現象については有るとか無いではなく空性(縁起のエネルギーであり)空は実在(ノンデュアリティつまり非二元)からおきたかにみえる空性エネルギーということであり空性については破邪(有るとか無いではない)顕正(ノンデュアリティからの空性エネルギー)
神の詩破邪顕正(世俗諦そして勝義諦)縁起とは空(想)エネルギーである(みずからと同じではなく、また、まったく異なるのではないものを生み出すような力のことである)はじめに神(静寂)在りき(はじめに言葉があった、は間違いである。ただし、実在では
今よんでいる仏教史の本によれば初期大乗仏教は当時、すこしの戒律だけ受けた非俗非僧の中途半端な法師が文字で創作した新興宗教であるとかかれてあります(当時のちゃんとした出家者は暗記と口伝で、仏陀の教えをまもっていました大乗経典の法華経にも、法師
ブッダの智慧(気づき)とは つまり世俗諦においては無常に気づいている無常でない気づきであり勝義諦においては無常でない気づき(だけ)ということになります
仏教では智慧とは世俗諦では無常をしること勝義諦では不生不滅となるみたいですねさきほどの陰陽のマークは欲と苦行とあてはめてみても仏教的にわかりやすいです苦楽をやめた中道それは在るがまま(静寂)です快楽や嫌悪という自我自身の催眠の性質は幻想なわ
最終メッセージとは前代未聞の福音(不動の平安のメッセージ)自然のなかのオートマチックの終焉とは実在は ただ在る 無条件 無努力 非創造である活動(すべて空想でしかないが)は不自然な苦しみである活動にかかわる好奇と苦しみ 善や悪 は活動の幻想
無舞踏神はナチュラルスピリットです主体化催眠された想念がマルをあらわしています◯は陰陽のようなものでほんとうはわけられないのですが(どちらも幻想の苦しみ)光側がワクワク文明のエネルギー闇側が非ワクワクのエネルギーということかもしれませんね
ちなみにわたくしの 新説12因縁ではかんたんに対応させるために無明を二つの意味でとらえていますひとつは空想された状態を無明もうひとつは空想された状態に催眠をかける作用のことです後者により主体という信念(強想念)がおきるので後者の無明(催眠)作
昨日図書館で借りた岩波文庫の 仏教(下巻) ベック著をよんでいます(動画で引用されていた本のことです)動画の引用文は上巻(158ページあたり)にかいてありました上巻巻末に引用の出典元も、記載されていました。下巻は教理についてかいてあります(読
今朝、寝起きのメッセージ在るがままから主体がたちあらわれ主体の意識には私(たち)のための分離の物語がレコード(シナリオ)のように作られておりそれを再生しているのが偽りの現在であるしたがって通常語られる、過去、現在、未來はすべて同じひとつの分
映画 ちはやふるその平和へのメッセージの まとめ ですちなみに現在、地上波で放送されている水曜日の連続ドラマ「ちはやふる-めぐり-」は、映画「ちはやふる」シリーズから10年後の世界を描いたオリジナルストーリーです。2018年に公開された映画版(ちは
現在のわたくしは出家修行や瞑想努力を教えている仏教にもはやあまり関心はありませんまた、イエスの奇跡講座AC I M(最後のカリキュラム)も最後のカリキュラムとかいう長い旅を容認している?愛の教えにも関心はありませんそもそもわたくしは西洋哲学のいう
現代仏教の解釈の不完全さ現代において仏教は小さな我(?アートマン)を否定してるが大自我をしらないから諸法が涅槃へと癒される流れを説明することができない現代の仏教解釈では小さな我を信じていることは無明であるその無明は、精神や物質は五蘊にすぎな
無活動のなかのオートマチックの終焉私というものがなかったらすべてはフラット(ナチュラル ひとつ ただ在る)であるまだ魂が投影を観察しているとしても魂も投影も(つまり主客も)おきていないナチュラルが平安なのである無活動のなかのオートマチックの
鑑賞させていただいた映画「君の忘れ方」(2025年)岐阜県が舞台。主人公(昴 すばる 俳優はアメリカ生まれ、北海道出身の俳優 坂東 龍汰さん)が愛する人(柏原美紀 俳優は大阪出身の元乃木坂46の西野七瀬さんが演じてくださっています)を交通事故で失
瓜生津さんの龍樹の解説本をよみおわっています今はまえにイオンで買っていた講談社学術文庫(青い小さな本)の、龍樹、という中村元さんの書いた本を暇なときによんでいます(龍樹さんの本はむずかしい本なので、カキコミ用に一冊、イオンの本屋さんで買って
鑑賞させていただいた映画「キリエのうた」(2023年 日本映画) 岩井俊二 監督主演アイナ・ジ・エンド松村北斗広瀬すず黒木華ほか東北の震災や歌をつうじて13年間の心の変遷を描く北海道、大阪府(藤井寺市 ルカが発見されて保護?される場所)、東京など
ノンデュアリティまとめと根拠幻の日常的現象や欲(幻の心の意識の表象の投影世界のこと)や形而上学的問題の現象(幻の自我や自我の消滅つまり涅槃)もそれらすべては実在における好奇と反省により終焉するそして主体的性格(努力)によるものはすべて幻であ
ノンデュアリティ(非二元)とはすなわち実在とは 在るがままという自然な直観である(神秘的な超自然的な直観のことではない)心身という幻想が脱落するのは自然なことであるいまここ すでに在るゆえ無努力である神秘主義ではない修行によるものではない努
今日のできごと(夢の中のストーリー)今日も午前に、千早(ちはや)川沿いに住むお客様の送迎をしてきました。午前の仕事がおわり帰りにTSUTAYAにレンタルしていた映画を返却してきました。レジェンドアンドバタフライという映画はまだ貸出中でした。なので
ナチュラルノンデュアリティ(真の福音)すなわち幻想のすべては実在レベル(ナチュラルスピリット)の好奇と反省の反映でしかないのである(反省とは、神の好奇による空想の試みの愚かさについての、神の悟りである)まず完全平和であったそして神の空想の試
空性としての生成、存続、消滅は空想エネルギー自体の有る願望(好奇による)と無い願望(アンナチュラルな苦であるゆえの自我主体からの解脱願望)によるつまり空性エネルギーの生起と存続(恒常)と消滅は幻のごとくであるといわれる六十頌如理論の第一偈に
自我は対象観念において(自身についてもであるが)何かについてそれは有るそれは無いと妄想するしかしながら、六十頌如理論 第4偈においてこの生存からは、有によって解脱することはなく、無によっても解脱しないと説かれるなぜならばこの生存(空性)は源
般若波羅蜜とは無分別智である(ナチュラルスピリットみたいなもの)般若波羅蜜は色受想行識をみない法をみないつまり、心による主体、客体という見方をしない般若波羅蜜により空性がみられるそして戯論は寂滅する戯論(もし個があったらという空想)つぎに思
煩悩と離欲 も幻想である(参考文献 ナーガールジュナ研究 瓜生津 著 第2章 六十頌如理論)煩悩とは、誤って対象をとらえるところから生じる(根源的には、ナチュラルスピリットの好奇が個という空想対象を、主体化催眠つまり実在的にとらえることから
素人の新説、世俗諦(12因縁)まとめ煩悩(実在である、ただ在るナチュラルスピリットの好奇が発端)が依所(空想の心)としてつかまなければ[主体化催眠にしなければ自我エネルギーはうまれることはなく]識もなく魂やシナリオ(考案)もない六処入(意識や