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イスラーム地理書・旅行記勉強会コミュの「‘現代におけるイスラム・テロの問題がどのようにイスラム教内部から誕生したのか’について <パースペクティブの一つとして>

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このトピックは、下記のトピックで私が呼びかけに、早速熱心に答えていただいたアブドゥさんの‘パースペクティブ’についてのトピックです。

◆ パースペクティブを与えてくれる書籍など<各論>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63337273&comm_id=4600043

アブドゥさん自体、きっちりとアラビア語もヘブライ語も修めた優秀な日本人研究者(本人がどうとるかわかりませんが)の一人で、大学卒業後に豊富なアラブ・イスラームの現地経験を持ち、確固とした信念をもったムスリムの一人で、ご自身でコミュも運営されています。

◆ アブドゥさんのトップページ

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=14765465

◆ 中東・イスラム世界との対話

http://mixi.jp/view_community.pl?id=3871028

私もアラビストの一人ですが、育ちが違うというか開発援助という現場から入ったので、エジプト、イラン、エリトリア、UAEなどの現場体験もアブドゥさんが経験・体験されたものと異なっている、いや同じものを見ていたとしても違ったものを観ているのではないかとも思います。

ともあれ、アラブ・イスラームについては、日本人の中でも研究や経験が少なく、それこそ日本人の研究者に限って言っても、さまざまな立場での言説があることは、みなさん、十分ご存知のことで、私に言わせれば、「どれも正しいし間違ってもいる」というのが本当のところではないでしょうか。

というのは、イスラーム圏には、当然のことながらイスラーム以外の宗教の人たちが隣人として住んでいること、同じ国や街であれ、実はイスラームのセクトが無数にあり厳密にいうと一枚岩のイスラーム‘国’はありません。多数派と少数派はありますが、同じ街でも違った宗派があるのがエジプトやイランでみた私の‘現実’です。

このような宗教自体についての議論や知識を深めたい方は、ぜひアブドゥさんのコミュで勉強してください。非常にまじめで真剣な‘対話’をアブドゥさんはムスリム・非ムスリムの方と重ねられています。とてもためになる書き込みが多いです。実際に^^?

その点については、敬意を払います。

ただ、私はそのようなことにあんまり関心がないというのが本音のところなのです。

わたしのイスラーム観の偏向を、以下のトビで、アブドゥさんが執拗に責め立てていますが、私には私の信念や考え方があり、それがアブドゥさんの考え方の優先順位と異なっていたとしても、それは関係ない話で、それぞれの考え方でやってほしいし、必要以上にかまわないでいただきたい。

人間、限られた時間の中で、人生を精一杯に生きています。アブドゥさんという‘一個人’の生き方や考え方にいちいちかまっている理由も必要もないというのが私の見解です。

私のイスラーム観については、このコミュを運営する上で、必ず必要なことなので、別途述べる場所(トピック)を作りますが、それは、参加者が「イスラーム地理書・旅行記」を勉強するのに必要な範囲のことであり、このコミュに関係ない点まで言及するつもりはありません。

たぶん、開発民俗学との絡みで、別の角度でイスラームを深めることがあるとしても、このコミュには、こんな記事を(しばやんが)書きましたという程度のフィードバックを行うのみです。

ともあれ、アブドゥさんの理屈もめちゃくちゃなのですが、専門的なところについては学ぶところも多いと思いますので、このトビは(簡単には)削除しません。

ぜひ、メンバーの一人として、アブドゥさんの言動を温かく見守ってあげてください。そして、‘彼’のコミュで勉強させていただきましょう。

皮肉ばっかりでごめんなさいね。アブドゥさん^^?

ではでは^^?

しばやんこと 柴田 英知

コメント(20)

では、イスラム教を巡る諸問題、特に現代におけるイスラム・テロの問題がどのようにイスラム教内部から誕生したのかという重要な問題を巡る「パースペクティブ」を分かりやすく解説してある良書の紹介を。

●Khaled M.Abou El Fadl著 「イスラームへの誤解を超えて―世界の平和と融和のために」

この本は、近代に入ってからのスンナ派ムスリムたちが、中世からオスマン帝国までの伝統的・哲学的・神学的なスンナ派イスラム教の知的遺産を放棄して、サラフィーという政治的イデオロギーに基づく7世紀のアラビア半島への後退を「正しいイスラム教」と信じるようになった挙句、イスラム原理主義、ひいてはアル・カーイダという結末に至った経緯を詳細に説明し、かつそれに対抗しうる思想まで論じている重要な文献です。それも、穏健スンナ派イスラム法学者自身によって書かれたものであるという点でユニークで貴重な本です。現代におけるイスラム教理解のための必須文献でしょう。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%B8%E3%81%AE%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%82%92%E8%B6%85%E3%81%88%E3%81%A6%E2%80%95%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%A8%E8%9E%8D%E5%92%8C%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB-%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%89%E3%83%AB/dp/453108165X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1297699134&sr=1-1
アブドゥさん ようこそ! ようこそ! 

