ねむりながらゆすれ
…ロッカバイ・ゼパーダ…
――これは戯曲連作「風土と存在」第四十一番目の試みである
時 1992年とその前後16年間
場 トランスニストリアとその近隣諸国
人 ゼパーダ(ブコヴィナの人、女性、当時24歳)
1.聖ニコラエ聖堂、バリネシュティ邑、ルーマニア、1976年3月
会堂(プロナオス)内の淡い光。日曜。雪の朝の静けさ。散会後の長椅子。
おばあちゃん。寝てる…? おばあちゃん。晴れたよ。街道の向こうまで、雪で光ってますよ。ロバ…? いやだ、日曜ですよ。もう、みんな帰りましたよ。しわしわのおばあちゃん…いくつなの。今年は何年か…分かるもん、さっき教えてもらった、7484年ですって、世界ができてから…。大きくなりたいな。
ならなくて、ええんじゃ…。
え? でも、初めての春ですよ。大きくなりたい。そう! こないだ川原で、雪割り草、見つけましたよ。あとね、こないだグラメの市(いち)でロマの人が、ラジオっていうの据えてて、ナディア…なんとかって何度も言ってた、なんかすごいって。すごい女の人なんだって。ロシアの言葉でよく分からなかったけど。ナディアってなにかしら。のぞみ? のぞみかあ。ゼパーダは雪でしょ。ゼパーダ、冬に生まれたんだよね。
むかし、まだおじいさんも元気だったころ、どうしたもんかあたしたちには子どもがなくてねえ、さびしいことじゃったよ。とりわけ冬になると、西の山雪が何ヶ月もこのブコヴィナを降り鎖(とざ)すじゃろ。雪うさぎのキラキラはねるのを見ていたら、ある時ふと思いついてね、いや、ほんとうはもう何年も、何十年も前から、のどのとこまで出かかってたんだけど、その朝はあんまり雪が明るくてねえ。ねえおじいさん、雪で女の子をつくりましょうよ。とびきりかわいい女の子を。
それが、あたし…?
そりゃあ一生懸命こさえたもんさ。まっしろなおさげに革の沓、チョッキの刺繍までていねいに。そしたら、主よみそなわせ、なんだかその子のほっぺに赤味がさしたようでね。思う間もなく、キャッキャ笑って、野原に駆けだしていった、そりゃあキラキラしてね。そいであたしらはその子に、ゆきむすめ、ゼパーダと名前をつけた…。その冬いっぱい、あたしたちは若返ったようだったよ。飼い葉繰りも天秤運びも苦にもならなかったね。ゼパーダはかしこくて優しくて、純で、ほんになあ、申し分のない孫じゃった。歌もうまくてな。
♪街道しろくとざし
堅きはこやなぎと
カルパティアのしろかね
村まであと幾里
海ははるか千里
なみうつ丘のわだち
日はシュウと燃えて
馬そりはあゆむ
熱き草の芽よ
やがてセレトの川に雪溶けの濁りが混じりはじめて、ますの仔たちがオデッサに下っていくころになると、なぜだろう、ゆきむすめは時折、憂(うれ)いた顔をするようになった。どうしたんだえ娘や、加減でも悪いのかえ、訊いても、ううんおばあさん、大丈夫、なんでもないの…。とりわけ時に春めいた日差しが樅の林を青銅のようにカーンと照らす日なかなぞには、もうゼパーダはほのかに青ざめて、ベッドの奥に籠もって繕い物なぞしながら夕方まで過ごすようになった…。あたしゃ心配になってね、遊び仲間の女の子たちに訊いてもみるが、みんな見当もつかなんだ。そいで一番元気な子に頼んだんだ、ちょいとそこの川原へピクニックにでも連れてってやっておくれよ、雪割り草でも摘みにいくと言ってさ。ナディアは喜んで請け負った。さっそく次の朝、キラキラの朝日をしょって迎えに来た。ゼパーダは眉根に雲を浮かせたけど、行っておいで娘や、うちのことはあたしたちがするから、と言って鳥パンを包んで送ってやった。川原は近くて、時折風に乗って、みんなの遊ぶ声がかすかにうちまで聞こえてきた…。――あとから聞いたことだが、昼間のうちはそれでも楽しくやってたそうな。暮れてきて、肌寒さに流れ木を蒐めて焚き火を始めてしばらく、誰ともなく、焚き火の跳び越えっこをしようよ、と言いだしたのだそうな。脂に充ちた樅の枝はバチバチと盛んに燃えて、むすめはためらって辞退した。そうしたら――無理もない――え、跳べないの? こわいのね…? とみなが囃して…。ナディアは、ちくりと胸を痛めながら、それでもどうしていいか分からなかったのだと。ゼパーダは言った。跳べるわ。こわくなんかないわ。そうして白いあしをかもしかのようにバネにして、燃えさかる火に向かって大きく跳んだ…。――それっきり…、降りてこなかった…。ただ、ひとすじの湯気が、焚き火の上から空に向かって、細く長く、立ちのぼっているだけだった…。
それが、あたしなの…、おばあさん…?
