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2015年04月22日10:49

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011 イオの月 1/

イオの月





時 一九八四年八月十一日

場 旧国鉄山手線内回り上野――鶯谷駅間

人 僕、十八歳





【M1】上野ぉ――ッ。灰色の鳩が飛び過ぎたあとに煙草の煙が小さな渦を巻く朝の上野駅、明るいプラットホームに流れるもの憂いアナウンスと煙草の煙。大きな車体を揺るがせながら、山手線の黄緑色の満員列車が国鉄上野駅2番線ホームに滑りこんできて、鈍くブレーキを軋ませるとぐらりと止まった。もう、随分昔のことのような気がします。35階建てのビルディングが帝都東京のシンボルだったあの頃、荒川放水路、おばけ煙突、都庁のなかった西口広場、いわば焼け跡脱出の新しい日本を誰一人疑わなかったあの頃、常磐線快速の6つの川の4つまでがもう既に川原を工場に埋められてしまっても誰も不安気な顔をしなかったあの頃、僕は山手線に乗りこんで上野駅を後にした、まるで希望に燃えてでもいるかに、環状国鉄にも終着駅があるかに、サークルラインの鉄路をたどればいずれ己が背中に突きあたってしまうことにはまるで気づかないフリをして。いま思えばあの春の朝、発車しますのアナウンスをプラットホームの雑踏の中で聞いてしまった、あれが過ちの始発駅だったのだ。本当ならばその頃はもう僕たちは二人きり、北を目指す夜行列車の枡席でいつ果つるとも知れぬ逃亡の夢をしがんでいるはずだったのだ。床屋のあめん棒のごとくよじれ立ち尽くした2番線ホーム、溢れかえった人々が羊の群の如くにも吐きだす煙草の煙を貫いて朝日は冷たく射し、降りしきる金の矢のスクリーンを抜けて滑りこんできた列車は早くも満杯だったが、年来通いつめたプラットホームの三千人はいっかな怯むことはなかった。車体が停まる、にわかに押し寄する人の波、上野へ来た人、上野から通う人また旅立つ人、乗り換えの人に暇つぶしの人、それから何だか分からない人、人波がぶつかり渦を巻き、突然盛りあがる三角波の、放たれた自動扉の昂奮。寄せては返す人波に、僕はそこに海を見たのだ。うねるベースライン。入り乱れ衝突繰りかえす人々。盛りあがり砕ける白い波頭、青の海原、ウミネコの叫び、小さなヨットが波間にちらつく真っ白な帆が潮風を縫う。そして太陽。ウルトラマリンの波の底から見あげた空には太陽が一杯だった。…そんな額にその時、タンッ。それこそは鳩の…ああ、上野駅。ジリリ、ジリリ、池袋新宿方面発車ですドア閉まります閉まるドアにご注意下さい。あいや待たれいそのドア待ったッ、駆けだしたところへ「危険ですので駆けこみ乗車はおやめ下さい」。何をッ、知った風なことを吐かしおる。ここで回想シーン。かつて俺は校内一の速駆けだった。セット、ゴー、まるで脚に羽が生えたようだと誰もが俺を褒めそやし、にわかの名声に甘んじていた甘美な中三の夏があった。割れんばかりの蝉しぐれ。が、ある時炎天のグランドでふと思う。

