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Standard Jazz Songコミュの雑談はこちらに

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気の向くまま、心の向くまま、よもやま話、井戸端会議、なんでもどうぞ。

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訃報が多いのでインデックスを設けました。
投稿降順です。
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2024年12月1日 中平・穂積(なかだいら ほずみ)88歳ー(#520)
2024年11月12日 ロイ・ヘインズ(Roy Haynes)98歳ー(#517)
2024年11月9日 ルー・ドナルドソン(Lou Donaldson)98歳ー(#515)
2024年11月3日 クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)91歳ー(#510)
2024年10月4日 猪俣猛(イノマタタケシ)88歳ー(#506)
2024年9月21日 ベニー・ゴルソン(Benny Golson)95歳ー(#507)
2024年9月5日  セルジオ・メンデス(Sergio Mendes)83歳ー(#503)
2024年8月23日、ラッセル・マローン (Russell Malone) 60歳 - (#502)
2024年5月25日 リチャード・シャーマン (Richard M. Sherman) 95歳 - (#499)
2024年5月12日 デビッド・サンボーン(David Sanborn)78歳ー(#497)
2024年5月6日 ビル・ホルマン(Bill Holman)96歳ー(#500)
2024年1月19日、マリーナ・ショウ (Marlena Shaw) 84歳 - (#494)
2023年12月16日 カルロス・リラ(Carlos Lyra)90歳ー(#490)
2023年11月27日 西条孝之介(サイジョウコウノスケ)91歳ー(#493)
2023年10月17日 カーラ・ブレイ(Carla Bley)85歳ー(#486)
2023年7月21日 トニー・ベネット(Tony Bennett)96歳ー(#479)
2023年7月17日 ジョアン・ドナート(Joao Donato)88歳ー(#473)
2023年6月23日、シェルドン・ハーニック (Sheldon Harnick) 99歳 - (#471)
2023年6月5日 アストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)83歳ー(#468)
2023年4月25日、ハリー・べラフォンテ (Harry Berafonte) 96歳 - (#467)
2023年3月28日 坂本龍一(サカモト・リュウイチ)71歳ー(#465)
2023年3月2日  ウエイン・ショーター(Wayne Shorter)89歳ー(#463)
2023年2月2日  ブッチ・マイルス(Butch Miles)78歳ー(#466)
2023年1月23日 キャロル・スローン(Carol Slone)85歳(#461)
2022年11月日 ガル・コスタ(Gal Costa)77歳ー(#459)
2022年10月7日 ロニー・キューバ(Ronnie Cuber)80歳ー(#456)
2022年8月22日 クリード・テイラー(Creed Taylor)93歳ー(#454)
2022年7月19日、マイケル・ヘンダーソン(Michael・Henderson)71歳ー(#453)
2022年4月4日、石塚 孝夫(イシズカ・タカオ)89歳ー(#452)
2022年3月8日、鈴木 勲(スズキ・イサオ)89歳ー(#448)
2022年1月8日、マリリン、バーグマン(Marilyn bergman)-(#445)
2021年12月8、バリー・ハリス(Barry Harris)91歳ー(#443)
2021年12月9日、デニース・ペリエ(Denise Perrier) - (#441)
2021年11月26日、スティーヴン・ソンドハイム (Stephen Joshua Sondheim) 91歳 - (#439)
2021年11月1日、パット・マルティーノ(Pat Martion) 77歳 - (#437)
2021年9月8日、ニッセ・サンドストロム(Nisse Sandstrom) 79歳 - (#435)
2021年9月28日、ドクター・ロ二−・スミス (Dr. Lonnie Smith) 79歳 - (#430)
2021年9月16日、ジョージ・ムラーツ (George Mraz) 77歳 - (#429)
2021年6月26日、土岐英史 71歳 - (#425)
2021年6月21日, 原信夫 94歳 - (#424)
2021年5月8日、カーティス・フラー (Curtis Fuller) 86歳。 - (#422)
2021年5月29日、B・J・トーマス(Billy Joe Thomas) 78歳 - (#419)
2021年5月13日、ノーマン・シモンズ(Norman Simmons)91歳 - (#418)
2021年4月15日、パット・リゾ (Pat Rizzo) 79歳 - (#417)
2021年4月29日、マイク・コステリー (Mike Costley) - (#416)
2021年3月1日、ラルフ・ピーターソン (Ralph Peterson Jr.) 58歳 - (#415)
2021年4月13日、ソニー・シモンズ (Sonny Simmons) 87歳 - (#414)
2021年2月9日, チック・コリア (Chick Corea) 79歳- (#409)
2021年1月17日, ジュニア・マンス (Junior Mance)92歳 - (#407)
2020年12月17日, ジェフ・クレイトン(Jeff Clayton)65歳- (#404)
2020年12月17日, スタンリー・カウエル (Stanley Cowell)79歳 - (#402)
2020年9月21日, アイラ・サリバン(Ira Sullivan)89歳 - (#401)
2020年9月5日, ゲーリー・ピーコック(Gary Peacock) 85歳- (#400)
2020年8月23日, チャーリー・パーシップ (Charlie Persip) 91歳 - (#399)
2020年8月13日, スティーヴ・グロスマン (Steve Grossman) 69歳 - (#398)
2020年7月21日, アニー・ロス (Annie Ross) 89歳 - (#397)
2020年6月29日, ジョニー・マンデル (Johnny Mandel) 94歳 - (#396)
2020年6月27日, フレディ・コール (Freddy Cole) 88歳 - (#395)
2020年5月28日, レニー・ニーハウス (Lennie Niehaus) 91歳- (#393)
2020年5月24日, ジミー・コブ (Jimmy Cobb) 91歳- (#390)
2020年5月2日, リッチー・コール(Richie Cole) 72歳 - (#388)
2020年4月17日, ジュゼッピ・ローガン(Juseppi Logan) 84歳 - (#387)
2020年4月15日, ヘンリー・グライムス (Henry Grimes) 84歳 - (#386)
2020年4月15日, リー・コニッツ (Lee Konitz) 92歳 - (#383)
2020年4月9日, アンディ・ゴンザレス (Andy González) 69歳 - (#382)
2020年4月10日, ジミー・メリット(Jymie Merritt) 94歳 - (#380)
2020年4月6日, オナージェ・アラン・ガムス (Onaje Allan Gumbs) 70歳 - (#379)
2020年3月30日, ビル・ウイザース (Bill Withers) 81歳- (#378)
2020年4月1日, バッキー・ピザレリ (Bucky Pizzarelli) 94歳 - (#377)
2020年4月1日, エリス・マルサリス (Ellis Marsalis jr.) 85歳 - (#376)
2020年3月31日, ウォレス・ルーニー (Wallace Roney) 59歳 - (#375)
2020年3月22日, マイク・ロンゴ (Mike Longo) 83歳 - (#373)
2020年3月13日, 行方均(なめかたひとし)68歳 - (#372)
2020年3月10日, ジョージ大塚(本名大塚敬冶)82歳- (#371)
2020年3月6日, マッコイ・タイナー (McCoy Tyner) 81歳- (#370)
2020年2月17日, ヨン・クリステンセン (Jon Ivar Christensen) 76歳 - (#367)
2020年2月10日, ライル・メイズ (Lyle Mays) 63歳 - (#365)
2019年の12月27日, ジャック・シェルドン(Jack Sheldon) 88歳 - (#356)
2020年1月17日、クラウディオ・ロディッティ (Claudio Roditi) 73歳 - (#354)
2020年1月19日, ジミー・ヒース (Jimmy Heath) 93歳 - (#353)
2019年12月26日, ジェリー・ハーマン (Jerry Herman) 88歳 - (#352)
2019年10月12日, ミルチョ・レビエフ (Milcho Leviev)81歳 - (#350)
2019年10月4日, ダイアン・キャロル (Diahann Carroll) 84歳- (#346)
2019年9月30日、ジェシー・ノーマン (Jessye Norman) 74歳 - (#345)
2019年9月19日, ハロルド・メイバーン(Harold Mabern)83歳 - (#343)
2019年6月1日, フェイス・ウィンスロップ (Faith Winthrop) 87歳 - (#342)
2019年7月6日, マーティン・チャーニン (Martin Charnin) 84歳 - (#341)
