ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Standard Jazz Songコミュの【特別寄稿】アメリカン・ポピュラー・ミュージック (8)“四月の思い出”

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
前回の掲出からずいぶんご無沙汰してしまいました。 直近の(5)のタイトルと4月つながりです。概容は春、夏、秋、冬にちなんだタイトルをもつ曲の紹介と、男性ボーカリストの続きです。どうぞお楽しみください。

コメント(17)

                                  季節を歌ったイーディ・ゴーメのCD盤

アメリカン・ポピュラー・ミュージック

(8)“四月の思い出”

  季節の移ろいと共に自然の装いも私たちの気分も変わるものです。 今回はその様な季節に因んだ歌を幾つかご紹介します。 心の変化を綴った有名なスタンダード名歌も、季節そのものを感じさせる美しい名曲も探せばたくさんあるものです。 それでは草木が芽吹く季節から始め、順に四季を巡っていきましょう。


季節にまつわる歌 (季節別で英タイトルはアルファベット順)

1. 春の歌

1     “四月の恋〜April Love” は1957年の映画 【四月の恋】(パット・ブーン主演)の為にサミー・フェイン(曲)、ポール・フランシス・ウェブスター(詞)が書き、その年の映画主題歌賞にノミネイトされました(受賞はせず)。 軽快な明るい曲調でパット・ブーンなどの歌でよく知られ、1960年頃にはフランク・チャックスフィールドなどのムード楽団も盛んに録音していました。 主にポピュラー系の人に大いに好まれたものの、メロディがやや単調な為かジャズメンは採り上げませんし、最近はあまり聴かれなくなりました。 

2 “エイプリル・シャワー〜April Showers” は1921年にバディ・デ・シルヴァ及びルイ・シルヴァーの2人が共作したバラッドで、明るい曲ですがややセンチメンタルなメロディを交えます。 舞台で顔を真っ黒に塗って歌っていた、当時の人気白人男性歌手アル・ジョルスンの歌がまずヒットし、比較的新しいところでエディ・フィッシャー、メル・トーメ、フランク・シナトラ、ジョニ・ジェイムス、イーディ・ゴーメなどの歌もあります。 カーメン・キャヴァレロのポピュラー・ピアノもありますが、ジャズメンにも好まれレス・ブラウン楽団なども採り上げていました。 黒人ジャズ・シンガー、アーサー・プライソックの静かだが力のあるバラッド唱法は心に沁みるものです。

3 “四月の思い出〜I’ll Remember April” は大変有名なスタンダードでそのレコードは数え切れません。 1943年の映画 【凸凹カウボーイの巻】 の為にジーン・デ・ポールが作曲し、ド・レイトパトリシア・ジョンストンが詞を付けました。 映画ではエラ・フィッツジェラルド(3大黒人女性ジャズ歌手の一人)も出演し歌っています。 歌の出版は1941年の事で、同年ウディ・ハーマンの演奏がベスト・セラーを記録しました。 全体にメジャー調ながらところどころマイナー調に聴こえる為か、やや感傷的なバラッドとして表現される事が多い様です。 スウィングで扱われる事もありますが、バラッドではダイナ・ショアの歌が情感に溢れて実に良く、一方スティーヴ・ローレンスのスウィンギーな歌唱も素晴らしいものでした。 シナトラは勿論、ペリー・コモ、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエ、ビング・クロスビー、ジョニー・デスモンド、ゴードン・マクレエ、ドリス・デイ、イーディ・ゴーメ等の歌の他、ジャズ演奏ではチャーリー・パーカー(サックス)、ソニーロリンズ(サックス)、バド・パウエル(ピアノ)、ポール・スミス(ピアノ)の他、ジョージ・シアリング・クィンテットも良く、ゴードン・ジェンキンス、カマラタ、ジャッキー・グリースンの各オーケストラのムード盤もあります。 
4  “春の如く〜It Might As Well Be Spring” も大変有名な美しい歌です。 リチャード・ロジャース(曲)とオスカー・ハマースタイン2世(詞)の名コンビによって、1945年の映画 【ステイト・フェア〜 State Fair】 の為に書かれました。 同年度のアカデミー映画主題歌賞を受賞しています。 映画の主人公の一人に当時の人気ポピュラー歌手ディック・ヘイムズが居ました。 大戦後初のカラー映画として話題を呼び、1962年には再映画化されパット・ブーン、ボビー・ダーリン、アン・マーグレットなどが出ています。 全体に渡って明るい曲ですが、所々にマイナー調らしき旋律を加えペイソスに溢れた名歌と言えましょう。 ポピュラー歌手ではシナトラの他、ディック・ヘイムズ(2回は録音)、アンディ・ウイリアムズ、ゴードン・マクレエなどの男性歌手、女性ではリナ・ホーン、ドリス・デイ、ジュリー・アンドリュース等、そしてクラシック界の大御所キリ・テ・カナワなどの歌手にも好まれています。 ムード音楽の格好の題材でもありジョージ・メラクリーノ楽団、カマラタ楽団、ポール・ウェストン楽団、アンドレ・コステラネッツ楽団、ストリングズ演奏をバックにしたアンドレ・プレヴィン(ピアノ)など、多数の楽団が録音しました。 シャンソン歌手ではジャクリーヌ・フランソワやジャン・サブロン等もフランス語で綺麗に歌っています。 ピアノ録音もカーメン・キャヴァレロ、ヴァン・クレイヴンなど多数あります。 この歌を作ったミュージカル・コンビはそれまで映画に曲を提供した事がほとんど無く、彼らが映画の為に主題歌を書いたと聞いた時、映画関係者は諸手を挙げて称賛した筈です。

5 “5月の朝〜One Morning In May” は1933年に生まれたAA’ BA 形式の、全編明るく軽快で清々しいバラッドで、Bで転調します。 1929年には名歌 “スター・ダスト” を書いたコンビ、ホーギー・カーマイケル(曲)とミッチェル・パリッシュ(詞)の作で、比較的有名です。 やや速めのテンポで演じられる事が多い様で、歌のレコードにはメル・トーメ、マット・モンロー、フランキー・ランドール、キャロル・スローンなどのものがあり、ロバート・ファーノンのムードの他に、ジャズ畑ではジョージ・シアリング・クィンテットにストリングズを加えてややアップテンポで華麗な演奏を聴かせます。 

