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  Vere 『 真理 』コミュの ” 如実知自心 ”

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 あるがままに自らの心を知ること

人は、ともすると弱者を思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、
 耐え忍ぶことを知らず、怠惰に過ごし、その結果として悩み、迷っています。

自らの心に目を向け、汚れた心を知り、省みることが大切なのです。

好悪を起こさず、ありのままを観る目を養ってゆくこと

自然が 逆らっていないのと同じように、
 自分自身に素直で 謙虚であること、感謝する心を養ってゆくこと

いま此処の実在に気付き、生かされていることに満足すること

ありとあらゆるものが、その姿を現し 示してくれているのです。

 Dhamma 『 法 』
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 ” 四法印 ” ( しほういん )
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 三つの愚かなこと
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コメント(3)


自身について 理解してゆくのには、
 『 仁 』 について知ることが、解り易いかもしれません。

孔子は 仁をもって最高の道徳、
 日常生活に遠いものではないが、容易に到達できぬものと考えました。

 孔子は 弟子の問いに対して 仁をさまざまに定義しています。

若い者に対しては 「 人を愛すること 」といい・・・

もっとも優秀な者に対しては
 「 己れに克(か)ち(己れを克(よ)くし)礼に復(かえ)る 」
 ・・・といっていたそうです。

前者は 外に対しての行為、後者は 自己の内なる修養をさしています。

具体的な心構えとしては、
 「 己れの欲せざるところ、これを 人に施すなかれ 」
 ・・・というのが もっともわかりやすいかもしれません。

思いやりの心で 万人を愛するとともに、
 利己的欲望を抑え 礼儀を履行すること。


孟子(もうし)は、仁の徳の源は 人間性に内在する惻隠(そくいん)の心
( 赤ん坊が井戸に陥りかけているのを反射的に抱きとめる心 ) にあると説いています。


” 真我 ” のことを 簡単に訳せば、
 真心とも 良心とも 解釈することが出来ます。

真心を 知るのであれば、
 「 ありがたいな〜 」 という感謝する気持ちに 出会うこと

良心を 知るのであれば、
 良心に背くことをして、心が痛んだ時に、そう感じるのではないでしょうか


ヘルメス・トリス・メギストスの言葉の中に、こんなものがあります。

 障害は ? 三 ? 存す

 知識を得んとの努力の欠如

 自己への無執着

 悪への執着これなり

 この三は 人間の内にあらわる

この三は 見いだされたるも
 人体の内に いまだ見いだされざる 神秘の諸部屋なり


『 自覚 』 とは、自分自身のあり方を省みて、
 ” 自分が何であるか ” を 明瞭に認識するということです。

『 自己意識の分析 』 『 自己反省 』 『 自己認識 』 によって、
 自分自身に 気付いてゆく ( 目覚めてゆく ) ことなのです。

ソクラテスが、古代ギリシアの格言
 「 汝 ( なんじ ) 自身を知れ 」を自己の課題としたように、
 自覚は、哲学にとって 出発点でもあり 目標でもあったようです。

しかし 自覚とは、自分が自分を知ることであるわけですから、
 知る自分と 知られる自分とは、区別されねばならないのですが・・・

 それは、同時に、同一の自分でもあり続けなければなりません。

ここに、” 自己の分裂と 統一 ” というパラドックスが生じてきます。

自覚とは、自分の置かれている位置 ・ 状態、
 また、自分の価値 ・ 能力などを はっきり知ること・・・

 これは、自ら迷いを断って 悟りを開くことなのです。

” 意識した生活を送る ” ということは、
 気付きをもたらし、瞬間という一如を捉えることによって・・・

 様々な無明を 晴らしてゆくことに繋がってゆきます。

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