2019年7月6日, ジョアン・ジウベルト (Joao Gilberto) 88歳- (#339)
2019年5月13日, ドリス・デイ (Doris Day) 97歳 - (#332)
2019年2月28日, エド・ビッカート (Ed・Bickert) 86歳 - (#329)
2019年2月28日, アンドレ・プレヴィン (Andre Previn) 89歳 - (#326)
2019年2月23日, アイラ・ギトラー (Ira Gitler) 90歳 - (#320)
2019年2月3日, 児山紀芳 82歳 - (#317)
2019年1月26日, ミッシェル・ルグラン (Michel Legrand) 86歳 - (#315)
2018年12月31日, アビー・グリーン (Urbie Green) 92歳 - (#313)
2018年12月23日, 杉原淳 82歳 - (#311)
2018年12月27日, ミウシャ (Miucha) 本名は、エロイザ・ブアルキ 81歳 - (#310)
2018年12月13日, ナンシー・ウィルソン (Nancy Wilson) 81歳 - (#309)
2018年11月25日, 前田憲男(まえだ・のりお、本名・暢人=のぶひと)83歳 - (#307)
2018年11月2日, ロイ・ハーグローヴ (Roy Hargrove) 49歳 - (#306)
2018年9月14日, マックス・ベネット (Max Bennett) 90歳 - (#305)
2018年9月16日, ビッグ・ジェイ・マクニーリー (Big Jay McNeely) 91歳- (#303)
2018年8月26日, ニール・サイモン (Neil Simon) 91歳 - (#302)
2018年3月22日, モーガナ・キング (Morgana King) 87 - (#301)
2018年8月16日、アレサ・フランクリン (Aretha Franklin) 76歳- (#299)
2018年6月18日、レベッカ・パリス (Rebecca Parris) 66歳 - (#296)
2018年4月23日、ボブ・ドロー (Bob Dorough) 94歳 - (#292)
2018年4月5日、セシル・テイラー (Cecil Taylor) 89歳- (#289)
2018年2月10日、ウェスラ・ウィットフィールド (Wesla Whitfield) 70- (#288)
2018年1月29日、エディ・ショウ (Eddie Shaw) 80歳 - (#287)
2018年1月28日、ココ・シューマン (Coco Schumann) 93歳 - (#286)
2018年1月23日、ヒュー・マセケラ (Hugh Ramopolo Masekela) 78歳 - (#285)
2018年1月15日、マリーン・ヴァープランク (Marlene VerPlanck) 85歳 - (#284)
2017年12月2日、マンデル・ロウ (Mundell Lowe) 95歳 - (#282)
2017年12月16日、キーリー・スミス (Keely Smith) 89歳 - (#280)
2017年12月17日、ケヴィン・マホガニー ( Kevin Mahogany) 59歳 - (#279)
2017年12月6日、ジョニー・アリデイ (Johnny Hallyday) 74歳- (#276)
2017年11月22日、ジョン・ヘンドリックス (Jon Hendricks) 96歳 - (#273)
2017年11月18日、ベン・ライリー (Ben Riley) 84歳 - (#272)
2017年10月8日、グラディ・テイト (Grady Bernard Tate) 85歳 - (#266)
2017年8月7日、ジャネット・サイデル (Janet Seidel) 62歳 - (#258)
2017年9月3日、ウォルター・ベッカー (Walter Becker) 67歳 - (#257)
2017年8月22日、ジョン・アバークロンビー(John Abercrombie)72歳 - (#255)
2017年7月31日、ジャンヌ・モロー (Jeanne Moreau) 89歳 - (#254)
2017年6月27日、ジェリ・アレン (Geri Allen) 60歳 - (#249)
2017年5月8日、ディヴ・ペル (Dave Pell) 92歳 - (#243)
2017年3月18日、チャック・ベリー (Chuck Berry) 90歳- (#231)
2017年2月24日、辛島文雄 68歳 - (#228)
2017年2月23日、ホレス・パーラン (Horace Louis Parlan) 86歳 - (#226)
2017年1月10日、バディ・グレコ(Buddy Greco)90歳 - (#224)
2017年2月12日、バーバラ・キャロル (Barbara Carroll) 92歳 - (#222)
2017年2月12日、アル・ジャロウ (Al Jarreau) 76歳 - (#221)
2017年1月7日、ナット・ヘントフ (Nathan Irving "Nat" Hentoff) 91歳 - (#220)
2016年12月26日、アルフォンス・ムザーン (Alphonse Mouzon) 68歳 - (#219)
2016年9月5日、尾田悟 88歳 - (#218)
2016年12月11日、内田修 87歳- (#214)
2016年11月15日、モーズ・アリソン (Mose Allison) 89歳 - (#208)
2016年11月2日、ボブ・クランショウ (Bob Cranshaw) 93歳- (#201)
2016年9月25日、ロッド・テンパートン (Rod Temperton) 66歳 - (#200)
2016年7月16日、クロード・ウイリアムソン(Claude Williamson) 89歳 - (#196)
2016年8月22日、トゥーツ・シールマンス (Toots Thielemans) 94 - (#195)
2016年8月15日、ボビー・ハッチャーソン (Bobby Hutcherson) 75歳 - (#193)
2016年6月30日、ドン・フリードマン (Don Friedman) 81歳 - (#192)
2016年4月13日、ジェレミー・スタイグ (Jeremy Steig) 73歳 - (#191)
2016年4月3日、ビル・ヘンダーソン (Bill Henderson) 90歳- (#190)
2016年1月5日、ポール・ブレイ (Paul Bley) 83歳 - (#185)
2015年11月10日、アラン・トゥーサン (Allen Toussaint) 77歳 - (#183)
215年10月22日、マーク・マーフィー (Mark Murphy) 83歳 - (#180)
2015年9月29日、フィル・ウッズ (Philip Wells Woods) 83歳 - (#179)
2015年4月??日、髭G - (#178)
2015年6月11日、オーネット・コールマン (Ornette Coleman) 85歳 - (#172)
2015年5月14日、B.B.キング(B.B.King) 89歳 - (#170)
2015年4月30日、ベン・E・キング (Ben E. King) 76歳- (#169)
2015年3月8日、ルゥ・ソロフ (Lew Soloff) 71歳 - (#166)
2015年2月21日、クラーク・テリー (Clark Terry) 94歳 - (#154)
2015年2月16日、レスリー・ゴーア(Lesley Gore)68歳 - (#152)
2015年1月15日、アーヴィン・ドレイク (Ervin Drake) 95歳 - (#147)
2015年1月12日、クリフォード・アダムス (Clifford Adams) 62歳 - (#146)
2014年12月24日、バディ・デフランコ (Buddy DeFranco) 91歳 - (#145)
2014年12月22日、ジョー・コッカー (Joe Cocker) 70歳- (#144)
2014年10月16日, ティム・ハウザー (Tim Hauser)72歳 - (#112)
2014年7月11日、チャーリー・ヘイデン (Charlie Haden) 76歳 - (#96)
2014年6月18日、ホレス・シルヴァー (Horace Silver)85歳 - (#95)
2014年6月19日、ジェリー・ゴフィン (Gerry Goffin)75歳 - (#94)
2014年6月12日、ジミー・スコット (Jimmy Scott) 88歳 - (#93)
2014年1月9日、アミリ・バラカ (Amiri Baraka) 79歳 - (#82)
2013年12月10日、ジム・ホール (Jim Hall)83歳 - (#80)
2013年11月25日、チコ・ハミルトン (Chico Hamilton) 92歳 - (#78)
2013年10月30日、フランク・ウェス (Frank Wess) 91歳 - (#76)
2013年10月16日、グロリア・リン (Gloria Lynne) 81歳 - (#75)
2013年8月20日、マリアン・マクパートランド (Marian McPartland) 95歳 - (#67)
2013年8月19日、シダー・ウォルトン (Cedar_Walton) 79歳 - (#66)
2013年7月12日、A・ボーズ (Amar Bose) 83歳- (#57)
2013年6月29日、ポール・スミス (Paul Smith)91歳 - (#46)
2013年6月19日、スリム・ホイットマン (Slim Whitman) 86歳 - (#39)
2013年5月29日、モーグル・ミラー(Mulgrew Miller) 57歳 - (#31)
2013年2月4日、ドナルド・バード (Donald Byrd)80歳 - (#27)
2012年12月5日、デイヴ・ブルーベック (Dave Brubeck) 91歳 - (#17)
2012年9月1日、ハル・ディヴィッド (Hal David) 91歳 - (#15)
2012年9月25日、アンディ・ウィリアムス (Andy Williams) 84歳- (#4)
2012年8月6日、マーヴィン・ハムリッシュ (Marvin Frederick Hamlisch) 68歳 - (#3)


