プロフィールにも書いてるんだけど、私は仕事柄、人間やモノの価値ってなんぞやってところを長いこと研究してる。仕事で考える人間の価値はあくまでも生産性的な視点なので、子どもがターゲットになることはまずないけど。10年ほど前に出た一冊の本のことは記
アンケートの質問から『夫婦が別姓で名乗ることを どう思いますか?』『夫婦は別姓を選べる選択肢があっても 良いと思いますか?』今回の質問形態は、前者らしい。結果の理由から辿ると、後者だったら、もっと賛成が多い気もするアンケート。選択肢ができる
この記事の男女は置いといてずっと昔に疑問だったことは“心配だったから電話した““心配したよ、電話に出なかったから““メールで大丈夫?心配したよ““地震大丈夫だった?心配になって“なんてシーンは生きてりゃたくさんある。ただ、これは本当に心配っ
人を洗う技術って、思ったほど進化してない。 あくまでも一般家庭の話の中では。小さい頃、ばあちゃんの実家とかで、 ごえもん風呂はあったらしいけど、浴槽につかって、自分で洗うという点では シャワーや給湯機などが進化してるだけで 根本的な浴槽につかる
色の世界は二種あり、 ひとつは赤や青や黄色の 有彩色などの三原色で作れる色。 それと、反対に三原色で作れない 白・黒の無彩色がある。 人は、出会う時を例えるなら白だ。 そして、お互いの欲という色を 混ぜあえば混ぜあうほど、 やがて、色は濃くなり、や
私が子供の頃に描いてた職業と、親がなって欲しかった職業にはきっと差があっただろうけど、今のところは安心しているようだ。世の中の職業を本に例えるなら、その背表紙は大人になるのだろう。我々はいったい子供たちのためにどれだけの本を並べられたのか。
許す、許さないという概念はとても不思議なんですよね。自分が許さなくても、許しても何も起こらないし変わらないのに人は第三者に許さない、許すという。単にそうしてもらいたいなら言えばいいのに、それが出来ない。だから、それらの行き場がなくなって許す
時は・・・、20XX年の近未来、 コロナウイルスの流行がまだ止まぬ頃フェイスガードはファッション化が進み誰にでも”イケメン”になれるという お面が発売され、世間をにぎわせていた。 そのお面は、見た目は素顔と変わりなく 外見からはまったく分からない。
コロナウイルスが騒がれて、医者でもない私は、あることをたまに、想像してしまう。if もしも的な視点で。それは、コロナウイルスというのが○型インフルエンザとかって名前でよく聞く病名の亜種みたいな名前だったらいったいどうなっていたのだろうと。コロ
私には古い友人の仲で、母親のような存在を かもちだしている一人の お姉さんが大阪は南にいる。 親戚に近い仲なので、そこに男女の関係はない。若い頃はお金もなく、よく大阪行ってたころは友人含めて泊めてもらってた。普段は凄くやさしく面倒見も良い。 ま
春とか秋とか、少し寒いとき わたしは、よくタートルネックを着る。 たまにタートルネックを きて、休日に会社にいくと 上司が「お前、そのとっくり」好きだなって言う。 そして、隣にいたおじさんも言う。 いや、○○さん、 今は、とっくりじゃなくて、 「ト
理想と妄想の違いを調べると、行動を伴うのか、伴わないかの違いだけ。それに向かって行動してれば理想。それに向かって何もしてなきゃ妄想。ということらしい。置き換えると理想は目指すもの。妄想はただ膨らませるもの。性質的には、理想は誰かに求めるもの
それそれは昔の話。いつかの昭和時代の話。まだ、ドラゴンボールが連載されてた時代。うちは不思議と母親がジャンプが好きだった。我が家は、兄弟四人。当時、九州地方は2日お遅れの水曜日が発売日だった。ジャンプは兄弟の誰かが買ってきて、兄弟が読み最後
自分が見せられないと思うのはやはり、ダントツで国会中継かな。私利私欲の鬼たちが様々な鬼滅の刃で斬り合う姿。はたまた、すやすや眠る鬼もいたり。ある意味、生死より残酷というか、人間の縮図というのか。本当の鬼は人間に潜んでいて自分の中の鬼退治とし
