日本古来からあった物の振りをして、大手を振るっているヤカラってのがいるな。
あれを見分ける簡単な方法がある。
落語を聴き込むのだ。
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先代 柳家小さん師匠の『饅頭こわい』には、【誕生日】が登場する。
誕生日でみんなが集まる。
立川談志は、「誕生日だってよ、へっ!」 と一蹴していた。
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少なくとも、庶民が誕生日を祝うようになったのは明治以降である。
かなり最近まで、
人は生まれたときが一歳
正月が来ると一つ歳が増えた。
だから、零歳といふのはなかった。
『子ほめ』のサゲが「どう見てもタダでございます」なのはさういふ訳だ。
あたくすが御幼少のみぎり、年寄りは年齢を訊かれると、まず「数え」で答えて、「だから満で言うと……」 としばらく考えてから、「わかんないや」 なんて言ってた。
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落語には「初天神」がある。
だが、【初詣】は金輪際 聞いたことがない。
これはチコちゃんが丁寧に教えて呉れた。
初詣は、客寄せのために鉄道会社が捻り出したものだ。
いつの間にか、日本古来の風習のやうになった。
恵方巻きも、もう十年もすれば、誰も疑わなくなるのだらう。
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【隅田川】なんてのも、古来の名称の振りをしているが、エドツコが【スミダガワ】なんて言っているのを、ただの一度も聞いたことがない。
あれは大川だ。
エライお上は、武蔵の国と下総の国の境界の川を、隅田川・須田川・宮戸川などと称していたらしい。
落語に、『宮戸川』があり、お花と半七の馴れ初めを面白おかしく、エロチックに語り、『お花半七』といふ演題で、通常はこの部分だけを高座に掛ける。
『宮戸川』には、一転して陰惨な「下」があり、落語研究会にでも通わなければ聴くことが出来ない。
噺家は、宮戸川は隅田川の古い呼び方、と説明する。
それが江戸ッ子の解釈だったんだらう。
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明治時代になって、隅田川の正式名は、【荒川】になった。
これは、あたくすも最近知って驚いた。
【荒川放水路】が開削されて以降、岩渕水門から下流を【隅田川】と正式に命名したのである。
ただ、初代 隅田川馬石は天保の頃の人なので、学のあるエドツコは、大川をお上が隅田川と称しているのは知っていたのだらう。
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歌舞伎の『桜姫東文章』(さくらひめ あずまぶんしょう) には、「岩淵庵室の場」 があり、鶴屋南北のボーイズラブが展開するのだが、荒川の川っぷちに生まれたあたくすにとって、岩渕と言へば水門のある淋しい場所であり、頭の中でイメージが砂嵐のやうにぐちゃぐちゃになるのだ。
最近、荒川放水路の足立区側の土手っぷちに古い石碑を見つけ、その辺りの周囲より小高い道が、「岩渕 延命地蔵尊」 への参詣道であったことを知り、またまた、空間の歪む体験をした。
非常に奇妙なのだが、その参詣道の南東の果てを見霽(はる)かすと、もっと右にあると思っていたスカイツリーが正面に見える。
つまり、荒川放水路によって、この世から消え去った道が、あたくすの生まれたアパートの脇を通り、あのBLの庵室(あんじつ)に繋がってゐた訳なのだ。
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正月で、久しぶりに時間があるので書き始めたら、正門から入って、秘密の抜け穴で原なかに出てしまった。
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