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2020年04月23日02:12

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藝術家と運命との戦い

藝術家と運命との戦い
【アンドリュー・ワイエス】『クリスチーナの世界』1948。クリスティーナは、丘の上にある家を目指して、大草原を這っている。幼い頃から歩行ができず這っている。細い腕にある数え切れない生きてきた傷。メーン州の漁村クーシングで生まれ、この寒い土地で一生を過ごした。
【アンドリュー・ワイエス】『クリスチーナの世界』1948。海を見下ろす丘の上に立つオルソン・ハウス。クリスチーナは、家に向かって這う。人間の境遇について描いている。人生で困難な状況に置かれた人々がそれをどう生き抜くのか。どう乗り越えていくのか。希望と絶望。
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【バッハ、シャコンヌ、32歳、ケーテン城】「シャコンヌ」を終曲にもつバッハのヴァイオリン・パルティータ第2番。この「シャコンヌ」には数多くのコラールの旋律が隠されているが、それはバッハの最初の死別した妻マリア・バルバラに捧げた墓碑銘である。1717(32歳
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【クリムト、1897年、ウィーン分離派、創設、初代会長】クリムト『裸のヴェリタス』(1899)は確立された価値観を「揺るがす」ことを定義。クリムトは第14回ウィーン分離派展示会で『ベートーベン・フリーズ』(1902年)を発表。【「黄金様式時代」】1901から
【クリムト『ベートーベン・フリーズ』1902】黄金の甲冑で武装した騎士。第3の壁。竪琴を手にした女に出会う。彼女は詩の女神。藝術の力で蘇る。歓喜の歌。天使たちの合唱隊を背景に、裸で抱き合い接吻を交わす男女の姿。幸福を追う旅路の果てにたどり着く理想の世界を表現。
【『ベートーベン・フリーズ』1:幸福への憧れ】上空に精霊たちが連なって浮遊する、人生の苦悩を象徴する裸の男女が「完全武装の勇者」(黄金の鎧の騎士)に助けを請い、騎士は人類を代表して、幸福を探求する。また勇者を包み寄り添う二人の女性は「同情」と「功名心」。
【『ベートーベン・フリーズ』2:敵対する力】人類に敵対する力、危険と誘惑、世の中に潜在する敵に立ち向かう。獣は怪物テュフォン。怪物が広げた羽の中に蹲る痩身の女「心を蝕む悲しみ」。左側にゴルゴン三姉妹「病気・狂気・死」。右側に「肉欲・淫蕩・不節制」
【『ベートーベン・フリーズ』3:詩】浮遊する精霊たちに導かれる。竪琴を手にもつ女性、詩の女神。人類の幸福への憧れが詩に癒される。4:純粋な喜び、純粋な幸福、純粋な愛 藝術の女たちの祝福、楽園の天使たちが合唱。抱擁する男女。「この接吻を全世界に」

【グスタフ・クリムト「接吻」1908(ベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館)】1890生涯恋人となるエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)と出会い、ウィーン貴族と上流階級との交流が始まった。二人の足下にある咲き乱れる花園は断崖、支える女性の両足
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【イワン・クラムスコイ『忘れえぬ女』1883】画家は「外面的肉体的な美と内面的精神的な心の美のどちらを人は選ぶべきか」という問いをこの作品に込めた。トルストイのアンナ・カレーニナ、ドストエフスキーの白痴のナスターシャ、プーシキン『吹雪』、女は苦難を越えて悲恋を追求する。

【日本美術院の理想と苦悩、売れない画家、大観と春草】
菱田春草、明治31年(1898)東京美術学校事件で、急進派として懲戒免職。春草『王昭君』は、悲劇の美女の姿、美しい魂を描く。春草『水鏡』(1897)天人の衰えを水鏡に表現する。春草『黒き猫』(1910)。『雨中美人』(1910)、六曲一双、未完。翌年、37歳で死す。(1874-1911)

【雪舟、47歳の時、遣明船で明に渡る】雪舟(等楊)は備中国に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防国に移る。山口に初めて来たのは、まだ拙宗を号としていた1455年頃、28代大内教弘の時代。雪舟47歳の時、1467年、大内氏の遣明船に乗り

「破墨山水図」雪舟は自序の中で、かつて中国へ渡り、李在と長有声に画を学んだ、日本では如拙、周文の画を受け継ぐことなどを述べ、如水宗淵のために画学の系譜を明らかにする。本図上方に明応4年(1495)3月中旬、数え76歳の年記を有する

【雪舟】明で画の勉強を終えた雪舟は、1469年に帰国し日本各地を転々とした。1483年再び周防国に戻り、雲谷庵に定住。創作活動にすべてを注ぎ、1486年、67歳で、最高傑作「山水長巻」を山口で完成。 1506年87歳でこの世を去る。
【雪舟】画風は、弟子達に受け継がれ、「雲谷派」と呼ばれる。(応永27年( 1420年) -永正3年8月8日( 1506年))。岡山県総社市の宝福寺での小僧時代、涙で鼠を描いた逸話が有名。狩野永納『本朝画史』(1693年)
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王羲之、蘭亭にて曲水流觴の宴
東晋の貴族、王羲之は、権謀術数を弄する首都建康に倦み、永和九年(353)三月三日に会稽山の山陰の蘭亭にて曲水流觴の宴を開き『蘭亭序』を書いた。貴族41人が集まり37首の詩が詠まれた。50歳。

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「真珠の耳飾りの少女」 科学調査で隠れた詳細判明 https://www.afpbb.com/articles/-/3280862 @afpbbcomさんから
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