コメント(521)

こんな記事がありました。

『自由・協調…ジャズの力を信じ 第34回世界文化賞受賞者ウィントン・マルサリス氏』

https://www.sankei.com/article/20231011-542T6ERVJBJC5H6DXLVR67U6LE/

マルサリスは「日本のファンの真剣さが、ジャズを文化の最前線に押し上げていた」と話す。

マルサリスにとり、ジャズは今や「米国の良心」を示す音楽だ。ジャズの演奏は、奏者の自由な「即興演奏」、他の奏者の自由を尊重し全体の調和を図る「スウィング」、世間の厳しさを知りながらも楽観的な態度で生きる「ブルースの受容」で成り立つという。


ご自身のサイト(英語)

https://wyntonmarsalis.org/news/entry/wynton-marsalis-receives-praemium-imperiale-award

受賞についてのヴィデオ
https://wyntonmarsalis.org/videos/view/wynton-marsalis-interview-for-praemium-imperiale-award-2023

アルバムはこんなにあります。
https://www.discogs.com/ja/artist/253392-Wynton-Marsalis

ベニー・ゴルソンが書いた "I Remember Clifford" は後年 Jon Hendricks によって詞詩が書かれ、クリフォード・ブラウンを偲ぶ名曲として歌われています。

一方、Lee Morgan が書いた名曲 Ceora に Milton Suggs 詞を書いて "Only a Memory" として
歌われています。

I’m drifting in reverie
I’m lost in a daze
Nostalgic, in oh so many ways
And it plays all over again
Until you’re right back here with me
Loving you the way
that you were meant to be
Every note we play together
They will resonate
Forever we stay on one accord
We make a harmony so sweet

I listen and I can hear
The music so clear
Resounding from when our love was near
You appear and suddenly I find
You are right back here with me
And I know I’ll keep loving you forever
You will always be, the melody
Playing softly just for me,
Even if your only a memory

I listen and I can hear
The music so clear
Resounding from when our love was near
You appear and suddenly I find
You are right back here with me
And I know I’ll keep loving you forever
You will always be, the melody
Playing softly just for me,
Even if your only a memory

I’m drifting in reverie
I’m lost in a daze
Nostalgic, in oh so many ways
And it plays all over again
Until you’re right back here with me
Loving you the way
that you were meant to be
Every note we play together
They will resonate
Forever we stay on one accord
We make a harmony so sweet

I listen and I can hear
The music so clear
Resounding from when our love was near
You appear and suddenly I find
You are right back here with me
And I know I’ll keep loving you forever
You will always be, the melody
Playing softly just for me,
Even if your only a memory

この詞を眺めると、これはリー・モーガンのことをを歌っているように見えます。

つまり、リー・モーガンは自分で自分を偲ぶ曲を書いた(大笑い)ということになりそうです。

作詞者の Milton Suggs の歌唱です



Alyssa Allgood これもステキです



>>[483]

"Only a Memory"

DeepL の出力です(補正してません)

私はぼんやりと漂っている
ぼーっとする
いろんな意味で懐かしい
And it plays all over again
あなたがここに戻ってくるまで
愛している
愛している
私たちが一緒に奏でるすべての音は
それらは共鳴する
永遠に一心同体
甘いハーモニーを奏でる

耳を澄ませば
澄み切った音楽が
私たちの愛が近くにあったときから響いている
あなたが現れると突然
あなたはここに戻ってきた
いつまでも君を愛し続けるだろう
あなたはいつもメロディー
私のためにそっと奏でてくれる
たとえ思い出の中にしかいなくても


耳を澄ませば
その音楽はとてもクリアで
私たちの愛が近くにあったときの響きが
あなたが現れ、突然私は気づく
あなたは私のそばにいる
いつまでも君を愛し続けるだろう
あなたはいつもメロディー
私のためにそっと奏でてくれる
たとえ思い出の中にしかいなくても

I'm drifting in reverie
I'm lost in a daze
ノスタルジック、いろんな意味で
And it plays all over again
君がここに戻ってくるまで
愛している
愛している
私たちが一緒に奏でるすべての音は
それらは共鳴する
永遠に一心同体
甘いハーモニーを奏でる


耳を澄ませば
澄み切った音楽が
私たちの愛が近くにあったときから響いている
あなたが現れると突然
あなたはここに戻ってきた
いつまでも君を愛し続けるだろう
あなたはいつもメロディー
私のためにそっと奏でてくれる
たとえ思い出の中にしかいなくても

>>[483]

引用元はここです


https://www.smule.com/song/lee-morgan-alyssa-allgood-milton-suggs-ceora-only-a-memory-karaoke-lyrics/7019222_7019222/arrangement

自主性を貫きかつてはジャズ界きっての才女と評された作曲家兼ピアニスト&オルガニストのカーラ・ブレイ(Carla Bley)さんが、10月17日にニューヨークで脳腫瘍の合併症で逝去されました。
1938年5月生まれですので、87歳でした。

カリフォルニア州オークランドに生まれた彼女は父親がピアニスト兼教会のオルガン奏者であった事から、幼い時からピアノに親しんでいました。
父親の演奏を聞いた以外に正式な教育を受けていませんでしたが、5歳の頃には教会で賛美歌を弾いていました。

17歳でジャズに興味を示しジャズの本場ニューヨークに憧れてニューヨークに移りましたがジャズの仕事には恵まれず、ウエイトレスとして生計をたてていました。
そんな境遇の中1957年に、ジャズピアニストのポール・ブレイと一回目の結婚。
積極的に作曲活動を進め、徐々にその才能が認められるようになりました。

1964年から本格的に演奏活動に入り、ニューヨークのクラブでチャールス・モフェットやファラオ・サンダースなどとセッションに励みました。
この時期彼女のプレーはオーネット・コールマンやドン・チェリーの影響を強く受けています。

1964年末には2回目の結婚相手であるトランぺッターのマイケル・マントラ―と、「ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション」(JCOA)を結成。

1965年には、マントラ―、スティーブ・レイシー等とクインテットを組んで活動。
1966年にはベータ―・ブロッツマンと、ヨーロッパ公演を行いました。

またこの頃から再度作曲面に活動の重点を置くようになり、ゲーリー・バートンやチャーリー・ヘイデンなどに自己名義の作品を提供しました。

1969年からは詩人ポール・ヘインズとの共作となる大作「エスカレーター・オーヴァ―・ザ・ヒル」に取り組み、1971年に3枚組レコードとしてJCOAからリリースして世界的評価を得ました。
1973年にはフランスで、ジャズ大賞を獲得。
またJCOAとは別に、自己のレーベルWattを設立しました。

1976年からはフレンチ・ホルンやチューバなどあまりジャズ界とは縁の薄かった楽器も導入した自己のオーケストラを率いて活躍。
また1991年に3回目の結婚相手となるベースのスティーブ・スワローとのデュオなどを中心に、その後も活動を続けました。

まるで練習のような自然な流れのピアノをプレーし、ジャズ界に作った自分のポジションをしっかり押し通した才女のご冥福をお祈り致します。

ベーシストのご主人Steve Swallow と共演の、” Lawns”です。


Andy Sheppardのサックスを加えたトリオで、”Life Goes on”です。


名作アルバム「Live」より、”Blunt Object”です。

>>[486]

詳しい解説をありがとうございます。
彼女には注目していたのですが、系統的には聴いてきていないどころか、アルバムすら手元にありません。

discogs を見ると彼女自身の名義のアルバムがこんなにあるのですが、この中から1枚、最初にアルバムを選ぶとどれにするといいのでしょうか。

https://www.discogs.com/ja/artist/250037-Carla-Bley

ご冥福をお祈りいたします。

また、彼女の最初の夫君であるポール・ブレイにも興味があります。

discogs ではこれだけ出てくるのですが、この中から1枚、最初にアルバムを選ぶとどれにするといいのでしょうか。
https://www.discogs.com/ja/artist/253098-Paul-Bley
ちなみに Sonny meets Hawk は繰り返し聴いてきています。

スティーブ・スワローが3度目の結婚相手というのも驚きました。
彼女とは音楽的に引きあうものがあったという視点で、彼の演奏を聴くことになりそうです。

2023年11月時点で、アマプラで Wayne Shorter: Zero Gravity (2023) 『ウェイン・ショーター 無重力の世界』が配信されています。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0CBFR4WYX/ref=atv_dp_btf_el_prime_sd_tv_play_t1ADAAAAAA0wr0?autoplay=1&t=0

数多くのジャズメンが登場し、彼の思い出を語ったり、1950年代あたりからの彼や仲間たちの演奏する姿の記録がいくつも引用されていて、ジャズファンならををっ!と言いながら楽しめるTVシリーズになっています。
もちろんアート・ブレイキーやマイルス・デイヴィスのグループに在籍していたころのフィルムも登場します。

ジャズ史の一端を知る意味でも見ておく価値がありそうです。
(私はまだ3エピソード全てを見たわけではありません)

https://en.wikipedia.org/wiki/Wayne_Shorter#Wayne_Shorter:_Zero_Gravity
(中ほどに短い解説があります)


2015年、プロデューサー兼監督のドーセイアラヴィは、ウェイン・ショーターの生涯を描いたドキュメンタリー『Wayne Shorter: Zero Gravity』の撮影を開始した。ハービー・ハンコック、エスペランサ・スポルディング、テリー・リン・キャリントンを含む多くの著名なミュージシャンが、ドキュメンタリーの資金集めのための寄付者イベントで演奏し、最大の寄付の2つはハーブ・アルパート財団とカルロス・サンタナから寄せられた[15]。 2018年、4時間の予備カットが完成。その後、ブラッド・ピットが自身の製作会社とともにプロジェクトに参加。コビド危機の影響もあり、若干の遅れが生じたが、2023年8月から、ドキュメンタリーは3時間のミニシリーズとしてストリーミング・プラットフォームで視聴できるようになった。





2018年、49歳という若さで亡くなった名トランぺッター、ロイ・ハーグローヴの伝記的映画が公開されます。
Hargrove、2022年作品です。

https://www.imdb.com/title/tt14249296/?ref_=tt_mv_close

Roy Anthony Hargrove (October 16, 1969 – November 2, 2018)
https://en.wikipedia.org/wiki/Roy_Hargrove