6  “スプリング・キャン・リアリー・ハングーユー・アップ・ザ・モウスト〜Spring Can Really Hang You Up The Most” は有名なジャズ曲として知られ、1955年にトミー・ウルフが作曲、フラン・ランズマンが作詞した歌で、春が来ると憂鬱になると謳う内容です。 曲調も静かであまり明るくないのですが、メロディ・ラインが “予想を裏切る” 様な展開を見せて面白くその点ジャズメンに大いに好まれます。 歌手ではエラ・フィッツジェラルド、ジューン・クリスティ、クリス・コナー、カーメン・マクレエなどが、ポピュラー畑でもバーブラ・ストライザンドやジュリー・ロンドン等の技巧派が録音しました。 器楽ではスタン・ゲッツのテナーやマリアン・マクパートランドのピアノ等の演奏盤もあります。
7 “春が来たというけれど〜Spring Is Here” はマイナー調のメロディで、歌詞も同じく物悲しいのですが、ABAB’ 形式(末尾は短縮)の歌で、Bにメジャー調のラインが見られ繊細な美しさに人気があります。 “春はここに” という邦題もありますが、‘春なのに構ってくれる人が居ない’ という内容なのでピンときません。 1938年のミュージカル 【天使の結婚〜 I Married An Angel】 の為に黄金コンビのリチャード・ロジャースが作曲しローレンツ・ハートが作詞した有名な歌で、ジャズメンがよく採り上げます。 歌手部門ではエラ・フィッツジェラルド、クリス・コナー、ダイアン・キャロルなどが録音し、キャノンボール・アダレイなどのサックス、カウント・ベイシーなどのビッグ・バンドも演奏しています。 ポピュラー系ではトニー・ベネット、ヴィック・ダモンなども歌いましたが、ゴードン・マクレエは意外に明るくさらりとこなす一方、ナット・キング・コールがゴードン・ジェンキンスのオーケストラをバックに歌ったものはやや重苦しい雰囲気が支配していました。 ポピュラー歌手として最盛期のアンディ・ウィリアムズが有名なジャズ・ピアニストのハンク・ジョーンズと組んだ歌(1960年)もなかなか素晴らしいものです。 他、カマラタ楽団の演じるやるせないムードの横溢するレコードと、途中からワルツ調に変わるポール・スミスの弾くピアノ・ソロがあり、どちらも大変美しい演奏でした。 アレンジ次第でかなり異なる雰囲気が味わえるメロディです。 

8     “今年は春が遅い〜Spring Will Be A Little Late This Year” はメロディだけ聴けば全編明るいメジャー調なのですが、歌詞内容を知るまではブルーな気分を綴ったものとは知り得ません。 1944年にフランク・レッサーが曲も歌詞も書き、映画 【クリスマス・ホリデイ】 に使われた名歌です。 ABAB’ 形式のメロディでイーディ・ゴーメ、サラ・ヴォーン、ヘレン・メリル、ジョニ・ジェイムスなど大勢の歌手に歌われてきました。 ストリングズ伴奏も綺麗な明るいエラ・フィッツジェラルドの歌とやや重くセンチメンタルなヴィック・ダモンのそれとを比較すれば、アレンジ次第でこうも違うのかと思うほど雰囲気が異なるのが分かります。 ムード音楽ではカマラタ楽団が未だ来ぬ春の憂いをよく表現した美しいレコードがありました。 ジャズではアニタ・オデイが歌い、レッド・ガーランドのピアノ・トリオの演奏がありますが、ジャズメンはあまり採り上げない様です。

9   “春よりも若く〜Younger Than Springtime” はリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世の名ミュージカル・コンビによる素晴らしい歌の一つとして有名です。 1949年に作られた名作 【南太平洋〜 The South Pacific】 の劇中、“バリ・ハイ島” で歌われ大ヒットしたナンバーでした(後年映画化)。 AABA形式でAの途中やBで転調します。 明るく楽しい曲でポピュラー系に好まれ、シナトラ、ビング・クロスビー、ゴードン・マクレエ、ジョーン・ゲイリー、ヴィック・ダモン、マリオ・ランツァなど多くの歌手が歌っています。 ジャズ歌手ではビリー・エクスタインの美しい録音がありました。 ムード音楽として、アンドレ・プレヴィンのスウィンギーなピアノ+デヴィッド・ロウズの華麗なストリングズ演奏の他、ネルソン・リドル楽団、アンドレ・コステラネッツ楽団などの名演盤が多数あります。
         3人の人気女性シンガー〜ドリス・デイ、サラ・ヴォーン、ダイナ・ショア(いずれもCD)

2. 夏の歌
1 “インディアン・サマー〜Indian Summer” は古いけれど今でも時にポピュラー・シンガーに歌われる綺麗な歌です。 米の偉大な作曲家の一人ヴィクター・ハーバートが1919年にオペレッタ 【ザ・ヴェルヴェット・レイディ】 の為に書いた優雅な曲で、1939年になってアル・デュビンの詞が付きました。 ABAC形式のメロディで、所々で綺麗に転調します。 グレン・ミラー楽団と、当時専属歌手だったレイ・エバールの歌でヒットしましたが、その後はオーソドックスな演奏家や歌手に好まれ、ゴードン・マクレエ、トニー・マーティンなどのポピュラー歌手の他、パーシー・フェイス、ジョージ・メラクリーノ、デヴィッド・ロウズ、フランク・チャックスフィールドといったムード・ミュージックの良い題材にもなっています。 音符と音符の間をスラーでつないで、柔らかくて滑らかな雰囲気を得易い曲と言えましょう。

