4 “春の如く〜It Might As Well Be Spring” も大変有名な美しい歌です。 リチャード・ロジャース(曲)とオスカー・ハマースタイン2世(詞)の名コンビによって、1945年の映画 【ステイト・フェア〜 State Fair】 の為に書かれました。 同年度のアカデミー映画主題歌賞を受賞しています。 映画の主人公の一人に当時の人気ポピュラー歌手ディック・ヘイムズが居ました。 大戦後初のカラー映画として話題を呼び、1962年には再映画化されパット・ブーン、ボビー・ダーリン、アン・マーグレットなどが出ています。 全体に渡って明るい曲ですが、所々にマイナー調らしき旋律を加えペイソスに溢れた名歌と言えましょう。 ポピュラー歌手ではシナトラの他、ディック・ヘイムズ(2回は録音)、アンディ・ウイリアムズ、ゴードン・マクレエなどの男性歌手、女性ではリナ・ホーン、ドリス・デイ、ジュリー・アンドリュース等、そしてクラシック界の大御所キリ・テ・カナワなどの歌手にも好まれています。 ムード音楽の格好の題材でもありジョージ・メラクリーノ楽団、カマラタ楽団、ポール・ウェストン楽団、アンドレ・コステラネッツ楽団、ストリングズ演奏をバックにしたアンドレ・プレヴィン(ピアノ)など、多数の楽団が録音しました。 シャンソン歌手ではジャクリーヌ・フランソワやジャン・サブロン等もフランス語で綺麗に歌っています。 ピアノ録音もカーメン・キャヴァレロ、ヴァン・クレイヴンなど多数あります。 この歌を作ったミュージカル・コンビはそれまで映画に曲を提供した事がほとんど無く、彼らが映画の為に主題歌を書いたと聞いた時、映画関係者は諸手を挙げて称賛した筈です。
5 “5月の朝〜One Morning In May” は1933年に生まれたAA’ BA 形式の、全編明るく軽快で清々しいバラッドで、Bで転調します。 1929年には名歌 “スター・ダスト” を書いたコンビ、ホーギー・カーマイケル(曲)とミッチェル・パリッシュ(詞)の作で、比較的有名です。 やや速めのテンポで演じられる事が多い様で、歌のレコードにはメル・トーメ、マット・モンロー、フランキー・ランドール、キャロル・スローンなどのものがあり、ロバート・ファーノンのムードの他に、ジャズ畑ではジョージ・シアリング・クィンテットにストリングズを加えてややアップテンポで華麗な演奏を聴かせます。
6 “スプリング・キャン・リアリー・ハングーユー・アップ・ザ・モウスト〜Spring Can Really Hang You Up The Most” は有名なジャズ曲として知られ、1955年にトミー・ウルフが作曲、フラン・ランズマンが作詞した歌で、春が来ると憂鬱になると謳う内容です。 曲調も静かであまり明るくないのですが、メロディ・ラインが “予想を裏切る” 様な展開を見せて面白くその点ジャズメンに大いに好まれます。 歌手ではエラ・フィッツジェラルド、ジューン・クリスティ、クリス・コナー、カーメン・マクレエなどが、ポピュラー畑でもバーブラ・ストライザンドやジュリー・ロンドン等の技巧派が録音しました。 器楽ではスタン・ゲッツのテナーやマリアン・マクパートランドのピアノ等の演奏盤もあります。
7 “春が来たというけれど〜Spring Is Here” はマイナー調のメロディで、歌詞も同じく物悲しいのですが、ABAB’ 形式(末尾は短縮)の歌で、Bにメジャー調のラインが見られ繊細な美しさに人気があります。 “春はここに” という邦題もありますが、‘春なのに構ってくれる人が居ない’ という内容なのでピンときません。 1938年のミュージカル 【天使の結婚〜 I Married An Angel】 の為に黄金コンビのリチャード・ロジャースが作曲しローレンツ・ハートが作詞した有名な歌で、ジャズメンがよく採り上げます。 歌手部門ではエラ・フィッツジェラルド、クリス・コナー、ダイアン・キャロルなどが録音し、キャノンボール・アダレイなどのサックス、カウント・ベイシーなどのビッグ・バンドも演奏しています。 ポピュラー系ではトニー・ベネット、ヴィック・ダモンなども歌いましたが、ゴードン・マクレエは意外に明るくさらりとこなす一方、ナット・キング・コールがゴードン・ジェンキンスのオーケストラをバックに歌ったものはやや重苦しい雰囲気が支配していました。 ポピュラー歌手として最盛期のアンディ・ウィリアムズが有名なジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズと組んだ歌(1960年)もなかなか素晴らしいものです。 他、カマラタ楽団の演じるやるせないムードの横溢するレコードと、途中からワルツ調に変わるポール・スミスの弾くピアノ・ソロがあり、どちらも大変美しい演奏でした。 アレンジ次第でかなり異なる雰囲気が味わえるメロディです。
