「あ、お姉ちゃん」
彼女はテレビを見ながらいう。
「生ライブ映像だって、ここから近いね」
「……そうだな」
俺は彼女のアパートでぼんやりとテレビを見ている。テレビの中で見るカノジョは確かに可愛いくて、一生懸命で誰が見てもこんな子と付き合いたいと思うだろう。
だが現実は無情で、俺は付き合っているのに何も感じなくなっている。一年に一度会うことが許されているだけで、それだけではとてもじゃないが満足できない。
こうやって毎日会えるカノジョの妹と一緒にいる方が気が楽でいい。
「で、そろそろ返事欲しいんだけど」
彼女は素麺(そうめん)を食べながら俺を上目遣いで見る。俺なんかのどこがいいのかわからないが、先日、正式な付き合いがしたいと報告を受けた所だ。
正直未だ、迷っている。カノジョときちんと別れていないのに、妹に向かうことも、妹をきちんと受け入れることができるかも――。
「ねえ、聞いてる?」
「ああ。聞いてるよ」
……あの頃の青春はどこに行ったのだろう。
俺は初恋の高校時代を思い返す。三年間、カノジョに片思いをし続けて告白したが、それは付き合って四年経った今も変わらない。
「あたしでいいじゃん、一年に一度じゃ辛いでしょ?」
彼女に迫られて目を背けるとカレンダーが目に入る。
今日は七夕。彦星にもなれない俺はただ、天の川の向こうにいる織姫のライブ映像を見ることしかできない。
……どうして俺は未だ、不毛な恋愛を続けているのだろう。
もはやカノジョのことが好きなのかどうかさえわからないでいる。それならばいっそ、目の前にいる彼女を愛した方がいいのではないだろうか。
「……ねえ、今日で決めて」
彼女の真剣な表情に俺はゆっくりと頷いた。
「ああ、きちんと答えを出すよ、このライブが終わるまでに」
「『星間飛行』だ」彼女はテレビを見ながらにやにやと笑う。「ぶりっ子しちゃって、似合わないなぁ、もう」
カノジョのデビューシングルが流れ、俺はつられて苦笑いをする。確かに本来のキャラには似合わず、狐みたいな決めポーズも、カノジョを知る者にとってはギャグにしか見えないだろう。
だがカノジョは一生懸命ダンスを覚え、寸分違わず同じポーズを四年間やり続けた。そこにはカノジョ本来の生真面目さが伺えほっこりとしてしまう。
「君はさ、どこが好きなわけ?」
「んー、それがさ、わからないで迷っているんだ」
俺は正直に答えた。高校時代まではただなんとなく、いいなと思っていて、彼女を眺め続けていたら、好きになっていたというだけだ。
毎日、自分の目で追える距離にいたから好きだったのかもしれない。憧れもなく、手で捉えることができる距離だからこそ、俺はカノジョに恋ができたのかもしれない。
「ふーん」彼女はめんつゆを足しながらいう。「あ、やっぱり次は『ライオン』なわけね。この曲も売れたもんねぇ」
カノジョの2ndシングルが流れ、会場が沸く。競争の激しいアイドル業界を歌った曲だが、カノジョはこれを披露して見事生き残った。デュエットソングで何度聴いても飽きがこないのが不思議だ。
……どうして俺はカノジョに飽きていないのだろう。
カノジョから別れを切り出されていないから? 高校時代から体の付き合いがなく我慢できるから? 大学に入っても他に好きな人がいないから?
