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2017年03月13日17:52
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047 孤立が丘 1/
孤立が丘
これは戯曲連作「風土と存在」第四十七番目の試みである
時 二〇一七年三月
所 府中是政
人 ひな
智恵
裏方
０．古東京川
遠く遠く海へとくだる古き川のほとりを歩き
果ての谷にたどり着くころ深海鮫は未来を夢む
振りあおぐ氷河はオリュンポスのごと
柔らかな夕陽は午後二時に落ち ah――
君と寝ましたまるで影だよキスもかなわず 嗚呼
１．二ヶ村緑道
ひな はい、こちらですねー。こちら、ちょっと一段高くなっておりまして、ずっと細長い公園になってます。えー、地図ご覧になってもらっていいでしょうか。（看板指し）この、緑になってるところが緑地帯です。府中のこの辺は、こうずーっと競馬場の北に沿って東西に崖が延びておりまして、北側が高くなってます。その崖下、こちら側にですね、ここらではハケ下っていいますけど、ようするに多摩川と同じ標高の広い低地がありまして、水路の跡がいっぱい残ってます。崖から湧いてるのもありますけど、多くは多摩川の少し上流の方で取水して、使いまして、余ったのは下の方でまた多摩川に戻すと。今は住宅地で生活用水ですけど昔は田んぼですから、野良仕事用の用水路と排水路になりますね。田んぼがなくなってからは――ちょうどオリンピックの頃から東京中のドブに蓋がされまして――水路跡がこの辺ですとだいたい緑道になって保存されてます。この地図ですと公園緑地だけが表示されてますけど、実際は蓋して道路になってるとこの方が多くてですね、複雑です。ここ、現在地から郷土の森公園までのわずかの間でも、歩いてみるとそうですね、５本…？…くらいには、分かれたりくっついたり交叉したり、もしかしたら逆流したりしながら、網の目みたいに小さな流れがありました。こんなです（図を見せる）。網状水路というそうです。ちょっと川にのぼってみましょう。段、気をつけて下さいね。こちらですね。整備されて、夏には水が通って鳥が来たり子どもが遊んだりできるようになってます。あ、でもいま流れるのは本当の川ではなくて、川は――用水は田んぼがないので廃止になりまして――ここの水は地下水を汲み上げてポンプで循環させてるやつです。謂わばイミテーションですね。こういう川の名残りみたいなものって実際の生活に使われてないわけですから川と言えるんだろうかっていう問題がありますけども、府中の場合なぜか割と保存する方針みたいです。まあ「府中」ていうくらいですから歴史ある町を自認してるところがあるんでしょうかね。あと、この地点に限っては、ここ南にまっすぐ行けばすぐに是政の駅ですし、あっちの交番のとこの交叉点渡って北側の人たちがちょうど導線でここ通る関係で、歩道として、割と活用されてるみたいです。散歩道ですけど足早に行く会社員の人とか、あそこのもう住んじゃってるようなおじさんとか（じっさいに蓆かぶって寝てる人もいる）、あと小さい子遊ばせてるお母さんとか、割といるんですよね。ちょっと下るとマンションの敷地と地続きになっててマンションごとひとまとまりの公園みたいにしてるとこもあります。あと今日は行きませんけど、もっと下ると競艇場の敷地のまわりをぐるっと沿っていく感じになって、調布の方までもとは続いてたらしいです。――私、育ちがこの上流の日野なんですが、多摩川って南岸はずっと多摩丘陵で幾つもの川が流れ出して合流してます。上から平井川、秋川、谷地川、根川、浅川、程久保川、大栗川に三沢川。でも北側には目立った丘がなくて、低い崖からいくつか沢が湧いて――川らしいのは野川と仙川くらいですね――低いところにこう、ちょろちょろと流れてるだけですね。でもここが、ここ全体が、多摩川の本流だったんですよね。今は両岸の土手に挟まれて五〇〇メートルくらいですけど堤防ができる前はこのあたりの川幅は二キロにも達しました。雪解けや大雨の頃ともなると水源の笠取山から沢や支流を集めてここらは滔々たる大河になりました。網状水路。先ほどコヤでお見せしました通り（あらかじめ観客に地図を見せてあった）、ここを流れていた二ヶ村緑道は終いの頃こそ常久・押立の二ヶ村を潤す小流れでしたが、元は多摩川の本流でした。まさにここがです。現代は便利で安全で食べるにも困らなくてとても良い時代だと思うんですけど、都市が大きくなるのと反対に、こういう日常の景色がこぢんまりとまとまって、昔の風景が見えづらくなってるのはなんか残念です。大きな物語の終焉ということは私が生まれる前からもう言われてて、今はもう細かく分断された物語のいくつかを渡り歩いて人は生きていくような感じになっちゃってますし、それはそれで小さなものの総合としての世界観っていうものも有効ではありますしそれを信用してやっていくしかないのでもあるんですが、でも、私、演劇人ですしね。演劇は結構古いものですから古い世界観もお芝居では健在なわけで、細分化された現代、価値観の多様化という名前のどこか均質な現代、安全管理の行き届いて過剰管理に文句の言えなくなってる現代に対して、ただ黙っているわけにも職業上、いかないってこともあるんですよね。