8 “今年は春が遅い〜Spring Will Be A Little Late This Year” はメロディだけ聴けば全編明るいメジャー調なのですが、歌詞内容を知るまではブルーな気分を綴ったものとは知り得ません。 1944年にフランク・レッサーが曲も歌詞も書き、映画 【クリスマス・ホリデイ】 に使われた名歌です。 ABAB’ 形式のメロディでイーディ・ゴーメ、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、ジョニ・ジェイムスなど大勢の歌手に歌われてきました。 ストリングズ伴奏も綺麗な明るいエラ・フィッツジェラルドの歌とやや重くセンチメンタルなヴィック・ダモンのそれとを比較すれば、アレンジ次第でこうも違うのかと思うほど雰囲気が異なるのが分かります。 ムード音楽ではカマラタ楽団が未だ来ぬ春の憂いをよく表現した美しいレコードがありました。 ジャズではアニタ・オデイが歌い、レッド・ガーランドのピアノ・トリオの演奏がありますが、ジャズメンはあまり採り上げない様です。
9 “春よりも若く〜Younger Than Springtime” はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世の名ミュージカル・コンビによる素晴らしい歌の一つとして有名です。 1949年に作られた名作 【南太平洋〜 The South Pacific】 の劇中、“バリ・ハイ島” で歌われ大ヒットしたナンバーでした(後年映画化)。 AABA形式でAの途中やBで転調します。 明るく楽しい曲でポピュラー系に好まれ、シナトラ、ビング・クロスビー、ゴードン・マクレエ、ジョーン・ゲイリー、ヴィック・ダモン、マリオ・ランツァなど多くの歌手が歌っています。 ジャズ歌手ではビリー・エクスタインの美しい録音がありました。 ムード音楽として、アンドレ・プレヴィンのスウィンギーなピアノ+デヴィッド・ロウズの華麗なストリングズ演奏の他、ネルソン・リドル楽団、アンドレ・コステラネッツ楽団などの名演盤が多数あります。
5 “夏の思い出〜The Things We Did Last Summer” は1946年にジュール・スタインが作曲、サミー・カーンが作詞した割合よく知られた歌です。 過ぎ去った夏の思い出を次々にセンチメンタルな曲と歌詞にしたもので、普通は静かなバラッドとして扱われます。 典型的な AABA 形式の歌で、ポピュラー系歌手ではヴォーン・モンロー、ヴィック・ダモン、ディーン・マーティン、イーディ・ゴーメ等が採り上げ、ジャズ系ではジョー・スタッフォード(歌手)、ハービー・マン(フルート)、ハンプトン・ホース(ピアノ)などが録音していました。
1 “冬が好き〜(I Love The) Winter Weather” はそれほど有名な歌ではありませんが、軽妙なメロディを持った佳曲です。 T. フリーマンとE. ブラウンの作品で、女性ポピュラー歌手ジョー・スタッフォードやペギー・リー、男性ではトニー・ベネットやメル・トーメがそれぞれクリスマス・アルバムで歌っています。 他、ジミー・ロウルズのピアノ演奏もありました。 歌詞の末尾で “Cause I’ve Got My Love To Keep Me Warm” というくだりが出てきますが、続けてアーヴィング・バーリン作詞・作曲の名歌 “I’ve Got My Love To Keep Me Warm(恋に寒さを忘れ)” をメドレイで歌う手法を、歌手トニー・ベネットは使いました。
他にも季節に因む曲は幾つか知られています〜 It Happens In Every Spring、Lost April、Spring Romance、Suddenly It’s Spring、There’ll Be Another Spring、We’ll Gather Lilacs In The Spring、When April Comes Again、The Long Hot Summer、Summer Is Gone、Summer Night、Summer Love、The Summer Wind、Autumn、Autumn Concerto、Autumn Dreams、Blue Autumn、October Mist、September Of My Years 他。なお、名歌 “パリの4月(April In Paris)”、“ポルトガルの四月(April In Portugal)”、“ニュー・ヨークの秋(Autumn In New York)”、“ローマの秋(Autumn In Rome)” は既に紹介しています。
