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2014年11月29日03:23

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あこがれの萩尾先生、私、「絵の先生」になりました!

11月ももう終り、「師も走る」季節の到来ですね。

漫画家時代、年末年始止ってしまう大日本印刷の雑誌用大型輪転機
(東京工場に5台あり、1つは「集英社専用」残りは各出版社が「時間買い」するわけで、はたちの時に、大学と兼業で「少女漫画の世界」に飛び込んだ私は、まず最初に「いい?輪転機1時間止めたら1千万円だからね!」とハッキリ言い聞かされました。当時の価格で、です。今、私は52になりました)
もう少しした頃から「年末進行」の大わらわに泣きました。

何しろ年末刷られる「新春号」はご祝儀でカラーページ数が増し(これは1ヶ月近く前から描いておく)そこから「ヨーイ・ドン」です!

定番のスタッフに加え、大学漫研の見所のある後輩や、今手の空いている先輩(本当に「漫画家生産率日本1」の漫研でした・笑)・流れアシさん・同人界のアマチュア…
と、とにかく限りある席数は必ず埋っており、
作家本人は
「みんなと寝る」「ちょっと遅れて寝る」「仮眠」「眠らない」「気絶中」「神がかり状態・笑」。

アシさん達が、時間や体調にあわせ、
「『原稿さま』だけは汚さないように!」
と気を遣いながら、眠ったり買い出しに行ったり、足りない画材を買いに走ったり。
食事を作り、それだけはみんなで揃って食べ、おしゃべりをしてちょっと休憩。
カフェインをとり、ガムを噛み、最後は「リポD」だったり。
明日の朝入稿、という真夜中、全員徹夜で
「立って飲む濃い抹茶」
(「裏も表もあるものか!」の精神で『メビウス千家』と呼ばれていました・笑)
の回しのみの後、
「もう一丁ッ!」
「ハイッ!」
と気合いを入れる秘密の儀式…懐かしい思い出です。

萩尾先生も以前現場ルポイラストで、
こたつに座り、3人のアシさんに囲まれ、
「あと一時間!モーさまガンバッテー!」
(これ「愛たん」、たぶん伊東愛子先生ですね)
と叫ばれ、
震える手でペンを入れる。
その3方は、消しゴム、ベタ、ドライヤー、トーンが「待機状態」!
という、「修羅場ルポ」を描いていらっしゃいました。

日が明けてもう昨日。

私、地元自治会の「お絵描き教室」の先生になっちゃいました。

先日、(お話ししましたが)勤労感謝の日に団地の「某街区自治会・第2回文化祭」があり、
「まあ、壁の賑わいにでも…」
と昔のカラー原稿を出品したわけですが、
帰って来たされた原稿に
「この機会に、今後よろしくご指導ご鞭撻を…」
と「自治会の親分さん」の手紙が添えてあり、

なんと某街区有志の「お絵描きの会」へのご招待!

で、「先生デビュー」です(ただし、もちろん、ボランティアです)
生徒はおばさん&おばあさん、あわせて8〜10人くらいかな?
「絵手紙」「ちぎり絵」などが中心だそう。

「絵手紙だから不透明『顔彩』パレットタイプ、でも色数多い方使っているわ。」
「カラーインクやパステルの出番はないな、固形透明水彩絵の具はどうかしら?」
「あらら、みんな『絵手紙』なのに『落款』がないわ、夫・ドッコイ氏(これが「落款彫りの名人」で!)に彫るの手伝ってもらわなきゃ。」
「地元の『世界堂』(関東では大きな総合画材チェーン)で値段調べよう…」