俺が自問していると、答えは出ずそのまま曲は流れていく。 3ndシングルの『インフィニティ』が続き、俺はカノジョの歌声に魅了される。
……こうやって俺達は永遠に付き合っていけるのだろうか。
別れを切り出されていないからといって、付き合っているとはいえない。一年一度、会うことができたからといって、それはただの報告会であってカノジョの本当の感情を知ることはできない。
……ああ、そうか。俺はカノジョのことが知りたくて付き合い始めたのだ。
当たり前のことだが、付き合うという定義自体を忘れていた。俺はただカノジョを観測したくて眺めていただけじゃない、カノジョが何が好きで、何が嫌いで、何がしたくて、何を望んでいるのか知りたくて、告白したのだ。
カノジョは戸惑いながらも承諾してくれた。それは俺が初めて掴んだ幸せだった。
「『ダイヤモンド・クレバス』が一番いいよね、やっぱ泣けるわー」
彼女は姉の映像を茶化しながらテーブルに肘をつく。やはり姉妹だけあって横顔も似ている。
4th シングルのバラードが流れ、俺は彼女との七年間を思い出す。
文化祭の時に何気なく手が触れたこと、友人同士の泊まり会で思わず唇が触れたこと、修学旅行で同じ神社を回ったこと、一人暮らしを始めて二人だけの夜を過ごしたこと、泣きながらもう立ち止まれないことを告げられたこと……。
いくつものカノジョが走馬灯のように浮かび、なぜカノジョのことが好きなのか思い出していく。
「……俺はこっちの方が好きだけどな」
5th シングル『オベリスク』が流れ、俺はカノジョと会えていなかった大学四年間を思い出す。
カノジョに会えず、妹の家庭教師をしているうちに付き合っている意味がわからなくなっていったのだ。ただ付き合っているという言葉だけで俺は満足していた。カノジョの心を知らず、それでも一年をひたすら待ち続けていた、彦星のように。
「で、どっちにするの?」
彼女の顔がカノジョとダブる。毎日会える彼女に恋をすれば報われると思っていた時期があるのは事実だ。だが本当に好きなのはカノジョで会って彼女じゃない。
俺はきっとこの先も迷い続けるのだろう。カノジョはすでにカノジョだけのものじゃない、これから先も俺の傍にいてくれるわけじゃない。
幻滅する運命かもしれない、それでも、今からでも、間に合うだろうか――。
6th シングル『サヨナラのツバサ』のBGMが流れ始め、俺は気持ちを決めた。カノジョのためだけじゃなく、俺自身のためにも。高揚感のあるメロディが気持ちを奮い立たせる。
「カノジョとは……別れる」俺ははっきりと彼女にいった。「きちんとけじめをつけないとな」
「ってことは……」彼女はぱっと明るい顔をする。
「いや、それもできない」俺は立ち上がりながら謝った。「ごめん、カノジョとは別れるけど、やっぱり君とは付き合えない」
「どうして?」
「俺は本当にカノジョのことが好きだったんだ。会えないだけでそれを封印していただけなんだよ。付き合っているといって傲慢になっていたんだ。なら、別れて、ただの一人のファンとしてカノジョと向かい合いたい」
カノジョの7thシングル『一度だけの恋なら』が流れ始め、俺は玄関に向かった。
「え、ちょっと、どこ行くの?」
「ライブ会場に決まってるだろ」
「え、待って、これは……」
「ごめん」
そういって俺は飛び出した。別れを切り出すというのになぜか、心は軽い。新たな旅立ちが俺の希望に火を点ける。
頭の中だけで歌詞が流れていく。
「あーあ、行っちゃった」彼女は溜息をつきながらテレビを消した。「生ライブ、の、映像だったんだけどねー、やり過ぎたか」
曲が終わると、テレビの映像は止まった。レコーダーがDVDを吐き出している。
彼女は再び溜息をつきながら押入れの方を見た。
「だ、そうですよ、織姫さん。たまには追い掛けて上げたら?」
一度だけの恋なら 君の中で遊ぼう
忘れかけた体も ただ聞こえる心も
夢の中のしがらみなんて 飛び越えて
見せかけの強さより 名ばかりの絆より
同じ時を生き抜いてく 覚悟して
二度とない激情を 君の夢で踊ろう
タイトルへ→
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