私まだぎりぎり高校生ですけど二週間後にはプロの末端俳優になります。最初にやるお話は何でしょう。イプセンかチェーホフか分かりませんが、その時代のその人たちと現代とを架け橋する、自分の身と役柄とを馴染ませていく仕事ですから、古いもの――懐古主義とか感傷的とか言ったらネガティブですけど――放っておいたらどんどん過去のものになっていく歴史、物語を、いま生きているものとして生きなおしていくということを、よく考えていきたいと思います。ね、ここの水路、ところどころにお金が落ちてます。お賽銭ですね。古くさいですね。弁天様とかじゃなくて、さすがにここにコイン投げても何の御利益もなさそうなんですけど、投げる人はいるんですねまだ。まだっていうか、この緑道できたの二〇一一年の三月です。たった六年しか経ってないのに。おかしいですよね。作り物の水路に、どこから来たのか分からない庭石みたいなの運び込んで、税金で公園作って、そしてほんとの流れは埋め立てられて、ないわけでしょう。かもめのニーナ。チェーホフの「かもめ」に、撃たれて湖のほとりに落ちて死んだカモメが出てくるんです。ソ連のテレシコワも言いましたね、一九六三年、ボストーク、「征服せよ」という名の宇宙船から古くさく「ヤー、チャイカ、私はかもめ…いいえ、そうじゃない…私は飛行士…そうよ。トリゴーリンが来てる？ ふん、構やしない。そう、あの人は作家のくせに芝居というものを信用しないで、いつもあたしの夢を冷たく見てた。それで私も次第に信念が失せて、気落ちしてしまったの…。そのうえ恋の苦労だの、嫉妬だの、妊娠だのにしょっちゅうびくびくして、いつしかこせついた、詰まらない女になってしまって、でたらめな演技をしていた。両手の扱いも分からず、満足に立つことも、声もろくに出せずに。ひどい演技をしているなあって自分で感じるときの気持ち、とても人には分からない。私は…かもめ…？…いいえそうじゃない。コースチャ、覚えてる？ いつかあなたはカモメを撃ったわね。その通りになったの。あなたと湖畔の仮設ステージでやったお芝居はぼろぼろだったけど最高だった。何もないところから立ち上げるのはほんとに素敵だった。そこへふとやってきた男が、娘を見て、退屈まぎれに口説き落として破滅させてしまう。湖畔のステージはいつまであったろうね。やがて革命になって、社会はめまぐるしく変わって、そして百年。二〇一七年か…あの十月から今年でちょうど百年になるわ。私はあの時代のかすかな名残り、かもめの…ニーナ…」。
声 違うだろ。
ひな はい？
声 おまえ、台本と全然違うんだよっ。（ト、蓆を撥ねのけて登場）
ひな すみません！
智恵 硬いとこ寝てたらもうバキバキだよ、ここ片づけといて。
裏方 あ、はい。
智恵 あんたね、あたしゃあんたのコーチでもなけりゃプロンプでもないんだ。
ひな はい！
智恵 へたくそと思ってんだろ。
ひな え。
智恵 プロンプの間、めっちゃ悪いって。
ひな そんなことありません。
智恵 そんなことあるんだよ。
ひな ないです。
智恵 あるね。
ひな そんな…ていうかそもそも知恵さんプロンプじゃありませんから。
智恵 じゃあトチんなよ研修生、プロンプされたくなかったら。
ひな あー、はい！
智恵 続きは。
ひな 続き。
智恵 台本。脱線したらすぐ戻る！
ひな 分かりました。あ。
智恵 あ？
ひな あの、でも、
智恵 は？
ひな ここ住宅地なんでえ、苦情とか来るとあれなんでえ、小屋に戻りません？
智恵 あんたねえ！
ひな はい…、
智恵 いい考えだ。
ひな （ガク）
智恵 じゃ、戻るよ。
ひな 了解です。
智恵 でもその前に。あんた気になること言った。この岩がなんだって？
ひな 岩ですか。
智恵 さっき、言ったろ。
ひな なんでしたっけ。
智恵 庭石がなんとか、
ひな ああ、どこから来たんだか分からない岩、とか。
智恵 分からないことあるか。
ひな え。
智恵 ちゃんと普請してんだから分かるんだよ、どこのどんな岩だか。なんにでも出自ってもんがあらあね。
ひな えーと…、
智恵 （遠くまで指して）早い話がみんな庭石じゃないだろ。見た感じ。
ひな そういえば。ごつごつして。これ、溶岩ですか。大島で見たかも！
智恵 溶岩。
ひな ええ、三原山。調布飛行場からプロペラの、セスナで行きました。（別空間）
智恵 （見上げ）セスナ…、ドルニエだろ…、
ひな （見上げ）ドルニエ…、ドルニエってなんですかあ…、
智恵 （見上げ）ドルニエはそりゃ、セスナより大きいやつさ…、
ひな （見上げ）ああ、二種類あるんですね…、
智恵 （戻って）溶岩じゃないから。
ひな え、ごつごつなのに。
智恵 風化さ。
ひな フーカ。
智恵 雲母が混じってるんでぼろぼろなのよ。
ひな 雲母入りの溶岩？
智恵 溶岩があんな直線に結晶すっか。みかげだよ、花崗閃緑岩。石英長石黒雲母。溶岩だったらデイサイト。
ひな はあ。
智恵 鈍感。
ひな 難しくて。
智恵 たぶん笠取山から運んでんだよ。
ひな ？
智恵 あーもう。水源。多摩川の。
ひな ああ！
智恵 水が干れるって書いて水干沢。
ひな 花崗岩なんですかあ。
