄の火がふりそそぎ街が全滅する「神の裁き」から逃れ、生き延びる。

「ソドムとゴモラ」は変な話である。
まずロトの妻が、滅び行く街が未練で振り返る、とたんに神の裁きによってその身は「塩の柱」とされてしまう。
向田邦子のドラマ「家族熱」は原案では「塩の柱」というタイトルだったのが、日本人になじみがないから、という理由で「家族熱」に落ち着いた。
そうはいっても女は振り向いてしまうものなのである。
これを「塩の柱」に変えてしまった「裁く神」の情け容赦のなさが、分からない。

さらには、逃げ延びたロトとふたりの娘、この関係である。
「人間はもういなくなっちゃったから、どうしようお姉さん」
とふたりは一計を立て、ロトを酔わせて性交し、それぞれに「父の子」を産んで人類を滅亡から救う。
近親相姦は、父権の強い旧約聖書では罪にならないのである。
振り向いた妻を塩の柱に変えるより、こっちのほうがよっぽど危ないと思うのだが。

旧約聖書は繰り返し「男色」を禁じる。
しかし女は「半人前」なので、レズビアンは裁かれないのである。
なんか手落ちではないか?

「父権の強い宗教」、それがユダヤ教から、新約聖書のキリスト教にまで見られる一貫したテーマである。それ故に男色は厳しく戒められる。

バチカンは、この「父権」の象徴である。
聖職者は、軍隊で言えば「将校」なので、一般信徒よりも戒律が重い。

その中で、今回高官の神父が同性愛とパートナーの存在を表明したことは、事件である。
おそらく彼は神職を追放されるであろう。
しかし、性の解放の始まっている21世紀前半、彼が投じた石は大きい。
法王フランシスコは南米で同性愛者に対して
「私にはあなたを裁く権限がない」
と言っており、信徒の過去の「妊娠中絶」に関しても「許す」と言っている。
聖職者のそれは、会議の中でもみ消されてしまうかも知れないが。

私は今、メリル・ストリープ主演の映画「ダウト」が見たい。
(厳格な修道女が、ある神父を男色家に仕立て上げて裁かせてしまうというもの)

塩の柱と近親相姦が堂々と描かれているあたり、旧約聖書は本当に考えさせられる。
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