早速の書き込みありがとうございました。
amazonへのリンクもグッドですね。すぐに購入までできる、今度、踏襲させていただきます。

お薦めの本、ぜひ手にとって読んでみたいと思います。

こんな感じで、みなさん、書き込みをお願いいたします。

ではでは^^?
「イスラーム原理主義の「道しるべ」―発禁“アルカイダの教本”全訳+解説 」 サイイド・クトゥブ

全世界のムスリムのテロ思想の源泉とも言える、ムスリム同胞団のイデオローグ、サイイド・クトゥブの代表作。ようやく日本語に訳されました。

世界を「ジャーヒリーヤ」(非イスラム世界・非文明世界)と、真のイスラム世界の善悪二元論で断罪し、後者による前者に対するテロを正当化するとともにそれを「ジハード」として全てのムスリムの義務であると説いたこの本は、20世紀・21世紀のイスラム思想として最もムスリムに影響を与えた本であろう。

このエジプト起源のイスラム・テロ思想と、アラビア半島起源のイスラム原理主義運動であるワッハーブ派が、それぞれ、アイマン・ザワーヒリーとウサーマ・ビン・ラーデンという二人のムスリムテロリストによって一つの組織・思想へと統合されたのがアル・カーイダであり、この本はアル・カーイダという思想を読み解くのに、そして現代のイスラム教を理解するのに不可欠な文献。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%8E%9F%E7%90%86%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E3%80%8C%E9%81%93%E3%81%97%E3%82%8B%E3%81%B9%E3%80%8D%E2%80%95%E7%99%BA%E7%A6%81%E2%80%9C%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80%E3%81%AE%E6%95%99%E6%9C%AC%E2%80%9D%E5%85%A8%E8%A8%B3-%E8%A7%A3%E8%AA%AC-%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A4%E3%83%89-%E3%82%AF%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%96/dp/4807408151/ref=pd_sim_b_3
「オサマ・ビン・ラディン 発言」 ブルース・ローレンス

上記のエジプトのムスリム同胞団のイデオローグの思想を、アラビア半島のワッハーブ派を背負うウサーマ・ビン・ラーデンが、それをどのように解釈し、どのように実践したのかを理解できる良書。

こうして、世界はムスリム達の手によって、テロと対テロ戦争の絶え間なき紛争状態へと突入したのが21世紀の現実であることを改めて突きつける力作。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3-%E7%99%BA%E8%A8%80-%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9/dp/4309243894/ref=zg_bs_775892_9
以上、

「どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが、」

として、現実に存在するイスラム原理主義者たちによるテロの問題をあたかもメディアの捏造・偏見であるかのように片付け、過去のノスタルジーに浸ることが正しいイスラム教研究であるかのようなコミュのあり方に対する問題提起としての文献紹介をさせていただきました。

管理人様におかれましては、イデオロギー的に偏向した学会のイスラム教・ムスリム護教論を相対化した「パースペクティブ」を獲得されることを希望します。
アブドゥさま

早速、たくさん書き込みいただきありがとうございました。
また、返事が遅れてすみません。

実は、少し考えさせられることがありました。

私は、大学2年生のときから20年くらい日本中東学会を続けています。つまり何がいいたいかというと、日本の主だった中東研究者は知っているということなのですが、非常に痛いところを突かれたといいますか、確かに、彼・彼女らは、‘研究者’ではあっても、しかもほとんど、私の適当な見立てですが、6〜7割は、非ムスリムの‘研究者’です。

私の開発民俗学のコミュでも、言い方を変えて語っていますが、基本的に研究者は調査対象(失礼な言い方は100も承知ですが)の中に‘自分’が入ることを、99%嫌うというか、極度の恐れを感じています。