智恵 古い、ね。秩父古生層の深層風化。片麻岩だからすぐボロボロさ。ようは、この二ヶ村緑道のルーツを紹介するために、わざわざ運んできたわけさ。
ひな なるほどー。
智恵 均質な過剰管理だって？
ひな すいません間違ってました。よく考えられてるんですね。
智恵 そう、しかも見る人がよく考えて、初めて分かるようになってる。
ひな そっか、すごいや。
智恵 ひな。人の世に無駄はいっぱいあるし、入札抜きのいんちき普請もいくらもある。あるけど、どんな時にも良心の介入する余地はあんだ。だからそうそう悲観したもんでもない。
ひな はい！
智恵 ただし今のはハッタリだ。
ひな ええっ？
智恵 ホントに笠取の岩なんかな…。
ひな ガク。台無しじゃないですか。
智恵 まあいいやコヤに戻るよ。
ひな えーてきとうー、
智恵 そこらへんの、運べる？
裏方 大丈夫です。
智恵 そうだ。歌があんだ。この緑道の。
ひな そうなんですか？
智恵 こないだ教えたじゃん。（歌いながら劇場へ）
ママ下の沢に乗って海さ連れで行ってよ
飼い葉の匂いのシャツは陸軍のお下がりでも
なして 一万年でも耐えて生きてきた
我が暮らし楽にならざり
あよ ほうけたおらに着いてくるなよ
あよ 頬げたちょっぴし張り飛ばしてやんべか この際よ
用水の土手に植わってた 干ばつに強いイモ
御殿峠の砂利はぐずぐず崩れてくる
とうに掘られて流れて海底の泥だけども
まして 尾根伝いではどこにも行けねえ
我が暮らし潰えて消えだ
あよ ほいでも春にはキスゲや鉄線
あよ ほーえば忘れてるまにネコヤナギ咲く 悪かねえ
堂山の南に植えだ 虫害に強いトウモロコシ
智恵 さってと。寝るぞー。
ひな えー、
智恵 二日酔いだから。
ひな お芝居しないんですか。
智恵 ハイヤー呼んだ？
ひな じき来ます。お芝居…。
智恵 きのうやった。打ち上げで呑みすぎた。だりい。帰りてえ。ハイヤーハクホオショウ、魔の第三コーナー。
ひな 智恵さんいつもじゃないですか。
智恵 いんだよ。たまのお座敷さ。ここんとこ干され気味だから。お役御免のとこ、ふああ（欠伸）、じりじり引き延ばしてる人生だった。なに笑ってんのさ。
ひな すみません。二ヶ村緑道と一緒だなって。
智恵 あん？ どこが。
ひな 第二の人生。
智恵 あんた意外と口悪いよね。
ひな はい？
智恵 無自覚かよ。
ひな あ、すみませ
智恵 いいよ、天駆けて、天下るわ。（寝る）
ひな 天下りですか。どぶに。
智恵 （はね起きて）ドブって言うな。ドブに生きるのがあたしらのォ、
ひな ？
智恵 浪花節さ。
ひな 人生は！
智恵 合いの手要らん。ちょっとあれだ、泥の河読んでみ。
ひな どろのかわ…。
智恵 知らんの。台本ある？
裏方 あります。
ひな 冒頭でいいですか。――「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた――
智恵 待った。訛って。
ひな 訛る。
智恵 浪花節な。
ひな ああ。「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建新橋、それに船津橋である。藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電がのろのろと走っていた――
智恵 待った。ちょっと。だっさ。
ひな すみません。
智恵 なんでそんな試し読みなん。
ひな え。
智恵 黄土色ってあるやん、ひらのォーうんがのォどすーぐーろーさァー、趙博、泥っどろな感じ出してえな。入団の実技で大阪弁やったやん。
ひな ご存知ですかあ？
智恵 審査官や。
ひな えっ。
智恵 影薄くて悪うござんした！ とにかく、イッパツで決めえ。あとないで？
ひな せやな…。
智恵 実技のやつやり。「メガシャーク、バーサス、ジャイアントオクトパス！
ひな 「ちょっと。それ説明いらんから
智恵 「なんで
ひな 「聞かんでもハナシ分かるわ。あれやろ、巨大ザメと巨大タコが戦んにゃろ
智恵 「なんで分かた！
ひな 「分かるわ！
智恵 それや。じゃ台本。
ひな 「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの――
智恵 なんでやねん。なんでやねん。
ひな なんですか…、
智恵 あのな。じゃりン子チエでええねん。なんでできひんねや。
ひな えー、ネイティブじゃないですし…、
智恵 薩摩隼人のおいどんごわす弁話せ言うとんちゃうで、第二共通語やで大阪弁は。国語審議会には関西支所があんねんで。
ひな あるんですか！
智恵 ねえよ。
ひな くっ、…
智恵 生まれは。
ひな 象潟です。
智恵 じゃ秋田弁で。
ひな いえ二歳までしかいなくてえ。
智恵 いいよその記憶で。
ひな 二歳じゃ人語しゃべりませんから。
智恵 じゃ何語がしゃべれんだよ。
ひな はい？
智恵 できねーのは分かった。じゃあ何ができんの。
ひな えー、
智恵 えー、じゃねーよ。そこ、なんかやんだよ。可愛きゃ許されっと思うなよ。
ひな まあ追い追い。
智恵 給料も追い追いって書いといて。
裏方 給料も追い追い。
ひな 待ってそれは！
智恵 乞食だって芸くらいするぜ。やれねーなら河原から出て行きな。
ひな 河原。
