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2016年07月01日11:54

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『瞬花終灯(しゅんかしゅうとう)』  第四章『睡蓮の灯り』 PART1

  1.

 師走の真っ只中、笹葉由佳里(ささのは ゆかり)はいつものように仕込みをしていた。毎年この時期が来ることはわかっているがそれでも手がしびれる。真っ赤になった手を少しでも早く暖めたい。

 店の厨房は空気まで凍結しているのではないかというくらい静かだ。黙々と作業に没頭していると父親の顔が浮かんでは消える。後少しで開放されると思うと、心が自然と浮き立っていく。しかしもう一人の自分がこの計画を止めようともいっている。

 本当にこのまま計画を進めていいのだろうか。毎日心の中で争いが起きておりすでに身も心も荒廃しかけている。

 半年掛けた準備はもうすぐ実行の時を向かえようとしていた。雪花
せつか
と二人で綿密に計画を立てたつもりだ。できる限りミスがないように頭も振り絞った。

 いけないことだと頭では理解している。何度も諦めようとした、自分が間違えているのではないかと悩んだ。

 しかし母親と葛藤の末に決めた答えだ。

 仙一郎(せんいちろう)の考えはやはり常軌を逸している。自分が彼を止めなくてはならない。

 ……おじいちゃん、ごめんなさい。

 ビニールハウスにある睡蓮を思いながら今は亡き祖父に謝罪する。一蓮托生という言葉を教えてくれた彼に、申し訳が立たない。

 だがこれは必ず実行しなくてはならない。

 それが旅館のため、まして別府のためになるのだから―――。

  2.

 楓の葉で出来た絨毯(じゅうたん)が街から消えた後、光り輝くイルミネーションが街を照らし始めていた。

 リリーは暖房の温度を上げた後、プリンスオブウェールズの葉を熱い湯で浸していた。寒い時はこの茶葉が暖まるのだ。二人分のカップに紅茶を注ぎテーブルに置いた。

「桃子ちゃんはいつから自炊してるの?」

 リリーは赤く染まった鍋を片付けながら訊いた。白菜がたっぷり入ったキムチ鍋を完食した所だ。最近は役割分担が決まり自分が片付けで桃子が料理という感じになっている。

「お母さんがいつも家にいたので一緒に手伝ってたら自然とですね。女は料理できないと駄目だよっていつも口癖のようにいわれていました」

「やっぱり自炊できるのっていいよね」

 リリーは紅茶を口に含みながら溜息をついた。
 桃子が旅行から帰って来てからというもの、全く自炊をしていない。椿がいなければ料理をしたいという意欲が涌かない。

「いきなりどうしたんですか?」
「実はね……」

 桃子がいなかった時に椿に味噌汁を振舞ったことを伝えた。

「ええっ? 私ですらリリーさんの味噌汁飲んだことないのに。で、どうだったんですか?」

「多分満足してくれたと思うんだけどね。おいしいおいしいっていいながら、鍋ごと飲んじゃった。三日分作ったんだけどね」

「ほほぅ」桃子はニヤニヤとした表情を見せながら流し目を送る。

「いやいや。桃子ちゃんがね、いなかったからちょっと試しにやってみようって思ったらね、作りすぎちゃって……本の通り作れば私にも作れるかなって思ってね。桃子ちゃんが作ってくれるものには敵わないけど」

「ふーん、そうなんですね」

「なに、その相槌」

 威嚇するように目を尖らすが、彼女はびくともせず軽口を叩く。

「いえいえ。別に疑っているわけではないんですよ。ただ本の通り作ったのなら、作りすぎることもないと思うんですけど」

 頬が自然と紅潮していく。しかしここで引いては彼女の思う壺だ。

「初めてだったから色々と挑戦してみたかったのよ。味付けとかさ。それで春花さんを呼んだわけ、別に他意はないんだからね」

「そうですか。それで次も誰かのために料理が作りたいというわけですね」

「べ、別に誰かのためじゃないわ。自分のためよ」リリーは大きく首を振った。「明後日から久しぶりの連休だしさ、料理の練習をしたいの。それで今度は何を作ったらいいかなって思って相談してるのよ」

