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イスラーム地理書・旅行記勉強会コミュの初めにお読みください^^?

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とりあえず私からのメッセージがメインのトピックを作成します。

まあ、ちょっと恨み節も入っていますが、ご容赦ください。

コメント(4)

「イスラーム地理書・旅行記勉強会」を再開します!

「ブログ版 歩く仲間」 2009年10月17日
http://arukunakama.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-a789.html

アラビア語関係の研究は一旦、封印していたのですが、まあ転職して1年も経つことだし、ライフワークの3つの柱の一つとして、「アラブ・イスラーム地理書・旅行記研究会」を再開するにしました。

手始めに、ミクシイで、「mixi イスラーム地理書・旅行記研究会」というコミュニティを立ち上げました。

なぜ、今なのかと問われれば、まずこのニュースをお伝えしたい。

画像1 イブン・ジュバイル 藤本勝次・池田修監訳 『イブン・ジュバイルの旅行記』 講談社学術文庫 2009年7月13日 第1刷発行

文庫本 1,450円(税別)

何が言いたいかというと大阪外国語大学のアラビア語学科の恩師、池田先生と関西のアラビストグループの翻訳となるこの本、実は私が20年前に大学のときに、まさに先生や院生の方々が取り組んでいたプロジェクトで、原本は、1992年3月に『イブン・ジュバイル 旅行記』として、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6として発表されました。

著者・監訳者は上記に同じ  『イブン・ジュバイル 旅行記』、関西大学東西学術研究所 訳注シリーズ 6 関西大学出版部 6,500円(税込) A5版 ハードカバー

非常に立派な装丁なのですが、学術書でいかんせん定価がめちゃくちゃ高い。

もう、はしたないとかみっともないとか大人げないとか、なんといわれようとかまいません。

本当に、今の大学生が本当にうらやましい。そして悔しい。

開発コンサルタントというそれなりにチャレンジングな職業について世界を股に、自分もまた旅してきましたが、1992年の当時、自分がどうしてもやりたかったことが、アラビア語の地理書・旅行記の研究だったのです。

いろいろ理由があって紆余曲折があって、結局就職してアラビア語の世界からは一旦離れざるを得ませんでした。

でも社会人になっても日本中東学会なんぞに顔を出し続けたのも、まだ自分の中で不完全燃焼であったからに他なりません。その不満?が爆発したのが2003年から東京で有志を募って始めた「アラブ・イスラーム地理書・旅行記勉強会」なのですが、10回ほど続けることができましたが、初学者も多く、とても研究とまではいきませんでした。

どんなときでも常に視野というか頭の片隅にあったのが、アラブの大旅行家「イブン・バッツゥータの大旅行記」を写本の収集から現地踏査まで20年以上の月日をかけて完成させた家島彦一先生でした。もう20年前にたしか第5回か6回の関西大学でおこなわれた日本中東学会の総会で初めてお会いした家島彦一先生でした。そのご活躍を近くまた遠く背中をみながら、胸に暖めてきた情熱。

やっぱり、これはやってやろう。思えば池田修先生、日本人でアラブ・イスラームの地理書研究の一人者である竹田新先生の門下生として、やはり私がやらないといけないでしょう。(家島先生は、竹田先生のご紹介だったと思います。)

ということで、とりあえずミクシイで‘仲間’を募りつつ独学を続けていきたいと思います。

さて、これはエジプトで仕事をしたときにエジプト人の秘書にカイロの大本屋で購入してもらったイブン・バッツゥータの『旅行記』の原書です。(画像2)

1999年2月28日 カイロで購入とメモがあります。

ともあれ、家島先生の平凡社 東洋文庫版の全8巻の完訳もあるし、まあぼちぼちとやっていきます。

そうそう、開発援助の現場で足で歩いた世界の感触・体験から説き起こす「開発民俗学」、ヨット部経験から現職につながる「海洋民俗学」への途は、この「アラブ・イスラーム地理書・旅行記研究」と全く矛盾しないどころか互いに補完しあうものであることを申し添えておきましょう。

この3つのテーマをひとりで縦横に語れるのは、日本広しといえども‘私’しかいないと思います。

たぶん^^?

