真の涅槃この日常世界では生起と消滅が幻のようにあるそれと同様に形而上学的な概念においても自我の生成と消滅としての涅槃があるとする当然、形而上学的な概念であるこの生成と消滅もこの世界の生起と消滅とおなじく幻のなかのエネルギー状態の説明なのであ
たとえば聖霊はノーマインドの記憶ですので主体以前に本体がありますそれを主体が選択する(客体とする)と説くとおかしなことになります(愛着、自我の特別の関係としての聖霊と成りますそして愛着が真理だと錯覚することとなります)これをべつの表現で説明
ナチュラルノンデュアリティとは自己(ここでは主体という意味)、および、世界を対象化している分別をいやしている無分別智(すでにただ在る)なのであり、分別を幻としりそれに執着することなく恐怖や愛着(好奇心)を起こすことなくそれらを癒していること
仏教書の感想わたくしは龍樹が王にたいして説いた十地という途方もなく長々とした菩薩への境地に関心はありませんが龍樹の縁起については関心がありますそのまま信じるわけではありませんが。龍樹が寄って立つ、龍樹がうまれる前に興隆していた大乗経典は説一
鑑賞させていただいた映画(TSUTAYAにてレンタル)日本映画 「八犬伝」(2024年)主演 役所広司内野聖陽土屋太鳳渡邊圭祐鈴木仁板垣李光人栗山千明磯村勇斗立川談春黒木華寺島しのぶほか最期の八ヶ月の共同作業と四ツ谷怪談(奈落での対話)との対比がよか
無明とはなにか無明とは基盤ではない状態のことである(実在である基盤はナチュラルスピリットである)無明のあと縁起がおきてゆくことになるしたがって無明は縁起をしらないこと「ではない」(この説は矛盾している)このまちがった説をとく仏教のある一派は
空とはなにか空(くう、空想)は有るのでも、無いのでもない空想は実在ではないし、エネルギーが無い状態でもない、夢としてのエネルギー状態である空はナチュラルスピリット(実在)からの空想エネルギーであり、仮であり有るのでも無いのでもないか
(本日湧いたノンデュアリティ感想)真のナチュラルノンデュアリティとは幻想として生じた自我を信じ込んでいるときそれを投影した無常のこの世界をみる無常であり非実在である者が無常の夢をみるのであるそうではなくナチュラルにいやされているとき在るがま
図書館で借りている今読書している仏教の解説本によると、(仏滅後に弟子にまとめられた阿含経典からさらに体系化されたアビダルマの本である。ちなみに、今よんでいる本は南伝仏教のアビダンマではなく北伝仏教のガンダーラ(カシミール)で発展したアビダル
時を要しない真実在たとえばブッダが愚かな行為(苦行)をやめ世界を空(仮の12因縁)とみて菩提樹下で目覚めたとしようそして仏陀はすぐ教えはじめたとしようここで疑問におもうことになるのは真実とは何かに気づいてそのための修行をはじめたわけではなく
ノンデュアリティ試論最近、禅の本を図書館でかりてよんだが、不二一元を提唱しているにもかかわらず宇宙や地球は一元のあらわれですばらしいなどという、マーヤーによる生命をたたえて、慈善もすすめているこれは純粋一元(無条件 在るがまま)ではないとい
ナチュラルではない空想(好奇、不自然)を現実化することは空想された個を行為者という催眠として自我と成ることであるその行為者(形而上の大自我)自体がカルマ主であり好奇であり苦しみの幻想の存在である彼は催眠(独房)のなかにおいてさらに妄想(投影
罪も徳も実在ではないどちらも在るがままではないそれらは活動(つまり幻想)であるそして不自然(つまり苦しみ)な状態である活動という幻想を信じている者(実在しない行為者、個)だけがその行為(カルマ)の結果という想像の天国状態や地獄状態をさまよう
平和、暴力について感想ナチュラルスピリット(平和)のみが非暴力である暴力とは思いであるもし?という好奇心であり苦しみである不自然な想念が暴力であるすなわち、そのような心および投影された宇宙すべてが暴力そのものであるナチュラルスピリット(無我
自然統一によるいやし(覚醒 転法輪)存在意識は二つには分けられない(能所つまり主客は空想である)12因縁も成ることはない(それらは空想である)すべての幻想は正覚(今)のなかにあるオートマチックにおきた空(くう)想にすぎないのである
小乗と大乗について小乗とは出世間智であり自利であるその出世間智である実在智が慈悲により12因縁について転法輪してつまり能所(主体と客体)の世界がはたらいているところにおいてそれを空じ、癒しているのであるこの利他 慈悲 として世に貢献する(世を
本願(宿願)とは根本願無時間の我執我所執をいやす無明 行 識 (つまり主体と客体)をいやす(能所寂滅ともいう 能は主体、所は客体)空亦復空(くうやくぶくう)のいやしとは自我がつかむ空に住することも我所執でありそれをもいやすこと親鸞もいうよう
仏(勝義)は法(諸法 12因縁)を慈悲により説く(世俗諦)この幻想世界、空の世界の起源、成り立ちをあきらかにし如来(転法輪 諸法実相化 清浄化)により空の世界は実在へと帰還するこれが如去(在るがままへ去る 宇宙の終焉)である
素人による仏教ばなし諸法実相とは転法輪により癒された世界のことであるすなわち実在(ただ在る ナチュラルスピリット)からの空想された個にすぎないものとしてとして癒されるまちがった空は主体が空概念(悟り)をつかんだ状態であり空停滞をもたらし、癒
在るがまま(如実在)においては因果(二元)も因縁果(三元)も幻想であるつまり二元論自力も 自がつくりだした他に頼る力も三元論自も力(創造作用 縁)も他も幻想なのである
新説12因縁かんたん仮説(ナチュラルノンデュアリティオートマチックの説明用として)ナチュラルスピリット(明知 ただ在る 実在)無明(源からはなれていない空想された個)行(主体化解離催眠 行為者 宇宙カルマの主体)行から以下のこりの12因縁のつづ
即救済とそのほかの道スピリチュアルには即救済のメッセージがあったのだ昔は3次元では努力が必要で願いが実現するには時間がかかりますというメッセージだったこれにたいしてあの世や、高次元や、心のレベルでは願いはすぐに実現するよというメッセージもあ