智恵 食い詰めもんの野垂れる先さァ。だから開拓武者、井田是政ゆかりの地で芝居してんだ。魔の第三コーナー曲がりきるのか、河原乞食になるのかならねえのか、ああッ、今ここで決めやがれィ。
ひな なりますなります。
智恵 ハイは一回ね。
ひな はい！
智恵 小汚くね。
ひな …はい！
智恵 小汚い川つっても知らねーか。どこの流域。
ひな 象潟川です。
智恵 二歳じゃなくて、地元だと。
ひな 浅川…？
智恵 清流じゃねーか。
ひな 程久保川…。
智恵 ホトがクボクボ。
ひな 下品。
智恵 分かる。あたしも原風景、辻堂の引地川だから、コイがァンン揉み合うくらい汚い川って感覚ね。でもコイいんのむしろ上流だから。なんなら上流階級だから。地元のいっちゃん汚い川は何ですか、そしてそれはどこですか。（何人か客に訊き）あんたは。
裏方 猫実川。
智恵 コイいる？
裏方 いやーイトメメズしかいないっすねー。
智恵 イトメメズってどんなん。
裏方 こんなです。（やる）
智恵 ひな。やれ。
ひな あたしか。（嬉しそうにやる）
智恵 もっと卑猥に。
ひな ひわい…、（いちおうやる）
智恵 そのままセリフ。
ひな 「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建新橋、それに船津橋である。藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電がのろのろと走っていた――
智恵 はいオッケー。
ひな …無茶ぶりでしょ！
智恵 いや存外に良かったよ。
ひな まじか。（ちょっと嬉しそう）
智恵 いいか、河原乞食の演技の基本は「貧困と豊穣」だ。
ひな 貧困と豊穣。
智恵 つまり猥雑さってことだ。あんたに日本三文オペラをやろう。
ひな ブレヒトですね！
智恵 日本て言ってんだろ。大阪環状線京橋駅下車歩いて一〇分の帰り道を千鳥千鳥の足取りで。趙博。アパッチよ。
ひな ピーチャムじゃなく？
智恵 台本ある？
裏方 あります。
智恵 二十七ページ。
ひな あ、すでに付箋が。
智恵 ハイ読む。
ひな 「（ヒソヒソ）あいつをいてこますのや
「…いてこます？
「（とろさく、やかまし！）
「（ヒソヒソ）あんなもんがどないしていけまんのや？
「煉瓦をどけてコンクリ叩き割って、ひっ剥がすのやがな
「…！
「汝はシャベル使え
「シャベル？
「（しゃべんなゆうて！）煉瓦を食うとれちゅうのや
「…今晩じゅうだっか？
「あたりき
――なんですか、これ。（嬉しそう）
智恵 うちで芝居してく基礎練習本。外郎売りだと思ってやんな。
ひな （パラパラ見て）どこ見てもエモいわ…、
智恵 分かって入団したんだろ。
ひな そうですけど、お言葉ですが、ストリンドベリは。イプセンは。
智恵 やかまし。
ひな ワイルダーとクライストは。シプリアン・エクエンシーとキンテーロ兄弟は。
智恵 あーやかましわ。順序があんだよ。
ひな チェーホフならやりました！
智恵 ほう？「人もライオンも鷲も雷鳥も角を生やした鹿も鵞鳥も蜘蛛も水に棲む無言の魚も海に棲むヒトデも人の目に見えなかった微生物も――ハイ、
ひな …。
智恵 続けてニーナ？
ひな …無理です。
智恵 えり好みしてる場合。
ひな ハイ。
智恵 かっこいいのやりたい？
ひな まあ。
智恵 モテたいの？
ひな そういうあれじゃ
智恵 モテたいのかよ
ひな モテたいです。
智恵 ようし素直だ。桑田佳祐著、「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」。
ひな は？
智恵 あのしゃがれ声は、モテたくて潰したんだ。
ひな わざと。
智恵 おう。
ひな 最高ですね！ でもなんか政治的なこと言って炎上してたような。
智恵 だからこそさ。
ひな だからこそ。
智恵 幅のある人格になるんだ。いいか、芸は、媚びだ。
ひな 言い切った！
智恵 あたしらは共産党じゃないから別に正しいもんにはつかん。むしろ間違ったこと、人間のダメさを描くのが演劇だろ。
ひな 確かに。
智恵 あたしなんか人としてはダメダメだ。
ひな はい！
智恵 はした金で権力に買われながら権力と自分を同時に笑うんだ。
ひな それモテますか。
智恵 究めるならば。
ひな かっこいいですかね。
智恵 下から上まで知ってこそのダンディズムさ。どっちかだけじゃ詩にならないよ。
ひな なるほどー。
智恵 生き急いで野垂れ死ぬんだね。死後評価される。
ひな できれば生前で。
智恵 いい方法がある。
ひな はい。
智恵 死後評価された人を、真似るんだ。
ひな ――そっか。すごい！
智恵 ゴッホは売れなかったがゴッホがいなきゃ今の画家たちはいねえ。
ひな ですね。
智恵 そこで宮澤賢治さ。
ひな そうなんですか。
智恵 のちの文芸を決めた日本語の三大トピック。
ひな 岸田國士と三好十郎と北村想ですね！
智恵 演劇から離れろ。紀貫之、平家物語、そして賢治だ。芝居は虚、詩情は実、虚実の高みで遊んでみせた先人の姿勢をパクるんだ。
ひな パクりますパクります！
智恵 ようし、じゃあなんか暗唱してみようか。
ひな え、覚えてないですよー。
智恵 何も？
ひな はあ。
智恵 予習が足りんわ。じゃあたまたま開いたとこ読みな。台本。
ひな んー。なにか心がけることありますかあ。