いいや、おまえはおまえだよ…。ね、こっちへおいで。この教会の壁絵には、古い聖人様たちが沢山おいでだ。エス様もおいでだし、三人の博士様も、お棺を守るローマの兵隊さんたちも。たっといことさ。ここで、もうしばらく生きるんだよ。世界はその戸口の向こうにあるけど、もうしばらくのあいだ、ここで…。ゼパーダ…、いい子におなり――。
2.ドニエストル水力発電所、ドゥベサリ市、1992年5月
初夏の晴天。遠い砲撃音。建物の鉄扉の前で警護の義勇兵と対峙する。
お願い、入れてちょうだい。フィアンセがいるんです。どうしても会っておかなくちゃ。危険? 危険は分かっています。もっと危険になる前に話しておかなきゃならないの。あなた、知ってるわ…スチャヴァの中学で見たことある。集団就職で来たのね、私といっしょ。なら分かるでしょ。こんな戦争なんて何にもならない。私たちロシアの敵じゃないよ、一緒にここを盛り立てるために越して来たんだし、敵だったら私ら、とっくにモルドヴァに戻ってるよ。なぜ川のこっちにまだいるかって? 故郷でもないのにいるのは、ここに暮らしがあるからでしょう? ね、会わせて。できない? できないならせめてアントンに、ベローチの家に帰っておいでなさいって伝えて。静かにしてれば収まるのよ、ほんのルブニツァの外れよ、車で1時間行くだけで、戦争なんか無縁の村だよって。ね、ミルチャお願い! ルビンシテイン家なんて百年もそれよりも前からのロシアの古いおうちよ、たかが去年独立したばかりのモルドヴァに、追い出すなんてできるはずないじゃない。――砲撃が聞こえる。ええ、ええ聞こえますとも残念ながら。でも、まだあれ、威嚇でしょうに。いいこと、この闘いは、やれば独立派が勝つわ。趨勢は見えてる。ニストリアはたったの50万人でも、その後ろには世界最強のロシア第14軍がついてるのよ、モルドヴァによもやルーマニアが加勢したって、てんで勝負にもならない。そんな分かり切ったことのために、もしかして何百人かが死ななきゃならない。それ必要? とんでもないよ! この国は孤立した飛び地なんだよ、モルドヴァとウクライナに包まれた、玉子の黄身なんだよ、守ってくれる白身のクッションに、栄養をお返しであげるのが私らの立場でしょう。争う必要も得もないじゃないの。ああ、でもミルチャ、あなたと話しに来たんじゃないの。アントン! まだ無事なんでしょ、ねえアントン! ね、これは、しなくても済む争い。撃っちゃだめ。撃たれてもこらえるの。大ルーマニアなんてもう昔のはなし、いいえ、ブコヴィナの僻地に育ったから分かる、もともと大ルーマニアなんてもの、なかったんだ。幻だったんだ。争おうにも争う主体がないんだよ。銃弾は要らないよバリケードだけで充分なんだよ。ね、戦闘が終わったら、どう転んだって、こっちの電気をあっちに売るしかないんじゃない? 冶金だってガスだって持ちつ持たれつでやるしかないでしょう。このダムはね、アントン! みっつの国を繋ぐ橋なんだよ。ドゥベサリは古いルーマニア語で「渡し守」の意味。そしてドニエストルは「近き川」。ね、ここは壁じゃなくて道なんだよ。――ああ、砲撃が聞こえる。聞こえますとも残念ながら。アントン。やはり、私は闘えない…。愛してるわ(ya tebe lyublyu)。そして、お屋敷で待ってる。ルビンシテインの踊り場は、あなたの肖像を掲げる額を残しているよ。伯父様はここ数週間、めっきり老けて、ほとんど話さなくなってしまった。乳母のアンフィーサはあなたのことばかり案じている。こおんなに小さかったんですよ、若奥様。今は六尺の大男でもね、取り上げた時には綿毛のように軽くてね、本当に、こおんなに小さかったんですから…。ではね。ブコヴィナの黒い土に賭けて、この無益な争いがひとりの犠牲者もなく収まりますように――。
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