HARGROVEドキュメンタリー特集: ジャズ界の伝説的トランペット奏者、ロイ・ハーグローヴが、音楽界の預言者と呼ばれる彼の姿を間近で見ることができる。ロサンゼルス、パリ、ニューヨーク、ヴィエンヌ、ペルージャ、セート、ソレント、マルセイユと、グラミー賞受賞者ロイ・ハーグローヴの人生最後の年のヨーロッパ・ツアーに密着。初監督のエリアーヌ・アンリによる壮大なラブレターである本作には、ロイのインタビューとライブ・パフォーマンスが収録されており、音楽界のアイコン的存在であるエリカ・バドゥ、ハービー・ハンコック、モス・デフ、ロバート・グラスパー、ウィントン・マルサリス、ソニー・ロリンズらが、彼の音楽の魔法、次世代へのロイの影響、そしてジャズ史における彼の位置について考察している。重要な会話は、ロイの個人的なストーリーを超えて反響を呼び、特にアメリカの文脈において、アーティストであることが何を意味するかという領域に踏み込んでいく。




彼が参加したアルバムは、現代の歌姫たち【シリル・エイメー】で取り上げています。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6028752&id=76624079

多くの美しいメロディを創造したボサノヴァの詩人、Carlos Lyra(カルロス・リラ)氏が2023年12月16日の朝リオデジャネイロで逝去されました。
本名Carlos Eduardo Lyra Barbosa、1933年5月生まれですから90歳でした。

生粋のカリオカ(リオ育ち)のリラは常に音楽のシャワーを浴びて育ち、高校時代に後輩のホベルト・メネスカル氏と意気投合してコパカバーナにギター教室を開きました。
ジョビンを追う世代の当時の仲間は、マルコス・ヴァーレ、ナラ・レオン、エドウ・ロボなどのボサノヴァの若手世代たち。

海とギターと高層アパートという上流社会に身を置いた彼らは、まさにボサノヴァ最盛期の渦中に身を置いて新しい音楽の創造に努めました。

1959年には「マリア・ニンゲン」「ロボ・ボぼ」などの名曲を作り、アルバムデビュー。
1960年にヴィニシウス・モライスとのコンビが誕生し、「私の恋人」「あなたと私」「コイザ・マイス・リンダ」「春」などのボサノヴァの名曲が次々と生まれました。

1962年にはニューヨークのカーネギーホールで開催された、歴史的なボサノヴァのコンサートにも参加。
1963年にはミュージカル「哀れな金持ち娘」をモライスと制作し、まさにボサノヴァラインのフロントを疾走しました。

しかし1964年にブラジルが軍事政権下に置かれるとリラの作風もプロテストソング風に変わり、ボサノヴァのブーム終了にともなってリラはアメリカに渡りスタン・ゲッツのグループに参加。
1965年にはスタン・ゲッツと共に来日して、公演を行っています。
以後20年間リラは海外を中心に、ボサノヴァからは距離を取った活動を続けました。

1984年「ボサノヴァの25年」のショーでギターを抱えてブラジルの観衆の前に復帰し、全盛期と変わらぬ若々しさと美しい旋律を披露。
以後も自分の音とスタイルを守り続けて、「ボサノヴァそのもの」の活動を続けました。
日本にも数回、来日。
私もブルーノート東京で彼のステージに接し、ステージ終了後に挨拶をして一緒に記念撮影をしてもらったのですが残念ながらこの写真は光量不足で失敗に終わりました。

尚彼の娘さん、ケイ・リラもボサノヴァ・シンガーとして活躍を続けており数年前の来日時にはしっかりサインをもらいました。

永遠のボサノヴァのメロディメーカー、カルロス・リラ氏のご冥福をお祈りします。

代表曲の一つ、"Primavera"(春)です。


お嬢さんのケイ・リラと共演した、 VOCÊ E EU (あなたと私)です。


彼が命名した事でも知られるグループQuarteto em Cyとの共演で、"Aruanda"です。


カルロス・リラの名前を一躍世界的とした初期のアルバム"The Sound of Ipanema"。
アメリカの若手サックス奏者Paul Winterとの共演ですが、全曲を貼付けます。



>>[490]

>1965年にはスタン・ゲッツと共に来日して、公演を行っています。

についての記事がありました。
http://t-muroi.net/publics/index/45/

これがスタン・ゲッツの初来日になるのかどうか、調べきれませんでした。

私の記憶ではスタン・ゲッツのステージを聴いた大橋巨泉氏が「天上から聞こえてくる音楽」というよいうな評論をしていました。



映画『オスカー・ピーターソン』が公開されます。

劇場公開日:2024年2月2日

https://www.imdb.com/title/tt14171710/?ref_=fn_al_tt_1

https://www.oscarpetersonmovie.com/





映画の中でも大きく取り上げられている "Hymn To Freedom"



私の敬愛する日本のテナーサックス奏者西条孝之介さんが、2023年11月27日に肺炎で亡くなられたとの事です。
1931年12月横浜生まれの、91歳でした。
慶応大学在学中から、モダンな感覚のテナーが認められてプロ入り。
いくつかのグループでの活動を経て、ピアノの故前田憲男氏とともにウエスト・ライナーズを結成。
ウエストコースト的サウンドと西条氏のクールテナーで、一世を風靡して日本のジャズシーンで代表的なコンボとなりました。
西条氏は一時演奏活動から遠ざかりましたが、カムバック後はギターの沢田駿吾氏のグループで活動を行った後に自己のグループを率いて活発な演奏活動を展開しました。
また前田憲男氏が結成した「ウインドブレイカーズ」にもレギュラーメンバーとして参加し、ライブハウスやイベントで長期に活躍されました。
2008年にご自分で人生最後のアルバムと宣言されてスタンダートの名曲を集めたCDアルバム"The Good Life"を制作され、それ以降は事実上引退生活を送られていました。
私も西条さんのプレーを何回もライブハウスやフェスティバルなどで聞かせて頂きましたが、何と言っても忘れられないのはアメリカのテナーチームとしてアル・コーンとズート・シムスが来日した時のことです。
銀座のライブハウスでアル&ズートのプレイを私は最前列で聞いていたのですが、突然西条さんがテナーサックスを抱えて飛び入りされてアル&ズートとセッションをされました。
これは、忘れられない思い出です。
日本のスタン・ゲッツとも称された西条孝之介さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

まずはギターの沢田さんとの共演で、スタン・ゲッツの名演で知られる”Dear Old Stockholm”です。


次は、”Menina Moca”です。


これもウディ・ハーマン時代のスタン・ゲッツの名演で有名な”Early Autumn”です。


曲は、”ON THE ALAMO”です。

2024年1月19日、マリーナ・ショウ (Marlena Shaw) さんが亡くなりました。
84歳でした。

https://en.wikipedia.org/wiki/Marlena_Shaw

私はあまり聞きこんでいない人なので、Wikipedia の記事をご覧ください。

マレーナ・ショウ(Marlina Burgess、1939年9月22日 - 2024年1月19日)は、アメリカのジャズ、ブルース、ソウル、ディスコ・シンガー。1960年代に歌手としてのキャリアをスタートさせ、亡くなるまで活動を続けた。彼女の音楽はしばしばヒップホップ・ミュージックにサンプリングされ、テレビのコマーシャルにも使われた。2024年1月19日、84歳で死去。

彼女のキャリアが飛躍的に伸びたのは、1966年にシカゴのプレイボーイ・クラブ・チェーンでギグを獲得したときだった。このギグを通じて、彼女は音楽レーベル、チェス・レコードの代表者と出会い、すぐに彼らと契約した。傘下のカデット・レコードから最初の2枚のアルバムをリリース。1969年のアルバム収録曲「California Soul」は、アシュフォード&シンプソンが書いたファンク・ソウル曲で、もともとはアメリカのポップ・クインテット、5th Dimensionがシングルとして出したものだが、後にイギリスのレア・グルーヴ・シーンの定番となった。

1977年、彼女はコロムビアからLP『Sweet Beginnings』をリリース: 「Yu Ma / Go Away Little Boy "は、ナンシー・ウィルソンがレコーディングしたゴフィンとキャロル・キングの古いスタンダード曲を含むメドレーである。このアルバムには、イギリスのレア・グルーヴ・シーンの人気曲「Look at Me, Look at You」も収録されている。1977年の映画『Looking for Mr.Goodbar』の主題歌「Don't Ask to Stay Until Tomorrow」は、サウンドトラックにも収録されている。また、ディスコ時代の大ヒット曲のひとつ、「Touch Me in the Morning」のリメイクをコロンビア・レコードからリリースしている。

1982年、マーレナはジョニー・ブリストルとウェブスター・ルイスがサウスベイ・レコードから共同プロデュースしたLP『Let Me in Your Life』から、ゲイリー・テイラーのバラード「Without You in My Life」をレコーディング。この曲はアメリカで中程度のチャート成功を収めた。1983年、彼女はフィル・アップチャーチのアルバム『Name of the Game』に収録された "Could It Be You "のヴォーカルを担当。


サミー・ディヴィス・ショウに出演した時の録画のようです。
彼女の1975年のアルバム Who Is This Bitch, Anyway? が出てきますので、1975年あたりか?



