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2021年04月03日00:50

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どちらが先?記憶の消滅と実物の消滅、、

僕は日記も書かないし、個人的な事はメモもしない。だから記憶がアヤシくなれば、確認する事も出来ない。既に老人年齢になっているので痛感するんだが、多くの記憶は断片的、というか点だけで、面として辿る事が出来ないものが多い。勿論全く忘れ去っている事も多いはず(自分では判らないだけ、、)。たとえば、、

最近どこぞのブログで見た玉ノ井、15年くらい前に友達が住んでいたので何度か案内してもらった事があるんだが、、どういうルートを歩いたのかも、何処で何を食べたかも、見たもので覚えているものがあっても場所が特定出来ない。それほど重要な事でもないんだが、判らないとなると何だか気になってくる、、

墨田区もタワーが出来る頃から相当変わってしまったと思うが、濹東の趣は今でも結構残っていそうな気もする。玉ノ井というよりは鳩の町の鐘ガ淵側に住んでいた友人はサッパリした下街ッ子だった。

うちも父親は本所石原生まれで、関東大震災後に千葉に引っ越した。だから本所、向島から町屋、西は入谷辺りまで親類がいたが、それも総てうやむやになってしまった。高校で始めて出来たガールフレンドは四ツ木の子だったし、大学時代のガールフレンドは平井の子だった。まぁ千葉に住んでいたから墨田、江戸川は地理的に近くて江戸川、荒川、隅田川あたりまではオーケーなんだが、今でも東京西部は良く判らん、というのが実状で、多摩川近辺などは皆目判らない。

で、何が気になるというと、散歩中に見た振るい工場の建物。多分戦前の紡績工場とかだと思うんだが、どこだったか全く解らない。線路脇だったと思うが非常に良い雰囲気の結構大きな木造建築だった。

亀戸で友人と落ちあい、東武で曳舟に出て、駅前であんみつを食って、東向島歩いて東武博物館を見学。ここは館長が鉄道を愛する人だったのでファンにとっては大変良い博物館だった(今でも?)。この花上さんとは後々飲み会で会う事があったんだが、ホント鉄道を愛してる素敵な人だ。東武がSL復活を果たしたのもこの人の尽力が大きい。

で、何度か行ってるので、いつどのルートを歩いたのかがごっちゃになってるんだが、、この辺りは好きな人にとっては観るものが多い。とりあえず百花園に行くのも良い、んだが今は休園中らしい。言問い箸を渡れば浅草、自転車好きならオオマエ事務所やレベルも近い。レベルは今でもマツダ自転車工場という名前でやっている。これも下町の心意気か。そういえば、マッドガードの本所工研もタワーの南、親水公園の近くだ。

墨田区域はもともと農地、畑と田んぼだったので、畦道がそのまま道になっていてぐにゃぐにゃで非常に判りづらい。ちょっとした迷路を楽しく気分で散歩するが良いかも。明治になって繊維工場が沢山建てられ、結構栄えていた。鐘ケ淵のカネボウが有名だが、無数の小工場があった。

鳩の街、玉ノ井、共に所謂赤線地帯だったが、今でも結構当時の建物が残ってる。非常に味のある建物が多くて見飽きる事が無い。裏に回ればトタン張りのオンパレード。狭い路地、小さな家が密集している間に町工場が残っている。工場は川辺に多く残っているが、小さな工場だった建物は町中に点在している。

点の記憶は減って行くばかりで、小さな公園で弁当を突きながら花見酒を飲んでいたグループとか、狭い路地端に置かれた無数の植木鉢とか、あちこち出入りしているネコ達とか、きっちりした挨拶の声とか、典型的な下町の情景が何となく浮かんでくるだけだ、、

こういう風景、世界に誇れるかどうかは別にして、日本/東京の原風景の一つだと思うんだが、そのうち消えて行ってしまうんだろうなぁ、、

興味が湧いてきた人はリンクをご覧下さい、、
http://tabistory.jp/story/okirakucollector_015/
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/about032.html
https://ameblo.jp/pias-202/entry-12394147183.html
https://camerafan.jp/cc.php?i=740
https://ameblo.jp/pias-202/entry-12484263084.html
https://tabica.jp/notes/4546

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