不安とは安定(スピリット すでにただ在る)ではなく空想的であるということです空しさ、無力感(そして災害など)も自我の世界です自我の世界は前向きの姿勢と後ろ向きの姿勢という二元性です陽気と憂鬱が自我の世界です自我の世界の現実創造は日常生活レベ
ニセのスピリチュアルの終焉ナチュラルノンデュアリティにおいては自我の動機は実在しません神(実相)におけるワクワクが封印されるからです自我とはすなわち活動性(主体性)ですナチュラルノンデュアリティにおいてはなにも起きていなかったという真実(在
この世の「命」とは心と物質のことです(名色)といいますしたがってこの世の「命」は支え合うことが善行であり、死後天界にいきます。しかし出世間(出家)においては名色(心と物質)への愛着を一切捨てることが解脱ということになりますこの世の「命」は生
前野教授はおそらく受動顕在意識仮説というのを脳と環境の相互作用だと考えている(科学者なので)のでしょうけどノンデュアリティのイエスの奇跡講座(ACIM)では脳や環境つまり宇宙自体を形而上の大自我が投影していると教えていますそして大自我はどうじに
リベットの実験では指を曲げようという自由意志?の0.35秒前に脳の無意識による指令がはじまっていることが明らかになっていますこういうはなしをよむとタフティのような自由意志?メソッドにより未来のシナリオを選ぼうというその自由意志はすでに脳が無意識
ナチュラルノンデュアリティのことば在るがままの癒しが平安でありうち側(自我、自力)やそと側(他力)は非実在ですつまり自力も他力も幻の概念です自我のそと側とはなんでしょうかそれは偽りの宇宙(モノや肉体)であり依存しても架空なのです同様に自我の
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おはようございます。昨日は大阪は強風がふいていましたが今朝はお天気で、風もあまり強くないようです。昨日は花粉も飛んでいそうなので、自宅にいて、ずっと読書をしていました。現在はNHKの大河ドラマ「豊臣兄弟」が放送されており、わたくしは大河ドラマ
本日の原始仏教読書実に苦のみが生起してまた苦がとどまり、消滅す苦よりほかに生じるものなく苦よりほかに滅するものなしパーリ仏典ヴァジラー経
現実創造における勘違い実在は在るがままであるそこには幻想はないさて たとえばお金がないと信じているのは欠乏感が心の底にあるからと説くスピーカーがいる欠乏感とはなにかそれは実在ではないという空虚さの存在であるという状態であるでは満たされている
おはようございます今朝はイエスの奇跡講座(ACIM)の形而上学からみた場合のマインドフルネスについての感想について、試論してみたいとおもいました仏教以外でもさいきん流行のノンデュアリティの説明では日常の思考よりも感覚(五感)に意識をむけようそし
タフティでは愛されたいならまず自分がそのまえに前提なしに愛そうとしなさいといいますこれは真の無条件という意味ではなくそういう夢をみたいならまず自分が愛という主体的な活動性をもちなさい(創造)というものですから活動を奨励していて真の実在(ただ
本日のナチュラルノンデュアリティのことば(仮説)そもそも努力が実在していないので心や物とわけることがない心や物をわけて それぞれを観察することもないはじめから在るがままからの、分離(わたし)は実在せず分別するものはいない自然解放のさいごの生
タフティ読書 真ん中あたりまできました。タフティでは三つ編み(つまり操り人形のための糸)そしてそのアンテナをたててアクセスするそれがパワー(?魂の位置 プレゼンス 気づきの中心)のある場所であるそのパワーポイントではタフティのいう創造主のメ
水瓶座の時代については神智学の、ベンジャミンクレームの、マイトレーヤーの使命という本によると、移行時期があり、西暦1600年ぐらいから、すでに移行しはじめているとかかれていました。つまり、日本では赤い彗星(伝染病)がおちた時期に放送された麒麟が
タフティ・ザ・プリーステス読書中の感想(まだ3分の1くらい)タフティという本では外部スクリーン(外側の現象)と内部スクリーン(内的思考など)とはべつに肩甲骨のうしろの空中アンテナに魂のような立ち位置があるとのべていますそのようなうしろのアンテ
のんびり生活のおしらせ最近、Amazonにてナチュラルノンデュアリティについてうまくコンパクトにまとめた小冊子(ノンデュアリティ 試論)を出稿したためネット活動は規模を小さくしておやすみしがちになりますネットで、交流したい方はLINEのオープンチャッ
本日の仏教読書の整理内容無記については、釈尊は、五蘊(色受想行識つまり身心)ではないので、そのような意味で死後、彼が存在するとか、しないとかは回答されませんでした(無記)。世界についても、無限(常見)か有限(断滅見)かは回答されませんでした
仏教読書していて、湧いたスピリチュアル感想魔、釣り師、ジャッカルのたとえはスピリチュアルにおける形而上の架空の大自我の世界観に似ていると感じましたつまりそれらは無明のことですジャッカル(スピリチュアルでは主体化催眠に陥った大自我)は亀(小自
NACのナチュラルノンデュアリティの小冊子を先週からAmazonのプリントオンデマンド方式で個人出版いたしました。題 ノンデュアリティ 試論です(パソコンをもっていないため、スマホアプリで、作成できるフォトブック用アプリを使用いたしました。そのため
煩悩はスピリチュアル的な世界観においてはワクワクと同義であろうノンデュアリティにおいては基盤である実在はすでに在る、そしてプラス、サブ性質のワクワクであるしたがってノンデュアリティの基盤自体はメインの性質は主体ではなく在るがままであるそして
心が投影した結果である宇宙宇宙は心から離れてはいないそして心もまたその源であるノーマインドから離れていない宇宙も心も離れているかのようにみられていたことで、仮に存在していた空想といえるのであり、完全に離れたと信じこんだとき、現実だと妄想され
本日のナチュラルノンデュアリティのメッセージこの世の中にはおかしなメッセージがある小さな自我を手放し、宇宙にまかせようなどと発信しているようだが幻想の宇宙を誤創造したのは大自我なのであるその支配にまかせても平安にはならないこの宇宙にある地球
気づき系発信によくある勘違い今は 瞬間のことではない。今は瞬間に気づくことができる永遠の今です。そしていわゆるスクリーンは悟りではありません。それは主体化催眠(大自我)の反映である魂がみているスクリーンです魂を忘れているのでスクリーンが基盤
自分も他者も宇宙も同じ一つの大自我からきています(誤想像)そのネガティブな心理現象をイケイケのポジティブな心理現象にかえようとしたところで癒しにはなりません好奇心(特別の愛もふくめ)と自己憎悪は表裏一体(不自然な苦しみ)だからですそれは行為
学びとは幻のなかのことですそれがなければこの日常生活で生き抜くことはできませんしかし実在は無条件、無努力であり実在については学びは必要ではありません学びはいらなかった主体はいらなかったという真実だからですね