2 “1月の中の6月〜June In January” もやや古い歌で前の1と同様、メロディアスで綺麗な旋律を持っており、やや軽やかに演奏される事が多い歌です。 AABA形式ですが、Bは転調せずにマイナー風の曲調に変化するのが特徴で、これもポピュラー系の人たちによく歌われてきました。ビング・クロスビーに代表される歌手によって広まりました。 他、ゴードン・マクレエ、イーディ・ゴーメの歌なども素敵です。 カマラタやネルソン・リドル、デヴィッド・ロウズといった楽団のムード演奏が曲本来の美しさを引き立てていました。 1934年の、ラルフ・レインジャー(曲)とレオ・ロビン(詞)のコンビによる比較的よく知られた歌です。

3 “ワンス・アポンナ・サマータイム〜Once Upon A Summertime” (= “リラのワルツ〜La Valse des Lilas”)は1954年に出来た割合新しくて綺麗なシャンソンで、ポピュラーとして今でもよく採り上げられる人気のある名歌です。 フランスの有名な作曲家(兼編曲家)のミッシェル・ルグランが若い時に曲を書き、エディ・バークレイが詞を付けました。 1962年には米のジョニー・マーサーが英語歌詞を付けてから、一層ポピュラーなものとなりました。 AA’A”A”’ という変わった形式で、マイナー調のAをメジャー調に変えたものがA’ で明るく、どの小節も中音域から低音域へ流れる様にメロディがゆっくり進行します。 バラッドとして扱われる事が多く、また原曲のワルツは保たれている事が多い歌です。 バディ・グレコがストレイトに心地よく歌った他、バーブラ・ストライザンドがミッシェル・ルグランの指揮するオーケストラをバックに歌ったもの、ジョージ・メラクリーノ楽団(英)の演奏やルグラン自身の演奏、ピエール・ビュゾン(仏)のピアノ・ソロなども美しく素晴らしいものです。 勿論フランスでは原語で歌われます。

4 “サマータイム〜Summertime” は知らぬ人が居ないほど有名な歌で、今でも盛んに歌われ演奏され続けています。 ジョージ・ガーシュウィンが作曲し、ドゥ・ボウス・ヘイワードとアイラ・ガーシュウィンの2人が作詞しました。 1935年のフォーク・オペラ 【ポーギー・アンド・ベス〜Porgy & Bess】 の為に書かれた歌で、劇中の赤ちゃんをあやしながら歌う場面で使われました。 子守唄ですがジャズ / ポピュラーを問わず幅広く音楽家に愛され、実に多くの録音が残されています。 ジャズ畑ではヘレン・メリル、エラ・フィッツジェラルド、カーメン・マクレエ、エセル・エニス等の、ポピュラー系ではゴギ・グラントなどの女性歌手の歌があり、男性ではビリー・エクスタイン、ビング・クロスビー、ロバート・グーレ、アンディ・ウィリアムズなど多数に歌われました。 ジャズ・ピアノではオスカー・ピ−ターソン、アル・ヘイグなど、ムード音楽ではパーシー・フェイスが綺麗です。 全編マイナー調で、子守唄と呼ぶにはかなり荘厳な香り漂う名歌ですが、編曲次第ではやや重苦しさも感じます。 しみじみと歌うのに適し、あまり速い演奏には向いていない曲と言えるかも知れませんが、逆に崩しやすい素材と見なすジャズメンも居ます。

5 “夏の思い出〜The Things We Did Last Summer” は1946年にジュール・スタインが作曲、サミー・カーンが作詞した割合よく知られた歌です。 過ぎ去った夏の思い出を次々にセンチメンタルな曲と歌詞にしたもので、普通は静かなバラッドとして扱われます。 典型的な AABA 形式の歌で、ポピュラー系歌手ではヴォーン・モンロー、ヴィック・ダモン、ディーン・マーティン、イーディ・ゴーメ等が採り上げ、ジャズ系ではジョー・スタッフォード(歌手)、ハービー・マン(フルート)、ハンプトン・ホース(ピアノ)などが録音していました。
        3人の男性歌手〜左からボブ・マニング、ペリー・コモ、トニー・ベネット(いずれもCD)
 
3. 秋の歌
1 “枯葉〜Autumn Leaves、原題 Les feuilles mortes” は誰もがよく知るシャンソンの傑作で、これから先もずっと歌い継がれてゆく名歌の中の名歌です。 演奏形態や楽器に捉われずジャズ界もポピュラー界もよく採り上げ、実に多種多彩なレコードが残され、また今でもコンサート等でよく聴かれる歌です。 1945年に始まったバレー 【ランデヴー〜Rendezvous】 の為にジョセフ・コスマ(ハンガリー生まれ)が作曲し、後年ジャック・プレヴェールが詞を付けたものが歌 “枯葉” としてのデビュー(1946年)となりました。 AABC 形式で、全体にマイナー調で華やかな曲ではありませんが、所々にメジャー調に聴こえる箇所があり彩りを添えています。 イヴ・モンタンが映画 【夜の門】 の中で歌ったのが最初で、それ以降多数のシャンソン歌手や演奏家が採り上げ、1950年には米の著名な作詞家ジョニー・マーサーが英語歌詞を付けました。 当時ビング・クロスビーの歌はヒットこそしませんでしたが、その後ミリオン・セラーを記録(1955年)したポピュラー・ピアノのロジャー・ウィリアムスとこの音楽は大変有名になりました。 フランスではエディット・ピアフの歌(英語を交えて歌ったもの)が大ヒットし瞬く間に全世界で流行したのです。 シナトラ、ナット・キング・コール、ドリス・デイ、ロバート・グーレ、マット・モンロー、トニー・マーティン、アーサー・プライソック、トニー・ベネットなどなど歌だけでも枚挙に暇が無く、ムード音楽演奏でも例えばマントヴァーニ、ジョージ・メラクリーノ、ノリー・パラマー、ジャッキー・グリースン、デヴィッド・ロウズ、ネルソン・リドル、リチャード・ジョーンズなどこれも数え切れません。 ジャズ録音も同様でビル・エヴァンス、ポール・スミス、キャノンボール・アダレイ、マイルス・デイヴィスなど、多くのミュージシャンの演奏対象となってきました。 ジョージ・シアリングとストリングズのジャジーな演奏もムーディーで綺麗です。 

