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2018年08月17日03:53

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『河神の娘の物語』第3話

『河神の娘の物語』第3話

 父殺しと母子相姦で有名なオイディプス王が退位した後、テーバイの王位は彼の二人の息子、エテオクレスとポリュネイケスが一年交代で継ぐことになった。しかし弟エテオクレスは期限が来ても兄ポリュネイケスに王位を譲らず、ポリュネイケスはアルゴスに亡命して、アルゴス王アドラストスに王位奪還の援軍を求めた。
 アルゴスの三分の一を領有する王族で予言者のアムピアラオスは、「もし出征すればアドラストス以外の将軍は全員戦死する」と予言し、出征に反対した。
 そこでポリュネイケスは持参した家宝である「ハルモニアの首飾り」をアムピアラオスの妻のエリピュレに贈り、彼女を買収した。エリピュレはアドラストスの妹で、以前に主君との不和を彼女に仲裁してもらったアムピアラオスは「以後、二人の意見が割れた時はエリピュレの裁定に従う」と誓っていたのだ。
 「ハルモニアの首飾り」は、テーバイ王家の開祖カドモスが戦神アレスと美神アフロディテの間の娘、調和の女神ハルモニアと結婚した際に、工芸の神ヘファイストスから花嫁に贈られたものだった。神技を尽くしたこの素晴らしい黄金の首飾りに目がくらんだエリピュレは夫に参戦を勧め、アムピアラオスはやむなくテーバイに出征した。
 この第一次テーバイ遠征は、アムピアラオスの予言通り、アドラストス以外の将軍が戦死して敗北するという結末になった。
 それから十年後、ポリュネイケスの息子テルサンドロスは父の仇討ちを目指して第二次テーバイ遠征を計画し、先の戦いで戦死した七人の将軍の息子たちを集めた。デルフォイの神託で「アムピアラオスの息子アルクマイオンを指揮官とすれば戦いに勝てるだろう」とのアポロン神の予言を得たテルサンドロスは、今度は「ハルモニアの長衣」で再びエリピュレを買収した。これはやはりカドモスとハルモニアの結婚の時に、手芸の女神アテナが作って花嫁ハルモニアに贈ったものだった。
 魔法の衣装で買収されたエリピュレは、遠征に気乗りせずにいたアルクマイオンに出征を勧めた。そしてアルクマイオンは、母の勧めにより参戦を決意した。
 この第二次テーバイ遠征は成功し、テーバイは陥落した。
「しかしその後、私は聞いたのです。テルサンドロスが、私の母を買収したおかげで勝利した、と自慢して笑っているのを…」
 経緯を語るアルクマイオンは端正な顔を怒りで歪め、黒い瞳に憎しみの光を浮かべた。
「また亡き父アムピアラオスも、出征前に幼い私に言い残していたのです。自分は母のせいで死ぬのだ、もしお前が成長したら母を討って父の仇を取って欲しい、と…」
 それでも己の母を討つことをためらったアルクマイオンがデルフォイに神託を求めると、アポロン神は「エリピュレは死に値する」と神託を下した。
「私はもうためらいませんでした。宝物に目がくらんで、父と私を死地に追いやった母を許すことは出来なかった。私はアルゴスに帰還し…そして母を手にかけたのです」
 そう語ったアルクマイオンは自分の両手を見つめて震えた。まるで己の手がまだ母の血で汚れており、その血の温もりが、母を剣で刺した時の肉の感触が、今も手に残っているかのようだった。
「私にとっては、父の仇討ちでした。だが母は死に際に私を呪い…そして復讐の女神たち(エリーニュエス)も、母殺しの罪を許してはくれなかった。私は恐ろしい顔をしたあの三女神たちに、昼も夜も追われる身となったのです」
 アルクマイオンはアルゴスを去り、アルカディアのプソピスの王ペーゲウスのもとに身を寄せ、彼に罪を清めてもらった。