と、過去の私の「萩尾先生を模写し」「大学で日本画を学び」「漫研で優しく導かれ」

そう、始まりは電話で…
「もしもし華ちゃん、明日日曜だからスタジオに遊びに来ない?」
「いらっしゃい、今仕事中なの、明日〆切りなのよ。
そこ座って、お茶飲んで、好きに見ていって。…あ、そうだ、ここ、ベタ塗ってくれる?」
が、いつのまにか
「じゃ、これ資料写真、3点透視法で、ふちトーン削って、左から集中ベタフラ!」
と言われるようになり、
やがてこちらから
「ようこそ、よろしく!チーフ・アシの抜です。
今このページ背景全部書き終わりますんで、とりあえず消しゴムかけてください。」
をしながら
「初めまして、抜と申します。よろしくおねがいします。(と、おじぎをし、名刺を渡す)」
と話し、仕事をもらい、打ち合わせ、取材、また打ち合わせ、下絵、OK、本番。
こんどは「イラスト・ライター」の仕事。
ひとりごとで
「チクショウ○HKめ、人気番組なんだろ?カラー70点書き下ろし、しかも「豆知識」や「コメント・トーク」はこっちで考えて、でっ!何で直接会ってくれないンだ、ディレクター!
何で資料ビデオが「3倍速」で、ビデオプリンターは編集さんから個人的に借りて、プリント用紙は「領収書」で後から返ってくるとはいえ、私が自分で買いに行かなきゃならないんだ!
いったいこの1冊で私手提げ袋で何百枚分の重い買い物すんの?
…次は…カブの花、確か「アブラナ科」だから花びら4枚ダイコンと一緒、いいや、ダイコンの花描いたことあるから、「ダイコン」でいっちゃえ!(アッテタ!)」
が、今度は電話で(その頃私は横浜住まい)
「もしもし、あ、お母さん、ゴマの花、町田の駅前商店街「富沢食品店」(小売り問屋なら、きっとパッケージにカラー写真プリントしてあるの、あるよね。うん、煎りゴマでも練りゴマでも、カラーならいいの、『資料代』で領収書もらって立て替えて下さい。
スクーターで取りに行くから!」
(往復2時間、しかも合計108才の養母たちの介護中、新婚夫・ドッコイ氏はタイに6ヶ月
出張中!)」
次の日は…
…となり町の商店街まで歩きながら考える…
「今日の婆ちゃんの夕食はマグロとイカの刺身と…と…卵豆腐…と青菜… … …
…で、みそ汁の具は… あ!右手に あの白い花は…!」
ありました
「ソバ畑!花盛り!」
ああ、奇跡呼んじゃったー!
「マリア様、、画家の主語聖者・聖ルカ様、感謝します!」
と、いきなりソバ畑の前で、ひざまずいて十字を切る、変な人っ!
明日にはしぼんでしまうかもしれないんで、走って帰り、買い物籠(魚河岸で使ってる
ような、竹で四角く編んだごっついの)にスケッチブックと色鉛筆放り込んで駈けもどり、
「…………」
と15分間スケッチして、急いで買い物に行き、料理を作り、
「はーい、夕ご飯−ですよー!」
とアトリエのふたり(日本画家)を呼んで、
「朝ご飯はパンとゆで卵、昼ご飯は冷蔵庫の中だからチンして。
じゃっ、仕事あるからこれで!」
と、96段の階段を下って、国道渡って、坂降りて、橋渡って、アパートまで戻り、もう夜なので別の「白黒原稿」を描き、仮眠し、陽が昇るのを待って、自然光を取り入れて、
「             (もう何も考えてない、描くだけ)           。よしっ!」
で、コメント・トークは
3倍速のビデオを見返し
「…………うん、これでいくか!」

ああ、修道院学校育ちでヨカッタ、大学で日本画専攻してヨカッタ、漫研でヨカッタ!

と、まあ「職業」として漫画やイラストを描いてきた過去が、

「車にはねられ、脳炎の痙攣発作で精神病院の閉鎖病棟に9ヶ月入院」
「退院したら指が麻痺して、絵の世界からリタイア、しかも杖突きで無職」

だったはずなのに、なんだかこれから地域のお役に立てそう。

「萩尾望都先生のカラー原画集、もって行ける日、来るかしら?」
「限定300部の『鳥獣戯画・甲巻』の完全復元絵巻、役に立つかな…」(家では狭くて開けない・笑)
「そうね、まずは山岳画家・中村好至恵先輩の、個展の時の絵はがきを、さりげなく見せることから始めよう!」

と、もういちど、夢はふくらむわけです。(笑)


(このエッセイは「UFO文學14年度冬季号」に掲載しますので、引用・盗作を固く禁じます。)
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