つまり、知りたいけど‘中に飲み込まれたくない’というわがまま?な人たちなのです。また、中に入ってしまったら‘研究がなりたたない’とか。

本当に優秀な先生を何人も知っていますが、調査や研究対象に‘なりきる’人はほとんどいません。

いや、‘飲み込まれてしまった人’を評価しないという‘風土’が、そもそも‘学会’と名のつくものにはあるのかもしれません。

ちなみに、私は‘仏教徒’であり、日本人が無神経につかう‘無宗教’とは決して海外ではいいません。アブドゥさんならよくわかると思いますが、‘無宗教’の人は、海外では‘人間’とみなされませんから。このことは、非常に重要なことなので、ぜひこのコミュの方は胆に命じておいてください。

私は、アラビア語を‘学校(大学)’で学び、アラブ圏やイスラーム圏で、開発援助の仕事をして‘現地’に接してきました。

たとえば、アラブ首長国連邦のドバイを皮切りに、エジプト、イラン、エリトリア、ブルキナファソ(イスラーム圏ではありませんが)など中近東やアフリカのいくつかの国で過ごしましたし、アジアでもイスラームをビシバシ感じながら仕事をしてきました。

エジプトは結構長いのですが、結局、エジプトで思ったのは、「私はムスリムになれないな」というあきらめでした。イスラームやムスリムやムスリマを尊重はしますが、私にはなれません。

ですから私の‘パースペクティブ’も、所詮、そんなものです。

ただ、イスラーム文明に限らず世界文明のスゴサは、いろいろ多様なものをそのまま飲み込むだけの器量があったものだけが、偉大な?文明として歴史に名を残しているという事実です。

ですから‘イスラーム’や‘アラブ’にいろいろな人が研究し、コミットすることは必要ですし、そうであるべきだと考えます。

私のコミュは基本的に、トレランスでありサンクチュアリであり、もっと平たくいいますと、なんでもありの‘場’でありたいと考えています。

老若男女、右だろうが左だろうが思想背景なにも問いません。

ただ、最低限のネチケットさえ守っていただければ結構です。

ということで、活発に自由に書き込みをお願いいたします。

ではでは^^?
>#6

コメント拝読。

>確かに、彼・彼女らは、‘研究者’ではあっても、しかもほとんど、私の適当な見立てですが、6〜7割は、非ムスリムの‘研究者’です。
>つまり、知りたいけど‘中に飲み込まれたくない’というわがまま?な人たちなのです。また、中に入ってしまったら‘研究がなりたたない’とか。
>本当に優秀な先生を何人も知っていますが、調査や研究対象に‘なりきる’人はほとんどいません。
>いや、‘飲み込まれてしまった人’を評価しないという‘風土’が、そもそも‘学会’と名のつくものにはあるのかもしれません。

どうも、ポイントがずれていると思います。

私は政治的に世俗主義の立場でムスリムとしての信仰を持っていますが、「ムスリムであること」が、イスラム教研究の必要条件であるとはまったく思っておりません。

私は、現在存在する原理主義的ORサラフィー的な多くのムスリムのあり方、及び、彼らの思想を批判していますが、そのような批判がムスリムのみに許された特権である、などと露ほども思って降りません。

そのような主張が成立するならば、シオニズムやイスラエル国家を批判するのに、ユダヤ教徒やイスラエル国民でなければらない、キリスト教原理主義を批判するのにクリスチャンでなければならない、米国のネオコンを批判するのに米国民でなければならない、というロジックが成立しますが、私はそれに同意しません。

非ムスリムであっても、世界平和や近代や現代というものの秩序や価値を暴力で否定するようなイスラム原理主義を批判するのはあり得ること、であり、いやむしろ、当然のこと、だと思います。

むしろ、一部のムスリムである原理主義の「研究者」たち(具体的には小杉氏や中田氏やその弟子たち)が、その信仰と政治的イデオロギーで、イスラム教・ムスリム護教論を「研究」と称して実行しているのは当然であり、よく理解できるのですが、

私がここで疑問を呈しているのは、非ムスリムの研究者たちまでも、上記のようなムスリムの原理主義者たちの「研究」に付和雷同して、極めて政治的=原理主義的な用語である、イスラム教とは政治と宗教を包括する体系であり、宗教を超えた存在であるので、「イスラーム」と呼ぶべき、という立場に同意して、無批判に「イスラーム」なるジャルゴンを使用している現状に象徴される、非ムスリム研究者たちからなる学会の思想的偏向に対してです。

そして、その学会の18番が、「イスラム原理主義は欧米に影響されたマスコミの捏造であり、「イスラーム」やムスリムは、そのような捏造とは無関係である」なる決まり文句であります。そして、学会は実際に存在・現存する911やアルカーイダやタリバンというムスリム達によるグローバルテロの問題から目を背け、ひたすらノスタルジー的なかつてのイスラム教やムスリムの研究に逃亡するという問題です。

私が、コミュ主の言説において、その学会の偏向を見出したので、ここで問題提起をさせていただいた次第です。

趣旨をご理解いただけましたか?
なるほど。

また私の書き込み自体が、「ポイントがずれている」と思われると困るのですが^^?