2013年の来日時のライブ動画



彼女のヒットアルバムから "California Soul"




産経ニュースに綾戸智絵さんの記事が出ていました。


「私の歌はお客さんのもの」教えられた手紙 ジャズシンガー・綾戸智絵さん(1)
https://www.sankei.com/article/20240320-TDCHFODCVNCZVD72WBEUC3O5Q4/

ライブハウスでお客さんに土下座 ジャズシンガー・綾戸智絵さん(2)
https://www.sankei.com/article/20240320-EXQETMPZBBAFNGME3KIAPKDPCI/

「がんだから売れた」ジャズ仲間から陰口や嫉妬  ジャズシンガー・綾戸智絵さん(3)
https://www.sankei.com/article/20240320-5S5GYCYXW5AKLEE6FLNXFYT5YE/

「今日やったことが、明日の夢を作る」 ジャズシンガー・綾戸智絵さん(4完)
https://www.sankei.com/article/20240320-JS3MMQOGNBCNPDYWLYH7XWICSU/


X(twitter) のこのアカウントをウォッチすると、結構すごいミュージシャンたちを招聘していることがわかるなぁ…

そこから気になるミュージシャンの来日情報を探し出すと、全国各地でのライブの機会も検索できそう。

ブルーノート東京
@BlueNoteTokyo

コマーシャルと創造性を両立させた真のプロ、アルト・サックスの巨星David Sanborn(デビッド・サンボーン)さんが5月12日に前立腺癌の合併症で逝去されました。
78歳、でした。
ロック、ポップ、R&Bなどの音楽をジャズのフィーリングで染めていわゆるフュージョンミュージックの第一人者として活躍し多くの著名なアーティストと共演したりスタジオミュージシャンとして広範囲の音楽のバックを務めたり、とても彼の音楽分野を絞る事はできませんが私的にはジャズの世界から彼の偉業を忍ばせて頂きます。

David William Sanbornは1945年7月30日に、アメリカのフロリダ州タンパで生まれ幼い頃に家族と共にセントルイスに移りました。
小児マイを発症しその治療として肺の強化の為にドクターに勧められて、アルト・サックスを吹き始めました。
ノース・ウエスタン大学とアイオワ大学で正式に音楽を学び、1967~71年にはポール・バタフィールドのブルースバンドで活躍しました。

その後ニューヨークに活動の場を移し、スティービー・ワンダー、ポール・サイモン、デビッド・ボーイ、ジェームス・テイラー等のバックを務めました。

1974年に、ギル・エヴァンスのオーケストラに参加。
セクションプレーヤーと個性が必要なソリストの両面が要求されるこのオーケストラへの参加が、まさにサンボーンの資質を全面的に展開させるのにうってつけのシーンとなりました。

1975年にワーナーレコードと契約し、初リーダーアルバム”Taking Off"を発表。
以後20枚以上のリーダーアルバムを制作し、グラミー賞も6回受賞しています。
更に音楽のジャンルを超えて広い分野で多くのアーティストと共演し、また日本のミュージシャンとの共演も目立ち数多く来日も果たしました。

代表的なコラボレーション楽曲はデヴィッド・ボウイ「Young Americans」、ブルース・スプリングスティーン「Tenth Avenue Freeze-Out」、イーグルス「The Sad Cafe」、スティーリー・ダン「Time Out of Mind」、スティーヴィー・ワンダー「Tuesday Heartbreak」、ジェイムス・テイラー「How Sweet It Is (To Be Loved by You)」、J.D.サウザー「You're Only Lonely」、ケニー・ロギンス「Heart to Heart」など。
またローリング・ストーンズの『Undercover』、ポール・サイモンの『Still Crazy After All These Years』、トッド・ラングレンの『A Wizard, a True Star』、エルトン・ジョンの『Blue Moves』、リンダ・ロンシュタットの『Living in the USA』、ロジャー・ウォーターズの『The Pros and Cons of Hitch Hiking』、TOTOの『Fahrenheit』、エリック・クラプトンの『Journeyman』、ビリー・ジョエルの『An Innocent Man』などにも参加しています。

2018年に癌を発症したサンボーンは癌と戦いながらもつい最近まで音楽スケジュールをこなし、2025年までコンサートがブッキングされていました。

一聴すればそれとわかる個性的なサウンドで多方面で引っ張りだことなり、わずかなソロスペースやオブリガードだけでも己を主張する技量で世界を魅了した偉大なサックス奏者のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

まずジャズ界の巨匠、フィル・ウッズとの共演記録です。


ヒットしたBob James との双頭アルバムから、MAPUTOです。


代表曲の一つ、 Chicago Songです。


2022年のステージから、"Georgia On My Mind"です。

>>[497]

詳細な経歴の説明、ありがとうございます。
彼はフュージョンで活躍した、主流派バップスタイルとは少し違う演奏スタイルの人、程度にしか認識していませんでした。

>1974年に、ギル・エヴァンスのオーケストラに参加。

ひょっとすると、ギル・エヴァンス・オーケストラの来日コンサートに参加していたのかな、調べていません。

私の知人でアマチュア・サックス奏者がサックスを3本持っていたので、デビッド・サンボーン(3本)というニックネームを付けていました(笑)
彼はデビッド・サンボーンが好きだということだったのですが、この人は楽譜を読めないので、耳で曲を理解しているんだろうとも言われていました。

2024年5月25日、作曲家のリチャード・シャーマンさんが亡くなりました。
95歳でした。

https://www.npr.org/2024/05/25/1119947006/richard-sherman-dead-disney-composer

https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_M._Sherman

リチャード・シャーマンさんは、兄のロバート・B・シャーマン(2012年没)と共に、ディズニー映画のミュージカルを数多く手掛けてきました。

彼ら兄弟が手掛けた主な映画音楽、ミュージカル作品には次のものがあります。


Cinderella (1950)『シンデレラ』
The Parent Trap (1961) 『罠にかかったパパとママ』
Big Red (1962) 『ビッグ・レッド』
In Search of the Castaways (1962) 『難破船』
Summer Magic (1963) 『夏の魔術』
The Sword in the Stone (1963) 『王様の剣』
Mary Poppins (1964) 『メリー・ポピンズ』
Follow Me, Boys! (1966) 『歌声は青空高く』
The Happiest Millionaire (1967) 『最高にしあわせ』
The Jungle Book (1967) 『ジャングル・ブック』
The One and Only, Genuine, Original Family Band (1968) 『ファミリー・バンド』
Chitty Chitty Bang Bang (1968) 『チキ・チキ・バン・バン』
The Aristocats (1970) 『おしゃれキャット』
Bedknobs and Broomsticks (1971) 『ベッドかざりとほうき』
Snoopy, Come Home (1972) 『スヌーピーの大冒険』
Charlotte's Web (1973) 『シャーロットのおくりもの』
The Adventures of Huckleberry Finn (1974) 『ハックルベリーの冒険』
The Slipper and the Rose (1976) 『シンデレラ』
The Many Adventures of Winnie the Pooh (1977) 『くまのプーさん 完全保存版』
The Magic of Lassie (1978) 『ラッシー』
Magic Journeys (1982)
Winnie the Pooh and a Day for Eeyore (1983) 『プーさんとイーヨーのいち日』
Little Nemo: Adventures in Slumberland (1992) 『NEMO/ニモ』
Winnie the Pooh: Seasons of Giving (1999) 『くまのプーさん/冬の贈りもの』
The Tigger Movie (2000) 『ティガー・ムービー プーさんの贈りもの』
Iron Man 2 (2010)  『アイアンマン2』
(Composed the song "Make Way For Tomorrow Today". Instrumental versions were later featured in Captain America: The First Avenger and Avengers: Endgame)
The Jungle Book (2016) 『ジャングル・ブック』
Christopher Robin (2018) 『プーと大人になった僕』


彼が書いた曲で最もよく知られている曲 "it's a small world"




ご冥福をお祈りいたします。

ジャズサックスプレーヤーと言うよりも、編曲者でジャズオーケストレーションの巨匠ビル・ホルマン(Bill Holman)氏が5月6日にロサンゼルスで老衰の為に亡くなりました。
1927年生まれの、96歳でした。

1927年5月21日にカリフォルニア州オリーブに生まれ、サンタアナで育ちました。
正式名は、ウイリアム・レナード・ホルマン。
中学校でクラリネットを始め、高校でテナーサックスに転向しデューク・エリントンやカウント・ベーシーの影響を受けてバンドを結成しました。

徴兵で海軍に所属し、除隊後は1948年にUCLAで機械工学を専攻しました。
その後音楽へに専念を決めて、ウエストレイク音楽大学に入学し音楽理論を学ぶ。
またこの間ラス・ガルシアに師事して対位法を会得しました。

1951年にチャーリー・バーネットのオーケストラにサックス奏者として参加。
1952年2月にスタン・ケントンオーケストラのオーディションを受けて、サックス奏者として参加。
その後彼はケントンオーケストラに、曲を提供。
サル・サルバドールとメイナード・ファーガソンをフィーチャーした「ギターとトランペットの為のインヴェンション」の演奏がケントンオーケストラによって録音され、彼の名を高めました。

