タジン鍋というのが流行っているらしい。どんなものかを説明するのはアッシのシゴトではないので、こちらをご覧あれ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%83%B3%E9%8D%8B
とんがり帽子みたいな形状で、マグレブ諸国に特有のものらしい。すなわち、モロッコ、チュニジア、アルジェリアの三国である。
アラビア語辞典を引くと、「語根が存在しない」。
「語根が存在せず」、また、マグレブのみで使用されることから、当然、外来語ということになる。いちばんに考えられるのは、この地域の先住民のベルベル語である。しかし、調べてみると、
τάγηνον tágēnon [ ' タゲーノン ] 「フライパン」。ギリシャ語
からの借用という説しか見つからなかった。
もし、ギリシャ語から入ったのなら、紀元4世紀より前と考えられる。なぜなら、それ以降のコイネーならば、γ の音は [ ɣ ] であり、これは、アラビア語の غ ghayn と同音になってしまう。
アラビア語は、外来語に g が入っていると、これを j で受ける。たとえば、
サンスクリット nāranga- 「ナーランガ」
アラビア語 nāranj 「ナーランヂ」
スペイン語 naranja 「ナランハ」 (古くは 「ナランジャ」)
フランス語 orange 「オランジュ」
のごとくである。
だから、 γ は [ g ] である必要がある。
あるいは、シチリア島など地中海のギリシャ移民のあいだでは、後世まで古い発音が残っていたのかもしれない。もっとも、南イタリアやシチリア島などで話されるグリーコ語でも、γι- は [ ʝ ] であり、ギリシャ本国と同じ音変化を起こしている。
現代ギリシャ語では、フライパンを
τηγάνι tighani [ ティ ' がーニ ] 「フライパン」
と言う。これは、 τάγηνον 「タゲーノン」 のヴァリアントが変化したものだ。
τήγανον tēganon [ テ ' エガノン ] ※ a と ē が入れ替わった語形
↓
τηγάνιον tighanion [ ティ ' がニオン ] 中世ギリシャ語
↓
τηγάνι tighani [ ティ ' ガーニ ] 現代ギリシャ語
古典ギリシャ語で -ον に終わる中性名詞は、後世の口語で、語尾を -ion という “指小辞” にいっせいに置き換えられたらしい。さらに、-on が脱落したため、古典ギリシャ語で -ον -on に終わった語は、現代ギリシャ語では -ι -i で終わり、なおかつ、アクセントが1音節後ろにズレていることが多い。
ところで、アラビア語版の Wikipedia で 「タジン鍋」 を引くと、
見出し語は ṭājīn 「タージーン」
になっており、本文では、3つの語形を挙げている。ならば、モロッコでは、どの語を使うべきなのか、Wikipedia の “アラビア語・モロッコ限定” で使用頻度を調べてみた。
طاجن ṭājin [ ' とーヂン ] …… 288件
طيجن ṭayjan [ ' とイヂャン ] …… 0件
طاجين ṭājīn [ とー ' ヂーン ] …… 13,800件
どうやら、モロッコでは、「タージーン」 が普通らしい。日本人というのは、アラビアの文物を、ほとんど、直接、採り入れることがない。多くは、マグレブとつながりのあるフランスなどから採り入れる。そのため、アラビア語の母音の長短が、ほとんどの場合、消失している。
また、「タージーン」 は料理の名前ではなく、鍋の名前であり、タジン鍋は
マウント・フジヤマ、アラカワ・リヴァー
みたいな呼び名である。韓国語の “찌개” 「チゲ」 “鍋料理” というコトバを引いて、「チゲ鍋」 (=「ナベ料理ナベ」) と言うのに似ている。
ついでに、チュニジアとアルジェリアでの呼び名も調べてみやう。
【 チュニジア 】
طاجن ṭājin [ ' とーヂン ] …… 20件
طيجن ṭayjan [ ' とイヂャン ] …… 0件
طاجين ṭājīn [ とー ' ヂーン ] …… 892件
【 アルジェリア 】
طاجن ṭājin [ ' とーヂン ] …… 49件
طيجن ṭayjan [ ' とイヂャン ] …… 0件
طاجين ṭājīn [ とー ' ヂーン ] …… 14,700件
どうやら、モロッコ、アルジェリアとも、「タージーン」 と言うのが普通らしい。
チュニジアは、少し、奇妙な結果だ。民族料理にしてはヒット数が少なすぎる。チュニジアでは、別の語形、あるいは、別の呼び名があるのかもしれない。
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