2 “オータム・セレナーデ〜Autumn Serenade” はピーター・デ・ロウズ作曲、サミー・ギャロップ作詞となる名歌で、比較的ジャズメンが多く採り上げる作品です。 メル・トーメやジューン・クリスティの歌、ジョーン・コルトレーン(テナー・サックス)やデューク・エリントン楽団、ハンク・ジョーンズ(ピアノ)、ボビー・ハケット(トランペット)演奏でも知られます。

3 “オータム・ワルツ〜Autumn Waltz” は全編メジャー調ですが決して明るくはなく、所々に半音を使ったメロディはやや妖艶なムードさえ醸し出しています。 AABA形式のワルツ調の歌ですが、トニー・ベネットの歌以外歌われる事は少なくほとんどムード音楽として流されます。 トランペット・ソロをあしらったゴージャスなジャッキー・グリースンの名演盤や、ストリングズが美しいデヴィッド・ロウズの演奏盤などがあります。 編曲家としても有名なサイ・コールマンの曲で、ボブ・ヒリアードが作詞した1956年の作品です。

4 “アーリー・オータム〜Early Autumn” は1949年の生まれで、曲はウディ・ハーマン(有名なビッグ・バンド・リーダー)とラルフ・バーンズの共作となり、1952年にジョニー・マーサーが詞を付けました。 ハーマン自身のレコードがヒットし、今でもジャズメンが採り上げています。 マイナー調のAABA形式で、Aの中で同じユニットが2度転調し次第に音階が下がり、しかも音符の下がりが大きいというやや難解な、しかし印象深い作品です。 アニタ・オデイ、メル・トーメ、ビリー・エクスタインといったジャズ・シンガーや、ポピュラー系のジョー・スタッフォード、ジョニー・マティスなども歌っていました。 ハーマンがヒットさせた時に吹いていたスタン・ゲッツのテナーは、後年別のオーケストラをバックに再現されています。 他、ジャズ形式ながらムーディーなジョージ・シアリング・クィンテット+ストリングズ演奏、純ムードではデヴィッド・ロウズ・オーケストラの演奏が残っています。
5    “メイビー・セプテンバー〜Maybe September” はそれほど有名な歌ではなく、出来たのも1966年の事で、映画 ≪ディ・オスカー〜 The Oscar≫(出演:スティーヴン・ボイド、エルケ・ソマー、トニー・ベネット)に使われました。 パーシー・フェイス、レイ・エヴァンス、ジェイ・リヴィングストンの3人の合作で、トニー・ベネット(オーケストラとの共演盤とピアニスト、ビル・エヴァンスとの共演盤の2種)、黒人歌手ジョー・ウィリアムスの歌の録音などが残っています。 AA’BC形式とも言える全体に静かに進行するマイナー調の、美しいがやや暗いメロディで、所々短くメジャー調に変わります。 Bはメジャー調でロマンティックな響きを持つこの歌は、主にバラッドとして扱われます。 陰影に富みセンスのある綺麗なバラッド演奏をした黒人ジャズ・ピアニストのトミー・フラナガンのソロがキラリと光ります。

6   “9月の雨〜September In The Rain” は有名なスタンダードでジャズメンにも好まれるコード進行を持ちます。 最後までメジャー調で、出だしから音符がよく飛び弾むような明るい歌です。 AABA形式で、演奏形態はバラッドとしてよりも少々アップテンポの方がお似合いでしょう。 1937年にハリー・ウォーレンが作曲しアル・デュビンが作詞しました。 スー・レイニーやアーサー・プライソックの歌があり、デヴィッド・ロウズやポール・ウェストンなどの楽団演奏などがあります。 ジョージ・シアリング・クィンテットの演奏は軽快で素晴らしいジャズ名演でした。

7     “セプテンバー・ソング〜September Song” は大スタンダードの一つで、録音の数が大変多い歌です。 その大らかで美しい優雅なメロディはいつまでも耳に残り、バラッドとして演奏される事が多い名歌です。 1938年のミュージカルの為にクルト・ワイルが作曲しマックスウェル・アンダースンが作詞しました。 劇中で歌われてヒットし、その後1951年の映画 【旅愁】 の主題歌に使われ再ヒットしました。 ゆったり演奏される事が多く、特にポピュラー系の人に好まれています。 シナトラは勿論、トニー・ベネット、トニー・マーティン、パット・ブーン、ゴードン・マクレエ、マリオ・ランツァ、イーディ・ゴーメなど多数の歌の録音が残され、またカーメン・キャヴァレロ、ジョー・ブシュキン、リベラーチェ、ヴァン・クレイヴン(以上ピアノ)の他、デヴィッド・ロウズやリチャード・ジョーンズ(共にストリングズ楽団)など、ムード音楽の格好の材料ともなっています。 “スター・ダスト” 同様、ヴァ−ス(主旋律の前に作られた別のメロディ)から歌われる事の多い歌としても有名です。

8      “ティズ・オータム〜’Tis Autumn” は1941年にヘンリー・ニモが作詞作曲した美しい歌です。 デヴィッド・ロウズ楽団(綺麗なムード演奏)、イーディ・ゴーメやトニー・マーティン(歌)など、主にポピュラー系の人に好まれてきました。 途中何度か転調するAABA形式のメロディアスなメジャー調の音楽で、最後まで明るく軽やかに弾むようなコード進行を持ちます。 “ティズ” は古語あるいは詩的な表現で “イット・イズ〜It is” の略(過去形は “’Twas”)です。
4. 冬の歌

