読書補足浄土教については主体、客体、信仰は本では実在しないとのべているにもかかわらずなぜ唱えつづけるとよいのかわたくしは違和感を感じましたまた禅は身心脱落とかいいながらなぜ坐禅をつづけるのかも違和感を感じましたまた無常をかんずる菩提心?よい
今帰宅しました。今日はふるさとである隣町でのスポットワークがあったので行ってまいりました。(来週もですが)懐かしいので昔の地域をかなり散歩してまわってから職場にいきました。職場の人々はみな親切でした。帰りに駅前のビルにもどり上の階の本屋さん
この日常世界では特別の愛や特別の憎悪という自我の縁、表現か特別ではない愛(無条件の愛、存在の愛、神の愛)による癒ししかないかもしれません前者はほんとうは後者を求めているというのが深層心理なのかもしれませんこの日常世界はすべての現象がシンクロ
ごくかんたんにいえば最後の人生では、活動による二元の幻が起きているようにみえていても活動(努力)は実在ではないと識別する自我も、識別も無意味となっているのが自然統一でありつまりナチュラルへの解放です
昼ご飯のあとに雲◯斎さんの今年はじめてらしい昨日のYouTubeをみてニューヨーク発祥の奇跡講座ACIMをもとにした小説2冊の出版のお話をされていたのを聞いていました。そのあとすぐまだ見ていなかった一昨日の土曜日の地上波のアナザースカイをみることにした
自我により二つのかんちがいが生じます自我は主体以前の実在を客体として観察、そして選択できるとかいうかんちがいです それは無理です実在はただ在る平和なのです(自分は何かという気づきは幻です)もう一つは主体の対象は主体の外に想作できるという勘違
疑惑というのは在るがままへの無知なのかもしれません私は努力をする私は自分を疑うどれも努力かもしれません努力が私の正体かもしれませんまず空想努力があり「私」という信念に成りますつまり私より以前に空想エネルギーつまり努力があるのかもしれないです
そもそも仏教自体もあまり興味がなくて一応よんでるだけなんですこの宇宙は努力によって投影されてる世界で無常ですなのに仏教はこの世界は無常である怠ることなく精進しなさいという仏教の創始者の遺言を守っていますわたくしには矛盾としかおもえませんね^_
スポットワークをしていて気づいたこと慣れていた今までの仕事(送迎の車の運転も含めて)とはべつに新しい仕事をあちこちでしてサービスを受ける側とは反対の裏方の労働を提供する側の事態がより明らかになったそれはこの日常世界は無条件ではなくいわゆる昔
不眠のほんとうの原因不眠という自我病(自我の欲)について自我を強く信じており欲が強いのが不眠のほんとうの原因です人生の目的地が実在すると盲信しているので心(自我)が休まらないのです目的地とは世俗的な目的やスピリチュアルな目的を盲信しているこ
意識の反転とはナチュラルスピリット(ただ在る)のワクワクからの空想努力(個)の主体化催眠により神(仏)も対象としてあらわれる(想作)神(仏)への前進があるかのようにみえていたがナチュラルスピリットからの催眠解除(癒し)により意識が反転し対象
素人12因縁煩悩(ワクワク)の漏がつまり空想努力であり個であり主体化催眠(我)をもたらす^_^空想努力による個の催眠化(無明 我)は有ではなく無でもない空想(空性)でありすべての12因縁空想エネルギーは在るがまま(無条件 無努力)へと癒される
インドの本ではすでに存在しているならば、どうして新しく生じる必要があるのか。また、それが存在していないのならば、本性を獲得する基体が存在していないのであるから、どうしてそれが生じるのか。とかかれています本性の獲得ということを、存在論のレベル
最近見たスピリチュアル対談動画https://youtu.be/Os7ONbjntAs?si=tcaa9A5tNjGhVg7uこの対談動画にでてくる中毒者による暴走事故ニュースなどは2012年のアセンションやニューエイジムーブメントの時期に発生していたのです。そのような本や時代の影響の弊害に
昨日はメッセージが湧いたので直感のままにかきましたこれだけで十分だとおもいます^_^これを哲学的にかくとしたら以下のような話になります在るがまま(ほんとうの源)のなかのワクワクから幻の主体が作られて(自我の性質は、好奇であり苦しみです)幻の主
神への前進はありえないというのも神はすでに在り神に還る私たちは神により送りだされたからであるこれが前進だったのであり神への帰還とは後退(無努力)にほかならないそして私たちは無努力 無条件である神に帰還するのである実在は無条件 無努力であり癒
図書館の本をよんで湧いた感想人の行為を見て裁く(幻を実在とする)ためにはあなたもそこにいるだろう罪を見て裁かれた囚人を見張る看守のようにともにそこにいるだろう許さない者(幻を実在とする者)はともに二人とも牢獄にいる牢獄の柵の中と外になんのち
無努力という平和な世界最初の努力はただ在る実在のなかのサブ性質であるワクワクという実在から空想がおきましたそれは空想という区別の状態であり無限(実在)とは違う有限な実在ではない空想(個の状態)を作ったのですそういう空想の区別を実在と信じたと
映画レンタル旅のエピソードについて昨日、母が地上波の番組について教えてくれたのですが(ちなみに昨日は、地上波のぐるナイ、の、ごちになります!の番組がお休みでしたこのグルメ番組には映画ちはやふるの続編ドラマ版ちはやふる めぐりで、最終回に、ち
あるエッセイを読書していて浮かんだ言葉映画でもそうだがよくある悲劇のセリフとして大事な誰かをなくし心にあいた穴どうやって埋めればいいのかこれは冷静と情熱のあいだという愛(麒麟)のメッセージ映画でもラストにでてくるセリフだしかし真の麒麟(ナチ
先日、偶然に古本屋(BOOKOFFチェーン店)でスピ系の本をみつけて2人の霊能者さんの一方はマンガでもう一人の方はエッセイの本をかいました^_^マンガの本はよみおわりました。わたくしの住む大阪南部から近い和歌山県の高野山で、霊能が開花したという人でし