しばやん@愛知です。
アラビア語で書かれたイスラーム地理書・旅行記を本格的?に勉強、研究するコミュです。
もちろん初学者もアラビア語始めての人もいらっしゃいませ。興味関心のある方のご参加をお待ちしております。
これまでの活動については、以下をご参照ください。
アラブ・イスラーム地理書・旅行記 勉強会 2003年1月〜2004年3月
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ちなみに、このコミュは「歩く仲間」プロジェクトの一環を成します。
「歩きながら考える〜‘世界’と‘開発’」HP
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ちょっと敷居を高くしすぎているかもしれませんが、私の略歴と関心について「初めにお読みください^^?」(http://
もちろん初心者フォローのトビも徐々に整備していく予定です。
[2010年1月10日 加筆]
みなさん、2010年 あけましておめでとうございます。
昨年は、更新を怠っていて申し訳ありません。
実は、開発民俗学というコミュも主宰しておりまして、今年もそちらでの活動がメインになりそうなのですが、こちらのテーマについても、少しずつでも更新していきたいと考えています。
とりあえずメンバーになっていただいた方のブロフを拝見するに、同門の方が多いようなので、まあこのコミュを、恩師の大阪外国語大学(現大阪大学)のアラビア語専攻の竹田新先生のゼミ生の分室みたいなものにしてしまってもよいのではないかと思っています。正直いって。
別のところでも書いているかもしれませんが、私は1988年入学1992年卒業で、池田修教授、福原助教授、竹田助教授、高階助教授、藤井先生、森高先生、西尾先生、タッリーマ教授などからアラビア語を学びました。
ちょうど池田先生が学長になる前で、直接謦咳に触れた多分最後のほうの世代だと思います。
私が進路(就職、進学)を決めるべき時期が、ちょうど湾岸戦争があったときで、その時にいろいろ考えて卒論では、中世のシチリア島をとりあげ、ラテン(語)とギリシア(語)とアラビア(語)が共存したというイスラームと西欧との接点におけるトレランス(寛容)の精神と共存とは何を背景にどのような考え方によって成立ったのであろうか、それを可能にしたイスラームとはどのようなものであったのかというのが問題意識の出発点でした。
その卒論で、イブンジュバイルの旅行記を扱ったのが、イスラーム旅行記や地理書に関心をもったきっかけです。
でも実は、昔から地理というか探検に関心があって大学では「人文地理学」がやりたいと思っていたからそれがイスラームにはまったというだけともいえるんですよね。
小学校時代は、それこそ世界を股にかける探検家になりたいと思っていたぐらいですから^^?
ともあれ、結局大学院進学はせずに、開発コンサルタントという職業を選んで、いろいろな世界を実際に見聞きすることができました。
イスラーム圏だけでも、アラブ首長国のドバイを皮切りに、エジプト、イラン、エリトリア、ブルキナファソ?、フィリピン(ミンダナオ島)などで仕事で長期短期の出張をさせていただきましたので、まあ自分の旅行記を書いてもいいのかなとも思いますが、アラブ・イスラーム旅行記・地理書に寄り添ってみるのも学問に対する恩返しかなとも思っています。
どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが、このコミュでは、神学論争ではなく実際のイスラーム圏に住んでいる普通の人たちのイスラームと中世最大のコスモポリタンな共通言語であったコーランのアラビア語がつなげた‘世界’の実像に迫る研究成果について意見交換をしていきたいと考えています。(※)
これからもご協力と参加をお願いいたします。
ではでは^^?
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※2011年6月21日 補記
このワンパラグラフについて、どうも私の意図と違って読まれているようなので、少し補足します。
「どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか(、)知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが」
上記、文章自体がわかりにくいのかと思い句読点を括弧で加えました。それと同時に私の‘気持ち’を下記に書き下します。
どうしても現代のテロとか〜の問題がある→ だからイスラームやアラブは怖いという(言説) → これは(一面も全面も)知らないゆえの、しかも(よく)知らない人が(全く)知らない人に語っているからこそ(短絡的な)‘偏見’に満ちた言説(に私には見えるし)それが(何のチェックもなく)未だに日本ではまかり通っている。
確かに、テロやイスラーム過激派自体は‘怖い’ですが、私は、アラブ・イスラームは‘それだけ’ではないですよということがいいたいのです。
あたりまえのことですが。
この部分は、私が勝手に、日本人が陥っている‘ステレオタイプ’の一例としてあげただけで、個々の事象についての私の判断は入っていません。つまり、そうだからこのようにしたいとか、そうじゃないんだよ‘本当’のムスリムはそうじゃないんだよとかいう気は、全くありません。
私は、断片的な‘知識’で容易に因果律を持ち出し、自分(達)を‘安直に’納得させようとしていることを問題としているのです。
<神学論争ではなく>というのは、アラブやイスラームについての‘知識’は、今までの本に書かれた内容ではなく、実際に現地に住んでいる人たち(ムスリムのみならず、他の宗教の人も住んでいます。当然のことながら)にとっての、‘イスラーム’と‘(その生きている)世界’の実像に迫る研究成果を抽出して、それを元に積極的に議論していきましょう。ということをいっています。
一言で言うと‘実際的な話をしようよ’というのが、私の主旨です。
くどくなってしまって申し訳ありませんが。
ではでは^^?
メンバーの参加コミュニティ
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