mixiユーザー(id:809109)

2024年01月01日09:53

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饅頭こわいから、岩渕のBLに御招待だ。

日本古来からあった物の振りをして、大手を振るっているヤカラってのがいるな。

あれを見分ける簡単な方法がある。

落語を聴き込むのだ。

   …………………………

先代 柳家小さん師匠の『饅頭こわい』には、【誕生日】が登場する。

誕生日でみんなが集まる。

立川談志は、「誕生日だってよ、へっ!」 と一蹴していた。

   …………………………

少なくとも、庶民が誕生日を祝うようになったのは明治以降である。

かなり最近まで、

  人は生まれたときが一歳
  正月が来ると一つ歳が増えた。

だから、零歳といふのはなかった。

『子ほめ』のサゲが「どう見てもタダでございます」なのはさういふ訳だ。

あたくすが御幼少のみぎり、年寄りは年齢を訊かれると、まず「数え」で答えて、「だから満で言うと……」 としばらく考えてから、「わかんないや」 なんて言ってた。

   …………………………

落語には「初天神」がある。

だが、【初詣】は金輪際 聞いたことがない。

これはチコちゃんが丁寧に教えて呉れた。

初詣は、客寄せのために鉄道会社が捻り出したものだ。

いつの間にか、日本古来の風習のやうになった。

恵方巻きも、もう十年もすれば、誰も疑わなくなるのだらう。

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【隅田川】なんてのも、古来の名称の振りをしているが、エドツコが【スミダガワ】なんて言っているのを、ただの一度も聞いたことがない。

あれは大川だ。

エライお上は、武蔵の国と下総の国の境界の川を、隅田川・須田川・宮戸川などと称していたらしい。

落語に、『宮戸川』があり、お花と半七の馴れ初めを面白おかしく、エロチックに語り、『お花半七』といふ演題で、通常はこの部分だけを高座に掛ける。

『宮戸川』には、一転して陰惨な「下」があり、落語研究会にでも通わなければ聴くことが出来ない。

噺家は、宮戸川は隅田川の古い呼び方、と説明する。

それが江戸ッ子の解釈だったんだらう。

   …………………………

明治時代になって、隅田川の正式名は、【荒川】になった。

これは、あたくすも最近知って驚いた。

【荒川放水路】が開削されて以降、岩渕水門から下流を【隅田川】と正式に命名したのである。

ただ、初代 隅田川馬石は天保の頃の人なので、学のあるエドツコは、大川をお上が隅田川と称しているのは知っていたのだらう。

   …………………………

歌舞伎の『桜姫東文章』(さくらひめ あずまぶんしょう) には、「岩淵庵室の場」 があり、鶴屋南北のボーイズラブが展開するのだが、荒川の川っぷちに生まれたあたくすにとって、岩渕と言へば水門のある淋しい場所であり、頭の中でイメージが砂嵐のやうにぐちゃぐちゃになるのだ。

最近、荒川放水路の足立区側の土手っぷちに古い石碑を見つけ、その辺りの周囲より小高い道が、「岩渕 延命地蔵尊」 への参詣道であったことを知り、またまた、空間の歪む体験をした。

非常に奇妙なのだが、その参詣道の南東の果てを見霽(はる)かすと、もっと右にあると思っていたスカイツリーが正面に見える。

つまり、荒川放水路によって、この世から消え去った道が、あたくすの生まれたアパートの脇を通り、あのBLの庵室(あんじつ)に繋がってゐた訳なのだ。

   …………………………

正月で、久しぶりに時間があるので書き始めたら、正門から入って、秘密の抜け穴で原なかに出てしまった。






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