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2015年01月04日22:45

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虎次郎さんの死

老人ホームに暮らす「虎次郎」さん宛の年賀状が、宛先人不在で帰って来た。亡くなったらしい。
虎次郎さんは、私が脳炎で隔離病棟に9ヶ月いたときの「入院友達」である。と、いっても、70過ぎの、小柄でツルぴかの「おじいちゃん」で、明るく、みんなのムードメーカーだった。
「虎」次郎なのに、熱烈なジャイアンツファンで、いつもイヤホンでラジオを聞いていた。

閉鎖病棟というところは奇妙な空間で、男女「部屋は別れている」が、自殺や乱闘防止のため、病室にドアがない。各ベッドにもカーテンが吊るされていない。プライベートがないのだ。
(だから、食餌障害の「目の覚めるような美少女」は、安全のためナースステーションのはすむかいの個室だった)

夜更けに運び込まれてきた(どうやらクスリ関係だったらしい)若い男が、真夜中、巡回のナースさんを襲って噛みついて廊下で大乱闘、なんてこともあった。パトカーの音がして男の姿は即消え、そのナースさんは長いこと包帯を巻いていた。
そして、その「事件」がなかったかのように、静かに、朝が来たら時は回りはじめるのである。

患者達は、クセはそれぞれあるものの、基本的に羊のように従順で(投薬でコントロールされているらしかった)、性的問題も起こさず、朝が来たら起きて、廊下でラジオ体操をし、食事をし、ホールに1台しかないテレビを観、全国紙1紙、スポーツ新聞1紙を回し読み、気が向いたら将棋やオセロをし、家族と面会して本や雑誌を差し入れてもらい、許可の出る者はときどき近所のコンビニに集団で買い物に行った。(ご禁制の「酒」を大急ぎで買い求め、その場で一気呑みしてシラン顔して帰って来るヤカラもいた)

「虎次郎じいちゃん」はいつも機嫌良くニコニコして、みんなのマスコットのような存在だった。外出はせず、ラジオは聞くが、新聞やテレビニュースにはあまり興味ないようだった。

「あんたぁ、オレの『心の娘』だよ。生まれ変わったら恋人になってくれ。」
と、私は言われたのだが、向いのベッドのOさん(自殺癖、3人の子供は児童施設預かりで、同性の恋人とよりを戻して退院後は一緒に暮らすのだと言っていた)は
「なんですって!?私は『心の妾』って言われたわよ!」
と怒り、隣のベッドのHさん(アルコール、気のいいバーのママ)は
「私『心の古女房』って言われたわ…夫どころか孫がいるのに!店に来たらボッタクってやるわ!」
というありさまで、ありゃりゃ。(笑)
どうやら女性陣は「古株・虎次郎さんの心のハーレム」だったようだ。
しかし、手を握るでもなし、おしり撫でるでもなし、あくまでもプラトニックなのであった。お坊さんのようだ。

ふたりきりになったときに、ふっと昔話になった。
若い頃、「鬱と睡眠障害」で親に病院に入れられ、以来、外の世界をまったく知らない、という。
「ここは居心地がいいが、この先年を取っていったら、暮らせなくなる。
年金も納めておらず、貯金もないオレは、どうなるのだろうねえ…」
と、心細げにつぶやいた横顔が忘れられない。

その年のジャイアンツ優勝の瞬間、なぜかホールのテレビは別の番組で、病室からころがり出て来た虎次郎さんは、黙って私にVサインをした。私は野球には全然興味がないのだが、なにせ「心の娘」であるからして、ふたり廊下で黙ってバンザイ三唱、それが最後の思い出である。
私の退院はある日突然決まり、ベッドにいなかった虎次郎さんにはメモで住所を告げて、病院を出た。

「弟夫婦がお金を出してくれて、横浜の『老人ホーム』というところに移りました」とハガキが来たのはその翌年である。それからずっと、年賀状のやりとりが続いていた。

若い頃の「睡眠障害と鬱」とはいえ、虎次郎さんは、いつも早起き、機嫌良くニコニコしていた。
戦前の入院である、世間体だったのか、それなりに地位も資産もある家の長男だったのだろう。

「ほとんど外の世界を知らず」生きて、命を終える人達がいる。
「世間体」と「制度」のはざまの人生である。
それが幸せなのかどうか、今の私は、少々感傷的になっているのだろう、わからない。
今は、わからないのだ。
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