自己こそが探求の対象であるしかし自己は離れているわけではないので対象として探すことが不可能であるということはすでにあるということである自己を対象とすることはできないし探すこともできないし、探している自分も実在しないすでにあるのだから
素人の仏教読書まとめ補足です^_^(12因縁の無明、行、識の次の名色そして6処あたりからです)目耳鼻舌身意の6処(略しては名色のこと名は心作用色は身体や環境です)例、眼と色によっては眼識 意と法(概念)によっては意識これら3者の作用ができ触触を縁
参考)今回は仏教の読書感想(素人による)戒律により精神統一をしやすくなる渇愛をすぐ捨てるのは難しいので、(対象をとらえる)念やヴィパッサナー(智慧による観察で無常に気づく(止観)それにより五感による感受からの自動的な判断(妄執)を捨棄できる
実在はナチュラル(ノーマインド)であるいやしはナチュラル(ノーマインド)によるこのためプロセスを説く者はニセモノである
ナチュラルノンデュアリティとは本質 ナチュラル、すでにただ在る、いまここ幻想の性質 マインド、不自然、苦しみであり好奇心本質 無条件、無努力にもどるだけ私はいないので内観も外もない何もする必要がないのが実在だから癒しとは何もする必要がないに
ナチュラルヨーガナチュラル(あるがまま)によるいやし存在観(存在意識 真の気づき 智識)による真の観照(いやし)は誤った観(変容した気づき、主客、思考活動エネルギー)を確かに誤っていると真の識別(ヴィヴェーカ)をしそしてそれらをいやすこれが
法(止観の法)に執着している境地はまだ真の癒し(真の慧 真の止観)ではない執着している境地というのは色受想行識の五蘊のうちの識を自らだと勘違いしてその意識として念により世界(のこりの色受想行)を集中してみているにすぎないそうではなくて法にも
ニルヴァーナ(不滅)から煩悩による空性12因縁についての補足です(仮説)無明行識のあとの名色について名は精神(心)色は物質性のことである色取薀とは、4要素により構成された肉体のことである構成される4要素とはつまり地水火風の要素のことである構成さ
2006年「最終兵器彼女」(日本映画 実写版)戦場から離脱I AM(私は在る 愛そして憎しみ 草原の赤い家 深層心理 集合意識)へもどるさらに自らの抹殺の回避そして世界の憎しみをすべて集めて癒して去る(宇宙解放)砂漠にみえていた世界に天使の羽が生え
経験(探求)のおわりという宿命在るがままのなかに幻として私は生まれた基盤(源)は私以前に存在する私は無条件の存在からきて無条件によって支えられてきただけ夢の存在として生かされていた幻の私が夢をみているあいだ私は基盤すら対象としてみていた私は
自然な今迷いとは疑うものそして疑うものがあることである彼はとどのつまり確固としたものをしらない者であるからそれが彼という正体である彼は確固たる者ではないその彼は自分のことを棚に上げて何かを疑うのであるが(たとえば自らが考案した物とか悟りとは
いつも自然統一があるため二つの今はない自分も何か(悟り)もなく来ることも、去ることもない悟りが来ることも、自分が行く処もない自力も他力も幻のことただ在るがまま公案万法(諸法)は一に帰するが、一はいずこに帰するのだ無明、煩悩などすべては明らか
小悟のために主体は意識(仮のいまここ)にとどまっている意識(仮止)により五感、思考、感情という変化を幻だと識別し(観)主体は意識が真実であるとするしかし主体や意識は実在せず存在しかないこれがナチュラルノンデュアリティの癒しである
もとは存在がある存在しかなかった存在しかないので活動(変化)は幻である誰が どうやって 実現するというのか私たちは みている 分離の宇宙を私たちは 完成させたい それを不可能であるそ れ らは終焉するのであるはじめから実在しない
在るがままと思考(私)のちがい存在が平和であるそれが真実か幻かのちがいである存在から活動があらわれることはできるが活動から存在があらわれることはない存在が平和であり満足だ
夢の中の映画シンボル ストーリー(クローズドノートのオープンシークレット)「その時は彼によろしく」13年目の再会 13番目のアルファベットオニバスの種の長い発芽期間1977+ =2027年末へ彼のアクアリウムの取引先のパン屋(ちはやふるの絆 福井のシ
学生の頃週刊誌の漫画雑誌をよんでいたある動物キャラクターがピクニックをしていた途中で疲れてそのキャラクターは道で寝てしまった寝起きで気づくと、道がなくなるように草が茂ってきていたキャラクターは、まいっかと、また寝たするとキャラクターはきえて
今なぜ内観しようとするのだろうかそれは自我であり永遠を隠す主体である自我に成れば永遠ではなくむしろ相対意識や五感、思考、感情も実在であるということになろう今(いつもある精神統一)とは永遠のものでありそのなかにおいて二元の遊びそして非二元の癒
唯識についての文庫からの説明まとめマイトレーヤーの中道(空想つまり仮エネルギー)についての説明(弁中辺論による)()は補足虚妄なる分別は存在する(日常の思考、言葉)そこに二つのものは存在しない(それらは非実在である)しかしそこに空性が存在し