「アルペイオス河神の息子であるペーゲウス王は私を歓待し、罪を清めただけではなく、娘のアルシノエを私の妻にと嫁がせてくれました。私は妻に、母から相続したあの忌まわしい宝、『ハルモニアの首飾と長衣』を贈りました。だが私に平穏は訪れなかった…」
 間もなく、アルクマイオンの住む地が飢饉に見舞われた。神託を求めると、「その原因はアルクマイオンの罪で土地が汚れたことにある」と神は告げた。そしてアルクマイオンの罪を清めるためには、彼は「アルクマイオンが母を殺した時にまだ太陽を見ていなかった土地」で清めを受けねばならない、とも神託は告げたのだ。
「私はプソピスを去り、神託で約束された土地を探して流浪の旅に出ました。ですが…」
 アルクマイオンは両手で顔を覆い、嘆きの涙をこぼしてうめいた。
「そんな土地がどこにあるというのでしょう?。どこを探しても、私の求める土地は見つからない。太陽神ヘリオスは全てを見ているのです。私が母を殺した時に、その凶行を知らなかった土地など…あるはずがない!私はどこの地にも受け入れられず…このままのたれ死ぬのが、母を殺した私にふさわしい運命なのです…!」
 アルクマイオンは顔を伏せて嗚咽した。しばらく泣いていた彼は、やがて涙をぬぐい、顔を上げた。
「…これで事情はお分かりでしょう。私が長居しては、この土地まで私の罪で呪われてしまう。あなた方に、ご迷惑がかかるのです」
 そして彼は立ち上がった。
「だから…私はもう行きます。お世話になりました」
「…だめよ!」
 カリロエが外套をつかんでアルクマイオンを引き止める。彼女は父親に視線を向けた。
「お願い、お父様!アルクマイオン様を助けてあげて!」
「…わしに何ができる?」
 父親は冷淡なほどの態度で娘に答えた。
 ならば、と、カリロエはアルクマイオンに身を寄せた。
「だったら…私もこの方と一緒に行きます!」
「カリロエ殿!?」
「カリロエ!?」
 父親のクレオンとアルクマイオンが同時に驚きの声を上げた。
「だって…だって、このままお別れするなど、とても出来ません!お願いです、アルクマイオン様、私も一緒に連れて行って!」
 アルクマイオンは困惑とともにカリロエを拒絶した。
「そんなこと…出来るわけがありません。行く当てのない旅にあなたを付き合わせるなど…。どんな苦労をするか…」
「あなたと一緒なら、どんな苦労も耐えてみせます」
 娘の言葉にクレオンが呆れた顔で首を振る。
「カリロエ、お前は苦労らしい苦労をしたことがないから、そんな甘いことを言えるのだ」
「そうです。若い女性が流浪の旅など…耐えられるわけがない。それに危険です」
「だって、だって…」
 自分の願いを否定する二人の言葉に、カリロエは瑠璃色の瞳を涙で潤ませた。
「だって私…あなたのことが好きなの!アルクマイオン様、あなたと一緒にいたいの…!」
「カリロエ殿…!?」
「お願い、お父様。私…この方と暮らしたいの!許してくださらないなら、せめて私をこの方と一緒に行かせて!」
 泣いてせがむ娘にクレオンはしばらく黙っていたが、やがてアルクマイオンに目を向けた。
「…アルクマイオン殿、この通りわがままな娘だが…カリロエをあなたの妻に迎える意志はおありかな?」
「クレオン殿…!?」
 そう問われたアルクマイオンは戸惑い、両手を前に向けて拒絶の意志を示した。
「そんなこと…とても無理です。行く当てもない私が妻を迎えるなど…出来るわけがない」
「娘のことを好きか、そうでないか、それだけ答えてくだされ」
「それは…」
 アルクマイオンは目を伏せ、クレオンに申し訳なさそうに言った。
「それは…もし彼女と一緒に暮らせるなら、と、私も思います。カリロエ殿は優しくて、美しくて…素晴らしい女性です。私も彼女のことが好きです。でも今の状況ではとても…」
「アルクマイオン様…!」
 それでも、カリロエは喜びの声を上げた。
「嬉しい…!私のことを、好きと言ってくださるのね…!」
「カリロエ殿…」
「嬉しい、嬉しいわ…」
 カリロエはアルクマイオンに抱きついた。アルクマイオンは彼女を引き離すことも出来ず、困った顔で彼女の背を撫でた。