そのうちに学界にカムバックするからな!と勝手に東の空をみて思う今日この頃です^^?

ではでは^^?

<続きです>

(おまけ)

家島先生の力作。

画像3 イブン・バットゥータ イブン・ジュザイイ編

家島彦一訳注 『大旅行記』 (全8巻)

平凡社 東洋文庫 1996年6月10日 初版〜2002年9月25日 初版

また、サイドストーリーとしてこんな本もだされています。


画像4 家島彦一 『イブン・バットゥータの世界大旅行 14世紀イスラームの時空を生きる』 平凡社 平凡社新書 2003年10月20日


ところで、いろいろ偉そうに書いていますが、まだ和訳すら読んでいません^^?

でもいつか読もうと本棚を温めて?積読状態を維持しておりました。最近は、特に専門書はそもそも印刷部数が少ない上にあっという間に本屋の本棚から落ちてしまいますので、気がついたときに市中在庫だけと思って購入しないとすぐ手に入らなくなってしまいます。それはそれとして。

まあ開発コンサルタントの仕事が忙しかったのもありますし、老後の楽しみ?に取っておいたという側面もありますが、本棚にあるこれらの本の背をなんとはなしにみてはじりじりとしたプレッシャーを感じていたのも事実です。

はっきりいって仕事をしながら、全く仕事と関係のない専門書やアラビア語の本を読むのは不可能とはいえないまでも、現実として自分にはできませんでした。

現在もマリン業界に身をおいているため、当然、それほど趣味に時間をさくわけにはいきません。とはいえ、本職に力をいれるのは当然のことですが、目先の売上げや人間関係などだけに一喜一憂するのはどうしたものかと私は思います。

もう少し、ロマンを持って生きて行きたいなと、常々思っていますし、好きなことをする息抜きもないと人間、すぐに煮詰まってしまいます。

以前、進学をあきらめたとき、「勉強ならいつでもできるから」と母親には諭されました。それは事実ですが、もし職業としてそれを生業にするのなら、つまり研究者になるためには、その全く儲けにならないどころか勉強をさせていただくためにお金を払い続けなくてはならないつらい時期は、やはり当然‘その時’に経験しなければならない‘壁’というか‘道’であったと、今にして思います。

あの時やらなければ、職業「勉強家?」には成れなかった。続けていたとしても果たしてどうなったのか、今となっては全くわかりません。

でも現実として、私は就職して、全く違った分野で一から経験や勉強を実社会でさせていただきました。16年間も海外の仕事に携わることができ、毎年1年の何ヶ月かを開発途上国で働いてきました。最後は4年あまりの駐在員経験もできました。もともと政府開発援助の仕事なので、民間企業とはいえ、これは会社の経費というより「国民の税金」を元に世界を旅することができました。

思えば、1995年にアラブ首長国連邦のドバイを皮切りに、エリトリア、エジプト、ブルキナファソ、イラン、東ティモール、フィリピンなど短期や長期に住み込んで「歩きながら考える」機会を与えていただきました。多分、100回以上、国際線の飛行機に乗っていると思います。

ともあれ、たまたまというか日本の地元に戻りましたので、それらの経験をやはりなんらかのかたちで社会に還元していきたいと思っています。

そんなかんなで、常に「歩く仲間」を求めて自分の生きる途を追求していきたいと思いますので、関心や興味をいだく方がおられましたら、まずちょっとだけでも一緒に歩いてみましょう。

これは、まさに、10年前に「歩く仲間」プロジェクトを立ち上げたときの言葉のそのままなのですが^^?

http://homepage1.nifty.com/arukunakama/n0000.htm

ともあれ、これからもよろしくお願いいたします。

ではでは」^^?
みなさん、2010年 あけましておめでとうございます。


昨年は、更新を怠っていて申し訳ありません。
実は、開発民俗学というコミュも主宰しておりまして、今年もそちらでの活動がメインになりそうなのですが、こちらのテーマについても、少しずつでも更新していきたいと考えています。