やがて彼はケントンオーケストラの主要な編曲者の1人となり、対位法と不協和音を統合してスイングさせる独特の才能はケントンオーケストラに不可欠な存在となりました。
その後アレンジャーとしてのケントンオーケストラとの関係は、実に30年近く続きました。

50年代にはハリウッドでショーティー・ロジャースやメル・ルイスとの仕事が目立ちました。
かのアンドレ・プレビン氏が「彼は第一級のサックス吹きだが、彼の真の楽器はオーケストラだ」との言葉を残しています。

60年代にはジェリー・マリガンやテリー・ギブスなどと多くの共演を残し、70年代にはズート・シムスとも共演しています。

この時代も常に自己のリハーサル・オーケストラを率い何枚かの名作アルバムも残しており、1975年と1997年にはグラミー賞も受賞しています。
また彼のバンドはジャッキー・アンド・ロイ、マーク・マーフィー、デビッド・アレン、そしてアニタ・オディなどシンガーのバックも務めています。
数々の偉業をなしとげた偉大なジャズオーケストラリーダーのご冥福を、お祈り致します。

まずSpeak Lowから。


Just Friendです。


Three Little Wardです。


最後に、彼の短いインタビューです。

>>[500]

Wikipedia の記事を補足しておきます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bill_Holman_(musician)

このアルバムは一聴の価値があるかと…

The Bill Holman Band – Brilliant Corners - The Music Of Thelonious Monk

https://www.discogs.com/ja/master/829393-The-Bill-Holman-Band-Brilliant-Corners-The-Music-Of-Thelonious-Monk



セロニアス・モンクの曲がなんとなくウエストコースト風に聞こえるところが楽しい。


ご冥福をお祈りいたします。

2024年8月23日、ラッセル・マローン (Russell Malone) さんが死去されました。
60歳でした。

彼はちょうど来日中で、「ブルーノート東京」に22日までライブに出演していた翌日、心臓発作で亡くなられました。

Russell Lamar Malone (November 8, 1963 – August 23, 2024)
https://en.wikipedia.org/wiki/Russell_Malone

2020年に来日した時のライブ動画です。



とはいえ、私はこの人を聴きこんでいないので、これ以上のことは語れません。

どなたかお詳しい方、彼のファンの方がいらっしゃいましたら補足いただけませんでしょうか。



ブラジルが生んだ偉大なミュージシャンの1人であるセルジオ・メンデス(Sergio Mendes)さんが、
9月5日アメリカのロサンゼルスでコロナウイルスの後遺症で亡くなりました。
1942年にリオデジャネイロ近郊のニテロイ生まれの、83歳でした。

子供の頃から音楽に親しみピアノを学んだセルジオさんは、1950年代にアメリカのモダンジャズに魅せられジャズバンドを作りリオのクラブなどで演奏を始めました。

1961年に、ブラジリアン・ジャズ・セクステットに参加。
翌1962年に自らボサ・リオ・セクステットを編成し、アメリカのカーネギーホールで行われた歴史的なボサノヴァコンサートに弱冠21歳で出演を果たしました。

1965年に新たなメンバーでボサ・リオを編成し直して、このメンバーで渡米。
ロサンジェルスを拠点にセルジオ・メンデストリオとして本格的な演奏活動を開始し、ブラジリアンシンガーのヴァンダ・サーとも度々共演。

1966年にA&Mレコードと専属契約を結び、新たなグループ”ブラジル66”を結成。
最初のアルバムに収められた”マシュ・ケ・ナダ”が世界的にヒットし、セルジオさんもボサノヴァのメッセンジャーとして世界的に名を広めました。
当時セルジオさんの音楽はビートルズやローリングストーンズなどと共にポップスのヒットチャートを賑わせボサノヴァを、世界中にアピールしました。

1970年代、80年代は自信のグループ名は”ブラジル77””ブラジル88”と名乗っていたもののセルジオさんの音楽のブラジル色はだんだん薄れ、よりポップ色を強めて行きました。
1984年にロサンゼルスオリンピックの為に作られた”オリンピア”はこの時代を代表する曲の一つで、日本ではプロレスのテーマ曲としても親しまれました。

1990年代に入りセルジオさんは一年以上の歳月を掛けてリオでいくつかのタイプの最新ブラジル音楽を録音し、それをロスに持ち帰って仕上げたアルバムが、1992年にエレクトラレコードから発表された”ブラジレイロ”です。
このアルバㇺは世界中で大ヒットとなり、その年のグラミーのワールドミュージック部門賞を獲得して、セルジオさんは再度世界の音楽シーンの第一線に復帰しました。

晩年にはスティービー・ワンダーら別のジャンルのスター達ともコラボして、安定した作品を提供し続けました。

生前は、何回も来日を果たしたセルジオさん。
実はセルジオ・メンデスさん自身の作曲によるヒット曲というのはほとんど無いのですが、彼は良い曲を見つけるのに長けておりそれを売れる形にアレンジする天才でした。
偉大なブラジリアンの、ご冥福をお祈り致します。

ますは、何と言ってもMas que nada(マシュ・ケ・ナダ)から聞きましょう。


これも当時、大ひっとしたビートルズの曲The Fool On The Hill


1984年ロスオリンピックのテーマ曲、Olympia


1992年のヒットアルバム「ブラジレイロ」から、Lua Soberana

ブラジル66からブラジル88までがあったのですね。
このコーラス隊は美人揃いだったのですが、中でもとびきりの美人は誰だったでしょうか。

YTの動画を追いかけて、じっくりと見直してみたくなりました。

ご冥福をお祈り申し上げます。


アルバムはこんなにたくさんあります。
https://www.discogs.com/ja/artist/27986-S%C3%A9rgio-Mendes

日本を代表するジャズドラマーの1人であった猪俣猛(いのまたたけし)さんが、10月4日午後に埼玉県の病院で老衰の為逝去されました。
1936年兵庫県宝塚市の生まれですので、88歳でした。

宝塚歌劇団のオーボエ奏者を父に持ち幼い頃から音楽環境にめぐまれた彼は高校卒業後にプロのドラマーとして上京し、渡辺明とヱンバース・ファイブに加入しその才能を高く評価されました。

その後渡辺晋とシックス・ジョーズ、上田剛ニュー・サウンドなどで活躍した後、先に亡くなったテナーサックスの西条孝之介が率いるウエスト・ライナーズに参加。
更に西条からウエスト・ライナーズのバンドリーダーを引きついて、一躍名をあげました。

ウエスト・ライナーズを解散した後彼は渡米し、アラン・ドーソンなど本場のジャズドラマーに師事。
帰国後に、サウンド・リミテッドを結成しました。

またジャズピアニストの前田憲男とコンビを組んでバンド・ザ・サードを結成し、ビッグ・バンド界でも話題となりました。
続いて無名の新人達を起用して、ザ・フォースを結成。
新人発掘の名人とも言われるように、なりました。

1976年に、RCC(リズム・クリニック・センター)を創立。
若手に教育に力を入れて、多くのミュージシャンを世に送り出して来ました。
また彼は石原裕次郎さんが主演した「嵐を呼ぶ男」の音楽を担当し、ドラムの指導も行いました。

独自のハードでしかも繊細な奏法を創造し、モダンドラマーの第一人者と称された猪俣さんのご冥福をお祈り致します。

まずは、猪俣さんの繊細なブラッシングを聞きましょう。


次は、ハイハットを中心としたソロプレーです。


ドラム・ソロです。

日本を代表するジャズドラマーの1人であった猪俣猛(いのまたたけし)さんが、10月4日午後に埼玉県の病院で老衰の為逝去されました。
1936年兵庫県宝塚市の生まれですので、88歳でした。

宝塚歌劇団のオーボエ奏者を父に持ち幼い頃から音楽環境にめぐまれた彼は高校卒業後にプロのドラマーとして上京し、渡辺明とヱンバース・ファイブに加入しその才能を高く評価されました。

その後渡辺晋とシックス・ジョーズ、上田剛ニュー・サウンドなどで活躍した後、先に亡くなったテナーサックスの西条孝之介が率いるウエスト・ライナーズに参加。
更に西条からウエスト・ライナーズのバンドリーダーを引きついて、一躍名をあげました。

ウエスト・ライナーズを解散した後彼は渡米し、アラン・ドーソンなど本場のジャズドラマーに師事。
帰国後に、サウンド・リミテッドを結成しました。

またジャズピアニストの前田憲男とコンビを組んでバンド・ザ・サードを結成し、ビッグ・バンド界でも話題となりました。
続いて無名の新人達を起用して、ザ・フォースを結成。
新人発掘の名人とも言われるように、なりました。

1976年に、RCC(リズム・クリニック・センター)を創立。
若手に教育に力を入れて、多くのミュージシャンを世に送り出して来ました。
また彼は石原裕次郎さんが主演した「嵐を呼ぶ男」の音楽を担当し、ドラムの指導も行いました。