>私は政治的に世俗主義の立場でムスリムとしての信仰を持っていますが、「ムスリムであること」が、イスラム教研究の必要条件であるとはまったく思っておりません。

→ 私も同じ立場で、アブドゥさんがだからどうだという気はまったくありません。このパラに続く3パラについてはおっしゃるとおりで、全くそのとおりなのでしょう。私もそう思います。

>むしろ、一部のムスリムである原理主義の「研究者」たち(具体的には小杉氏や中田氏やその弟子たち)が、その信仰と政治的イデオロギーで、イスラム教・ムスリム護教論を「研究」と称して実行しているのは当然であり、よく理解できるのですが、

>私がここで疑問を呈しているのは、非ムスリムの研究者たちまでも、上記のようなムスリムの原理主義者たちの「研究」に付和雷同して、極めて政治的=原理主義的な用語である、イスラム教とは政治と宗教を包括する体系であり、宗教を超えた存在であるので、「イスラーム」と呼ぶべき、という立場に同意して、無批判に「イスラーム」なるジャルゴンを使用している現状に象徴される、非ムスリム研究者たちからなる学会の思想的偏向に対してです。

>そして、その学会の18番が、「イスラム原理主義は欧米に影響されたマスコミの捏造であり、「イスラーム」やムスリムは、そのような捏造とは無関係である」なる決まり文句であります。そして、学会は実際に存在・現存する911やアルカーイダやタリバンというムスリム達によるグローバルテロの問題から目を背け、ひたすらノスタルジー的なかつてのイスラム教やムスリムの研究に逃亡するという問題です。

→ 確かにそのような安易な‘決まり文句’に逃げたくなる気持ちもわかりますし、ただ、アブドゥさんのおっしゃる下記の言葉は、どこまで事実なのでしょうか。

<その学会の18番が、「イスラム原理主義は欧米に影響されたマスコミの捏造であり、「イスラーム」やムスリムは、そのような捏造とは無関係である」なる決まり文句>

‘十八番’と言い切るのは、少し筆が滑っていませんか?

いかにももっともらしい言説ですが、‘誰’が‘どの場’で発言したのでしょうか。そのようなことを言いそうな人が何人かはいると思いますし、実際に、アブドゥさんは、「ここに書いてある」とおっしゃるのでしょう。ほぼ間違いなく。

しかし、そういう人がいること自体を私は否定もしない(できないし)、そう思いたい気持ちもわかる、ただ、それが‘学会’の総意だとは私は思いません。

なぜなら、少なくとも私は、そうだと思っていないからです。

しかしながら、私のやろうとしていることが、下記のようにとられるのであれば、それを否定もしないし、まあ私がその一員であっても、それはそれでもいいではないかと思っています。

<ひたすらノスタルジー的なかつてのイスラム教やムスリムの研究に逃亡するという問題です。>

そのようなことは、私も20年前に学生時代に、碩学の研究を前に思っていました。まあ、アブドゥさんとは、年代がそれほど離れていないのでわかると思いますが、そんな‘問題’は私の知る限りでも20年前、いや日本でイスラーム学が生まれた当初からあったと思いますよ。

私なりにその問題なり、弱点?を克服して挑むのが、私の‘イスラーム学’でありたいと思っています。

まあ、アブドゥさんの‘アプローチ’もあれば、私なりの‘アプローチ’もあるということです。

私の‘アプローチ’をどう評価するかは、評価する‘人’に任せます。

互いの‘途’でがんばりましょう。

なにかケンカを売っているような? でも、それぞれの‘成果’は人が評価することなのではないでしょうか?