智恵 意志なきもののごとくに。
ひな え。
2/→http://
これは戯曲連作「風土と存在」第四十七番目の試みである
時 二〇一七年三月
所 府中是政
人 ひな
智恵
裏方
０．古東京川
遠く遠く海へとくだる古き川のほとりを歩き
果ての谷にたどり着くころ深海鮫は未来を夢む
振りあおぐ氷河はオリュンポスのごと
柔らかな夕陽は午後二時に落ち ah――
君と寝ましたまるで影だよキスもかなわず 嗚呼
１．二ヶ村緑道
ひな はい、こちらですねー。こちら、ちょっと一段高くなっておりまして、ずっと細長い公園になってます。えー、地図ご覧になってもらっていいでしょうか。（看板指し）この、緑になってるところが緑地帯です。府中のこの辺は、こうずーっと競馬場の北に沿って東西に崖が延びておりまして、北側が高くなってます。その崖下、こちら側にですね、ここらではハケ下っていいますけど、ようするに多摩川と同じ標高の広い低地がありまして、水路の跡がいっぱい残ってます。崖から湧いてるのもありますけど、多くは多摩川の少し上流の方で取水して、使いまして、余ったのは下の方でまた多摩川に戻すと。今は住宅地で生活用水ですけど昔は田んぼですから、野良仕事用の用水路と排水路になりますね。田んぼがなくなってからは――ちょうどオリンピックの頃から東京中のドブに蓋がされまして――水路跡がこの辺ですとだいたい緑道になって保存されてます。この地図ですと公園緑地だけが表示されてますけど、実際は蓋して道路になってるとこの方が多くてですね、複雑です。ここ、現在地から郷土の森公園までのわずかの間でも、歩いてみるとそうですね、５本…？…くらいには、分かれたりくっついたり交叉したり、もしかしたら逆流したりしながら、網の目みたいに小さな流れがありました。こんなです（図を見せる）。網状水路というそうです。ちょっと川にのぼってみましょう。段、気をつけて下さいね。こちらですね。整備されて、夏には水が通って鳥が来たり子どもが遊んだりできるようになってます。あ、でもいま流れるのは本当の川ではなくて、川は――用水は田んぼがないので廃止になりまして――ここの水は地下水を汲み上げてポンプで循環させてるやつです。謂わばイミテーションですね。こういう川の名残りみたいなものって実際の生活に使われてないわけですから川と言えるんだろうかっていう問題がありますけども、府中の場合なぜか割と保存する方針みたいです。まあ「府中」ていうくらいですから歴史ある町を自認してるところがあるんでしょうかね。あと、この地点に限っては、ここ南にまっすぐ行けばすぐに是政の駅ですし、あっちの交番のとこの交叉点渡って北側の人たちがちょうど導線でここ通る関係で、歩道として、割と活用されてるみたいです。散歩道ですけど足早に行く会社員の人とか、あそこのもう住んじゃってるようなおじさんとか（じっさいに蓆かぶって寝てる人もいる）、あと小さい子遊ばせてるお母さんとか、割といるんですよね。ちょっと下るとマンションの敷地と地続きになっててマンションごとひとまとまりの公園みたいにしてるとこもあります。あと今日は行きませんけど、もっと下ると競艇場の敷地のまわりをぐるっと沿っていく感じになって、調布の方までもとは続いてたらしいです。――私、育ちがこの上流の日野なんですが、多摩川って南岸はずっと多摩丘陵で幾つもの川が流れ出して合流してます。上から平井川、秋川、谷地川、根川、浅川、程久保川、大栗川に三沢川。でも北側には目立った丘がなくて、低い崖からいくつか沢が湧いて――川らしいのは野川と仙川くらいですね――低いところにこう、ちょろちょろと流れてるだけですね。でもここが、ここ全体が、多摩川の本流だったんですよね。今は両岸の土手に挟まれて五〇〇メートルくらいですけど堤防ができる前はこのあたりの川幅は二キロにも達しました。雪解けや大雨の頃ともなると水源の笠取山から沢や支流を集めてここらは滔々たる大河になりました。網状水路。先ほどコヤでお見せしました通り（あらかじめ観客に地図を見せてあった）、ここを流れていた二ヶ村緑道は終いの頃こそ常久・押立の二ヶ村を潤す小流れでしたが、元は多摩川の本流でした。まさにここがです。現代は便利で安全で食べるにも困らなくてとても良い時代だと思うんですけど、都市が大きくなるのと反対に、こういう日常の景色がこぢんまりとまとまって、昔の風景が見えづらくなってるのはなんか残念です。大きな物語の終焉ということは私が生まれる前からもう言われてて、今はもう細かく分断された物語のいくつかを渡り歩いて人は生きていくような感じになっちゃってますし、それはそれで小さなものの総合としての世界観っていうものも有効ではありますしそれを信用してやっていくしかないのでもあるんですが、でも、私、演劇人ですしね。演劇は結構古いものですから古い世界観もお芝居では健在なわけで、細分化された現代、価値観の多様化という名前のどこか均質な現代、安全管理の行き届いて過剰管理に文句の言えなくなってる現代に対して、ただ黙っているわけにも職業上、いかないってこともあるんですよね。私まだぎりぎり高校生ですけど二週間後にはプロの末端俳優になります。最初にやるお話は何でしょう。