■教員免許、うっかり失効相次ぐ 50代教諭が新卒扱いに
(朝日新聞デジタル - 04月05日 18:55)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6473304
そりゃそうだ、ただでさえ激務、多忙、過労死の三拍子揃った学校現場で、
どうやって免許更新なぞ意識できるのか。
自腹で、しかも僻地に行く可能性もあるのに?
教師のバトン
って#で、ある界隈が盛り上がっているが、
もはや教員として有能かどうか関係ない。
人間はスーパーマンじゃない。社会の歯車は人の常だが、そんなにあれもこれも、回せられるか。
荻生田文部大臣は、この運動を見て、「品性を大切に」とあるが、
「衣食足りて礼節を知る」って諺をしらないのか?
着るものがなくて、追い剥ぎはしないだろう。また、食うものがなくて、飢え死にはしないだろう。
ただ、働きすぎて、過労死はあり得る。教員は安定して、食うに困らない、と口酸っぱく言われれてきたが、
順番を間違えてはならない。生活できるために、教員と言う手段があるのであって、
教師になれたら、人間らしい暮らしができる、ではないのだ、もはや。収入、安定性だけ見れば、確かに悪くない、だが、「物理的」「精神的」に待遇が悪すぎる。入院したら、鬱になったら?多大なるお金が吹っ飛ぶであろう。
結局、あらゆる教育のシステムが破綻してきたのだろう。大阪、維新の会、昔とは何も違う。
そう、違うってんなら、さっさと止めろよ。何、手前で焚き付けて、首尾悪ければ、ハシゴ外して、責任転嫁してやがるんだ、あの感謝乞食は。
そういう事を前から思ってたけど、今、僕の目下の目標は、「過去を切り離す」って事だ。あたかも、スペースシャトルが、宇宙に出る時、加速装置を切り離すかのように。
過去の記憶は、汚物の部分は、俺から切り離されていった。時々、幻肢痛の如くよみがえることもあるだろうが…それに対して、幻と認識することで、消え去って行くのであった。
学校の記憶、教員の記憶、あらゆるものは、記憶の彼方、僕らの青春の光と影ーーー
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