ではでは^^?
どうもアブドゥさんが、コミュの説明の私の下記の文章に引っかかっているところがあるようなので、ここで説明します。

「どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが、このコミュでは、神学論争ではなく実際のイスラーム圏に住んでいる普通の人たちのイスラームと中世最大のコスモポリタンな共通言語であったコーランのアラビア語がつなげた‘世界’の実像に迫る研究成果について意見交換をしていきたいと考えています。(※) 」


※2011年6月21日 補記

このワンパラグラフについて、どうも私の意図と違って読まれているようなので、少し補足します。

「どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか(、)知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが」

上記、文章自体がわかりにくいのかと思い句読点を括弧で加えました。それと同時に私の‘気持ち’を下記に書き下します。

どうしても現代のテロとか〜の問題がある→ だからイスラームやアラブは怖いという(言説) → これは(一面も全面も)知らないゆえの、しかも(よく)知らない人が(全く)知らない人に語っているからこそ(短絡的な)‘偏見’に満ちた言説(に私には見えるし)それが(何のチェックもなく)未だに日本ではまかり通っている。

確かに、テロやイスラーム過激派自体は‘怖い’ですが、私は、アラブ・イスラームは‘それだけ’ではないですよということがいいたいのです。

あたりまえのことですが。

この部分は、私が勝手に、日本人が陥っている‘ステレオタイプ’の一例としてあげただけで、個々の事象についての私の判断は入っていません。つまり、そうだからこのようにしたいとか、そうじゃないんだよ‘本当’のムスリムはそうじゃないんだよとかいう気は、全くありません。

私は、断片的な‘知識’で容易に因果律を持ち出し、自分(達)を‘安直に’納得させようとしていることを問題としているのです。

<神学論争ではなく>というのは、アラブやイスラームについての‘知識’は、今までの本に書かれた内容ではなく、実際に現地に住んでいる人たち(ムスリムのみならず、他の宗教の人も住んでいます。当然のことながら)にとっての、‘イスラーム’と‘(その生きている)世界’の実像に迫る研究成果を抽出して、それを元に積極的に議論していきましょう。ということをいっています。

一言で言うと‘実際的な話をしようよ’というのが、私の主旨です。

くどくなってしまって申し訳ありませんが。

ではでは^^?

コメント拝読。

>なぜなら、少なくとも私は、そうだと思っていないからです。

と主張されるコミュ主さんですが、指摘したとおり、「どうしても現代のテロとかイスラーム過激派とかの問題でイスラームやアラブは怖いとか(、)知らないゆえの偏見に満ちた言説が未だに日本ではまかり通っていますが」 という認識を示されてらっしゃいます。

><ひたすらノスタルジー的なかつてのイスラム教やムスリムの研究に逃亡するという問題です。>

>そのようなことは、私も20年前に学生時代に、碩学の研究を前に思っていました。まあ、アブドゥさんとは、年代がそれほど離れていないのでわかると思いますが、そんな‘問題’は私の知る限りでも20年前、いや日本でイスラーム学が生まれた当初からあったと思いますよ。

>私なりにその問題なり、弱点?を克服して挑むのが、私の‘イスラーム学’でありたいと思っています。

現代におけるイスラム教研究において最も重要な問題である、イスラム教の特定の解釈に基づく、ムスリム自身の手によるグローバル・テロや近代・現代を拒否するイスラム原理主義の問題を「それはさておき」と無視して行う「研究」におっしゃるような「その弱点や問題を克服して挑む」説得力は感じませんが。

>当然のことながら)にとっての、‘イスラーム’と‘(その生きている)世界’の実像に迫る研究成果を抽出して、それを元に積極的に議論していきましょう。ということをいっています。

>私は、断片的な‘知識’で容易に因果律を持ち出し、自分(達)を‘安直に’納得させようとしていることを問題としているのです。

現代におけるイスラム教内部からのテロ思想、それを行うムスリム達の存在を「それはさておき」と無視して、それ以外のイスラム教やムスリムのみを意図的に抽出して行う認識も、同様に、「断片的」で「偏見」に基づくものであり、メディアのそれの鏡像でしかないという点で同じレベルですが。

というわけで、くしくもコミュ主さんご自身が、居直られてこう述べてらっしゃるように、

>しかしながら、私のやろうとしていることが、下記のようにとられるのであれば、それを否定もしないし、まあ私がその一員であっても、それはそれでもいいではないかと思っています。

「意図的にイスラム教とグローバルテロやイスラム原理主義の問題を除外した、クリーンなイスラム教の研究が、「正しい」イスラム教研究である、というイデオロギー的に偏向したイスラム教・ムスリム護教論を「研究」と称して行ってらっしゃる方々のお一人」であるという結論で、それを自覚され、自称されるのであれば、それは立派な一つの政治的立場としてあり得ると思います。

私はそれを間違っていると批判する立場ですが、同時にそれもまた一つの政治的立場でもありますから。

では、護教論政治活動、頑張ってください。

私は私なりに、イスラム原理主義・イスラムテロ批判の立場を今後も貫きます。

ただ、私が理解できないのは、非ムスリムの「研究者」の方々が、どのようなメリットや動機があって、そのような盲目的なイスラム教・ムスリム護教論をされるのか、という点です(1.)。