ジャック・ジョーンズ(Jack Jones)
1938年ロサンジェルス(Los Angeles)生まれの John Allan “Jack” Jones は、1960年代で最も有能なポピュラー・シンガーとして知られていました。 彼もシナトラの後継者の一人と騒がれたもので、実際シナトラ、トニー・ベネットやメル・トーメ、ジュディ・ガーランドまでが “世界最高のジャズ・シンガー” と呼んだのです。 ポピュラーのみならずジャズ・シンギングの才能を持ち合わせた彼は、間違いなくトップ・シンガーの一人です。
声量豊かで艶があり高音域も十分カヴァー出来る彼は、数々のヒット・ソングにも恵まれました。 1959年に米キャピトルと契約し、すぐにアルバム ≪ディス・ラヴ・オブ・マイン〜 This Love Of Mine≫ を出しました。 その後キャップ・レコード(Kapp Records)に移籍してすぐに出したシングル盤 “アメん棒とバラ〜 Lollipops And Roses” が大ヒットしました。 彼の最大のヒットの一つがこの美しいバラッドで1962年のグラミー賞を受賞しています。 他に有名なものに “ワイヴズ・アンド・ラヴァーズ〜 Wives & Lovers”(1964年のグラミー賞受賞)、“見果てぬ夢〜 Impossible Dream”、“無責任と呼んで〜 Call Me Irresponsible” などがあり 【その年の最高歌手】 に2度も選ばれたのです。 ロック・リズムを使った録音もありますが、美しいスタンダードもこよなく愛しよく収録してきました。 そのキャップ・レコードでは20枚ものアルバムを作り、一時代を築き上げました。 アレンジャーも一流どころが選ばれ、例えばビリー・メイ、ネルソン・リドル、マーティ・ペイチ、ジャック・エリオット、ラルフ・カーマイケルなどが担当していました。 1967年にRCA-Victorと契約し次々にアルバムを出し、例えばミッシェル・ルグラン作曲の歌を集めたLPを出したりしました。 この時期には若者向きにロック・リズムを採り入れています。 1980年代に入ってからはステージやナイト・クラブでの仕事が増えたものの、少しレコーディングから遠ざかっていました。 しばらく経って1982年に米Applauseというレコード会社が、往年のバラッド歌手を一堂に集めたパーティーを開き、その際それぞれアルバムを作っています(ヴィック・ダモン、トニー・マーティン、ジェリー・ヴェイル、ロバート・グーレ、レターメン他、多数参加)。 さらに彼は2010年以降もアルバムを出している現役歌手なのです。
果たして “この歌手の名前を知っている人は世の中にどれだけ居るのだろう” と思えるほど無名の歌手です。 ネットで調べても一向にその名前さえ出てきませんし、レコードも知られていないのは事実です。 私がこの歌手を初めて知ったのは、1970年代初頭に作られたと思われるやや古めかしい作りのLPレコード ≪Great Singers Of The 50’s≫(米Hall Of Fame~ Great Performers盤)でした。 それも他の有名な5人の男性歌手と一緒のオムニバス・アルバムで、表ジャケットには名前さえ出ておらず裏の解説も僅か数行のみでした。 しかも入っていた1曲がこれまた無名の “イフ・オール・ゴウズ・ウェル〜 If All Goes Well” という歌だったのですが、たった一度聴いただけでその美しい声と歌に惚れ込んでしまいました。 声自体がロマンティックこの上無く、トニー・マーティンばりの声の甘さに加え、より深みのあるスムーズなバリトン・ヴォイスだったからです。