イプセンかチェーホフか分かりませんが、その時代のその人たちと現代とを架け橋する、自分の身と役柄とを馴染ませていく仕事ですから、古いもの――懐古主義とか感傷的とか言ったらネガティブですけど――放っておいたらどんどん過去のものになっていく歴史、物語を、いま生きているものとして生きなおしていくということを、よく考えていきたいと思います。ね、ここの水路、ところどころにお金が落ちてます。お賽銭ですね。古くさいですね。弁天様とかじゃなくて、さすがにここにコイン投げても何の御利益もなさそうなんですけど、投げる人はいるんですねまだ。まだっていうか、この緑道できたの二〇一一年の三月です。たった六年しか経ってないのに。おかしいですよね。作り物の水路に、どこから来たのか分からない庭石みたいなの運び込んで、税金で公園作って、そしてほんとの流れは埋め立てられて、ないわけでしょう。かもめのニーナ。チェーホフの「かもめ」に、撃たれて湖のほとりに落ちて死んだカモメが出てくるんです。ソ連のテレシコワも言いましたね、一九六三年、ボストーク、「征服せよ」という名の宇宙船から古くさく「ヤー、チャイカ、私はかもめ…いいえ、そうじゃない…私は飛行士…そうよ。トリゴーリンが来てる？ ふん、構やしない。そう、あの人は作家のくせに芝居というものを信用しないで、いつもあたしの夢を冷たく見てた。それで私も次第に信念が失せて、気落ちしてしまったの…。そのうえ恋の苦労だの、嫉妬だの、妊娠だのにしょっちゅうびくびくして、いつしかこせついた、詰まらない女になってしまって、でたらめな演技をしていた。両手の扱いも分からず、満足に立つことも、声もろくに出せずに。ひどい演技をしているなあって自分で感じるときの気持ち、とても人には分からない。私は…かもめ…？…いいえそうじゃない。コースチャ、覚えてる？ いつかあなたはカモメを撃ったわね。その通りになったの。あなたと湖畔の仮設ステージでやったお芝居はぼろぼろだったけど最高だった。何もないところから立ち上げるのはほんとに素敵だった。そこへふとやってきた男が、娘を見て、退屈まぎれに口説き落として破滅させてしまう。湖畔のステージはいつまであったろうね。やがて革命になって、社会はめまぐるしく変わって、そして百年。二〇一七年か…あの十月から今年でちょうど百年になるわ。私はあの時代のかすかな名残り、かもめの…ニーナ…」。
声 違うだろ。
ひな はい？
声 おまえ、台本と全然違うんだよっ。（ト、蓆を撥ねのけて登場）
ひな すみません！
智恵 硬いとこ寝てたらもうバキバキだよ、ここ片づけといて。
裏方 あ、はい。
智恵 あんたね、あたしゃあんたのコーチでもなけりゃプロンプでもないんだ。
ひな はい！
智恵 へたくそと思ってんだろ。
ひな え。
智恵 プロンプの間、めっちゃ悪いって。
ひな そんなことありません。
智恵 そんなことあるんだよ。
ひな ないです。
智恵 あるね。
ひな そんな…ていうかそもそも知恵さんプロンプじゃありませんから。
智恵 じゃあトチんなよ研修生、プロンプされたくなかったら。
ひな あー、はい！
智恵 続きは。
ひな 続き。
智恵 台本。脱線したらすぐ戻る！
ひな 分かりました。あ。
智恵 あ？
ひな あの、でも、
智恵 は？
ひな ここ住宅地なんでえ、苦情とか来るとあれなんでえ、小屋に戻りません？
智恵 あんたねえ！
ひな はい…、
智恵 いい考えだ。
ひな （ガク）
智恵 じゃ、戻るよ。
ひな 了解です。
智恵 でもその前に。あんた気になること言った。この岩がなんだって？
ひな 岩ですか。
智恵 さっき、言ったろ。
ひな なんでしたっけ。
智恵 庭石がなんとか、
ひな ああ、どこから来たんだか分からない岩、とか。
智恵 分からないことあるか。
ひな え。
智恵 ちゃんと普請してんだから分かるんだよ、どこのどんな岩だか。なんにでも出自ってもんがあらあね。
ひな えーと…、
智恵 （遠くまで指して）早い話がみんな庭石じゃないだろ。見た感じ。
ひな そういえば。ごつごつして。これ、溶岩ですか。大島で見たかも！
智恵 溶岩。
ひな ええ、三原山。調布飛行場からプロペラの、セスナで行きました。（別空間）
智恵 （見上げ）セスナ…、ドルニエだろ…、
ひな （見上げ）ドルニエ…、ドルニエってなんですかあ…、
智恵 （見上げ）ドルニエはそりゃ、セスナより大きいやつさ…、
ひな （見上げ）ああ、二種類あるんですね…、
智恵 （戻って）溶岩じゃないから。
ひな え、ごつごつなのに。
智恵 風化さ。
ひな フーカ。
智恵 雲母が混じってるんでぼろぼろなのよ。
ひな 雲母入りの溶岩？
智恵 溶岩があんな直線に結晶すっか。みかげだよ、花崗閃緑岩。石英長石黒雲母。溶岩だったらデイサイト。
ひな はあ。
智恵 鈍感。
ひな 難しくて。
智恵 たぶん笠取山から運んでんだよ。
ひな ？
智恵 あーもう。水源。多摩川の。
ひな ああ！
智恵 水が干れるって書いて水干沢。
ひな 花崗岩なんですかあ。
智恵 古い、ね。秩父古生層の深層風化。片麻岩だからすぐボロボロさ。ようは、この二ヶ村緑道のルーツを紹介するために、わざわざ運んできたわけさ。
ひな なるほどー。
智恵 均質な過剰管理だって？
ひな すいません間違ってました。よく考えられてるんですね。