なお、#6において唐突に、「研究者の大半が非ムスリムであり、対象と同一化することを回避している」という説明を持ち出されたのか、文脈が理解できませんし(ですから「ポイントがずれている」とコメントした次第です)、その点に関して#8、9でなんら説明がなかったのが不思議です(2.)。

コミュ主さんの政治的立場は理解しましたので、「それはさておき」、1.と2.に関してコメントいただければ幸甚です。
アブドゥさんに(いきなりですが)イエローカードです。

少なくとも‘このトピック’は‘議論’をする場所ではありません。

まず、アブドゥさんの立場とイスラームに対するコミットメントについては、別のトビを用意しましたので、こちらに書き込んでいただき、アブドゥさん(が中心)の‘議論’は、貴コミュで存分になさってください。

貴コミュのトピックが‘議論’中心なのかどうかは知りませんが、私はそのようなトピックの使い方はしたくないと考えています。

「それをさておき」の1.2についても、なぜあなたが納得するような説明を私がしなければならないのか、正直さっぱりわからないのですが、とりあえず回答します。ただし、それに納得されないのであれば、貴コミュでトピックを作って私やその他の参加者が納得するだけの材料を並べてください。拝見・拝聴はいたしますが、そのことを‘議論’する気は私にはないことを先にいっておきます。

コメント1.

ただ、私が理解できないのは、非ムスリムの「研究者」の方々が、どのようなメリットや動機があって、そのような盲目的なイスラム教・ムスリム護教論をされるのか、という点です(1.)。

→ 私に限って言えば、自分が「盲目的なイスラム教・ムスリム護教論」をしているとは考えていません。私がイスラームをどのように捉えているかは、別のところで語りますので、この場でアブドゥさんに説明する必要を感じません。

私以外の「非ムスリムの「研究者」の方々」が、どんな‘メリット'や‘動機’があって言動されているのかはわかりませんので、直接、当事者に聞いてください。

コメント2

なお、#6において唐突に、「研究者の大半が非ムスリムであり、対象と同一化することを回避している」という説明を持ち出されたのか、文脈が理解できませんし(ですから「ポイントがずれている」とコメントした次第です)、その点に関して#8、9でなんら説明がなかったのが不思議です(2.)。

→ この説明(括弧書の部分)は、私の見聞に基づいていますが、そのことを深めたり説明する必要性を感じなかったので、#8,9では触れませんでした。

率直に申しますと、‘研究者の方々’は私にとって身内なのです。そのような人がいることは事実で、たぶん、そのことがアブドゥさんのフラストレーションに繋がっているかと思ったので、#6で言及したのですが、そのことがアブドゥさんの言動に直接関係ないのであれば(どうもアブドゥさんのリアクションをみると関係ないようですね)、この‘事実’の真偽や詳細を深める必要は、私は全くないと考えます。

以上です。

ではでは^^?
あと、提案ですがこのトビのタイトルを下記のように変えたいと思います。

私のトピックを置いた主旨とずれた書き込みが続いてしまいましたので。

「‘現代におけるイスラム・テロの問題がどのようにイスラム教内部から誕生したのか’について <パースペクティブの一つとして>」

こんなトビのタイトルでいかがでしょうか。

アブドゥさん?

もし他のタイトルがよければ、ご提案ください。

私が訂正しておきます。

ではでは^^?


>コミュ主さん

私は、mixi運営当局がコミュ管理人に与えている権限に同意して、mixiを利用していますので、どうぞ、恣意的に「イエローカード」なり「レッドカード」なりをお使いください。

また、このトピの名称変更に関しても、私に相談・同意を求める必要はありません。どうぞご自由にされてください。

「議論のための別トピ」を用意されたとのことで、探しましたが見当たりません。できる限りコミュ主さんの運営方針に従いたいのですが、存在しないトピへの投稿はできませんので、心苦しいのですが、こちらに引き続き投稿させていただいています。

>コメント1.