独自のハードでしかも繊細な奏法を創造し、モダンドラマーの第一人者と称された猪俣さんのご冥福をお祈り致します。

まずは、猪俣さんの繊細なブラッシングを聞きましょう。


次は、ハイハットを中心としたソロプレーです。


ドラム・ソロです。

テナーサックス奏者であり作曲家・編曲家としても偉大な足跡を残したベニー・ゴルソン(Benny Golson)氏が、去る9月21日にニューヨークのマンハッタンの自宅で亡くなりました。
1929年1月25日の生まれですから、95歳でした。

ペンシルバニア州フィラデルフィアで生まれた彼は9歳でクラシックピアノを始めましたが、13歳の時にジャズを体験して14歳でジャズサックスに転向しました。
そしてハイスクール時代に、ジョン・コルトレーンやレッド・ガーランドなど未来のスター達と共演。
そしてワシントンのハワード大学に、進学しました。

大学を卒業後彼はR&Bバンドに参加しましたが、ここでピアノを担当していたダッド・ダメロンと知り合い作曲家としての影響を受け1953年にダメロンのバンドに参加。
同時期にライオネル・ハンプトン、ジョニー・ホッジス、アール・ボスティックのバンドに参加し、ディジー・ガレスピーのビッグバンドに参加しました。

これ等の経歴でビッグ・バンドスタイルの作・編曲のスタイルを身に付け、ガレスピーバンドでは編曲も担当しました。
この時期に「ステーブルメイツ」や「ウイスパー・ノット」などの名曲を、作曲しました。

またハンプトンのバンドで天才トランぺッターのクリフォード・ブラウンと交友を深めましたが、ブラウンが1956年に25歳で交通事故死すると翌年に彼の追悼曲「クリフォードの思い出」(I emember Clifford)を作曲しました。

1957年に彼の初リーダーアルバム「ニューヨーク・シーン」をコンテンポラリーレコードから発表。
1958年〜59年にアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズにテナー奏者兼音楽監督として参加して同グループの黄金時代に貢献し、その名を不動のものとしました。

1959年〜62年にはトランペットのアート・ファーマーやトロンボーンのカーティス・フラーと、ジャズテット結成し、3管のハーモニーで人気をはくしました。
このグループで「キラー・ジョー」をヒットさせ、カーティス・フラーの為に彼は「ファイブ・スポット・アフター・ダーク」を提供しました。

1960年代後半から70年代半ばまでは作編曲に専念して、テレビや映画関係の仕事を手掛け、「スパイ大作戦」や「バートリッジ・ファミリー」の音楽も担当しました。

1970年代の後半からジャズの仕事を再開し、1983年にはアート・ファーマーとジャズテットも再編成。
90年代にも次々と、リーダー作を発表しました。
また90年代の後半からは、ヴォーカルの山岡未樹と4作品で共演。
2004年公開の映画「ターミナル」では、本人役で出演していました。

生涯を通じてその才能を開花させ成長し続けた偉大な音楽家のご冥福を、お祈り致します。

まず彼の一大ヒットチューン”Whisper Not ”です。


そして、” killer joe”です。


若くして散ったクリフォード・ブラウンに捧げた曲"I Remember Clifford"です。


ジャズ・メッセンジャーズ時代から、"Are You Real?"


ジャズテット時代からは、”It's All Right With Me”


そして山岡未樹との共演から、「ニューヨークの秋」です。

>>[507]

95歳でしたかっ!

ジャズが耳に入りだした少年の頃、背筋に冷感が走るような曲、演奏を聴いてまさにしびれてしまいました。

その後ジャズを聴きこむにつれて、彼が書いた曲をいくつも耳にし、その曲の素晴らしさに打たれたものです。

彼の演奏スタイルは独特のものだったのですが、ソニー・ロリンズのようには他のテナー奏者に影響を与えるというものではなかったのですが、彼が演奏するフレーズを少し聞くだけでベニー・ゴルソンだっ!とわかる独特のスタイルを持っていました。

トム・ハンクス主演の映画に The Terminal (2004) があります。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Terminal

https://www.imdb.com/title/tt0362227/?ref_=fn_al_tt_1

この映画の中では、主演のトム・ハンクスが亡父が集めていたジャズメンのカードの中で、ベニー・ゴルソンのものだけがサインが欠けていたので、故国クラコウジア(架空の国)から米国へ、ベニー・ゴルソンのカードに彼のサインを得るために行くものの故国のクーデターが原因で米国の空港で足止めを食らい入国できなくなるというドタバタを描いた喜劇なのですが、最後にベニーに会うことはできるのだろうかと、ハラハラさせてくれる内容でした。
(結末は映画をご覧ください)







他にもベニー・ゴルソンが出演した映画としては

Chasing Trane: The John Coltrane Documentary (2016)
https://www.imdb.com/title/tt4283892/?ref_=fn_al_tt_1

A Great Day in Harlem (1994)
https://www.imdb.com/title/tt0109934/?ref_=fn_al_tt_1

があります。


ベニー・ゴルソンのディスコグラフィーです。
https://www.discogs.com/ja/artist/185752-Benny-Golson

彼がワンホーンでゴリゴリと吹きまくる名盤
Benny Golson Quartet – Free (1963)
https://www.discogs.com/ja/master/716847-Benny-Golson-Quartet-Free
から
"Sock Cha Cha"
メンバーもすごい人選です。




ご冥福をお祈り申し上げます。

>>[507]

五つ目の動画、

Art Farmer, Benny Golson, The Jazztet – Meet The Jazztet (1960)
https://www.discogs.com/ja/master/120765-Art-Farmer-Benny-GolsonJazztet-Meet-The-Jazztet

は、マッコイ・タイナーの初レコーディングとしても知られているのですね
彼はその後ジョン・コルトレーンのグループに入り、めざましい活躍を遂げたことは、皆さんご存じのとおりです。

マッコイ・タイナーのファンなら一度は聴いておくべきアルバムかもしれませんね。




アメリカポピュラー音楽界の大御所、クインシー・ジョーンズ(Quincy Delight. Jr. Jones)さんが11月3日に91歳でロサンゼルスベルエアの自宅で逝去されました。

ジャズミュージシャンからスタートし作曲・編曲家そしてプロデューサーとして、広くポピュラー音楽界で活躍を続けて来られました。

1933年3月14日シカゴに生まれ、10歳の時にシアトルに移住しました。
ここで若き日のレイ・チャールズと知り合い、この時すでにレイはクインシーのアレンジに注目していました。

14歳の時からトランペットを始め、50年にクラーク・テリーからジャズトランペットの奏法を学びました。
51年から53年にかけてライオネル・ハンプトンのバンドに参加して、アレンジャーとしての才能を伸ばしました。

56年にはディジー・ガレスピーのオーケストラで、ミュージカル・ディレクターを担当。
57年からは1年間をかけて、フランスとスカンジナビアに滞在して音楽理論などを学ぶ。

59年にはハロルド・アーレンのオペラの為に自己のバンドを編成し、ヨーロッパや全米で2年間公演を行いました。
この間にカウント・ベーシーのアルバムの作編曲を担当し、サラ・ヴォーン、ダイナ・ワシントン、ビリー・エクスタインの録音のバッキングオーケストラのアレンジと指揮を担当。
ベギー・リーやフランク・シナトラ達にも、スコアを提供しました。

1964年には、マーキュリーレコードニューヨーク支社の副社長兼プロデューサーに就任。
自己のアルバムを多く手掛け、他にも多くのポップセッションのアレンジも担当した結果ヒット・チャートの常連となりました。

また映画音楽のスコアも数多く手掛け、「質屋」「夜の大捜査線」「ジョン・アンド・メリー」などを担当。
テレビの世界でも「アイアンサイド」や「ザ・ビル・コスビー・ショー」「ルーツ」などに音楽を提供しました。

60年代末に、A&Mレコードと契約。
「ウオーキング・スペース」「グラ・マタリ」「スマック・ウオーター・ジャック」等のヒットアルバムを制作しました。

71年には長年の友人であるレイ・チャールズとアメリカの黒人の苦悩の歴史を描いた歴史的作品である「ブラック・レクイエム」を制作。
しかし74年に「ボディ・ビート」がヒットした後脳に動脈瘤が発見され、手術を受けて休業。
76年にブラザー・ジョンソンを売り出して、業界にカムバックを果たしました。

79年にはマイケル・ジャクソンのヒット作「オフ・ザ・ウオール」のプロデュースとアレンジを担当。
81年には自己のアルバム、「愛のコリーダ」がポップチャートを賑わせました。
82年にマイケル・ジャクソンの「スリラー」のアルバムとビデオを大ヒットさせ、史上最も売れたアルバムとしてギネスに登録されています。
また1994年には、アカデミーのジーン・ハーショルト賞を受賞しています。

私生活においては、人生で5回結婚。
お相手は常に美人の白人女優さん達で、知る限り6人のお子様を残しています。

アメリカのポピュラー音楽史に大きな足跡を残した、偉大なミュージシャンのご冥福をお祈り致します。

1960年の自己のバンドで"Moanin' "、クインシーのトランペットの師匠クラーク・テリーがソロを取っています。


初期のヒットから、”Soul Bossa Nova ”です。


大ヒットした、「愛のコリーダ」です。


そしてMichael Jackson の Thrillerは、外せませんね。

>>[510]