とりあえずメンバーになっていただいた方のブロフを拝見するに、同門の方が多いようなので、まあこのコミュを、恩師の大阪外国語大学(現大阪大学)のアラビア語専攻の竹田新先生のゼミ生の分室みたいなものにしてしまってもよいのではないかと思っています。正直いって。

別のところでも書いているかもしれませんが、私は1988年入学1992年卒業で、池田修教授、福原助教授、竹田助教授、高階助教授、藤井先生、森高先生、西尾先生、タッリーマ教授などからアラビア語を学びました。

ちょうど池田先生が学長になる前で、直接謦咳に触れた多分最後のほうの世代だと思います。

私が進路(就職、進学)を決めるべき時期が、ちょうど湾岸戦争があったときで、その時にいろいろ考えて卒論では、中世のシチリア島をとりあげ、ラテン(語)とギリシア(語)とアラビア(語)が共存したというイスラームと西欧との接点におけるトレランス(寛容)の精神と共存とは何を背景にどのような考え方によって成立ったのであろうか、それを可能にしたイスラームとはどのようなものであったのかというのが問題意識の出発点でした。

その卒論で、イブンジュバイルの旅行記を扱ったのが、イスラーム旅行記や地理書に関心をもったきっかけです。

でも実は、昔から地理というか探検に関心があって大学では「人文地理学」がやりたいと思っていたからそれがイスラームにはまったというだけともいえるんですよね。

小学校時代は、それこそ世界を股にかける探検家になりたいと思っていたぐらいですから^^?

ともあれ、結局大学院進学はせずに、開発コンサルタントという職業を選んで、いろいろな世界を実際に見聞きすることができました。

イスラーム圏だけでも、アラブ首長国のドバイを皮切りに、エジプト、イラン、エリトリア、ブルキナファソ?、フィリピン(ミンダナオ島)などで仕事で長期短期の出張をさせていただきましたので、まあ自分の旅行記を書いてもいいのかなとも思いますが、アラブ・イスラーム旅行記・地理書に寄り添ってみるのも学問に対する恩返しかなとも思っています。

どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが、このコミュでは、神学論争ではなく実際のイスラーム圏に住んでいる普通の人たちのイスラームと中世最大のコスモポリタンな共通言語であったコーランのアラビア語がつなげた‘世界’の実像に迫る研究成果について意見交換をしていきたいと考えています。

これからもご協力と参加をお願いいたします。

ではでは^^?
とりあえず「アラブ・イスラーム学習ガイド(資料検索の初歩) (©1991)」をしばやんのHP「歩く仲間」から転載させていただきました。

思えば、もうほぼ20年前になります。大学の4年生のことでした。卒論を書く片手間?に私は本を作っていました。

春に新入生向けのパンフレット(新歓資料)「中東世界へのアプローチ (BOOK GUIDE)」を書いたことがきっかけで、いろいろ中身を膨らまして私が4年間で学んだことをまとめてみました。

でも今思うと、いったい誰のためにやっていたのでしょうか。オフコースの「NEXTのテーマ−僕等がいた−」という曲がありますが、まさに「誰れの為にでもなく」始めた自分(マイ)プロジェクト。

まあ、無駄なことだったかもしれないし、かなり時間も力も使ったし、究極的には‘自分のため’でしかないかもしれない、こんな試みもこれまでの私の20年を思うと、やはり‘初めの一歩’であったと思います。

当然、今ではもっと専門的な優れたガイドはいくらもありますが、お茶大の三浦先生に、「あの当時ではよくやった」というお言葉(2003年ごろ)は、まあお世辞でなく聞いておいてよいのかなと思います。

まあ過去はどうであれ、ステップアップ編としての「開発民俗学への途」を歩み続けていきたい。そんなことを、‘今’は思っています。

ではでは^^?

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