>>ただ、私が理解できないのは、非ムスリムの「研究者」の方々が、どのようなメリットや動機があって、そのような盲目的なイスラム教・ムスリム護教論をされるのか、という点です(1.)。

>→ 私に限って言えば、自分が「盲目的なイスラム教・ムスリム護教論」をしているとは考えていません。私がイスラームをどのように捉えているかは、別のところで語りますので、この場でアブドゥさんに説明する必要を感じません。

とのご説明と、

>しかしながら、私のやろうとしていることが、下記のようにとられるのであれば、それを否定もしないし、まあ私がその一員であっても、それはそれでもいいではないかと思っています。

との居直りの自己認識との整合性がないことが非常に奇異ですので、整合性のあるコメントをお願いします。

私としては、ご本人がそうおっしゃる以上は、後者の発言に従い、「コミュ主さんは、『その一員』でらっしゃる」と解釈しておりますし、それはそれで、特定の政治イデオロギーに基づいた立場としてあり得るものと考えております。

ただ、奇異なのは、非ムスリムの方がそのような特定政治イデオロギーを選択されることが理解できないという、動機・メリットという分析レベルの話しであって、個人の政治的選択の自由を否定するところではありませんので、誤解なきよう。

是非お願いしたいのですが、「イスラーム」なるイスラム原理主義を擁護する政治的用語を一貫して使用されているコミュ主さんにおかれましては、なぜそのような政治的用語をイスラム教認識において使用されているのか、というご説明をし、その件に関し議論ができるトピを作っていただければ幸甚です。
アブドゥ様

わたしは、ここまで辛抱強く私と対話をしようと努力されている貴兄に敬意を示すという意味で、レッドカードを切ることをしません。

他の方にとっては、なんらかの気づきがあるかもしれませんから。

<居直りの自己認識との整合性がないことが非常に奇異ですので、整合性のあるコメント>というあなたの物言いに対して、私は非常な不快感を感じます。

あなたが‘居直り’だと考えるであろうことは、当然織り込み済であり、あなたの言説は、私の‘想定内’であることは当然のことなのですが、私の質問はなぜ、あなたにとって、‘整合性’のある回答を私がせねばならないのかということに理解ができません。

なぜ、人の言説に‘整合性’がなければならないのですか。あなたのコミュを除きましたが、自分より知識や経験がある人からの突っ込みについて、すぐに白旗を揚げて自分の言葉の尻拭いをしないばかりかへつらっているではないですか。

人のコミュを荒らすのはいい加減にしていただきたい。

あなたのへ理屈につきあう義理は私にはありません。そのようなことがしたいのであれば、あなたのコミュでおやりください。

私がいっているのは「あなたの意見をいいたければ、あなたのコミュで勝手にとびを立てて語っていただき、私と私のコミュのメンバーにリンクで示していただきたい。ただ、そのトビを私が読んだとしてもコメントする気はない」ということを前回の私の回答で述べたはずです。

私のコミュ内にあなただけの疑問に答えるトビを立てるとは一言もいっておりません。

もし、私の勧告に従えないのであれば、その時は、即刻レッドカードを切らせていただきます。

つまり、あなたのコミュで存分にあなたの考えを語ってくれ、人のコミュにきてしたり顔の揚げ足取りを行うなということです。

これができないのであれば、即、退場です。

わかりましたか。

東京外国語大学卒業のシリア在住のアブドゥさん。

以上
アブドゥさん、ごめんなさい。

「アブドゥさんの立場とイスラームに対するコミットメントについては、別のトビ」というのは、このトピックのことです。最初の書き込みのときにリンクを忘れていました。

◆ 関連コミュの紹介コーナー <フリー>

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63332055&comment_count=0&comm_id=4600043

ようは、あなたのコミュニティの宣伝や信条の告白はこちらでやってくださいということです。そして、あなたの考えに同調する人に導線をつけてやってください。そして、あなたの‘考え’の‘正当性’を主張するのはせめて、自分のコミュの中にとどめておいてください。

なんかまともに付き合ってあげている自分がむなしくなりそうですが、これもコミュの管理人の務めなのでしょう。私の仕事の内です。

ではでは^^?
コミュ主さん

>是非お願いしたいのですが、「イスラーム」なるイスラム原理主義を擁護する政治的用語を一貫して使用されているコミュ主さんにおかれましては、なぜそのような政治的用語をイスラム教認識において使用されているのか、というご説明をし、その件に関し議論ができるトピを作っていただければ幸甚です。

というこちらの希望が実現されなかったことは非常に残念ですが、コミュ主さんが、これ以上の対話の意図が一切ないという旨は十分に理解しましたので、これ以上無駄なことは控えさせていただきます。

私としては、コミュ主さんが、コミュ説明文に非常に政治的な論点である文章を堂々と掲げてらっしゃったので、その論点に基づき、純粋に政治的な議論を行い、イスラム原理主義擁護の「学会」の政治性についてコミュ主さんと対話を試みたという趣旨なのですが、それを感情的に「荒らし」とのみ切捨てられる姿勢にも非常に失望しました。

私の管理コミュで議論をするべきとのご意見がありましたが、このコミュの政治性という問題を、無関係な他のコミュに持ち出すような不適切なことは当然するつもりもありません。このコミュの論点は、このコミュ内で議論されるべきでしょう。

このトピへの投稿は、コミュ主さんが議論を拒否されているので、これにて控えさせていただきますが、

>私がイスラームをどのように捉えているかは、別のところで語りますので、

とのこと、楽しみにお待ちしております。
二言のみ。

その1.