映画 Ray の中で、レイ・チャールズとクインシー・ジョーンズが出会う場面が描かれていましたね。
やはりこれは歴史的出来事だったようですね。

https://en.wikipedia.org/wiki/Ray_(film)

https://www.imdb.com/title/tt0350258/?ref_=fn_al_tt_3







ご冥福をお祈りいたします

>>[510]

2つ目の動画は、映画「オースティン・パワーズ」シリーズの中のどれかのシーンで、振り付けは、これまた有名なボブ・フォッシーだったような、薄らぼんやりとした記憶があるのですが、違いましたでしょうか。

>>[510]

>71年には長年の友人であるレイ・チャールズとアメリカの黒人の苦悩の歴史を描いた歴史的作品である「ブラック・レクイエム」を制作。

とありますが IMDb 他を調べてもデータが出てきません。
もう少し詳しい情報はありませんでしょうか。

>>[513]管理人様

手元の資料を、そのまま転記します。

71年に永年の友人であるレイ・チャールズと「ブラック・レクイエム」を制作。
奴隷時代から現在至るまでの米国における黒人の苦悩の歴史をドキュメントしたものでレイ・チャールズとヒューストン交響楽団に80人のコーラスを配した歴史的作品だった。

とあります。
色気の有るトーンと緊張感あふれるアドリブプレーでならしたアルト・サックスプレーヤーのルー・ドナルドソン(Lou Donaldson)さんが、11月9日に逝去されたとご家族から発表がありました。
1926年11月1日ノースカロライナ州バディン生まれの、98歳でした。

グリーンスポロのカレッジに学び、海軍で軍楽隊に入りこの期間にジャズとのかかわりを深めました。
除隊後地元で友人達と、グループを結成して音楽活動を開始。

50年代初めにニューヨークに移り、パーカー派のバッパーとして多くの有名ミュージシャン達と共演。
ドラムスのアート・ブレイキーともしばしば共演し、54年録音の有名な「バードランドの夜」にも参加しています。

50年代後半からは長年にわたりパートナーとなるピアニストハーマン・フォスターを含む自己のコンボを結成し、ブルーノートに「ブルース・ウオーク」などの録音を残しました。

60年代以降にはオルガンをバックにしたソウル・ジャズ・バンドを結成し、67年の「アリゲーター・ブーガルー」などのヒットを飛ばしました。

70年代後半からは再度ストレート・アヘッドな演奏フォームに戻り、旧友ハーマン・フォスターを加えたグループやフリーランスのソロイストとして活躍を続けました。

また彼は度々来日しており、80年にはレッド・ガーランドと来日。
50年代を彷彿させる演奏スタイルを披露し、録音も残しています。

2012年にノースカロライナ音楽の殿堂入りを果たし、2013年にはNEAジャズマスターズを受賞しています。

2016年に90歳で、現役引退を発表。
その後は余生を、平和に暮らしていました。

ブリリアントでセクシーなアルトを聞かせた巨匠のご冥福を、お祈り致します。

まずは、初期の名作「ブルース・ウオーク」から


オルガンをバックに加えた時代のヒット曲、「アリゲーター・ブガルー」です。


オルガンに敦賀明子を加えたライブから、「チェロキー」です。


1994年のライブから、「バイバイ・ブラックバード」です。

>>[515]


Lou Donaldson discography があります。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lou_Donaldson_discography

彼のアルバムは非常に多くあり、私自身はそれらを系統的にたくさん聴いてきたわけではありませんが、スタンダード曲、特にバラードを演奏した時の美しさに感動した録音があります。

Jimmy Smith – House Party (1958)
https://www.discogs.com/ja/master/33113-Jimmy-Smith-House-Party

"Lover Man"



同じパーカースクールのソニー・スティットにもこの曲の録音があるのですが、聴き比べてみるのも楽しいものです。

ルー・ドナルドソンは時々ダブルタンギングを使うので違いが判ります。

ご冥福をお祈り申し上げます。

追記

かなり以前のことなのですが、ルー・ドナルドソンのキャリアを詳しく解説したサイトを見た記憶があるのですが、今探してみると探しきれませんでした。

そういう意味でも、このトピックは他界された演奏家を中心にして、キャリアを解説してあり、さらにその積み上げができてきているという所に価値が出てきているように思います。

いまこんなことを考えています。

あなたの寿命とブログの寿命
https://ameblo.jp/amyleo/entry-12871204201.html

70年以上に渡りジャズシーンを駆け抜けたドラマーのロイ・ヘインズ(Roy Haynes)さんが、11月12日にニューヨーク州で逝去されました。
バド・パウエルより2才年下の1926年3月13日、マサチューセッツ州ロックスベリー生まれの98歳でした。

1945年から47年に、ボストンをベースにルイス・ラッセルとプレイ。
47年から、レスターヤングのバンドに参加しました。

49年にベースをニューヨークに移して、トロンボーンのカイ・ウインディングとギグし初レコーディング。
バド・パウエルとも共演し、49年から50年にはチャーリー・パーカーのバンドに参加しました。
53年から58年には、サラ・ヴォーンの歌伴を担当。

その後フリーランスとなって、マイルス・デーヴィス、セロニアス・モンクなどと共演。
60年代にはジョン・コルトレーン、エリック・ドルフィーなど進歩派を含めたミュージシャン達とも共演しました。

また60年から65年には、自己のグループを率いて活動。
65年から67年には、スタン・ゲッツのグループに参加。
68年には、ゲイリー・バートンとも共演し、またチック・コリアの名盤「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」にも参加しています。

72年には、ジョージ・アダムスのグループで演奏。
また自己のヒップ・アンサンブルでも活動を続けながら、スタンリー・カウヒルなど多くのミュージシャンとの記録を残しています。
1982年には、チック・コリアとワールドツアーを行いました。

90代まで現役でプレーを続けた彼は、多数の来日経験もあります。

ビバップからスタートして、時代に遅れをとらないドラマーとしてフリーやロックまで第一線に立ち続けた進歩派のドラマーのご冥福をお祈り致します。

代表作の一枚”We Three"から、”Sugar Ray”
ロイのドラムスに、ピアノPhineas Newborn 、ベース Paul Chambersのメンバーです。


1966年、スタン・ゲッツのグループ参加時のセッションから"Scrapple From The Apple"


チック・コリアのグループにおける、プレーです。


2015年90歳のお誕生日を記念する、「ブルーノート東京」のギグです。

>>[517]

ロイ・ヘインズのディスコグラフィーがあります。
https://en.wikipedia.org/wiki/Roy_Haynes

こんなにたくさんのレコーディング・セッションに参加していたのですね。


手元にLPがあって、何度も何度も聴いたアルバム
Roy Haynes Quartet – Out Of The Afternoon (1962)
https://www.discogs.com/ja/master/266318-Roy-Haynes-Quartet-Out-Of-The-Afternoon
上記のディスコグラフィーを確認するまで、ローランド・カークのリーダー・アルバムと思っていました(汗)



4トラック目の "Snap Crackle" の冒頭で「ロイ・ヘインズ!」と叫んでいるのはトミー・フラナガンです。

このアルバムではローランド・カークの超絶タンギングは出てきたかなぁ…

ご冥福をお祈り申し上げます。

>>[515]

敦賀明子のN.Y.漫遊記

「さようならルーさん、また会う日まで」

が投稿されました。


https://ameblo.jp/tsurulin/entry-12875685039.html


ジャズ・フォットグラファーとして内外の有名ミュージシャン達の写真を撮りつづけ、東京新宿のジャズ喫茶「DIG」と「DUG]のオーナーとしても著名な中平穂積(なかだいら ほずみ)氏が、12月1日に東京のご自宅で他界されました。
1936年生まれの、88歳でした。

和歌山県に生まれた中平氏は、1960年に日本大学芸術学部写真学科を卒業されました。
61年に初来日を果たしたドラマーのアート・ブレイキーの公演写真を撮影して、プロへの道を進みました。
また同年新宿に、ジャズ喫茶「DIG」を開業。
1962年には、ホレス・シルヴァーの来日写真も撮影。
67年には、ジャズバー「DUG]を開業しました。

また写真家として1963年 新宿コニカプラザで「ジャズの巨人たち」写真展を開催し、大きな反響を得ました。

1965年より、ジャズカレンダーを制作。
1966年にはマイルスやコルトレーンを撮影する為に、初渡米。

以後アメリカやヨーロッパにも、ジャズのアーティスト達を追って多く渡航。
写真集も数々出版して、日本のみならず海外でも高い評価を受けて来ました。

2013年、和歌山県文化功労賞受賞。

日本のジャズ文化を支えて来られた中平さんの、ご冥福をお祈り致します。
>>[520]

中平穂積さんというのはそういう人だったのですね。

「DIG」も「DUG] も、何度か訪ったことがありますが、オープン時期にはこれだけの年月の差があったのですね。
知りませんでした。

写真家として身を立てるには、ジャズのアーティスト達の写真だけではなかなかできそうにないようにも思えるのですが、これだけの年月にわたって活動を続けてきたというのも大変なことだと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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