【M2】なぜ俺はこのインパラの脚をトラックの戦いにしか使わないのか。こんな校庭は短パンの非日常にすぎまい、マルトン原の伝令もまさかに鍛えるがため42キロ走ったのではあるまい、脚はスポーツのためについてなどはいないのだ、死に向かう羽なのだ。走(ゾー)、走(ゾー)、廊下も走れ教室も駆けよ、登下校はもとより寄り道のお好み屋でも走れ、便所でも走り団地の階段も駆け、そうして夜明けの夢でも走るのだ、日常を百メートル10.5秒の世界に調律せしめよ、そうしてトラックの傲りを脱却すべきである。だが教師も巡査もお好み屋のおやじも右へ倣えと口を揃えた、スピード落とせの大合唱さ。そして今また顔も知らない駅員が遠いスピーカーの彼方でおめく、いうに事欠き「危険ですので」。おお危険ともッ。危険のために駆けるんだ、分かるか、研ぎ澄まされた切っ先をカーヴに添って滑ってゆくのだ、ラッシュアワーを透明に駆けぬけるのだ、その不可知を試みようって時に顔も見せずの口幅ったさ、官僚答弁じゃあるめえし、舌のすさびの出る幕はねえッ。タン。…またか鳩、頭上注意の上野駅ッ。イワシの群の秩序をもって人波は流れつ途切れつ、ぼやつくうちにドアは閉じかかってああもう遅い、艦長ッ、アジです、アジの大群ですッ。東京湾の出口浦賀水道でタンカーと衝突して沈んだ海上自衛隊の潜水艦「ひきしお」のソナー係が最後に叫んだことばさ。横須賀走水は第3海堡沖合、国道16号の環状線を切断する東京湾の潮流に海軍は沈む。弱き、だが圧倒的なイワシの群に、特殊化した人や組織は敗北するのだ。いつもそう、生き延びるのは原始的な連中なんだ。ドアの前、白日夢の僕は我に返り間にあいそうもない扉を眺めた、と、30センチの隙間の彼方、どうせすぐまた次がくるさとの思いの隙間にちらりと覗いたは、あれは、網棚に取り残されたラッシュに場違いなどでかい柳行李。どうしたというんだろう、そいつが僕を呼んだと思ったんだ、取り残されて光るそいつの寂しさがわくわく伝わった気がしたんだ、独りごとを確かに聞いたと思ったんだ、おお、孤独をかこつ共鳴者かと。独りよがりの夢幻だったか、にせよ、虚構だろうが運命の門扉は叩かれた。乗らねば。この一瞬がお終いのチャンスか。あいつ網棚を下りたいのかも、手も足も出ないのかも、俺が下ろしてやるべきか。いち立米に15人もの背広の詰まった汗いきれの床からホン2メートルの上空はがらんと人気のない虚空だ。あの空間には時間がない、故郷を虚構の仮面に隠した田舎侍はネクタイ締め、行商のおばちゃんが早朝に力余ってむしり落としたろう真田紐の切れ端は踏まれて汚れ、シルバーシートの女子高生が傍若無人占い雑誌に埋没する頃合い、禁煙タイムの天井に充満したヤニ臭い空気も凍りつき霞んだ柳行李の古き技術で編みこまれた文様の細かなひとつびとつが俺の目を射るッ。聞こえる、助けを求む声が。乗れッまだ間に合う、のんべんだらりのあめん棒のこの俺を呼んでくれる奴がいたのか、乗れッまだ間に合う。いつか僕はセット、ゴー、ホームを蹴り、かまいたちのごとく扉をすり抜けると、たちまち早や網棚の上にいた。駅員の振る旗。今こそ渡れ渡り鳥、今こそ渡れ渡り鳥。ドアが閉まる。揺れる吊革。星雲みたいにゆっくりと、ゆっくりと渦を巻く煙。そし俺(オイ)らはにわかの闖入者、網棚の僕に注がれた戸惑いの朝の視線たち。見るな、見せもんじゃねえや、でもどう見ても見せもんだ、苛立ちをこめて手狭な天井で見栄切るがごと一尺の下界を見渡せば何故か退く退くおっさんハッサン、触らぬ神と目を瞑(ねむ)る。構わん、そうして聴覚だけで愉しもうというのならそれもよかろう、ここはタンゴ・イスタンブール、オンステージさッ。

【M3】君、満員電車の高みから声のない叫びを流鏑馬(やぶさめ)に射抜いてよこした持ち主のない流浪の柳行李の君。俺だ、イオ、帰ってきたんだ。プラットホームの三千人、ここにもぎっしり肉の団子、がだ、誰に俺たちほどの出会いを出会うことができよう。生まれる前の港にいたのさ、あのポンポン蒸気のエンジン音を覚えているだろ。俺だ、イオ、帰ってきたんだ。ともづな解く時、君は一足乗り遅れたのさ。ひと組の足跡のように俺たちはひとつだ。唐突と思わないでくれよイオ、旅に出よう。もうあとほんの1分半で鶯谷だ、そうしたら、103系なぞ乗り捨てて、改札口を駆けぬけて、日暮里の山の坂道を一直線に駆けあがるんだ。本当なら今頃はもう夜行列車の窓枠に頬杖ついて白川夜船、南部津軽と溯る縄文を夢みていたはずなんだが、いつでもあと半歩をすれ違うのが俺たちだ。ちょっと御不浄、そういって君は消えていったっけ。上野発の夜行列車ははじめのうちこそ賑やかにささくれだった指先が錦の御旗とのたまわんばかり、安焼酎に煮えて馳せたものだが、北へ帰る人の群れはやがて無口にげそを咬み、ゆきどまりの竜飛の海へとひたひた消える鉄路の鈍いほの光りを見つめていたものだ僕は…その時なぜか、たった独りで。その点この国電は行き止まらないから、ぐるぐるぐるぐるいつまでも夢を見つづけられる。終わりのない夏さ。万年町の時計工場からオルゴオルのタンゴが流れる夏、上野公園の細道で路上ハンコ売りの小刀がたこにこわばった指先を突くと湿っぽい土に東北人の血が浸みる夏、使い古した肉屋の雑巾みたいに打ち枯らした羽で不忍池の弁天島にたむろする真っ黒なカワウどもの夏、時は止まり――時は流れだす。ここにいつまでもはいられない、ドアが開いたらやっぱり僕らは一気に駆け抜けよう。なに俺が背負っていくよ、二人なら苦しくとも堪えられよう。柳行李がどれほどの目方か、よっせ、なに大丈夫、こんな寂しい人混みで、何食ったらこの目方になるかって。どうでもいいさ。霞か、霞を飽食してきたのか。どうでもいいが、そうではあるまい、君の孤愁が、霞なんどで体力保てるはずはない。時は止まり――8月11日の夕刊よりアンカラ発TRT、数日来南北分断線の南側に蝟集し気勢を上げていたギリシア系バイク乗りら7千人のうち200名余りがこの日午前、遂に旧市街城外西部のドゥラコス通りからイキンジ・セリム通りにつながる両国チェックポストを突破した。これを受けて北サイプラス駐留警備隊は過激派に向けて発砲、1名を射殺したものの、大型バイクを駆る暴徒に轢かれるなどして警官ら5名が重傷を負った。事態を重く見た南側大統領グラフコス氏は群衆に向けて速やかに解散するよう声明を発表、一時は112マイルにわたる分断線全域で高まった緊張は次第に沈静化の様相を見せている――時は流れだす。俺、今、なんかいってたかい? いったかも知れないな。腹にも脳にも孤独がわら人形みたいに詰まっちまってる。満腹さ、孤独は烈しくめしを食らうもの。