 目の前にある紅茶を啜る。だが味が全くわからない。

「今の時期だったら鍋でいいんじゃないですかね? 安いし暖まるし簡単だし。それに」

「それに?」

「人数が増えても困りません」

 桃子は誰も座っていない椅子に視線をやっている。

「桃子ちゃん、私は別に……」

「私は水炊きがいいです」

 リリーが告げる前に桃子ははっきりとした口調でいった。

「水炊き? 鍋の中で沸騰しているのは水じゃないの?」

「ええっと……」桃子は困惑しながら視線を外している。「水炊きっていうのはですね、調味料をいれないで鳥なんかをそのまま茹でてダシを取る鍋のことです」

「そうなんだ」

「ちなみに店長は味噌鍋の方が好きみたいですけど」彼女はそういって無邪気に微笑んだ。

「別に春花さんのために作るわけじゃないからね、料理がしたいだけだからさ」

「店長は関係ないんですか? 味噌鍋じゃなくてもいいんですか?」桃子は再度上目遣いで尋ねてくる。

「も、もちろんよ」

「……そうですか」

 一時の沈黙があった後、桃子はリリーが淹れた紅茶に手を伸ばした。

「まあ水炊きにした後、味噌鍋に変えることもできるんですけどね」

「えっ? そんなこともできるの?」

 つい顔がにやけてしまい口を押さえたが駄目だった。彼女がその表情を逃すわけがない。

「もちろんです。手順は水炊きの要領に後から味噌を加えるだけなので簡単ですよ」

「……そっか」リリーは大きく頷いた。これなら椿も誘うことができる。「じゃあ桃子ちゃんが食べたい水炊きにしよう」

「そうと決まれば明日も鍋ですね」桃子は勢いをつけるように一気に紅茶を飲み干した。「先にいっておきますが、明日は私休みなので人を呼ばれるのであれば先に連絡しておいた方がいいですよ」

 彼女の挑発的な瞳が光る。その笑みの裏には小悪魔が踊っているのだろう。一体桃子には何手先まで読まれているのだろうか。

 しかし、とリリーは思った。料理も作ってないのに誘うのは無謀ではないだろうか。

 策を練らねば。でもどうすれば?

 桃子経由で誘ってもらえないかと考えていたのだが、それはたった今打ち砕かれた。ストレートに電話で誘うのがいいだろうか。しかし断られたら一気に作る気力がなくなってしまう。

 考え抜いた結果、先に鍋の作り方を下調べしてから明日連絡をするということで落ち着いた。

 早速インターネットで水炊きの作り方を調べる。作り方をまとめ材料を書き留めた後、桃子の目を盗んで味噌鍋の作り方を詳しくメモした。

  3.

 ……今日は鍋が美味しいだろう。

 リリーは仕事を終えた後、コートを羽織りなおして椿の店に向かっていた。

 思わず手に力が入る。考えた結果、材料を買う途中に偶然椿の店を通りかかったという設定にしている。

 ……大丈夫、一度誘っているのだ。

 拳を固め彼の店を覗く、どうやら中にいるようだ。この間の椿の評価を考えれば成功するだろうと期待に胸を膨らませる。

 店に入ると彼は大きなアレンジメントを作っていた。白色のカサブランカ達が凛々しく折り重なって立ち尽くしており、見るだけで優雅な気持ちになる。その下には可愛いらしくも気品がある胡蝶蘭が飛び交っていた。

「こんにちは、素敵なアレンジメントですね」

「ありがとうございます、こんばんは」椿はリリーの顔を見て答えた。「開店祝いのお花を頼まれまして、これから搬入に向かうんです。これを届けたら終わりなんですけどね。冬月さんは仕事帰りですか?」