智恵 そう、しかも見る人がよく考えて、初めて分かるようになってる。
ひな そっか、すごいや。
智恵 ひな。人の世に無駄はいっぱいあるし、入札抜きのいんちき普請もいくらもある。あるけど、どんな時にも良心の介入する余地はあんだ。だからそうそう悲観したもんでもない。
ひな はい！
智恵 ただし今のはハッタリだ。
ひな ええっ？
智恵 ホントに笠取の岩なんかな…。
ひな ガク。台無しじゃないですか。
智恵 まあいいやコヤに戻るよ。
ひな えーてきとうー、
智恵 そこらへんの、運べる？
裏方 大丈夫です。
智恵 そうだ。歌があんだ。この緑道の。
ひな そうなんですか？
智恵 こないだ教えたじゃん。（歌いながら劇場へ）
ママ下の沢に乗って海さ連れで行ってよ
飼い葉の匂いのシャツは陸軍のお下がりでも
なして 一万年でも耐えて生きてきた
我が暮らし楽にならざり
あよ ほうけたおらに着いてくるなよ
あよ 頬げたちょっぴし張り飛ばしてやんべか この際よ
用水の土手に植わってた 干ばつに強いイモ
御殿峠の砂利はぐずぐず崩れてくる
とうに掘られて流れて海底の泥だけども
まして 尾根伝いではどこにも行けねえ
我が暮らし潰えて消えだ
あよ ほいでも春にはキスゲや鉄線
あよ ほーえば忘れてるまにネコヤナギ咲く 悪かねえ
堂山の南に植えだ 虫害に強いトウモロコシ
智恵 さってと。寝るぞー。
ひな えー、
智恵 二日酔いだから。
ひな お芝居しないんですか。
智恵 ハイヤー呼んだ？
ひな じき来ます。お芝居…。
智恵 きのうやった。打ち上げで呑みすぎた。だりい。帰りてえ。ハイヤーハクホオショウ、魔の第三コーナー。
ひな 智恵さんいつもじゃないですか。
智恵 いんだよ。たまのお座敷さ。ここんとこ干され気味だから。お役御免のとこ、ふああ（欠伸）、じりじり引き延ばしてる人生だった。なに笑ってんのさ。
ひな すみません。二ヶ村緑道と一緒だなって。
智恵 あん？ どこが。
ひな 第二の人生。
智恵 あんた意外と口悪いよね。
ひな はい？
智恵 無自覚かよ。
ひな あ、すみませ
智恵 いいよ、天駆けて、天下るわ。（寝る）
ひな 天下りですか。どぶに。
智恵 （はね起きて）ドブって言うな。ドブに生きるのがあたしらのォ、
ひな ？
智恵 浪花節さ。
ひな 人生は！
智恵 合いの手要らん。ちょっとあれだ、泥の河読んでみ。
ひな どろのかわ…。
智恵 知らんの。台本ある？
裏方 あります。
ひな 冒頭でいいですか。――「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた――
智恵 待った。訛って。
ひな 訛る。
智恵 浪花節な。
ひな ああ。「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建新橋、それに船津橋である。藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電がのろのろと走っていた――
智恵 待った。ちょっと。だっさ。
ひな すみません。
智恵 なんでそんな試し読みなん。
ひな え。
智恵 黄土色ってあるやん、ひらのォーうんがのォどすーぐーろーさァー、趙博、泥っどろな感じ出してえな。入団の実技で大阪弁やったやん。
ひな ご存知ですかあ？
智恵 審査官や。
ひな えっ。
智恵 影薄くて悪うござんした！ とにかく、イッパツで決めえ。あとないで？
ひな せやな…。
智恵 実技のやつやり。「メガシャーク、バーサス、ジャイアントオクトパス！
ひな 「ちょっと。それ説明いらんから
智恵 「なんで
ひな 「聞かんでもハナシ分かるわ。あれやろ、巨大ザメと巨大タコが戦んにゃろ
智恵 「なんで分かた！
ひな 「分かるわ！
智恵 それや。じゃ台本。
ひな 「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの――
智恵 なんでやねん。なんでやねん。
ひな なんですか…、
智恵 あのな。じゃりン子チエでええねん。なんでできひんねや。
ひな えー、ネイティブじゃないですし…、
智恵 薩摩隼人のおいどんごわす弁話せ言うとんちゃうで、第二共通語やで大阪弁は。国語審議会には関西支所があんねんで。
ひな あるんですか！
智恵 ねえよ。
ひな くっ、…
智恵 生まれは。
ひな 象潟です。
智恵 じゃ秋田弁で。
ひな いえ二歳までしかいなくてえ。
智恵 いいよその記憶で。
ひな 二歳じゃ人語しゃべりませんから。
智恵 じゃ何語がしゃべれんだよ。
ひな はい？
智恵 できねーのは分かった。じゃあ何ができんの。
ひな えー、
智恵 えー、じゃねーよ。そこ、なんかやんだよ。可愛きゃ許されっと思うなよ。
ひな まあ追い追い。
智恵 給料も追い追いって書いといて。
裏方 給料も追い追い。
ひな 待ってそれは！
智恵 乞食だって芸くらいするぜ。やれねーなら河原から出て行きな。
ひな 河原。
智恵 食い詰めもんの野垂れる先さァ。だから開拓武者、井田是政ゆかりの地で芝居してんだ。魔の第三コーナー曲がりきるのか、河原乞食になるのかならねえのか、ああッ、今ここで決めやがれィ。
ひな なりますなります。
智恵 ハイは一回ね。
ひな はい！