【M4】かつて、チクワ3本10万円のユートピアにセスナで逃げるものがたりがあった。1970年代も明けなんとしていたころのことだ。少なくともチクワを食らうのだ、孤立した舟はチクワを囓り、噛みしがむ。望みのセスナは港湾の夜更け、秘密の倉庫から引きだされるのだ。そして倉庫の前にはおでんの赤提灯、シンジケートの窓口係はねじり鉢巻きの赤ら顔、でっぷり太ったテキヤ風情の禿げオヤジ。安いサラリーにしばられたつるしんぼの背広姿に夜風が吹きこみこぼれたコップ酒がズボンを濡らすとき、誰もが思うだろうのはスモッグに汚れたこの都会の限界だ。大根つつき30円増しのコンニャクに手を出すかどうか悩む程度のしみったれでもいうときはいう、曰く、炎天のオデオンで高らかに朗誦しないといって我々に政治意識が欠けているわけではさらにない。見よ、赤提灯と四畳半に充ちた湿っぽい政治談義の数々を。これこそ我らの身体だ、みなぎり挫ける社会派さ。皿にあふれた正宗(チョンジョン)すするこのしょぼくれたおっさんに曰く、資本はついに人を救わないのか。自由競争の欺瞞は機会均等の美辞のもと貧富拡大原則を推し進めている点にあることをどうしてみんな分からないんだ。おお、まさにそう紙屑のごときおっさんはぼやいたのだ。また曰く、職能はどこへ行った。丁稚から叩きあげる選択肢はオレの時代にはすでになかった、教育は――学問という技能を二十歳(はたち)なかばで切り捨て否定するシステムに堕落したんだよ、そうしてオレたちサラリーマンは取りかえ可能の労働者、技能の先端に立つのではなく手軽で厖大な単純作業の総体のなかに置き去りにされたんだ、そりゃ地道に働けば高い確率で老後が保障されはする、がだ、保証されるのはたかが経済的出納にすぎないのであってね、なお残された老後の時間に立ち向かうための技能ではないんだよ、なかったんだよ、そのことにオレたちの世代は愚かにも気づかなかったんだよ。夜風がしくしく体を冷やす。するとでっぷり太った屋台のオヤジが頃合いみて囁くのだ…お父さん、「ゴルゴダ」でお会いしましたねえ。誰だ。私? 私なんか誰だっていいでっさ、ものは相談ですがねお父さん、南の島へ逃げませんかねえ、お手伝いしますぜ…とな。酔いどれ。港湾の酔いどれッ。岸壁から落ちかかり黒々の水を朦朧と見やる、アタッシェケースはどこかに忘れ、代わりにおいおい父さん、チクワの皿を左手に持ッた。もう2本は囓っちまった。最後の1本食いきったとき、本当にセスナは現れるのか。赤提灯のオヤジはいった、これはそこらのチクワとは違いまさ、にやりと怪しく笑み浮かべ、徒花のチクワなんでさ、穴がね、昔ながらに小さいんです、ボトルネックってやつでさ。あなた、きちんと見つめるべきでさ、世界をね、あんたの立ってきたその土地と、土地に突っ立つ人間と、土地を押しつける建築とをね。――は、うまいこといいやがる。たかがチクワに哲学か、ふん面白くねえ――が、やっぱり面白い。これをのぞけってか。えらくくたびれた万華鏡だ。南の島なぞ一体どこだ。セスナで飛ぶなら調布から大島新島三宅島、噴煙と塵芥に埋もれた一周道路がまだそこにあるか。サークルラインの有無がリゾートとしての島の質を決めるという。何たる不遜。そうさ、不遜が嫌なら飛びたつな。月給2万そこそこの時代、たかがチクワに10万出して乗りこむセスナがどんな不遜かはさて措くとしても、ボトルネックの万華鏡、覗く世界はいかなる時間の砂時計。そして月は――その晩、新月だろうか。