 ……よし、ここでいうしかない。

 リリーは心臓の高鳴りを抑え呟くようにいった。

「そうです。実はですね、今日家で鍋をすることになったんです」

「それはいいですね。今日は寒いし暖まりますね」

「それでよかったら春花さんもどうかなって、思ったんですけど……どうでしょうか?」

 ……静まれ、心臓。

 胸を抑えながら彼を見る。心臓の鼓動がロックバンドのドラムのように激しく高鳴っている。できることなら早くこの高鳴りを止めたい。

「へ?」
 椿の顔には疑問しか浮かんでいなかった。

 ……唐突過ぎただろうか。

 自分の一言で沈黙が流れていく、このままでは変な誤解を与えてしまいそうだ。彼女は咄嗟に桃子をダシにすることにした。

「この間、桃子ちゃんの手助けをしてくれたじゃないですか。あれから桃子ちゃん、凄く元気になったんです。なのでそのお礼にご飯をご馳走させて頂けたら、と」

「ああ、そういうことですか」椿は納得がいった顔になった。「それなら遠慮なく頂こうかな、鍋は大人数で食べた方が美味しいですもんね」

 ……よくやった、自分。

 思わず心の中でガッツポーズをする。せっかくなら二人の時に誘えばよかった、などと変な後悔まで沸いてきてしまう。

「ええ、是非来てください。実は今日の料理、私が作るんですよっ」

 これでどうだ、といわんばかりに勢いをつけていった。前回の味噌汁の件もありその味付けには保証付きのはずだ。

「えっ? 桃子ちゃんではなくて?」

 途端に椿の声が小さくなった。

「はい、私が作ります」

「おおおっ、そ、それは楽しみです……。とっても……」

 椿の声は激しく揺れていた。きっと歓喜に身を震わせているに違いない。

「前回春花さんに食べてもらったおかげで自信がついたんです」

「そ、そそ、そうですか……。それで今日は何鍋に?」

「……みず、いえ、み、味噌鍋です。実は私が食べたいといったら桃子ちゃんが教えてくれるというので」

「そっかー桃子ちゃんがっ」椿の表情にぱっと色がついた。「それは美味しいでしょうね」

「大丈夫です、私が全て取り仕切るので春花さんは食べるだけです。きっと春花さんの舌を満足させてみせますよ」

「え、えええっ、それはもう是非楽しみにしておきます……」

 よし、とりあえず第一関門は突破したようだ。後は料理を作るだけでいい。

「じゃあ二十時くらいでよろしいですか?」

「そうですね、それではまた。何か持っていくものはありますか?」

「いえ、特にありません。全てお任せください」

「わかりましたっ。是非お願いしますっ!」椿は気合が入った声で叫び頭を下げてきた。

 ……こうなったら失敗は許されない。

 彼と同じように心の中で気合を入れる。椿の食欲を満たすために全身全霊を掛けて鍋に向かわなければならない。腕によりをかけなければ。

 深呼吸を二回して車に戻る。家に帰るまでに口元の緩みを止めなければならないためだ。この表情のまま家に帰れば桃子に間違いなくばれてしまうだろう。

 何より椿が来る経緯を今から考えなければならないのだ。それはさも偶然に起こったもので決して自分の意志ではなかったことにしなければならない。そして彼が来た所で鍋は味噌鍋になっていなければならない。

 ……うーん、どうすれば上手くいくのだろう?

 こんな複雑な設定をどうやって伝えればいいのだろうか。相手は桃子だ。すでにばれているも同然、明らかに分が悪い。

 様々な思惑が飛び交う中、彼女は顔を引き締めて鏡をチェックした。だがその緩みはまだ収まりそうにない。椿と一緒に食事ができるというだけで心臓は高鳴っている。

 それはしばらく時間を置かなければ帰れないことを意味していた。





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