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2020年10月31日20:56

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償いの果て

私自身は、二十年前、

婚約者を交通事故で亡くしたんですが

同時に加害者も亡くなってしまって

加害者の心情はどうかわからない。


自分なりの経験から言うと、

どうあれこうあれ、

悪いことをしたのは事実は変わらない。


ただ、交通事故には、

自転車だろうと、自動車だろうと、

乗ってりゃ、誰もが起こしうるもので。


二十年過ぎた今でも思うのは

償いは正直分からない。

何が正解なのかさえも。

そして、

きれいなものでもない。


加害者が償いといっても

自分のためのか、

相手のためなのか

誰のために償いしてんだか

よく分からなくなったりと。


交通事故の被害者の会とか

彼女の母親と参加しても

いろいろよく分からなくなる。


本当にマスコミが伝えるべきとこは

彼がどれだけ反省してるとか

彼がどんな謝罪をしたとか

そんなことじゃなくて、

なぜ、逃げ出したのかとか、

何がそうさせたのか、

もっと人間の奥深いところにあって

どうしたら、人は冷静に対処できるのか

そんなことじゃないかなと思う。


例えば、自分がもし、

人を轢き殺したとき

絶対に、絶対に、

その場から、逃げ出さないと

言い切れるか?


その問いに、国民が

少しでも“はい“と言えるような

伝え方はないのかなと思う。


いずれにせよ、彼はまだ若い。

あなたがどんな人であれ

命がある限り何度でもやり直せる。


自分のとった行動が間違ってたと思うなら

この貴重な体験をこれから活かせばいい。

そして、伝えていけばいい。

いずれ養う自分に子どもや

多くの周りの友や家族に。


わたしは、亡き加害者に

もし会えたのならそう伝えたかった。

償いの果ては、償いのない世界に

繋いでゆくことだと思うから。


被害者の刃は、加害者の鞘に

納めることはできない。

これから辛い日々が続くだろうけど

少しずつでもいいから、

自分の刃に気がついて、

どうかどうか、

いつしか納める唯一無為の

その鞘を壊さないように。


伊藤健太郎容疑者が釈放 涙ぐみながら謝罪「一生かけて償っていきたい」20秒頭下げる
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6288819
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