【M5】太る月、痩せる蟹。太刀のひらめき河口の光。縄文の大河の河原を逃げてゆくゆくそのあとあしは、耳の短いあの野うさぎか。葦原は火炎紋に燃え、空は怨念の光線を放ち、幾筋もの流路は氾濫原を形づくる。冷たき昼と温みの晩。兎は殖え、けものと洪水とに追われ、そして花吹雪のごとく死に絶え、そしてまた殖えるのだ。かつて豪州に持ちこまれた狩猟用の兎が齧歯目の面目躍如、あたらしい環境にスキマ産業みるみる侵入、砂漠も含むほぼ全土に版図を拡大しようとしたとき、兎の共栄圏を阻むのは世界の警察だとばかりコモンウェルスの総督が軍と狩猟家を動員して駆除に乗りだした事件があった。が、実は英国はジェノサイドを行ったことはない。最終的には現地との微妙な折衝で事を収めるのが奴らの穏便な統治手腕、滅ぼすわざは持ちあわせず、ネズミの一族その繁殖力にはまごまごうろたえ打つ手がなかった。そこで採られた手段は毒を、ヘリコプターで散布して絨毯的にやっつけるとの重ねた罪の所行ばり、枯葉作戦。実にLIFEに載った写真によれば毒に冒された兎の死骸はあたかも小さなピラミッド、4階建てのビルほどにうずたかく積みあげられた地獄絵図。ならばなぜ持ちこんだのだ白人よ。ワラビーを撃つのではダメなのか、ほとんど兎とかわらなかろう。応えよ、敬虔なるプロテスタントよ、ルールを定めた暴力をスポーツと呼ぶならば体育と戦闘とのあわいもきちんと定義せよ。狩猟を体育と戦闘とのいずれに含むのかいつかはっきり応えるがいい。だが俺は思うのだ――もしまだ哺乳類の世紀が数万年ほども続くなら、その野原に兎は最後まで生き残るだろう――逃げながら生きつづけるだろうと。葦原は火炎紋に燃え、空は怨念の光線を放ち、幾筋もの流路は氾濫原を形づくり、鷹や野犬の滅んだあとも短い耳を澄ませる兎、日をさけ闇に耳すます者たちよ、その澄んだ怯えに支えられた河原を俺は見てみたいと思う。その未来から見かえした空に、地表の輻射を受けて朔月がおぼろに浮かぶとき、ボトルネックのチクワの穴から見とおせる世界を僕は何と呼べばよいのだろう。つるしんぼの紙屑おやじが乗りおくれたプロペラ機から俺の飛びこんだ環状内回りまでの四半世紀、上野の山の山陰で何が起きたか知る者がいるか。イオ、君は幾年回りつづけた。あのタンゴの出どころを知っているのかい。流浪の娘よ、俺を導いてくれ。思いだせないのだ。あのほとんど砂漠の乾いた土に頬を投げだしたいつかの過去を。記憶からこぼれた風景がある。頬から胸から熱い砂に突っ伏し圧しつけられ、雲のかけらすらない濃紺の空が逆さに突き抜けゆっくり廻っていた。遠く、灼けた梢を鳴らす涼やかな風が聞こえた。それはいつ見た景色だったか。日本ではない。あんな空が関東のどこにあるものか。記憶のどこを探ってもそんな倒れ方をしたことはない、だのに覚えている。俺はふたつの過去をもつのか。かすかに金属の匂いがした。気管の底から鉄錆のほのかな、いや、血だ、ヘモグロビンの酸素と結びつくときの香りだ。あの砂に倒れた俺はいったい誰だったのだろう。そこで脈絡もなく、耳の後ろのキーンと鳴る方角からいきなり聞こえるタンゴ、ラ・クンパルシータ。ああ、万年町だ。あの坂を這うように登りつめたてっぺんからけ落とされて真っ逆さま、宵闇に閉じた下谷の谷へ転がり堕ちたのは夢ではない。脳幹が覚えている。が、視覚は損なわれ嗅覚は破壊され、ただ頭蓋のひび割れのごとくにラ・クンパルシータが鳴っている。それぎり記憶は灰色の闇だ。イオ、お前の牛の角に賭けて、語ってはくれまいかあの景色を。







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