智恵 小汚くね。
ひな …はい！
智恵 小汚い川つっても知らねーか。どこの流域。
ひな 象潟川です。
智恵 二歳じゃなくて、地元だと。
ひな 浅川…？
智恵 清流じゃねーか。
ひな 程久保川…。
智恵 ホトがクボクボ。
ひな 下品。
智恵 分かる。あたしも原風景、辻堂の引地川だから、コイがァンン揉み合うくらい汚い川って感覚ね。でもコイいんのむしろ上流だから。なんなら上流階級だから。地元のいっちゃん汚い川は何ですか、そしてそれはどこですか。（何人か客に訊き）あんたは。
裏方 猫実川。
智恵 コイいる？
裏方 いやーイトメメズしかいないっすねー。
智恵 イトメメズってどんなん。
裏方 こんなです。（やる）
智恵 ひな。やれ。
ひな あたしか。（嬉しそうにやる）
智恵 もっと卑猥に。
ひな ひわい…、（いちおうやる）
智恵 そのままセリフ。
ひな 「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川とがまじわる所に三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建新橋、それに船津橋である。藁や板きれや腐った果実を浮かべてゆるやかに流れるこの黄土色の川を見下ろしながら、古びた市電がのろのろと走っていた――
智恵 はいオッケー。
ひな …無茶ぶりでしょ！
智恵 いや存外に良かったよ。
ひな まじか。（ちょっと嬉しそう）
智恵 いいか、河原乞食の演技の基本は「貧困と豊穣」だ。
ひな 貧困と豊穣。
智恵 つまり猥雑さってことだ。あんたに日本三文オペラをやろう。
ひな ブレヒトですね！
智恵 日本て言ってんだろ。大阪環状線京橋駅下車歩いて一〇分の帰り道を千鳥千鳥の足取りで。趙博。アパッチよ。
ひな ピーチャムじゃなく？
智恵 台本ある？
裏方 あります。
智恵 二十七ページ。
ひな あ、すでに付箋が。
智恵 ハイ読む。
ひな 「（ヒソヒソ）あいつをいてこますのや
「…いてこます？
「（とろさく、やかまし！）
「（ヒソヒソ）あんなもんがどないしていけまんのや？
「煉瓦をどけてコンクリ叩き割って、ひっ剥がすのやがな
「…！
「汝はシャベル使え
「シャベル？
「（しゃべんなゆうて！）煉瓦を食うとれちゅうのや
「…今晩じゅうだっか？
「あたりき
――なんですか、これ。（嬉しそう）
智恵 うちで芝居してく基礎練習本。外郎売りだと思ってやんな。
ひな （パラパラ見て）どこ見てもエモいわ…、
智恵 分かって入団したんだろ。
ひな そうですけど、お言葉ですが、ストリンドベリは。イプセンは。
智恵 やかまし。
ひな ワイルダーとクライストは。シプリアン・エクエンシーとキンテーロ兄弟は。
智恵 あーやかましわ。順序があんだよ。
ひな チェーホフならやりました！
智恵 ほう？「人もライオンも鷲も雷鳥も角を生やした鹿も鵞鳥も蜘蛛も水に棲む無言の魚も海に棲むヒトデも人の目に見えなかった微生物も――ハイ、
ひな …。
智恵 続けてニーナ？
ひな …無理です。
智恵 えり好みしてる場合。
ひな ハイ。
智恵 かっこいいのやりたい？
ひな まあ。
智恵 モテたいの？
ひな そういうあれじゃ
智恵 モテたいのかよ
ひな モテたいです。
智恵 ようし素直だ。桑田佳祐著、「ただの歌詞じゃねえかこんなもん」。
ひな は？
智恵 あのしゃがれ声は、モテたくて潰したんだ。
ひな わざと。
智恵 おう。
ひな 最高ですね！ でもなんか政治的なこと言って炎上してたような。
智恵 だからこそさ。
ひな だからこそ。
智恵 幅のある人格になるんだ。いいか、芸は、媚びだ。
ひな 言い切った！
智恵 あたしらは共産党じゃないから別に正しいもんにはつかん。むしろ間違ったこと、人間のダメさを描くのが演劇だろ。
ひな 確かに。
智恵 あたしなんか人としてはダメダメだ。
ひな はい！
智恵 はした金で権力に買われながら権力と自分を同時に笑うんだ。
ひな それモテますか。
智恵 究めるならば。
ひな かっこいいですかね。
智恵 下から上まで知ってこそのダンディズムさ。どっちかだけじゃ詩にならないよ。
ひな なるほどー。
智恵 生き急いで野垂れ死ぬんだね。死後評価される。
ひな できれば生前で。
智恵 いい方法がある。
ひな はい。
智恵 死後評価された人を、真似るんだ。
ひな ――そっか。すごい！
智恵 ゴッホは売れなかったがゴッホがいなきゃ今の画家たちはいねえ。
ひな ですね。
智恵 そこで宮澤賢治さ。
ひな そうなんですか。
智恵 のちの文芸を決めた日本語の三大トピック。
ひな 岸田國士と三好十郎と北村想ですね！
智恵 演劇から離れろ。紀貫之、平家物語、そして賢治だ。芝居は虚、詩情は実、虚実の高みで遊んでみせた先人の姿勢をパクるんだ。
ひな パクりますパクります！
智恵 ようし、じゃあなんか暗唱してみようか。
ひな え、覚えてないですよー。
智恵 何も？
ひな はあ。
智恵 予習が足りんわ。じゃあたまたま開いたとこ読みな。台本。
ひな んー。なにか心がけることありますかあ。
智恵 意志なきもののごとくに。
ひな え。
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