1956年には初のアルバム ≪For The First Time≫(米ABC-Paramount)を出して以降少なくとも4枚作り、3枚目はジャズメンを従えたアルバムでした。 ここに示したアルバム ≪Once In A Blue Moon≫(米MONUMENT RECORDS, 1965年)はロマンティックなスタンダード・バラッド集で、著名な編曲家ドン・コスタがアレンジしています。 この当時ロック・ビートなどを全く使わずに、大がかりなストリングズ中心のオーケストラをバックにしたアルバムを探すのに苦労するほどで、“1965年前後の作品としては最もロマンティックなバラッド・アルバム” との評価もあるほどです。 有名なヒュー・ヘフナー氏(米有名月刊誌の創設者)がプロデュースしジャケットの裏で解説を施したアルバムは、私の知る限り他に見当たりません。 “イフ・アイ・ハドゥ・ユー〜 If I Had You”、“アイム・ア・フール・トゥ・ウォーント・ユー〜 I’m A Fool To Want You”、“マイ・メランコリー・ベイビー〜 My Melancholy Baby” などのスタンダード名歌を中心に選んだ本アルバムを含め、どのLPもCD化されていないのは誠に不思議な事です。 生年月日他は不明ですが健在の様です(2010年現在)。
ジャズ歌手として扱われる事は決してありませんが、あのビロードの様なソフトでスウィートな声で歌うのですから、美しいバラッドがお似合いなのは間違いないでしょう。 メジャー調の綺麗な曲を多く選んでいるので、その声に合わせて自然と編曲も素敵なものにせざるを得ません。 その点、常にストリングズを多用した豪華な編曲を提供するゴードン・ジェンキンスなどは、まさにうってつけのアレンジャーと言えましょう。 以下、ご紹介する幾つかのアルバム(LP、CD)盤は彼の持ち味をよく表した秀作と言えるかも知れません。 ロック・ン・ロール全盛期にこの様な素晴らしいスタンダード集をたくさん出せたのは、古き善きロマンを求めた大衆が彼の人気を後押ししたからに他なりません。 お奨めは ≪Pat Sings Irving Berlin≫(’57)、≪Star Dust≫(’58)、≪Yes Indeed !≫(’58)、≪Tenderly≫(’59)、≪Moonglow≫(’60)、≪I’ll See You In My Dreams≫(’62)、≪I Love You Truly With Shirley Jones≫(’62)、≪Days Of Wine & Roses≫(’63)、≪The Touch Of Your Lips≫(’64、アレンジは Gordon Jenkins)、≪Near You≫(’64) などです(いずれも米DOT盤)。 十八番の讃美歌集や “懐メロ風” のロック・ン・ロール・ヒット集はCDでその大部分が出されていますが、1930〜40年代に生まれた美しいスタンダードを集めたアルバムも、少しずつ見直されてきた様です(以上のLPの代表収録曲〜 Soft Lights & Sweet Music, All By Myself, Star Dust, Deep Purple, Sweet Sue, They Can’t Take That Away From Me, Tenderly, I’m In The Mood For Love, The Nearness Of You, Girl Of My Dreams, Again, Alone, Love Is Here To Stay, Laura, Sweet Leilani, Long Ago & Faraway, My Romance, etc.)。 これらDOT盤で編曲を担当したのはジャック・マーシャル、ビリー・ヴォーン、ジョージ・グリーリー、モート・リンゼイなどといた売れっ子達でした。 特に57年の≪アーヴィング・バーリンを歌う≫は、柔らかな喉と美しいバラッド(14曲)がピッタリ合った秀作と言えましょう。
元々敬虔なクリスチャンらしく、一家(愛妻と4人の娘達)はゴスペル・シンガーとして全米を旅しアルバムも作りました。 米映画 ≪四月の恋≫(1957年)に出演した際、当時の人気女優シャーリー・ジョーンズとのキス・シーンを拒んだ話はつとに有名ですし、マリリン・モンローとは共演する事さえ拒んだのです。 しかし時が経ち “すさんだ” 時代が彼を変えたのでしょうか、1997年に出した “イナ・メタル・ムード〜 In A Metal Mood” は反響を呼ぶどころか、黒の服を身に着けたヘビー・メタル(ロック好きの若者向きの現代)風?(しかしそう激しいものではない)のジャケットと音楽が多くのファンの反感・失望を買い、更にはゴスペル協会から追放されました。 しかしながらこの風変わりな挑戦を “彼自身のパロディだ” と逆に称賛する友人も多かったのですが、ついにパット自身があれはパロディだったと告白し協会に復帰出来たという逸話が残っています。 そんな彼は現在も健在です。