1 “冬が好き〜(I Love The) Winter Weather” はそれほど有名な歌ではありませんが、軽妙なメロディを持った佳曲です。 T. フリーマンとE. ブラウンの作品で、女性ポピュラー歌手ジョー・スタッフォードやペギー・リー、男性ではトニー・ベネットやメル・トーメがそれぞれクリスマス・アルバムで歌っています。 他、ジミー・ロウルズのピアノ演奏もありました。 歌詞の末尾で “Cause I’ve Got My Love To Keep Me Warm” というくだりが出てきますが、続けてアーヴィング・バーリン作詞・作曲の名歌 “I’ve Got My Love To Keep Me Warm(恋に寒さを忘れ)” をメドレイで歌う手法を、歌手トニー・ベネットは使いました。 

2 “ウィンター・ナイト〜Winter Night” はJ. ホワイトとG. オウレエトの2人が作りました(年代不詳)。 全体に明るい曲で、ヴェテラン・ポピュラー・シンガー、イーディ・ゴーメの弾む様な歌が残っていますが、他はあまり知られていない歌です。 

3 “ウィンター・ワンダーランド〜Winter Wonderland” は大変ポピュラーで、クリスマスの時期になると必ず流される名歌の一つです。 明るく楽しい歌で、AABA 形式でB で転調します。 歌手ではドリス・デイ、ディーン・マーティン、レナ・ホーン、ローズマリー・クルーニー、ペリー・コモ、スティーヴ・ローレンス&イーディ・ゴーメ、トニー・ベネットなど多数の録音があり、ムード音楽としてはジョージ・メラクリーノ楽団などがあり、オスカー・ピータースンの美しいジャズ・ピアノにストリングズなど、彼らのクリスマス・アルバムに数多く収録されてきました。

他にも季節に因む曲は幾つか知られています〜 It Happens In Every Spring、Lost April、Spring Romance、Suddenly It’s Spring、There’ll Be Another Spring、We’ll Gather Lilacs In The Spring、When April Comes Again、The Long Hot Summer、Summer Is Gone、Summer Night、Summer Love、The Summer Wind、Autumn、Autumn Concerto、Autumn Dreams、Blue Autumn、October Mist、September Of My Years 他。なお、名歌 “パリの4月(April In Paris)”、“ポルトガルの四月(April In Portugal)”、“ニュー・ヨークの秋(Autumn In New York)”、“ローマの秋(Autumn In Rome)” は既に紹介しています。
以上が(8)前半の内容です。どうぞじっくりとお楽しみください。
ジャック・ジョーンズのCD盤2枚、及びビル・ブリスコウを含むオムニバスLP盤

ヴォーカリストの話(男性編 - 5)

優れた白人男性バラッド・シンガーたち(2)

前回に引き続きパート2では5人のシンガーを並べてみました。やはり美声の人気ポピュラー歌手たちです。

ジャック・ジョーンズ(Jack Jones)
 1938年ロサンジェルス(Los Angeles)生まれの John Allan “Jack” Jones は、1960年代で最も有能なポピュラー・シンガーとして知られていました。 彼もシナトラの後継者の一人と騒がれたもので、実際シナトラ、トニー・ベネットやメル・トーメ、ジュディ・ガーランドまでが “世界最高のジャズ・シンガー” と呼んだのです。 ポピュラーのみならずジャズ・シンギングの才能を持ち合わせた彼は、間違いなくトップ・シンガーの一人です。 

 声量豊かで艶があり高音域も十分カヴァー出来る彼は、数々のヒット・ソングにも恵まれました。 1959年に米キャピトルと契約し、すぐにアルバム ≪ディス・ラヴ・オブ・マイン〜 This Love Of Mine≫ を出しました。 その後キャップ・レコード(Kapp Records)に移籍してすぐに出したシングル盤 “アメん棒とバラ〜 Lollipops And Roses” が大ヒットしました。 彼の最大のヒットの一つがこの美しいバラッドで1962年のグラミー賞を受賞しています。 他に有名なものに “ワイヴズ・アンド・ラヴァーズ〜 Wives & Lovers”(1964年のグラミー賞受賞)、“見果てぬ夢〜 Impossible Dream”、“無責任と呼んで〜 Call Me Irresponsible” などがあり 【その年の最高歌手】 に2度も選ばれたのです。 ロック・リズムを使った録音もありますが、美しいスタンダードもこよなく愛しよく収録してきました。 そのキャップ・レコードでは20枚ものアルバムを作り、一時代を築き上げました。 アレンジャーも一流どころが選ばれ、例えばビリー・メイ、ネルソン・リドル、マーティ・ペイチ、ジャック・エリオット、ラルフ・カーマイケルなどが担当していました。 1967年にRCA-Victorと契約し次々にアルバムを出し、例えばミッシェル・ルグラン作曲の歌を集めたLPを出したりしました。 この時期には若者向きにロック・リズムを採り入れています。 1980年代に入ってからはステージやナイト・クラブでの仕事が増えたものの、少しレコーディングから遠ざかっていました。 しばらく経って1982年に米Applauseというレコード会社が、往年のバラッド歌手を一堂に集めたパーティーを開き、その際それぞれアルバムを作っています(ヴィック・ダモン、トニー・マーティン、ジェリー・ヴェイル、ロバート・グーレ、レターメン他、多数参加)。 さらに彼は2010年以降もアルバムを出している現役歌手なのです。
ビル・ブリスコウ(Bill Briscoe)

  果たして “この歌手の名前を知っている人は世の中にどれだけ居るのだろう” と思えるほど無名の歌手です。 ネットで調べても一向にその名前さえ出てきませんし、レコードも知られていないのは事実です。 私がこの歌手を初めて知ったのは、1970年代初頭に作られたと思われるやや古めかしい作りのLPレコード ≪Great Singers Of The 50’s≫(米Hall Of Fame~ Great Performers盤)でした。 それも他の有名な5人の男性歌手と一緒のオムニバス・アルバムで、表ジャケットには名前さえ出ておらず裏の解説も僅か数行のみでした。 しかも入っていた1曲がこれまた無名の “イフ・オール・ゴウズ・ウェル〜 If All Goes Well” という歌だったのですが、たった一度聴いただけでその美しい声と歌に惚れ込んでしまいました。 声自体がロマンティックこの上無く、トニー・マーティンばりの声の甘さに加え、より深みのあるスムーズなバリトン・ヴォイスだったからです。