この記事を見てふと思ってしまったけど人類が全て、同じ顔や身体だったらいったいどうなっていたのかと。想像するとかなり恐ろしい世界。人種差別なものはないけど個人の承認欲求はどこへ向かうのか。まず、誰が誰か分からなくなる。なにで個人を人は特定する
テレワーク否定みたいな記事になってしまってるのは、記者のせいなのかな。今時のテレワークを否定してる人が珍しいから、それを頭に記事にしてみましたみたいな。『コロナ禍で企業が生き残るために』そんなタイトルだったら、また違った印象になったんだろう
この一連の報道で、もし、異国の我々が学ぶことがあるのならいかに人間が情報に脆いのかということじゃないのかな。何が正しいのか、何が間違っているのか誰がいったのか、誰から知ったのか分からないまま拡散されて人は疑心暗鬼に陥ってゆく。不正な郵便投票
私自身は、二十年前、婚約者を交通事故で亡くしたんですが同時に加害者も亡くなってしまって加害者の心情はどうかわからない。自分なりの経験から言うと、どうあれこうあれ、悪いことをしたのは事実は変わらない。ただ、交通事故には、自転車だろうと、自動車
発言が悪いというか、ニュースの悪さが伝わる印象かな。向ける矛先は、発言じゃなく施策の悪さを語るならまだしも。騒ぐところが違うんじゃ。やたら発言系のバッシングが多いこのご時世。そんなことを思ってしまうニュース。発言の悪さとか、庶民的でないとか
綱引きの歴史を辿ると「綱を引く」と言うことは、世界各地でふるくは、儀式と信仰から始まり、豊作を願う行事や争いの沈静手段などで世界各地で様々な形態があるそうな。日本では奈良時代にそれらが貴族遊戯となり時代に室町時代になると庶民へと広まった。こ
むかしむかし、 「いろ」という言葉は”親愛”の意味があった。 だから、父や母は、兄弟・姉妹のことを 呼ぶときに、”いろ”をつけた。 兄や姉を、「いろね」と呼び 弟や妹を、「いろと」と呼んでいたそうだ。 また、「いろ」には”尊敬”の意味もあって 日
好事を「花」に見立て「嵐」はそれを散らして吹く激しい風の意。花がきれいに咲くと、激しい風が吹いて撒き散らしてしまうことから、良いことにはとかく邪魔が入りやすいことをいう。彼らは、国民にとって「嵐」でははなく「花」であるのだろう。いくつもの嵐
どうやら、世界中でゼノフォビアというウイルスが蔓延しているそうだ。それは、我が日本も同じらしい。このウイルスは、コロナウイルスよりも感染速度が早いらしい。国籍が語られないだけでこんな構図になってしまうのか。コロナウイルスに国境はなく人を選ば
わたしは、桜の木 静かに公園にたたずむ 無口の木誰かの願いを飲み込む木誰かの恨みを飲み込む木わたしは、何かを飲み込んだ確かに、何かを飲み込んだそれは願いか恨みか分からないいつか桜として舞う花片たちは誰かの願いの欠片か誰かの恨みの欠片か誰も気
いろいろデリケートな話だとは思うけど『いじめっ子』という言葉にいろいろな言葉の難しさを感じる。日本語は、世界的に実に表現豊かな特性を持っているのだけど、近年はセクハラ、パワハラなどなど次々と、人のカテゴリを作ってゆく。確かにキャッチーで顕在
この人が世間的にどんなに素晴らしい人か分からないけど、こんな記事を書く人にはなりたくないなと思ったのが正直な感想。言わんとすることは分かるけど、何がそうさせるのか自己分析するとダメなフロント係と優秀なフロント係とか勝ち負けとか、そんな表現か
泣く7歳、助けない大人 「何とかしないと」11歳が保護 泣く37歳、助けない老人 「何とかしないと」41歳が保護 と、30歳足してみて考えて、改めて見ると子供でも大人でも同じことかなと思う。困っていれば、助けようとするかどうか、そこに子供も大人もきっ
わたしがときどき、遅くまで オフィスで仕事していると 上司が後ろからスッと、やってきて、 つまらないギャグを言いながら、 わたしの机に、コーヒーを一杯。 そして、一言。 「おつかれ。」 これが、上司のもう、帰れのサイン。 わたしは、片付けながら、
1960年代と比べると当たり前の結果なんだろう。教育という観点だと、がむしゃらに力をつける時代は終わっていて、自動でドアが開いたり、水が出たりスマホで家電が動いたりほっといても人が動かなくなるばかり。それほど、体力が必要のない時代に。そのかわり