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2023年05月11日08:12

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日記7

徳川家康は、物心つく前に、母と死別したそうである。



男三兄弟の真ん中、父子家庭、そして母が(自分の学校にのめり込む)教師、エトセトラ…



共通している事というのは、「母がいないか、母の息子への愛情のかけ方が極度に薄い」である。



そういう息子には、ある明確な特徴がある。「感情を封印する」である。そして「怒りを抑え込む」であった。




父の役割が、「責任感や社会性の醸成」であるならば、母の役割というのは、「社会的責任などなく、あるがままの感情を認める事」であろう。




人間とは不可思議であるが、「スジを通すこと」はもちろん大切な事ではあるが、その前にやらなくてはならないことがある。即ち、「相手が、他でもない『俺』が、スジを通すに値する人間なのか?」を、確認すべきであろう。この順序を誤ると、話がおかしくなる。人を傷つけないのは、向こうが私に攻撃しない前提である。もしその前提が崩れるというのであれば、私は「自分を守るため」に、そいつに「ケジメ」をつけなくてはならない。



おそらく、私が生きてきた中で「スジを通す」という事が先行し過ぎていたフシがあった。誰にも恥じることはないだろうが、換言すれば「恥じる真似をしている」手合いというのは、彼の者が側にいるだけでも嫌な思いをするだろう。何故ならば「恥じる事はしない人間」と、「恥ずかしい真似をする人種」というのは、それだけてで、「人として上」か「下」というヒエラルキーが発生するのであり、この構造と言うのは、基本的には「逆転不可」である。そして往々にして、下の人間は上の人間に「暴力」を振るわれていると感じている。上の人間は、下の人間に「劣等感を味合わせる」という暴力を振るっているのであった。


そういう意味で、「同和地区」の人間や「男の一人っ子」というものが、得てしてトラブルを引き起こすのは必然である。




しかし、だからと言って「そいつが招いた、笑えない状況」に対して、俺が「その状況を繰り返す」という道理はない。「怒り」というのは、人間の基本的な防御反応であるし、否定されたり、スルーされるようなものではない。




「俺」があれこれ悩むのは、この「無視してはならない怒り」というものに向き合うことを、ある意味で「許されないことである」と、自分に言い聞かせていたからであろう。もう一度言うが、「怒り」は人間の基本的な防御反応である。ただ、個人的には、「上」の人間は、怒りを「制御」するし、「下」の人間は、この「怒りを正当化」するだろう。そして後者の人間は、「怒りをぶつけた相手」に、究極「殺されても」文句は言えないだろう。というか、何で「自分はやられない」って思ってんだ?別にこれは「たまたま巻き添えになった」じゃなくて、「発端になった人間にケジメ」をつけにいくっていう、「何ら恥じる理由はない」っと事であるのに。




そして人間と言うのは更に不思議であり、「その状況」を脱出した後、冷静に周りを見る事ができる。そして誰が、どのような「末路」を辿るべきか、そして「母」のせいで、私が「怒り」を封印することになった…いや、それはもはや、済んだ事である。大切な事は、「女の子」がいれば、テンションぶち上げであり、彼女らに、認められるのは、俺の真理である。




そして、自分の株が上がるよう、如何にして「敗色濃厚な戦いを、共に戦ってくれるか、引き受けていくのか」しかないのである。「恥ずべき真似」している奴らは、勝手にやってろ、相手してるだけ時間の無駄だ。


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