そのジャケットの解説に {1950〜1970年代のロマンティック・バラッド・シンガー} と書かれてあったのは6人中彼だけです(他はディック・ヘイムズ、メル・トーメ、ヴィック・ダモン、ジョニー・デスモンド、レイ・エバール)。 すぐ後に別の1枚を見つけましたが、他は曲自体があまり良いものではなくがっかりさせられました。 本国アメリカではLPが1枚(Bill Briscoe Sings、1960年代)出ていた事を最近知りましたが、今はオムニバスCDさえ見つかりません。 同じ解説には不慮の交通事故で亡くなったとあって、尚の事無念です。 一方、この歌はまるで地中海をクルージングしている様な、明るく爽やかなアップテンポのバラッドで、綺麗な喉に相応しい美しくロマンティックな名歌と言えましょう。 映画主題歌の様にも思えますが、この歌も資料が見つからず、また他に演奏した人を知りません。 彼と唯一この “If All Goes Well” が私に鮮烈な印象を与えたのは間違いありませんが、現在ビル・ブリスコウに関するものはこれが全てと言わざるを得ないのが極めて残念です。
ジョニー・ジャニスのバラッドLP盤(左)及びマリオ・ランツァ全盛期のCD盤2枚

ジョニー・ジャニス(Johnny Janis)
 彼も無名に近いのですが、より男性的な太い歌声で、主にスタンダードを巧く唄った点で評価されるべき歌手と言えます。 オクターヴ域が広く高音域も低い旋律も器用に唄いこなせる、温かでやや渋みを伴うバリトンの持ち主です。 声の強弱も息遣いもスムーズですが、時にスケイルの大きさも見せるなど、そのドラマティックな唄い回しが魅力です。 彼はまたギターの演奏も巧いヴォーカリストなのです。

 1956年には初のアルバム ≪For The First Time≫(米ABC-Paramount)を出して以降少なくとも4枚作り、3枚目はジャズメンを従えたアルバムでした。 ここに示したアルバム ≪Once In A Blue Moon≫(米MONUMENT RECORDS, 1965年)はロマンティックなスタンダード・バラッド集で、著名な編曲家ドン・コスタがアレンジしています。 この当時ロック・ビートなどを全く使わずに、大がかりなストリングズ中心のオーケストラをバックにしたアルバムを探すのに苦労するほどで、“1965年前後の作品としては最もロマンティックなバラッド・アルバム” との評価もあるほどです。 有名なヒュー・ヘフナー氏(米有名月刊誌の創設者)がプロデュースしジャケットの裏で解説を施したアルバムは、私の知る限り他に見当たりません。 “イフ・アイ・ハドゥ・ユー〜 If I Had You”、“アイム・ア・フール・トゥ・ウォーント・ユー〜 I’m A Fool To Want You”、“マイ・メランコリー・ベイビー〜 My Melancholy Baby” などのスタンダード名歌を中心に選んだ本アルバムを含め、どのLPもCD化されていないのは誠に不思議な事です。 生年月日他は不明ですが健在の様です(2010年現在)。
マリオ・ランツァ (Mario Lanza)
 【私たちに影響を与えた歌手はエンリコ・カルーソ、ベニャミーノ・ジーリ、そしてマリオ・ランツァだ】 と現代の世界3大テナー(ホセ・カレーラス、プラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティ)が度々称賛してきた 【3大テナー】 の一人です。 マリオの歌唱法はまさにオペラ歌手のそれであって、“並み” のポピュラー・シンガーとは大きく異なる存在でした。 また歌手になった経緯が変わっていた点でも特筆すべきものがありました。 ここに紹介したCD盤2枚は名作曲家が書き綴ったポピュラー名歌集で、マリオ全盛期の格調高い歌声が聴かれます。 50~60年前に録音されたとは思えないほど録音状態が良く、声に歌に深く心を打たれるものがあります。

 1921年のペンシルヴァニア州生まれ。 本名のアルフレッド・アーノルド・ココッツァ(Alfredo Arnold Cocozza)から窺い知れる通りイタリア人の血が色濃く流れる彼は、ポップスを唄う歌手とは一線を画す別格の扱いをされました。 “100年に一度出るか出ないかの存在だった” という評論家も居るほど、彼の喉と歌には魅力があるのです。 元々よく通る大きな声は囁く様に歌うには不向きで、ステージや映画でこそ発揮出来たのではないかと思わせます。 ポピュラー名曲やスタンダード、及び歌劇の曲をたくさん歌いましたが、どの録音を聴いても同じ様な歌い方になり、鼓膜を通り抜け心臓に突き刺さると言う聴衆が居るかも知れません。 ただ1度でも聴けばその歌い方といい声といい実に素敵な歌い回しと分かるのですが、これからが正念場という矢先の1959年に彼は天に輝く1個の星となってしまいました。 今でも熱狂的なファンが大勢居る事は、半端ではない復活CDの数で裏付けられますし、何もその人気はポピュラー界に留まりません。 映画 ≪ザッツ・エンターテインメント〜 That’s Entertainment≫ でも元気な声で周囲を圧倒していました。 ポピュラー・シンガー達が初めて目の前で彼の歌を聴いたなら、恐らくみな天を仰ぎ後ずさりした事でしょう。