 その時、クレオンの声音が変わった。年を経てしわがれた老人の声から、堂々たる威厳を込めた響きの良い青年の声へと。
「アムピアラオスの息子よ、お前の旅が終わる時が来た」
「…え?」
 突然の宣告に戸惑ったアルクマインの目の前で、クレオンの姿が変わった。日に焼けた肌をして深い皺が刻まれた老いた顔が、若々しく美しい青年のものに変化する。ほつれた白髪は緩い癖のある紺青色の髪に変わり、やぶ睨みの目は形の良い青緑色の瞳になった。曲がっていた背も寸高く伸びて、周囲を睥睨するほどの高さになる。衣装も粗末な生成りの羊毛のチュニックから、色鮮やかな藍色で染められた美しい裾長のチュニックにと変わる。
「あなたは…」
 目の前で起きた漁師の一瞬の変化に、アルクマイオンが息を呑んだ。
「あなたは…人ではない…!まさか、神…!」
「おれはアケローオス。この河の神だ」
 驚くアルクマイオンに、本来の姿になったアケローオス河神が名乗った。
「アムピアラオスの息子よ、お前はとうとう約束の地にたどり着いたのだ」
 アケローオス河神が背をひるがえし、アルクマイオンを外にと誘った。
「こちらに来るがいい」
 アケローオス河神について外に出たアルクマイオンを、河神はアケローオス河の中ほど、砂が堆積して浅くなった場所にと案内した。
「ここがお前の約束の地だ」
 アケローオス河神の足元で河の水がざわめいた。河神の足元で流れる水のはどんどんと砂を運び、河底の大地を盛り上げていった。やがて小さな中州が、河神の足元に新しく誕生した。
「…『私が母を殺した時に、まだ太陽を見ていなかった土地』…」
 神託に告げられた言葉を、アルクマイオンが一人繰り返す。今まさに水の中から生まれた土地は、まさしく、「彼が母を殺した時に日を浴びていなかった」、神託の通りの土地だった。
「そう。アルクマイオン、お前に約束された土地だ」
 アケローオス河神は新しく出来たその中州にアルクマイオンを立たせて、ひざまずかせた彼の頭と腕に河の水をかけた。
「この河の神アケローオスが、お前の罪を清めよう。もうお前の住む地が呪われることはない」
「アケローオス様…」
 アルクマイオンが顔を上げる。河神から清めを受けて再び立ち上がったアルクマイオンに、髪の色を茶褐色から元の暗緑色に戻してニンフの姿になったカリロエが寄り添った。
「お父様…許してくださるの?」
 カリロエが目に涙をためて言う。
「私…アルクマイオン様と暮らしていいの?」
 アケローオス河神は微笑み、娘を引き寄せて頭を撫でた。
「まったく、仕方のない娘だ。兎や山猫ならいざ知らず、自分の夫まで拾ってくるのだから」
「お父様…!」
 カリロエが抱きついて、父親に感謝を示す。
「お父様、お父様…大好き!ありがとう、お父様!」
 アケローオス河神は抱き締めた娘の体を離すと、カリロエの手を取ってアルクマイオンに差し出した。 
「アルクマイオン、仕方のない娘だが、よろしく頼む」
「はい…、はい!」
 アケローオス河神から引き渡されたカリロエの手を、アルクマイオンは強く握り締めた。
「カリロエ殿…。私の妻に、なってくれますね?」
「はい…!はい!」
 アケローオス河神が喜色を満面に浮かべた娘に優しく微笑んだ。
「幸せにおなり、愛しい娘よ」
「お父様…お父様、ありがとう…!」
 カリロエは父神に語り続けた。
「私…私、きっと幸せになります!アルクマイオン様と二人で、お父様の河の近くに住みます。離れても、ずっとずっと、お父様のことを思ってます…!」
 微笑んだ河神が風の中にすっと姿を消した後も、カリロエは声を上げ続けた。
「お父様、ありがとう…ありがとう…!大好きよ、お父様…!」
 アケローオス河の河面を渡る風が、カリロエの言葉を姉妹である河のニンフたちに届けていった。

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