「このコミュの政治性という問題」をあなたが感じることはあなたの勝手ですが、逆に何の政治性もないコミュが存在するかをあなたに問いたい。

その2.

また「イスラーム」の語の用法について、少なくとも日本のイスラーム研究者がどのような意味で、このジャーゴン(専門用語)として使っているのかせめて正確な‘知識’を勉強してからこの場にくること。

‘対話’するためには最低限、言葉の意味をすりあわす必要があります。あなたがどのような文脈で、「イスラーム」という言葉について感情的に拒否反応を示しているのか、その説明が全くないので、‘言葉’の定義づけがあいまいなもの(こと)についての議論は不要(議論としてなりたたない)お互いにが何について何をいっているのかわからない(我々だけではなく、周りで見ているギャラリーも含めて)というのが私の立場です。

この1,2の宿題に、別に‘整合性’はなくてもいいですが、‘論理的’にかつ‘具体的’に答えられないようでは少なくとも‘わたし’と「対話」はできませんよ^^?

ではでは^^?
>コミュ主さん

>あなたがどのような文脈で、「イスラーム」という言葉について感情的に拒否反応を示しているのか、その説明が全くない

コミュ主さんの日本語読解能力の問題であり、私の問題ではありません。既に複数回に渡り、なぜそれを批判するのか、こちらの立場は十全に説明してあります。もう一度、よくお読みください。

なお、ご質問の件ですが、こちらの議論に対し、「回答する義務はない」・「荒らし」というご判断を示された以上、そもそもコミュ主さんに議論・対話の意志はないと理解しております。

ここで気まぐれの#17の質問に真面目にお答えしても、いつ何時、「回答する義務はない」・「荒らし」という議論からの逃亡を再現されるのか保証がない以上、また、コミュ主さんが管理人としていつでも恣意的に「イエローカード」・「レッドカード」を出されることも鑑みると、こちらとしても回答する意味を見出せません。

対話・議論をされたいのであれば、一貫性のある発言・対応をされ、管理人さんとしてこのコミュ・トピが議論・対話の場として耐えうるものであることを示されることから始められてはいかがでしょうか?
アブドゥさん

あなたのコミュに火がついていますよ。

まずは足元から固めましょう。

ではでは^^?

このトビはこれでアゲです。

柴田英知
コミュ主さんは、「中東学会に所属する研究者」と自称されていますし、「ムスリムではないが、ムスリムの信仰と「イスラーム」を尊重する姿勢」と弁護されてらっしゃいながら、私の信仰問題に議論をすり替え、以下のように発言しています。

>ところで、あなたの‘理性’と‘神’とどちらが‘権威ある’ものなのでしょうか。胸に手を当ててよく考えてください。
>あなたが、自分の‘ちっぽけな’理性を持ち出した時点で、すでにムスリムを逸脱していると私は思います。
>毎週、集団礼拝に参加していますか。

と上記のように、ムスリム(私)を捕まえて、「イスラム教の近代改革」を訴えたことを理由に、「主ではなく、理性を崇拝している異端者」であると断罪し、さらには、私のプライベートである信仰実践に踏み込み、私がムスリムであるか否かを判断しようとされている。

この方の「イスラーム」理解では、ご自分が「中東学会の研究者」であることは、(ご自分は非ムスリムであるというのに!)サウジの邪悪なワッハーブ派の宗教権威であるかのように、他のムスリムの信仰の真偽を断ずる権威があり、また、サウジの邪悪な宗教警察であるかのように、他のムスリムに信仰実践を強要する権力がある、となっているわけです。

いずれにせよ、非ムスリムの立場にして、ムスリムの信仰の真偽を断じ、信仰実践強要をすることができるとされている時点で、この方の「イスラーム」理解のお里が知れるということです。

中東「学会」も、ずいぶんとレベルの低い自称「研究者」を生み出すようになったものですね。

「イスラーム」マンセーの安全神話を語る御用学者集団、中東「学会」のメルトダウンの実態を示す好例として非常に興味深い方です。

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