 歌い方に2つの特徴を見出せます。 第一に、1小節の中で最も高い音符を出す際に時々ややフラットぎみに歌う点が挙げられます。 つまり音をそのまま出さずに少し上にずらして発声する方法です。 常にそうだった訳ではないのですが、初めて聴いた人にはやや違和感を与えるかも知れません。 もう一つは他の歌手にもその傾向がありますが、音符と音符の間をスラーで結ぶ歌い方をよく使っていた事です。 この手法は音楽により滑らかさを与えますが、息継ぎの短い人ほど、1小節が長くなるほど難しいものになりましょう。 言い換えれば彼のブレスの長さを証明するかの様な歌い方なのです。 元に戻って、いきなりの高音がフラットぎみになるのは、彼の力強いスラーの延長と見る事も出来ましょう。
経緯が変わっていた? そう、実は正規の音楽教育を受けていないのです。 彼は若い頃コスモポリタン・オペラに大道具を運ぶトラック運転手でした。 ある日彼の口ずさむ歌を聴いた劇場の大指揮者は驚愕し、すぐに渡米し大手映画会社MGM(Metro Goldwin Meyer)への入社を勧めたと云われます。 当時MGMの社長だったルイス・マイヤーが大変気に入り、1949年の映画に初出演を果たせました。 翌年彼の歌った “ビー・マイ・ラヴ〜 Be My Love” はミリオン・セラーを記録し、今でも彼のベスト盤にはほぼ収録されています。 1951年の映画 ≪The Great Caruso≫ では、彼が敬愛して止まなかった稀代のテナー歌手エンリコ・カルーソ(Enrico Caruso:1873~1921)の役を与えられました。 その報せを聞いたオペラ評論家達は驚き “あのカルーソの役を演じさせるなどとんでもない、アメリカ生まれの若造に何が出来る” とこぞって酷評しましたが、直接その歌に接した彼らの中にはカルーソの生まれ変わりだ!と絶賛へ転じた人さえ居たのです。 この映画の中で歌ったワルツ調の “今年一番素敵な夜〜 The Loveliest Night Of The Year” は、これまた大ヒットしました。 次に出た映画 ≪Because You’re Mine≫ では彼の最後のミリオン・セラーとなった同名タイトル曲があります。 早くから才能を見抜いていたミラノ・スカラ座の音楽監督だったヴィクトル・デ・サバタは、1950年にランツァの自宅へオペラの出演依頼に赴いたほどに彼の才能を見抜いていたのでした。

 MGMと契約の際、1年のうち半年は会社で働き他をオペラの勉強などに費やすという約束でしたが、華やかな社交界がそれを許しませんでした。 またハリウッド・スターとオペラ歌手として成功させたいという葛藤と戦いながら、元々巨漢だった彼は様々な病気に苦しみ始めました。 酒と美食の世界に深くのめり込んでいったのです。 更に彼のマネージャーが投資に失敗し、多額の税金問題を抱え込んでしまいました。 新天地を求めた彼は家族と共にイタリアへ移り住み、オペラの舞台を踏みました。 しかし体内に巣食った病魔は、まるで彼の成功を妬むかの様に、輝かしい栄光を取り戻す事を許しませんでした。

 “最後のロマンティックなパフォーマー” の異名を与えられた彼は、その後も続々と映画出演を大いに期待されていました。 しかし美味なるものに溺れてしまった彼を、主要な映画監督やプロデューサーが見捨ててしまったのです。 本来の健康と活動を、ついに心臓発作と肺梗塞が襲いかかって奪い去り、“最も偉大なテナー歌手” の名を与えられたままその歌声は甦る事はありませんでした。 1960年以降のアメリカン・ポピュラー音楽の激流を考えれば、彼自身にとってその死は早過ぎたとは言えないかも知れませんが、クラシック界にとれば大きな痛手と言えるでしょう。 きっと今頃はカルーソやパヴァロッティと肩を組み、シューベルトやガーシュウィンの前で自慢の喉を競い合っている事でしょう。 享年38。
パット・ブーンの甘い歌声が聴かれる名盤。右は出たばかりのデジタル・マスター盤(いずれもCD)。

パット・ブーン(Pat Boone)
 この名前を聞きあるいはジャケットを見ただけで、胸がキュンと締め付けられた女性も多かった筈です。 そのボーイッシュかつ健康的で爽やかな容姿と、甘くてソフトな歌声が若い女性のハートをガッチリ掴み、たちまちスター街道を走る事となりました。 1950年半ばにデビューした彼は、当時台頭してきたロック・ン・ロールやアメリカン・ロックに対抗し “アメリカの良心” と呼ばれたものです。 一般大衆には、彼自身の歌も当時流行したリズミックなレコードでよく知られ、例えば “四月の恋〜 April Love” や “砂に書いたラヴ・レター〜 Love Letters In The Sands” などは日本でも大ヒットしました。 {西部の勇者} として知られる開拓史上伝説のダニエル・ブーンを直系の先祖に持つ彼は、また幼い頃から熱心なクリスチャンとしても有名です。 彼の従妹2人はTV西部劇シリーズで有名な ≪バージニアン≫ や ≪決闘シマロン街道≫ で主役を演じており、4人居る彼の娘のひとりデビー・ブーンを含めまさに芸能一家と言えるでしょう。

