私はまだ乳児だった。薄黄緑色をミルクに解かしたような色の乳母車に、母に圧されて乗っていた。母の日傘はあすきアイス色をもっと白く染めたような色で、あちこちに、刺繍で明けた花柄の穴が空いていた。穴ごしに、杉やけやきの葉が見えた。お日さまとその葉
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…1日違いで大空襲大と大震災だった事実は変わらない。備えなければ、常に。助け合わなければ、常に。
まだたった4年前。都心の会社に勤めていたドッコイ氏は、1泊会社泊まりして、帰って来たのでした。私は画材で持っていたローソクを御近所に配って歩き、停電になった灰色の市街地を母の家へ。なにもかも灰色に暮れていった不思議な夕焼け。備えなければなり
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