1934年6月フロリダ生まれ。 これまで実に4500万枚以上ものアルバムを売り上げ、シングル盤も数多く出してはシングル・ヒット・トップ40に38回も入るという快挙を成し遂げています。 また驚く事に1955年から1995年までの40年もの間、常に歌手部門トップ100の中に居たのです。 10本以上のハリウッド映画に出演し、23歳の時に始まった自身のTVヴァラエティ番組の司会をし、多くのポピュラー歌手をゲストに迎えていました。 デビュー当時は盛んに軟らかなロック・ン・ロールも歌いました。 しかし彼の人気を支えていたのはロック・ン・ロール崇拝者より、彼の歌う甘いスタンダードに魅せられた聴衆だったのかも知れません。 エルビス・プレスリーに代表される同時代のロックやロック・ン・ロール歌手は、ほとんどスタンダードに手を付けていませんでしたし、ブーンの声はあくまでも優しく、激しいロックに向いていないのは明らかでした。 1970年代にはゴスペル*(キリスト教プロテスタント系の宗教歌〜<注>を参照)及びカントリー歌手に転向しています。 
ジャズ歌手として扱われる事は決してありませんが、あのビロードの様なソフトでスウィートな声で歌うのですから、美しいバラッドがお似合いなのは間違いないでしょう。 メジャー調の綺麗な曲を多く選んでいるので、その声に合わせて自然と編曲も素敵なものにせざるを得ません。 その点、常にストリングズを多用した豪華な編曲を提供するゴードン・ジェンキンスなどは、まさにうってつけのアレンジャーと言えましょう。 以下、ご紹介する幾つかのアルバム(LP、CD)盤は彼の持ち味をよく表した秀作と言えるかも知れません。 ロック・ン・ロール全盛期にこの様な素晴らしいスタンダード集をたくさん出せたのは、古き善きロマンを求めた大衆が彼の人気を後押ししたからに他なりません。 お奨めは ≪Pat Sings Irving Berlin≫(’57)、≪Star Dust≫(’58)、≪Yes Indeed !≫(’58)、≪Tenderly≫(’59)、≪Moonglow≫(’60)、≪I’ll See You In My Dreams≫(’62)、≪I Love You Truly With Shirley Jones≫(’62)、≪Days Of Wine & Roses≫(’63)、≪The Touch Of Your Lips≫(’64、アレンジは Gordon Jenkins)、≪Near You≫(’64) などです(いずれも米DOT盤)。 十八番の讃美歌集や “懐メロ風” のロック・ン・ロール・ヒット集はCDでその大部分が出されていますが、1930〜40年代に生まれた美しいスタンダードを集めたアルバムも、少しずつ見直されてきた様です(以上のLPの代表収録曲〜 Soft Lights & Sweet Music, All By Myself, Star Dust, Deep Purple, Sweet Sue, They Can’t Take That Away From Me, Tenderly, I’m In The Mood For Love, The Nearness Of You, Girl Of My Dreams, Again, Alone, Love Is Here To Stay, Laura, Sweet Leilani, Long Ago & Faraway, My Romance, etc.)。 これらDOT盤で編曲を担当したのはジャック・マーシャル、ビリー・ヴォーン、ジョージ・グリーリー、モート・リンゼイなどといた売れっ子達でした。 特に57年の≪アーヴィング・バーリンを歌う≫は、柔らかな喉と美しいバラッド(14曲)がピッタリ合った秀作と言えましょう。 

元々敬虔なクリスチャンらしく、一家(愛妻と4人の娘達)はゴスペル・シンガーとして全米を旅しアルバムも作りました。 米映画 ≪四月の恋≫(1957年)に出演した際、当時の人気女優シャーリー・ジョーンズとのキス・シーンを拒んだ話はつとに有名ですし、マリリン・モンローとは共演する事さえ拒んだのです。 しかし時が経ち “すさんだ” 時代が彼を変えたのでしょうか、1997年に出した “イナ・メタル・ムード〜 In A Metal Mood” は反響を呼ぶどころか、黒の服を身に着けたヘビー・メタル(ロック好きの若者向きの現代)風?(しかしそう激しいものではない)のジャケットと音楽が多くのファンの反感・失望を買い、更にはゴスペル協会から追放されました。 しかしながらこの風変わりな挑戦を “彼自身のパロディだ” と逆に称賛する友人も多かったのですが、ついにパット自身があれはパロディだったと告白し協会に復帰出来たという逸話が残っています。 そんな彼は現在も健在です。
<注> ゴスペル*とア・カペラ〜 ミュージック・シーンでよく出てくる2つの言葉について少し触れましょう。 英単語のゴスペル(Gospel)は “福音”、“福音書” の意味で、転じて現在プロテスタント系の宗教音楽をも意味する言葉となっています。 米の歴史を振り返る必要がありますが、奴隷として合衆国へ連れて来られた黒人たちは宗教も言語さえも一切剥奪された為、その福音書にすがってきた時代がありました。 キリスト教へ “改心” した後に彼らは独自の神を崇める様になり、音楽ではいつしかアフリカ独特のリズム感にヨーロッパ讃美歌が融合し、その結果生まれたのが “スピリチュアル(黒人霊歌)” という分野でした。 これが基となって現在のゴスペルが生まれたと云われます。 1930年代からこのゴスペル・ミュージックは黒人教会で使われ始め、特にブラック・ゴスペルと呼ばれた事がある一方、南部の州の白人が使っていたものをホワイト・ゴスペルと区別する事もありました。 黒人社会を区別していた当時は、同じゴスペル音楽でもかなり異なったものだったと云われますが、現代社会ではブラック・ゴスペルを使うミュージシャンが多く、単にゴスペルと言えばこちらを指すのです。 なお、現在キリスト教会はゴスペルを使う所とそうでない所に分かれている様です。 有名な黒人女性歌手マヘリア・ジャクソンは教会、礼拝でのみ歌ったとされます(録音は遺っている)。 

 当時、黒人社会には十分な楽器が与えられなかった為、ア・カペラ(無伴奏で歌うコーラス形式)が生まれました。 つまりゴスペルはア・カペラが伝えた音楽と言えるでしょう(それぞれ音楽そのものと形態であって同義語ではない)。 余談ですが、その後ゴスペル出身の有名なサム・クック、レイ・チャールズ、ジェームズ・ブラウンなどの黒人男性歌手たちはこのゴスペルとリズム&ブルースという別の形態を組み合わせて “ソウル・ミュージック” という新たな分野を開拓し、若者の間に熱烈なファンを生みましたが、聖なる世界から俗世間へ流れたという理由で教会から反感を買ったと云われます。

≪訂正とお詫び≫
前回の記事で友人に誤りを指摘されましたので、お詫びして次の如く訂正致します。

Mona Lisa” は1950年の米映画 ≪別働隊≫(原題 Captain Carey) で曲のみ使われ、歌われなかったものの同年のアカデミー映画主題歌賞を受賞しました。 ジェイ・リヴィングストン(曲)とレイ・エヴァンス(詞)の作ですが、曲が作られたのは1949年の事で、主題歌賞を得た後に歌詞が付けられたものでした。
3か月近くもお待たせしてしまいました。本当にごめんなさい。(8)の後半をお届けします。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Standard Jazz Song 更新情報

Standard Jazz Songのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。